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迷宮書館の司書見習い  -9-

「メリー! 大丈夫かい?」

「ユート兄さん……?」

 駆け寄ってきたユート兄さんの顔に、それどころではない筈なのに、身体の力が抜ける。

「あれは誰?」

 煙るような霧銀(ミストシルバー)の長いウェービーヘアに、シックな色合いのストールを纏ったドレスの女性。

 キャロルと呼ばれたその人を見て、眼帯の侵入者は無言で距離を取った。

「マーシュ」

「邪魔をしないで」

「この子達への攻撃? それとも貴女が行く事かしら。どちらにしても、そのお願いは聞けないわ」

 穏やかな声音でキャロルが返す。

「ねえ、お話ししましょう? 少し落ち着かないと」

「貴女にはわからない。……それに、聞けないというお願いは、嫌でも二者択一になるわ」

 マーシュと呼びかけられた侵入者が手を振り上げる。

「あらあら。困った子」

 先程とは比べ物にならない数の礫が頭上に広がり急降下してくるも、キャロルはのんびりと呟き、ふぅっと息を吐く。

 刹那。降り注ぎ獲物を貫こうとしていた礫は、時を止めたかのように宙で静止する。

「二者択一なら、こちらを選ぶしか無いわねぇ」

 キャロルがパンパンと手を叩く。途端、礫は粉々になりエントランスに注ぐ光を弾きながら溶けるように消える。

 けれど、その時にはもうマーシュの姿はなく、開け放たれたカウンター越しの扉と階段を駆け下りていく音だけが、その行方を指し示していた。

「逃げられちゃった。……司書さんと、そちらの殿方に大きな怪我はない?」

 マーシュの逃げた先を見つめながら呟き、くるりと振り向いてキャロルがこちらに声を掛けた。

「あ。私は、大丈夫です。それよりウェルとセレーヤは」

「大丈夫だよ。ウェル君は気を失ってるだけ」

 ユート兄さんがウェルの様子を確かめ、パロマもセレーヤを抱き上げながら言う。

「セレも心配要りません、御主人様。ただ、……少し御前を失礼致します」

「パロマ?」

 呼び掛けに、パロマはやんわりとした苦笑を浮かべ、一礼するとセレーヤを抱き抱えて館の奥へと消えた。

「うーん。司書さんからかしら」

 くるりと全体の状態を見回してから、キャロルはそう言ってこちらを見る。

「いや、気を失ってるウェルの方が」

「大丈夫だよ。気を失ってるけど、逆に言うとそれだけだから」

 すぐ目も覚めそうだしね。ユート兄さんはそう言って、気絶したウェルを担ぐ。

「ウェル君、奥に置いてくるね」

 寝かせてくる、なのだろうけど若干扱いがぞんざいだ。

「じゃあ、じっとしてて下さいね」

「はい。どうも」

 いつの間にか火の灯った燭台を手にし、キャロルが背中に手を翳す。

 ゆらゆらと揺らぐ炎と呼応するかのように翳された手から暖かいものが広がるような感覚がする。

 暖かいものが広がりきり、背中全体に溶けるような気がした。

「はい、終わり」

「わ。凄い」

 痛みは欠片もなく、肝心な時に駆け出せなかった脚も難なく床を踏み、立てる。

「ありがとうございます」

「どういたしまして。私で事足りるくらいで良かったわ。……あ、ごめんなさい。えーと、私はキャロル。リヒター・スピネルの幻想化身(イマジンアバター)よ」




 ミモザ・スピネル。史上最年少の十二才で中央図書館の司書試験を突破した天才少女。この分館の前任者。

 そして三年前、迷宮へと消え失踪した、師匠の妹。

「それで、さっきの幻想化身とミモザさんの関係って?」

 礫の散らばった大広間(エントランス)のソファーに腰掛け、行儀よく脚を揃え座るキャロルと向かい合う。

「マーシュはミモザ様の幻想化身。ミモザ様は沢山の幻想化身を抱えて居たけど、行方不明になった後を追って次々と消えて行ったわ。マーシュは、たまたま中央にミモザ様からのお遣いを果たしに来ていて、難を逃れたの」

