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the crying cuckoo  作者: ンジャバダ・ンジャバダ
1/19


 とある回転寿司チェーン店のボックス席で、二人の若者が向かい合っていた。一人はスマートフォンでネットニュースを見ながら、右手でイクラ軍艦を口に運ぶ。もう一人は茶の入った湯呑を握ったまま、テーブルに突っ伏していた。


「あー、背中も腰も痛い。夜勤明けでさあ帰るかって時だったのに、ついでだから、ってパートのおばさんに入浴介助やらされてさ……たまんないよもう」


「そりゃお疲れ」


 突っ伏した方の男が愚痴をこぼすと、寿司を食っている方の男は気のない相槌を打った。


「全くだよ……あ、それとって」


 突っ伏した男は、そのままの体勢で目をレーンに向けながら言った。

「え? どれ?」


「それだよ、それ、行っちゃう、サーモン……! あー……行っちゃった」


「なんだ、サーモンか。名前言ってくれなきゃわかんないだろ」


「サーモンに決まってるでしょ、今流れてった皿の並び見てた? スプーン、ワサビ、スプーン、サーモン、醤油、だよ? サーモンしかないじゃん」


「スプーンをガシガシかじったり、子袋のワサビをチューチュー吸うかもしれないだろ」


「寿司食べに来てスプーンかじる奴がどこにいるんだよ」


「まぁまぁ、だったら注文すればいいじゃないか。それに作り立てのが旨いんだし」


 言いながら向かいの男は、設置されているタッチパネルで同じ品の注文をかけた。


 サーモンを取り損ねたこの男は、易国間伊介(いこくまいのすけ)といった。二十五歳、無職である。目にかからない程度に切り揃えた直毛の黒髪と中背で骨張った痩躯は弱々しく、決して人当たりが良いとはいえなかった。また、仏頂面かひねくれた笑みを浮かべるか、という不気味な表情であることが多いため、交友関係はほぼ無いに等しかった。


 サーモンを食べ損ねた方の男は、風浦邑間(かざうらゆうま)といった。二十五歳、老人介護施設勤務である。易国間よりやや背が低い矮躯であるが筋肉質な体格であり、大胸筋と上腕二頭筋の膨らみは着用しているTシャツの生地をヨレヨレに伸ばしてしまう。丸刈りがやや伸びた程度の短髪も相まって、柔和な印象を人に与えることが多い。それは、温厚で小さめのゴリラかオランウータンを想起させるのだった。


 注文のサーモンが流れてきたため、風浦はレーンから皿をとると、醤油をかけて二貫まとめて頬張った。


「今さぁ、本当にうちの施設、職員足りなくて参ってんだよ、入居者は二十人くらいなんだけどね。僕、今月夜勤十回は出なきゃいけなくて……眠いやら疲れるやらで毎日フラフラだよ」


 言いながら風浦は大あくびをした。易国間はまたスマートフォンに目を向けていた。


「……へぇ、脱法ドラッグを打って車を運転して事故ったんだってさ……。なんでもこの薬、打つと気分が高揚して明るくポジティヴで活動的になって、かつ冷静な思考も保つことができる。パワーと集中力もガンガン湧いてくるのに、手が震えるとか幻覚や妄想などの禁断症状もない、といいことずくめらしいね。今の邑間にもいいんじゃない?」


「何言ってんのさ、それ副作用がヤバイやつだよ。効き目が切れると一気に激しい虚脱感が襲ってきてボーっとしちゃうんだ、そんな状態で運転すれば事故るのも当然だよ。しかも、血管に注入しないと効き目がなくて依存性は強いから、すぐに腕はボロボロになるだろうね」


「へぇ、やけに詳しいんだね」


「それ、仕事の研修で話題になってさ。都会の方で、高齢者に栄養剤として打ってた介護施設があったらしいんだよ、しかも複数。とんでもないでしょ!?」


「ほお! やるなあ!」


「手軽さはないけど、それを補って余りあるほど安価でコスパがいいから全国に広まりつつあるんだって。覚醒剤の五分の一程度の値段らしい。……そもそも薬を増やさないで人増やしてもらわないと、人を」


