迷宮書館の司書見習い -4-
2.迷宮書館へようこそ
犬の吠え声ではなく、目覚ましと鳥の声、そして朝日で目を覚ます。
そこはいつもの部屋で、いつもより少し早い時間というだけの違いしかない。寝台から起き上がって壁際に目を向けるけれど、人狼はおろか人間の姿も無い。
あれが夢ではないという証拠は、不器用に畳まれた毛布だけだ。
ペタペタと自分の身体にも触れてみる。
「ん。着衣も異常無し。さて、行きますか」
そう自分に声を掛けて、身仕度を整え階下へ降りる。
「おはよう。昨夜は起こしてゴメン」
「おはよう。良いのよ。あ、今日も分館って言ってたでしょ、それお弁当」
「わぁお。嬉しい。ありがとう!」
「どういたしまして。頑張ってね」
忙しい従姉が用意してくれた茶色い紙袋を鳶のごとく行き掛けに手にして、街を抜けて丘の上を目指す。
澄んだ朝の空気と森の匂いが身体を包む。
「空も蒼いし、昼寝には最適なんだけどなぁ。ま、片付け終わるまでは真面目にやりますか」
師匠が聞いていたら終わってからも真面目にやれ、とすかさずツッコミを入れるだろう。
(まぁ、家出てからずっと後を着けて来てる人でも良いんだけどね)
気のせいかと思っていたけど、これだけ静かだと他の生き物の気配は意外と目立つ。視線を感じれば尚更だ。
(どうしようかな。このまま分館に駆け込んでメーラ達と袋叩きにするってのもありだけど……)
どうしようかと考えあぐねていたその時。
グルル……。
「……」
獣の唸り声みたいだけど、似て非なるもの。
その名も空腹音が響いた。
「あのさ、とりあえず……一緒に食べる?」
呼び掛けに、躊躇いの間を経て、木立の中から一人の少年が姿を現した。
「それで何故、彼はここに居る?」
朝の顛末を聞いた師匠は冷たい通り越して凶悪な顔でそう言った。
「いやん、師匠ボケるには早いですよぉ」
「真面目に答えろ」
「はーい。まぁ、そんな訳で私の朝飯兼昼食無くなったので、身体で返してくれると」
「あんた、その言い方わざとだろ」
「ストーカー君は黙ってなよ」
「違う!」
ストーカー呼ばわりされた少年は間髪入れずにそう返す。
身なりははっきり言うと汚れてる。泥だらけってレベルではないけれど、土がついてたりと埃っぽい。
(けどそれでも許されるレベルで……)
顔と身体は良い。
「急に悪寒が……」
ブルッと肩を抱いて身震いする少年の歳は多分同じくらい。
短い銀髪に茜の瞳、鼻筋の通った精悍な顔立ち、まだ少年独特のあどけなさがあるが、数年後には師匠とは違ったタイプの美形になりそうで楽しみこの上ない。
「本格的に背筋がぞわぞわする……」
「ケヘヘヘ」
少年のそんな姿に、師匠がため息をつく。
「不審者と言えど一般人を怯えさせるな。それで、君はどうしてこんなのを尾行した?」
「……匂いに釣られて」
「……念のため聞くが、何の」
「弁当の!」
「わかった。警察に突き出すのはやめておこう」
師匠にまでからかわれたと感じたらしい少年が頬を染めてそっぽを向く。
(初々しい反応堪らんわ)
ジュルリと涎が垂れる事は流石に無いが、ゴチです! の気持ちを込めて視線を二人に送る。
「やめろ。こっちまで鳥肌が立つ」
師匠にはその気持ちがバッチリ伝わっているらしく、本日も眉をしかめられた。
「ふざけるのも大概にして、真面目に話せ」
「まぁ、そんな感じでお弁当あげたら、お返しに掃除手伝ってくれるって言ったので」
少し考えるように師匠は少年を眺め、やがて納得したのか頷く。
「わかった。丁度良い。それならお前の手も空くからな」
「師匠、その言葉は別の事をさせるって聞こえますが」
「わかってるなら話が早い。まだ手続きと渡すものが残ってる。そこの少年……」
「ウェル。……ウェル・アークライト」
「ウェルが掃除している間に済ます」
着いてくるようにと、師匠が言って館の奥へと歩き出す。
「化身達の姿が見えないな」
「一応、様子を伺ってるみたいですよ。案外人見知り」
「……。本格的に開館する前にどうにかする必要があるな」
「本格的?」
廊下の突き当たりにあるドアの前で足を止め、師匠は頷いた。
「ここは図書館だ。利用者に本を閲覧出来るようにする義務がある。公的機関の公的資金を使っているからな」
分館の本は基本的に持ち帰れないから、館内貸し出しだけではあるけど。
「この先は見てないだろう」
「そりゃ、鍵がありませんでしたからね。流石に蹴破ったりはしませんよ」
昨日見たのはカウンターの後ろにある執務室と鍵の掛かっていない場所全て。
