迷宮書館の司書見習い -8-
狼とは、群れで生活する生き物だ。
よく言う『一匹狼』が狼のイメージとして広まりつつあるような気がしなくもないが、本来は人間よりも群れの仲間を大事にする。群れの一員を家族として。
「てーと、ウェルは自分の群れ……村の成人儀礼の最中だったと。そいう事?」
「ああ」
下宿の一階にある小さな食堂。そのテーブルに座り、ウェルは従姉さんの淹れたココアと厚焼きのパンみたいなビスケットを前に話をしている。
「それにしても、話を聴く限りでは随分遠出したのねえ」
隣で話を聴いていた従姉さんが艶かしい色に染まった唇から言葉を紡ぐ。その声音だけで、大抵の男なら軒並み骨抜きにしてしまえそうな色香と迫力がある。
色みの強い金髪を緩く巻いて無造作に背に流し、確実に一回りは上の筈の年齢を感じさせない白くシミ一つない肌。弓形の眉に長い睫毛が縁取る瞳は暖かい海の碧玉だ。ちなみに身体は言うまでもなく、肩口の大きく開いた黒い踝までのマーメイドラインドレスで、身体の線がくっきりはっきりしても気にする必要皆無。
そんな美女が居るからか、いつになく大人しいウェルが「それは」と口を開く。
「俺もここまで遠くにくる予定は無かったんですが……」
ウェルの村の成人儀礼は『何か一つ新しいもの』を得ること。
それは、新しい狩場だったり新種の獲物だったり。とはいえ大分形骸化し、『個人にとって』新しければ良いらしい。でないと、狩場でも獲物でもそれこそ、今頃大陸を出なければならなくなっているだろう。意外と世界は狭い。
「獲物を追っていたら、他の奴もそれ追ってて」
「あー。だから違うのにしようとして、そんな事繰り返してたら」
「う。……まぁ、その通り」
愛すべきワンコだ。
「すぐ帰ろうにも、まだ新しいものを手に入れてなかったから、ひとまずこの街で休もうと……したんだが」
「?」
「どうなったのかしら?」
「足を踏み入れた途端、犬に絡まれた。丁度その地区のボスが管理してる縄張りに入ったらしくて」
まぁ、いくら狼でも一地区丸ごとの犬とじゃ勝負にならないよね。多勢に無勢過ぎる。
「いくら縄張り荒らしに来たわけじゃないって言っても、聞く耳持たない感じで」
「で、取り敢えず逃げて、私の部屋に不法侵入、と」
「悪かった」
「いや、別に驚いたけど何もされなかったし良いよ。それより、人狼姿なんてまかり間違うと犬に追われるくらいじゃ済まないけど、見られてない?」
「無い、と思う。あの姿になった方が速い。人なら見つかる前にそこから姿を消せる。……犬は匂いで追ってくるけど」
確かに、あの夜も近所の人は犬が煩いとかどうしたんだと言っても、人狼が出たとかは言ってなかった。多分大丈夫なんだろう。
「ねえ、確認しておくけど、貴方達は確か帰巣本能があるでしょう? 迷子で帰れないわけじゃないわよね」
そんな騒ぎ起こしたなら、むしろ早く帰った方が良いんじゃない? 従姉さんは微苦笑してそう言う。
「勿論。村のある方向は今もはっきりわかるけど……」
何故かウェルがこちらを見遣る。
「……大事な宿直要員なんだろ」
「あー。うん。そだね。今ウェルに居なくなられるのは困る」
「あらあら……可哀想」
「え。何が?」
「何でもないわ。とにかく事情があるのね」
何故かしみじみと従姉さんは頷き、気の毒そうにウェルを見た。そして、おもむろにテーブルの下からリボルバー式の銃を取り出すとテーブルの上に置く。
手入れが行き届き重々しくも光るそれに当然、ウェルの顔が強張る。
「そういう事なら、今回は大目にみましょ」
「従姉さん、これ」
「いつもの私の愛銃よ。どうしたの? 見慣れているでしょ」