「介護なんて一年中いつでも採用募集かけてるんだろ? なんでそんなに人足りないのさ」


「やっぱり給料は少ない、休みも少ないうえに不規則、人間関係も悪いところが少なくないからね、どうしても業界全体としてさ。入ったはいいけど数ヶ月ももたないようなことだってザラだし。こんな田舎だと特に顕著だよ。

 仕事の責任だってすごく重いよ、人間の命を預かってるんだもの、一朝一夕でスキルが身につくようなことはないし、心ないことも言われるし暴力振るわれることもあるし。入居型の施設だと、一日十時間以上出なきゃいけなくて、夜勤も当然あって、それでもパート待遇で昇給ボーナスなし、手取りは月十五万もいかない、なんてよくある話だよ。生活すらままならないよ」


「入居型ってことは、年寄りが生活してる施設ってことか?」


「そうだね。僕が働いてる老人ホームなんかが該当するんだけどね。二十四時間いつでも、何かあったら対応しなくちゃいけないから必然的に拘束時間は長くなる。そんなことはもう知れ渡ってるんだから、求人出しても避けられるし、運良く採用できてもすぐに辞めちゃうし。おまけにさぁ、特に最近は退去者も退職者もひどくて……」


 風浦は落胆した様子でイカとエビの皿をレーンから取った。


「退職者がひどいのはわかるけど、退去者も多いってどういうこと? 入居してた高齢者が引っ越しちゃうのか?」


「そうなんだよ。実は三週間くらい前なんだけど、入居者の一人が亡くなってさ。表向きは事故ってことになったけど、そんなわけないことくらい他の職員も入居者もわかってる。それで気味悪がって退職や退去が相次いでいるんだ、次は自分が殺されるんじゃないかって」


「ほお、誰が死んだんだ!?」

 

 興味を惹かれたように、易国間は身を乗り出して続きを求めた。


戸湊(とみなと)クリニックの大先生だよ。二年くらい前に施設長を引退して、一入居者として暮らされていたんだ」


「オオセンセイ? なにそれ」


()(みなと)(とし)一郎(いちろう)先生のことだよ。戸湊クリニックの前院長。そして、僕のいる有料老人ホーム『花千流里(はなちるさと)』を設立した前施設長だよ。その二つを統括する『医療法人(いりょうほうじん)()()()会』の前理事長でもあった。今は、医療法人の理事長とクリニックの院長は息子の敏明(としあき)先生が務められている。僕のいる施設は奥様の恵理耶(えりや)さんが施設長でね。開業医の先生がやってる診療所だと親子二代で経営していることがあってね。お父様の方を大先生、息子さんの方を(わか)先生(せんせい)と呼び分けていることが多いんだ」


「ハナチルサト、源氏物語か。ってか医者が介護施設を作ったのか?」


「そう。最近は開業医の先生が介護や福祉の事業にも進出するケースがよくあるんだよ。大先生はこの地域でいち早く、手厚い医療ケアを行える介護付有料老人ホームを作ったパイオニアなんだ。僕のいる施設は戸湊クリニックのすぐ隣にあるからね、医療体制も万全だよ」


「それなのに、気味悪がられるような不審死を遂げちまったのか。よりによってその大先生が。でも事故死なんだろ、どんな事故なんだ?」


「……昔、都会の方の病院で、点滴に異物が混入された患者が連続して亡くなったって事件あったの覚えてる?」


「あったね、そんなの。結局捜査は打ち切られたんだよな、犯人は見つからずじまいで」


「その事件にそっくりなんだよ。その日、大先生は点滴を受けていたんだけど、その最中に亡くなったんだ。昔の事件の時は、死亡した患者の体内から検出された界面活性剤が点滴の袋からも検出された。大先生が亡くなったときも身体から界面活性剤が検出されたんだ。だから、大先生も点滴を通じて界面活性剤を身体に入れられたのだろうと警察が言っていてね。だけど犯人も手口もわからずじまい。捜査は故意ではない事故として処理されてしまった」


