18
金曜の午後五時、夕食時にはまだ早い時間帯であった。そのためか『ぱらける寿司』店内は一応の賑わいを見せてはいたものの、ボックス席を確保することは容易であった。
易国間と風浦は、ボックス席のレーン側に向かい合って座った。
「昨日からもう、大変で……」
「まぁまぁ、疲れているだろう。まず落ち着きな、お茶でも飲んで」
風浦は、着席するなり身を乗り出して易国間に話しかけようとしたが躱されてしまう。易国間は、レーン上部に置かれた湯呑を取ると二人分の茶を淹れ、一つを風浦に渡した。
勢いを削がれた風浦は茶を一口すする。すると、ドサッと背もたれに寄りかかって椅子に身体を預けた。
「あー……、最近もういろんなことがありすぎて。目が回って頭が痛い」
風浦は生気を失い、やつれたようだった。
「夜勤明けの割に眠くはなさそうだ。だけど、よくそんな状態で、オレを拾ってここまで運転できるね。目が死んでるうえに、会うなり『円さん……ヤバイ……』って虚ろな目で繰り返すんだもの、事故らないかヒヤヒヤしたよ」
「そんなことより、なんでよりにこんな時にメシ行こうなんて、誘ってくるんだよ。こっちから誘わないと、ロクに外にも出ないくせに。本当に大変というか、悲しいというか、もうヤバイ。ヤバイとしか言えない。だって円さん……」
「死んだんだろ?」
「えっ!?」
自分の言葉を引き取って続けた易国間の発言に、風浦は目を剥いた。湯呑を落としそうになったため、テーブルに置いた。
「どうしてそれを……? どうやって知ったんだ?」
「そのくらいのことが起きなきゃ、オレを急に休ませたりしないんじゃない? ……あぁ、今は仕事じゃないから先輩扱いしなくても大丈夫だよな。
……今朝早く、天谷さんから電話があってさ。『申し訳ないけれども、今日は自宅で待機していて欲しい』って。どうしたんですか、って訊いても『ちょっと……今は言えない、月曜日に話すから』とだけしか答えてくれなくてね。よっぽどイレギュラーな事態が起こって、焦りまくってんだなぁ、ってのが声色ですぐにわかったよ。平然と年寄りから金を騙しとる、あの天谷さんが焦るんだ。人死に、それも年寄り以外の予期せぬ人死にでも起きなきゃ、天谷さんは動じないでしょ」
「……まぁ、天谷さん相当パニクってたよ。天谷さんだけじゃないけど」
「オレはまだ入って二、三日しか経ってないし、何の役にも立たない。円さんが死んで、いつもの仕事に加え、警察への対応や入居者の精神的ケアもしなきゃならなくなった。新人の指導なんてできっこないし、むしろいるだけ邪魔になるから休ませた方がいい、と天谷さんが判断するのも無理はないよね。それでいつ死んだんだ?」
「昨日の夜だよ。……けどまだ信じられないよ、昨日から今日にかけて起きた出来事すべてが、夢か映画を見ていたみたいだ。今、伊介と寿司屋にいるのだって、映画を見終わった後にご飯食べながら感想を言い合ったりする時みたいだよ」
「オレはまだその映画を見ていないから、感想だけでなく内容も教えてくれ、ネタバレ大歓迎だ。あまりにもショッキングな出来事だったから、夢なのか現実なのかボンヤリしちゃって、地に足がつかなくてフラフラしちゃって、そんな感じだろう? きっと話しているうちに落ち着いてくるよ。
……まず、いつどこで円さんは亡くなっていたんだ?」
「……八時過ぎに宿直室で見つかったんだ。ほら、ミーティング終わってから仮眠するって言ってただろ? それで円さんは五時半くらいから宿直室に入った。 僕たちは夕食の介助とか、仕事に戻ったんだけど。八時過ぎ、円さんまだ起きてないよね、ってパートの達川さんが気づいてね。遅番の人たちはもう帰る時間で、そのことも知らせなきゃいけないだろう、起こした方がいいってことになって宿直室に行ったら……円さんはいくら身体を揺すっても起きない、それどころか息もしていない。すぐに救急車を呼ぶことになって。来たはいいけど、もう息絶えているから警察へ引継いで。まるで大先生の時みたいだ」
「死因も同じだったんじゃない? 体内から界面活性剤が検出された、とか」
「いや、違う。枕元にペットボトルを置いてたんだけど、その中に睡眠薬が入ってたんだ」
「ほお!」
易国間は楽しそうに声を上げた。
「それで、睡眠薬で中毒死したんだろうって警察は言ってた。荒らされたり、揉み合いになった形跡もなくて、一人で静かに寝ていたとしか思えない状況だった。円さんが仮眠を取り始めた午後五時半から、八時までの間に入った職員は、起こしに行った達川さんを除いて遅番で出ていた職員では誰もいなかった。