「いや、うん。見慣れてるけど。そうじゃなく……用意してたんだね」
「勿論よ。ちなみに、あの夜も声を掛けた時に持ってたわ。可愛い妹に何かあったら、確実に償わせないといけないでしょう?」
ほほほほほ。と軽やかに笑う従姉さんと、凍りつくウェルが対照的だ。
「けれど、あなたが大丈夫だと言ったから。実際そうだったし。だから使わなかったけれど」
「いやー、ウェルめっちゃ怯えてたから。しかも間抜けそうだし。警戒するだけ睡眠時間の無駄かなって」
「大事にならなくて良かったわ」
従姉さんとのやり取りに、いよいよウェルの顔色も青くなる。選択を間違えていたら風穴を空けられていた、と知れば無理もない。
「あ。そろそろウェル帰さないと。師匠が待ってる」
ウェルの背後にある棚に置かれた時計が急かすように時を刻む。
「そうなの?」
「ウェルが居ない時は、師匠がメーラ達と留守番してくれてるんだ」
従姉さんは立ち上がり、ウェルも一刻も早くこの場から逃げたいと言うように玄関へ向かう。
「ウェル」
玄関のドアノブに手を掛け、振り返るウェルに茶色の紙袋を差し出す。
「これ。夜食と明日の朝食」
「え」
「あの騒ぎで買えなかったっしょ」
渡した紙袋をマジマジと見て、ウェルは礼を言って眉間にシワを寄せた。
「ウェル、なんでお礼で眉間にシワが寄るのかね?」
「いや、悪い。これは……気にしないでくれ。ありがとう」
「良いって。宿直よろ」
手を振って見送ろうとしたけど、不意にウェルが問いを投げ掛けてくる。
「なあ。何で、信じるんだ?」
「うん?」
「人狼とか」
「だって、現実じゃん」
「それは、そうだけど」
「メーラ達だって、現実だし。図書館の下に迷宮があるのも現実。この目で見て、触って。ウェル達は、ここにいる」
自分の目で見て、実際そこにあるものを否定する理由はどこにもない。
「あのモフモフは現実!」
「モフモフ言うな」
疲れたように肩を落とし、ウェルは紙袋を抱えると帰って行った。
その翌日。
「読み書きの勉強?」
「そそ。だって、ウェルこのままだと他の宿直要員見つかるまで帰れないし、そっから『何か新しいもの』探すと更に時間掛かるじゃん」
空の目立つ書架にはたきを掛けていたウェルが怪訝そうに、カウンターで書類を処理している此方を見る。
「だから、せめて新しいもの探しに協力しようと思って」
「それで読み書き……?」
「損をしない程度の読み書き算数は出来る。裏を返すと、それ以上は村でやらないんでしょ? なら、もう少し勉強して新しい知識を手に入れれば、他の人とも被らないし、きっと重宝するよ」
「それは……そうかも、知れないが」
「迷惑なら、無理にとは言えないけど」
「そんな事はない」
「じゃ、決まり。まあ、本当の所は当分時間が余りそうってのが大きいんだけどね」
書架はまだガラ空き。手元のスケジュールを見れば展示とかのイベントも予定無し。
街外れの分館にわざわざ来る物好きも居ないし、そもそも再稼働を誰か知っているのかすら怪しい。加えてお化け屋敷しかもマジもん、とくれば行く末は推して知るべし。
絶対的に暇になる予感満載だ。
(時間は有効に使わなきゃね。ウェルにはお世話になってるから)
宿直とか引き受けて貰えて助かってる。自分に出来る事で何かお返しが出来るならそれに越したことはないと思うわけだ。
「すみませーん、お届け物でーす!」
ユート兄さんとは違う郵便配達の声がエントランスに響く。
「受け取ってくる」
「よろしくー」
再び書類に目を落とし、ちらりと直ぐ側にある迷宮入口へ続くドアを見た。
(結界か……どうしたもんかな?)