「仮に、本当に事故だとしても、施設の年寄りや職員はたまったもんじゃないね」


「そうなんだよ。特に入居者は不安と恐怖で怯えきったり、怒りをぶつけることでごまかしたり。施設内の空気はピリピリしているよ。当時、大先生の点滴を担当した看護師と、食事介助をしていた職員は入居者から特にひどいバッシングを受けてね、大先生が亡くなったことだけでも相当ショックを受けていたことに加えてのそれだから、完全に参ってしまって休職してるんだ」


「けどさ、それおかしくない?」


 疑問を持った易国間は、レーンから鶏唐揚げの皿を取り、一つを口に運んだ。


「不可解な事故死でみんな不安になるのはわかるけどさ、死んだのは年寄りだろ? 老人ホームなんてヨボヨボの死にかけばかり集まってるんだから、年寄りが死ぬことは特別でも異常でもない気がするんだけど。むしろ、誰かの誕生日くらいのペースで、たまに起こるイベントのような気もするけどなぁ。わりと慣れっこなんじゃないの」


「変な例え方しないでよ。そりゃあ、亡くなったり看取ることだってあるよ。だけど、伊介は大先生を知らないからそんな風に言えるんだ」


「そりゃ知らんよ。どうせ、元医者っていっても年寄りだろ? ボケてるくせに高慢で融通が効かない面倒な爺さんじゃないの?」


 風浦はハァ、と呆れたようにため息を吐いた。


「ひどい思い込みだね。大先生は全く正反対の人だったよ。この地域の開業医の中でも特に優れていて、誰からも慕われて尊敬されていた。傑人というべきだよ。僕は少しの間だけ、大先生のもとで働いてたけどすごかったよ。誰よりも優しくて思いやりがあって、指示や指導も的確だった。まるで人の心や未来を読んでいるような人だった。

……確かに伊介の言うとおり、医師の中には高慢で他人を見下す、鼻持ちならない人もいるけど、大先生は決してそんなことはなかった。利用者でもそのご家族でも職員でも、分け隔てなく接していて温かく見守ってくれている人だったよ」


 目を輝かせて語る風浦に易国間は怪訝な表情を隠さなかった。


「ずいぶん心酔していたみたいだね。それは仕事上の表情、営業スマイルでしかなかった、なんてこともあるんじゃないの?」


「いいや、そんなことなかったよ。若先生にすべてを譲られて勇退された後は、さっきも言ったけど、一入居者として過ごされていてね。本当にただの一入居者でしかなくて、むしろ自分だけ特別扱いされるようなことを嫌悪されていたくらいだ。他の入居者とも、本当にただの友達のように気さくに話していたり、一緒に遊んだりして。……さすがに、他の入居者から話しかけるような場面は滅多になかったけど。それでもみんな慕っていたし、好かれていたから大先生は惜しまれたんだ」


「ふーん。点滴を打ってたってことは、身体の調子がよくなかったんだろ?」


「まぁね。勇退された直後にご病気されたことで一気に身体が弱ってしまって、それまで仕事してた時みたいに動き回ったりはできなくなったんだけど。それでも、ゆっくりとだけどお一人で歩いたり食事を摂ったりすることはできるし、会話も楽しめるくらいだったから、後十年はお元気でいらっしゃるだろうとみんな思っていたよ。八十一歳だったけど、認知症の傾向も全く見られなくて。

 だけど亡くなる前の日の夕方、体調を崩されてね。その時は、暑さで体力を失ったんだろう、水分補給して寝ていればすぐに良くなるっていわれていたし、実際に僕もそう思っていたんだ。その数時間前までお変わりなくお元気で、少し話もしたから。それなのに翌日になったら事故死なんだもの。怪しすぎるけど……事故だと思う。不幸な事故だった、としてそのまま忘れたい。みんなそう思っているし、僕だってそうなんだよ。一人一人がしめやかに偲んでいるんだ、きっと」


