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the crying cuckoo  作者: ンジャバダ・ンジャバダ
2/19

2 (建物平面図付)

挿絵(By みてみん)


残暑厳しい朝、ツクツクボウシの鳴き声が響いていた。有料老人ホーム『花千流里』の事務室では、朝の引継が行われている。

 

 長テーブルで話し合っているのは、さまざまな色のポロシャツや白衣を着た数名。年齢や服装もバラバラだった。


「……それから、久我山(くがやま)さんについてもう一つあるんだけど、二時過ぎに玄関ホールをウロウロし始めちゃって。『どこだここ、(おら)ぁ、帰らねばね』って、いつもの帰りたい妄想が始まってね。今日はもう遅いので休みましょう、って言っても『なしてや、帰らねばね』って騒いだり暴れたり。手を取ろうとしたら、思いっきり叩かれて、ほら、こんな大きい痣。三時になって、なんとか寝かしつけたのよ。風浦君も気を付けて」


「うわぁー、これまた派手にやられましたね。お疲れさまです」


 顔をしかめた風浦の視線の先には、青く腫れあがった腕があった。袖をまくっている隣席の女性は目の下に大きなクマを拵えており、しわくちゃのエプロンは、あちこちから糸がほつれていた。


「久我山さんって特に最近、荒っぽくなること多くなりましたよね。そのせいなんでしょうね、足が痛い腕が痛いって、僕にはよく訴えてきますね。」


「そのくせ、着替えやお風呂の時、体に触れたりするのは嫌がって暴れるしね。先々週だっけかな、ほら、ご家族がお見えになったときも機嫌悪くて。息子さんたちがせっかくお孫さん連れてきたのに『誰や、お()んど』って警戒してて。お孫さんたち、怖がってお母さんの後ろに隠れちゃって」


「久我山さんのお孫さんって、まだ小さいですよね、五歳と三歳くらいでしたっけ」


「そう。帰るころには弟くんのほうが泣き出しちゃって。怖かったんでしょうね、おばあちゃんが」


「先月、お孫さんと会ったときは、すごく可愛がってたんですよね。認知症が進んでも、普通、小さいお子さん相手ならニコニコして触れ合うことのほうが多くないですか? 幼稚園の子たちが訪問に来てくれてた時もそうじゃないですか」


「そのはずなんだけどね、普通は。やっぱり、相当ショックが大きかったんじゃないかしら、大先生のこと」


「そうかもしれませんね……」


 二人がため息をつくと、上座の位置に座っていた、青いポロシャツ姿の男性が全体に向かって呼びかける。


「えー、みなさん、私から一つあるのですが、よろしいでしょうか」


 浅黒い筋肉質の肌と精悍な顔立ちを持つ青ポロシャツの声色が、皆の気を引き締めたようだった。


「今日から九月となりました。以前から申し上げておりましたとおり、本日より新しい職員が仲間入りします。紹介しますので、ちょっと待ってください……」


 言いながら、一旦事務室の外に出ると、一人の男を連れ再入室する。連れられた男を見た風浦は目を剥いた。


「えっ伊介!? なんで!? なんでこんなところに……」


 その視線の先では黒いポロシャツにベージュのチノパンという出で立ちの伊介が眉を顰めていた。


「なんで、とは失礼だな。オレにも、この職場にも。せっかく就職したっていうのに」


「ん? 易国間君って風浦君の友達?」


「はい。高校の同級生だったんですよ。(まどか)さんには先に言っておけばよかったですかね?」


「大丈夫だよ。かえって都合がよかったかもしれない。

 ……というわけで、今日から働いてもらうことになった易国間伊介君です。じゃあ一言、挨拶を」


「易国間伊介と申します。みなさん、よろしくお願いいたします」


 円民知(まどかたみとも)はテーブルのほうへ向き直ってから、新入職員を紹介した。

 

「なんで……? なんでここにいるんだ……」


 口々に歓迎の言葉をかける職員たちの中で、風浦は一人頭を抱えていた。しかし、風浦の困惑には誰も触れないまま話は進む。


「易国間君はまだ若く、この仕事も未経験です。なので、みんなで協力しあい、教えあいながら易国間君を育てていきましょう。易国間君も、一日も早くこの施設や仕事に慣れるように頑張ってください。特に、入居されている方の顔と名前は最優先で覚えるように。それでは、今日もよろしくお願いします。