物語化身は通れるけれど、人間は拒む結界。
(どうにか一時的に解除するか、誤魔化せないものか)
あの迷宮への入口で飛んだ火花。強行突破するには無理がある。
(メーラ達を巻き込むのは、避けたいんだよね……)
「マスター」
「およ。どうしたの? セレーヤ」
どこか恥ずかしそうにベールの下で視線を揺らしつつ、両腕に抱いていた本を遠慮がちに差し出す。
「ああ。そうだね。セレーヤの番だった」
その本を受け取ろうとした時。
「なあ、本が一冊届い……うわぁ!」
「ウェル!」
何が起こったのか。確かめるより先に身体が動いた。
「くっ!」
カウンターを飛び出し、手を伸ばす。届いた、と思った瞬間、ウェルと一緒に吹き飛ばされ空の書架に叩き付けられる。
叩き付けられた衝撃で一瞬胸が詰まり、激しく咳き込む。
(いたぁ……何が……おこ)
背中全体がズキズキと痛む。一緒に叩き付けられたウェルはすぐ近くで倒れているが、呻いて身動ぎしているのが見えた。
その事にひとまず安心して、吹き飛ばした元を確かめようと目を向ける。
「―― 情けない。此れが、マスターの後釜……此れが、あの美しかった……我が家」
ゾッとするくらい綺麗で、背筋が凍るほど昏い声だった。
長く身体に巻き付けられた金髪とゆったりとした白いドレス。
異彩を放つ、両目を塞ぐ黒い眼帯。そしてその周囲に浮かび漂う石礫が、その人物から発せられる怒気に応じるかの様に振動していた。
「マスター!」
今にも泣き叫びそうな声を上げて、セレーヤが駆け寄って来ようとする。
「こんな雑なものが」
眼帯に塞がれた眼が、セレーヤを見定め、
「っセレーヤ! 駄目!」
眼帯の侵入者が白い手をセレーヤに向け振るうと同時に漂っていた礫が、獰猛な猟犬のようにセレーヤに向かい、飛ぶ。
「あっぅ」
「セレーヤ!」
容赦なく叩き付けられた礫にセレーヤが、床に倒れる。
トドメとばかりに、侵入者は無言で更に手を振り上げた。無情の雨がセレーヤに降り注ぐ。
「やめっ」
(叫んでる場合じゃ、ない!)
叩き付けられた書架から背中を引き剥がし、駆け寄ろうとするけれど、衝撃から立ち上がり駆け出す力はなく、脚が生まれたての小鹿のように震える。
ま に あ わ な い――。
駆け出して、もつれた脚がぐらりと揺れて、視界はスローモーションで無情の雨が貫こうとする様を映す。
「御主人様!」
声と共に、倒れ伏したセレーヤへ降り注ぐ礫が見えない何かに弾かれた。
「パロマっ」
「御主人様、動かないで下さい」
駆けつけたパロマがセレーヤを抱き起こし、運んでくる。
そして、
「主人とセレに手を出したよね。殺す」
「メーラ!」
侵入者の背後からその首筋目掛け、メーラが手にした得物を振るおうとするも、振り向き様に見舞われた礫に吹き飛ばされ壁に叩き付けられる。
「このっ!」
「―― 弱い」
静かに、そして殺意にも似た怒気を孕んで、侵入者は呟く。
「こんなものが、私達の代わり……?」
本能が警鐘を鳴らす。
(これ、ヤバい……)
侵入者の怒気に呼応して、礫が円を描き広がった。
パロマが動けない面々を庇うように侵入者に背を向け、メーラが再び攻撃に出る。けれど、それよりも礫が降り注ぐ方が早い。
「其処までです」
一斉に降り注ごうとしていた礫がピタリと空中で静止する。
「……」
礫が小さな音を立てて砕け、床に落ちる。キラキラとしたそれは、ガラスように光を弾く。
「キャロルさん……?」
新たな声の主を見て、パロマがそう呟いた。