「なるほどね。なかなか面白いじゃないか」


易国間は笑みを浮かべながら、唐揚げの最後の一個を口に放り込んだ。


「しかも大先生が亡くなった日、僕は休みでいなかったんだけど、もう一つひどい騒ぎがあってね。

入居者の一人が弄便(ろうべん)して食堂を派手に汚してしまったんだ。……ごめん食事中なのに」


「ローベン? なにそれ」


「弄るに便と書くんだけどね。認知症が進行した方に見受けられるんだけど、自分の便を触って弄ったりしちゃうんだよ。あちこちにこすりつけたり、口に入れてしまう場合もある。その時は、便を投げ散らかしてしまったんだよ」


 顔をしかめながら話した風浦と同様に、聞いていた易国間も顔をしかめた。


「うわぁー、そりゃキッツイな。そんなことしちゃうくらいボケちゃってんなら、いっそベッドに縛りつけてたほうがいいんじゃないの?」


 易国間の発言に風浦は眉を顰めた。


「確かに昔の介護の現場だと、ものの例えでなく本当に縛りつけるような状態もあったらしいけど今は非常識だよ。身体も頭脳も使わないと、認知症も身体機能も急激に悪化していくんだから。

……大体、よくそんなことをためらいなく言えるね。もうちょっとさ、思いやりとか人の気持ちを考える、とかないわけ? 伊介って毎日パソコンの前で株やってるんだろ、外にも出ないで仕事もしないで。そりゃ人の心が無くなって冷たくなるに決まってるよ」


「株だけじゃないよ。FXや先物取引もやってる。リスクは分散してるよ」


 風浦の嫌味も意に介していないように、易国間は笑みを浮かべていた。


「いや、そうじゃなくてさぁ……取引の種類はどうでもいいよ。なんていうか、株って労苦なしにオイシイところだけかすめ取るようなイメージがあるし、そういうのはよくないんじゃないかなぁって」


「稼ぐ手段が違うだけだよ。邑間は肉体労働で稼ぐ、オレは頭脳労働で稼ぐ、それだけさ」


「頭を使うのはわかるよ。けどさ、株の値上がりで得た利益って誰かが値下がりで損した分っていうでしょ。それに加えて人を騙したり出し抜いたりするから、心がどんどん汚れていくような気がするし。仕事って、自分だけが得したり儲けたりするだけとは限らないんじゃないかなぁ」


「いいこと言うじゃないか。だけど、邑間はどうも勘違いしているようだ。なにも、オレのやっていることは自分の利益だけのためじゃない。株でも外国為替でも先物でも、売買を繰り返すことによって値段が上がったり下がったりするだろう、それは、新たな付加価値が生まれ続けているということでもある。お金にお金を稼がせるんだ。そうして通貨の価値が高まっていけば市場・経済は活性化していく。そしてみんなが豊かになっていくんだよ」


「本当かなぁ……?」


 風浦は怪訝な表情だった。


「オレは日々、お金にお金を稼がせて新たな価値を生み出している。そう……錬金術のようなものだよ。オレは『通貨(オカネ)の錬金術師』なんだ」


「はぁ? なにそれ。今、適当に思いついたんでしょ」


 したり顔の易国間に対し、風浦は呆れ返っていた。易国間の手元には店の箸袋があった。『旨さ錬成 ぱらける寿司』という、キャッチコピーと店名が印字されている。


「百聞は一見に如かず、という言葉もある、よかったらやってみればいい、教えてあげるからさ。証券取引に対してのマイナスイメージも払拭できると思うよ。もっとも、貯金はマイナスになるだろうけど」


「やんないよ、そんなの。そもそも元手になるような貯金すらないんだし。地道に働く方が僕には向いてるよ。そういう伊介こそさ、一度はちゃんと働いてみたら? 大学出てから就職したこともないんだろ?」


「まぁね。地道に働くのは向いてないからな」


「だけどやっぱり、人とのふれあいというかさ、お金だけじゃない大事なものがあると思うよ。僕は今の仕事で、多少はやりがいもあるし。介護はおすすめしにくいけど、どんな業種でもいいから就職してみた方がいいと思うけどね、僕は」


「それもそうだね。経験してみるのも悪くはないかもな」


 言いながら易国間は、デザートのプリンに手を付け始めた。


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