 ……それから、風浦君はちょっと残ってください」


 職員が散っていく中、風浦は円のもとに歩む。


「……円さん、なんでしょうか」


「まぁ、そう嫌そうな顔しないで。風浦君には、易国間君の指導をお願いしたいんだ」


「えっ伊介のですか?」


「風浦君、ここは職場なんだから名字で『易国間君』と呼ぶように。プライヴェートでは友達でも仕事では切り替えて」


「えぇ……す、すみません。というか、なんで僕が?」


「そろそろ、君には後輩の指導も本格的にやってもらいたかったんだよね、本当は。なかなか機会が無くてね。……実は、半年くらい前に大先生もおっしゃっていてね」


「大先生からも……」


「こっそり漏らすようなニュアンスではあったけど、僕もそう思っていたし。風浦君にはもう、後輩を指導・育成してもらうスキルを身につけてもらわなきゃならない。数少ない男手だし、将来的には、それなりの立場になってもらわなきゃいけないから。 それに、易国間君となら、年も近くて話も合いそうだったし。実際に気心が知れている間柄のようだから助かったよ」


「そうですね。風浦さんが教えてくださるなら私もありがたいです」


 易国間も割り込んで相槌をうつ。風浦は苦虫を噛み潰したような顔で、同い年の新人を睨んだ。


「指導といっても難しいことはないよ。まずは、君は通常の仕事しながら、易国間君に見学してもらいつつ入居者の方の顔と名前を覚えてもらうように。仕事の雰囲気を掴んでもらうのが優先だね」


「……わかりました」


「まぁ、風浦君だけには負担かけないようにするから。ひとまず、僕と天谷さんと交代しながら、三人で易国間君に基本的なところを教えていくようにしていきたいと思っている。しばらくの間、易国間君には日勤で夕方五時で上がってもらって、土日休みで」


「まぁ、それなら安心、でしょうか」


「というわけだから、風浦君よろしく。易国間君は、しっかりと風浦君の指示に従うように。彼にも言ったとおり、ここは職場なので、しっかりと公私の区別をつけて欲しい。それから、もう一つ」

 

 円は改めて姿勢を正し、易国間に言い聞かせる。


「事前に言ったと思うけど、この仕事で一番求められるのは人柄です。入居者の方は敏感になっていたり、感情的になることも少なくありません。ちょっとした言葉遣いや態度でも、お気に障ってしまったことで大変なトラブルにつながってしまうことがあります。実際に退職につながる例もありますし、私も見てきました。

 また、入居されているお年寄りだけではなく、戸湊敏明先生や、看護師、もちろん私たち上司や年の離れた先輩など、さまざまな立場の人が協力して成り立っている仕事です。円滑なコミュニケーションが不可欠ですし、職業上、気位が高く気難しい人が少なくないです。些細な言葉遣いのニュアンスや何気ない言動で、相手の逆鱗に触れてしまい、一切口も聞いてくれなくなる、ということもある環境です。

 介護や医療の現場は、一般社会以上に礼儀や上下関係を重んずる、といっていいです。特に医師である若先生、つまり戸湊敏明先生とコミュニケーションをとる際は礼儀や話し方に充分注意を払って、必ず『先生』と呼ぶように。……易国間君は、これが初めての就職なんでしたね?」


「そうです。一応、普通に挨拶しますし、一般常識くらいはあると思いますけど」


まるで自分とは無関係のことのように易国間は返答した。


「うーん、なんというか、そういう話し方……ちょっとよくないな……。もっと教えを乞うような、へりくだるような言葉遣いでないと。『こいつ偉ぶってる』『気に食わない』『生意気だな』って相手に思われてしまうから、高齢だと特に」


「はぁ……?」


 首を傾げた易国間を見て、円は顔をしかめた。


「性格に裏表がないことや、どんなことでも素直に受け止めようとする姿勢、これらがなければ務まらないし、見抜かれてしまうんだよね、なぜか。そういう態度は直さないといけないな、一刻も早く。古い体質かもしれないけど本当に立場がものを言う世界だから、心してかかって欲しい。とにかく誠実さだな、うん。まだ若いから、今のうちならまだ直せるから。初めのうちは消耗するかもしれないけど、いずれ慣れるし」


 円は頭を抱えながら、独り言のように言う。


「まぁ、とにかく今日は風浦君、頼んだ。気づいたことがあったら、細かいことでもなんでも教えてくれ。じゃ、よろしく」


 長身で色黒の上司は、風浦に言い残して立ち去った。すかさず易国間は風浦に疑問をぶつける。


「なぁ、邑間、なんでオレいきなり怒られたんだ?」


「はぁ、マジか……。あのさぁ、そういうとこだよ。へりくだるっていうか、すぐ素直に謝るっていうか」


 風浦も呆れた表情を返した。


「ん? だから、素直に訊いてんじゃんか、なんでオレ怒られたんだ? って」


「だから……まず、もう行かなきゃ。とりあえずついてきて」


「わかりました、風浦先輩」


 風浦は大きくため息をつき、易国間を引き連れて事務室を出た。


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