だから、自殺ってことで処理されるらしいんだ。きっとストレスが原因だろうって、働き盛りにはよくあるから。夜中の一時過ぎに警察から訊かれたよ、自殺しそうな兆候やストレスを抱えていそうな様子はなかったか、なんて。
けど、信じられないよ。確かにストレスは抱えきれないぐらい抱えてる人だけどさ。昨日の日中だよね、紀子先生が施設長になるって聞いたの。まさにこれから、って時じゃないか、自殺なんてするわけがないよ。以前から薬を飲んでいたか、なんても訊かれたけど、そんなの見たことないし。
まぁ激務が続いてゆっくり家で休むこともままならない、家のベッド寝てるより職場の宿直室で寝ている時間の方が長いような人だもの、睡眠薬に頼らなきゃ眠れなくなってしまってしまうのも無理はなさそうだけどさ。ただ、その薬なんだけど。どうも市販されてない薬みたいなんだ」
「違法な薬物ってこと?」
「その可能性もあるみたい。これから、円さんがどこで入手したのか、円さんの家とかご家族にも訊いて回って捜査していくらしいよ」
「円さんの身体は調べてないの?」
「そうだ、腕に注射の痕があったんだよ。腕からも精神安定剤のような薬物を注入してた可能性があるんだって。注射器は見つからなかったんだけど。……気丈に振る舞っていたけど、もうボロボロだったんだろうね、円さんは。いろんなドラッグに頼ってまで仕事を続けてたなんて」
「やっぱりか……」
「伊介はわかってたの? 円さんが薬物に手出してたこと」
「そうじゃない。やっぱり円さんは殺されたんだよ、自殺に見せかけて」
「はぁ!?」
「大先生を殺した人物と同じ人間だ。……きっとの被害者は次は邑間、もしくは天谷さんだと思う」
「……何言ってんだよ」
易国間の断定に、風浦は苛立ち始めた。
「……そりゃ大先生や円さんが亡くなってしまったのは残念だし、悲しいよ。けどさ、施設の中の誰かに殺された、そんなことは考えられない。決めつけないでくれよ、不謹慎だ。
確かに、口喧嘩したり雰囲気が悪くなることもある。挨拶も交わさないような仲が悪い同士の職員もいる。入居者同士の派閥もある。だけど、それも良くなっていくよ、確実に。施設長も事務長も変わるんだ、また昔みたいに戻るんだ、大先生や円さんの理想だった『花千流里』に。職員も入居者も一つになって、助け合って協力しながら過ごしていく『花千流里』に戻るんだ。
……いや、違うな、これから戻していかなきゃいけないんだ。僕や伊介が、紀子先生のもとで。もちろん仕事の上では、変わらず僕が先輩だから、悪いけどそこは弁えてね」
聞いていた易国間はフンッ、と鼻で笑った。風浦は苛立ちを隠さない。
「……何がおかしいんだよ」
「本当に邑間は素晴らしい職員だ。大先生や円さんから崇高な理念を受け継いでいる。だけど、おめでたい」
「……は?」
「確かに素晴らしい、尊敬すべき人だよ、大先生も円さんも。そして今の邑間も。だけど、だからこそ、君が危ないんだ」
「……昨日も言ってたね、それ。危ないってなんなのさ?」
「次は君が殺される、仕事中に。方法はまだわからないが」
「いい加減にしてくれ!!」
バシッ、と風浦は両手でテーブルを叩いた。
「僕が殺されるだ? バカなこと言うな! まだ施設にいる人を犯人扱いする気か!? 大先生は事故だ、円さんは自殺なんだ。亡くなったのは辛いけど、殺人なんてあるわけない。君はまだ何もわかってないだろ、この世界もこの仕事も。簡単に口出すなよ!
偉そうなこと言うつもりはないが僕が先輩だ、先輩として言わせてもらう。今後絶対に殺害だの、犯人だの、そんなことは言わないでくれ。みんなの不安を煽るだけ、怖がらせるだけで何にもならない! 警察ゴッコも探偵ゴッコも、もうおしまいだ、本当にやめてくれ」
だが、易国間は全く動じず、まっすぐに風浦の目を見つめた。
「そうだ、おしまいなんだよ、君が死んでしまえば! それこそ本当に何にもならない!!」
易国間は声を張り上げた。
「介護施設職員の前に、先輩後輩の前に、君は一人の人間だろ? 職業や立場なんか関係ない、君の命が脅かされていると言ってるんだ!
オレは君を救けるために言っているんだ!!」
易国間の迫力に風浦は戸惑い、二の句が継げなかった。
そのまま二人はしばらく黙り込んでいた。レーンに流し始めたばかりの時の、マグロの赤身の表面から、水分が抜けきって乾き出す程の時間が経った頃、口を開いたのは風浦だった。
「……昨日言ってたね、犯人はまだ施設にいるって。……本当に誰だかわかってるの?」
「当然。それだけじゃない、殺した方法だってもうわかってる。大先生の時も円さんの時も」
「なら、教えてくれる……?」
「わかりました、先輩」
「いや、先輩じゃなくて。……友達として」