「難を逃れた、ね」

 とてもそうは思えない様子だった。

 こちらの様子から、言いたい事を察したのだろう。キャロルは微苦笑を浮かべる。

「そうね……マーシュにとっては、それこそが難だったのかもしれないわ」

「でも、許さない」

「メーラ」

 書架の奥から姿を現したメーラは、固い表情と声音でそう言った。

主人(マスター)とセレーヤを傷つけた。絶対、許さない」

 葡萄酒色の瞳が妖しくも鋭く光る。

「次は、絶対仕留める」

「物騒加減は同じくらいだと思うが」

「ウェル! 大丈夫なの?」

 首を押さえつつ、目を覚ましたらしいウェルが現れ、軽く頷いて見せた。

「ああ。それより、どうなってる?」

 尋ねるウェルに、どうやらあの襲撃者が幻想化身で、目的は図書館の迷宮に行く事だったというのを説明すると、ウェルは何とも言えない表情になった。

「……前任者の幻想化身?」

「そう」

「前任者が行方不明?」

「うん」

「めちゃくちゃだな。色々……」

「でも、よく今まで後追い我慢してたね。あの様子なら、とっくにやってそうだけど」

「勿論、やろうとしていたわ。けど、やりたくても出来なかったの。『保護』されていたから」

 キャロルの言葉にメーラが顔をしかめる。

「あいつは許さないけど、中央の奴等も同じくらい許せない」

「うーん。まぁ、メーラ達の気持ちもわかるけど」

「キャロルだって! 本当は」

「キャロル!」

 傾き始めた陽光が音を立てて開け放たれた扉、そこから常ではあり得ないほど慌てて駆け込んでくる人物の背後から射し込む。

「師匠」

「マイ、マスター!」

 ソファーから立ち上がり、キャロルが師匠へ駆け寄る。その細い身体を抱き締めて、師匠は深く息を吐いた。

「よくやった。……すまない」

「うふふ。勿論、私はマスターを悲しませたりしませんもの。気になさらないで」

 美形と美少女ってほんと絵になるなぁ。と思いつつ、残念ながら鑑賞時間はあまり取れない。

「師匠」

「……」

「私もですが、ウェルも巻き込まれちゃったので、そろそろ詳しく説明してくれませんか。じゃないと、宿直要員追加どころか、ウェルもこれ以上ここに留まってもらう訳にはいきません」

 若干じと目で師匠にそう言うと、師匠は苦虫を噛み潰したような顔になった。

 それでも皆に被害が及んだからか、やがて口を開く。

「わかった」

 全員がソファーや椅子に腰掛けると、師匠は辺りの惨状を見て眉根を寄せる。

「キャロルからどこまで聴いてる?」

「襲撃者が前任者の幻想化身で、前任者が三年前にここで行方不明になった師匠の妹さん、て所までですね」

「それなら、ほぼ全てだな」

「師匠。ほぼ、は全てとイコールじゃありませんよ」

(ここまできても頑なに、か)

 困る。それでは困る。

「……師匠、話さないなら、私、ここの司書辞めます」

「なっ」

「良いんですか? 私が辞めたら、今度こそ完全に封鎖されますよ。この分館」

「お前、脅してるのか!」

「ええ。まぁ、そうですね」

 師匠の綺麗な顔に苦渋が滲む。それでもやっぱり、美形は美形だ。いつもならその様子に眼福と思って美味しく頂くけど、今はそれどころじゃない。

「師匠。簡単な事じゃないですか。話すだけで良いんですよ? ただ本当の事を、話すだけで」

 見ようによっては悔しげとさえ見える師匠の表情。けれど私は知ってる。

(後悔と罪悪感。ほんと、変わらないなぁ)

 氷の瞳がその内に雪解けの清水を内包している事も。真冬のような孤独感と煉獄のような自己嫌悪に、さながら磔刑の魔女のように心を焼き炙られている事も。

 私は、知ってる。

「師匠。私は中央図書館から正式にこの分館の司書を任されました。つまり、どんなに実力は見習いレベルでしかなくても、最終決定権は私にあります」

「……」

「権利と同時に、この分館に関わる事は、私に責任があります。この分館で責任を負うものとして、宿直要員(ウェル)達に被害が及ぶ危険性のある事柄を放置は出来ない。私は、間違っていますか?」

「……いや」

「マイ、マスター。私は、お話した方が良いと思います」

「キャロル」

「私は、入れません。皆さんの力が、マスターには必要です」

 よし! キャロル、ナイスアシスト! 心の中でガッツポーズを決めた事は勿論秘密。

「……本当に、キャロルから伝わってる事がほぼ全てだ。これから話すのは、私の個人的な事情になる」

 そう前置いて、師匠はようやく話始めた。

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