この図書館は空から見ると丸い大広間が長方形に半分めり込みくっついている様に見えるだろう。
一般の利用者が行動する範囲は大広間含め三分の一程度。後の大分は蔵書ストックの書庫と職員の宿直施設だ。
「お前なら蹴破った後にそれとわからないよう細工するくらいはやりそうだがな」
「クックッ、お望みとあらばご期待に」
「応じなくて良い。そういう意味で期待はしていない」
「はーい」
師匠はポケットから鍵を取りだし、こちらに差し出す。
「無くすなよ」
「私が持つんですか?」
正直、少し驚いてそう尋ねる。
「この館はお前の仕事場だ。私は本館がある。ここはお前に任せる」
「師匠、何か怪しいもの食べました?」
「お前はどうしてそう……。もう良い。とにかく、慎重かつ大切に保管しろよ」
「……はい」
(あれ? でもそれって)
師匠は本館業務でこっちを私に任せるって事は……。
「当分、私とメーラ達だけですか?」
「その事も含めて今日は話そうと思っていたんだ。流石に街外れとはいえ、書籍が入れば利用者が来る。化身以外がお前一人では無理があるだろう」
本館に入りきらなかったり、扱いの難しい書籍をこちらに保管する関係上、そういったものを閲覧したい利用者は全てこちらに流れてくる。来館者の相手はどうしても必要だ。
「ああ。だからさっきメーラ達が人見知りって言ったら妙な顔したんですね」
「そういう訳じゃないが……。まぁ、話を戻す。お前の急務は人員確保だ。宿直込みで働ける奴を募集して、一応こちらに報告。私が面接して、良さそうなら雇う」
「了解です」
「……それが終わったら」
師匠が言葉を続けるより前に、耳をつんざくような叫び声が響いた。
声に反応した身体は走り出し、その原因を目の当たりにする。
「た、助け」
「主人の害になるの? ならないの? はっきりしなよ」
「お前、何やってる!」
そこには仰向けで踏み倒されているウェルと、ウェルの肩を踏み倒しているメーラの姿があった。
しかもメーラは束ねた長い紐を手にしていて、その紐は踏み倒されたウェルの首に巻き付いている。
「敵味方確認だよ?」
何となく不機嫌そうな顔で頬を膨らませ、メーラが師匠に答える。
「何故そんなものが必要なんだ」
「だって……こいつ、俺達の事、好きじゃない」
「こんな事されて好きになる奴いるか! 何なんだお前! 誰だよ! そもそも初対面で好きもクソもあるか!」
「やっぱり敵?」
「やめろ。拘束を解いてウェルから退け」
渋々ウェルからメーラが退き、ウェルは警戒心も露にメーラから距離を取った。
「それで、こうなった訳は」
溜め息をつきながら師匠がメーラとウェルを見る。
「知らねぇよ。いきなりこいつが現れて襲ってきた」
「俺達の事が好きじゃないのに図書館にいるなんておかしい。なら、主人目当てとしか」
「何だその飛躍の仕方」
「いや、そんな目でこっち見ないで下さいよ師匠」
お前の化身どうなってんだ……という顔をされても、こちらにどうしろと。
「メーラ、何でそう思ったの?」
「……だって本や物語に、こいつ興味無いのに居るから」
「うん。でもいきなり襲うのはやめようね。……というか、そんなのわかるんだ?」
「わかるよ。あと、どんな物語が好きかとかも何となく」
「凄いね」
「主人に褒められた……」
毎度ながら、まるで子犬のような感じ。妖艶系美人が子犬……しかしこれはこれで!
「悶えるな。気色悪い」
「師匠、心読むの止めて下さいよ。破廉恥ですね」
「読んでない。顔に出してるのはお前だ。むしろ普通に悶えてるだろ。破廉恥はどっちだどんな妄想してる」
「え。そんな。……聞きたいですか?」
「ヤメロ」
げんなりした顔で師匠がそう呻く。
「御主人様、申し訳ありません。大丈夫ですか?」
「あ。パロマ」
階上へと続く大きく弧を描いた階段、それを少し慌ただしくパロマが降りてくる。
「少し目を離してしまいました。……メーラ」
「う」
「御主人様が招いたお客様に何をしたのですか?」
「だって」
「メーラ」
「うう……」
パロマが笑顔でメーラを詰める。
「ちょっと首に紐つけて蹴倒しただけ……」
「それは、ちょっと、じゃないでしょう」
チョップをパロマがメーラに見舞う。
「うわ!」
「まったく。……申し訳ありません、お怪我はありませんか?」
ウェルに向き直ったパロマが礼儀正しく頭を下げると、ウェルは居心地悪そうに身じろいだ。
「別にあんたが謝る事は」
「そうだね。むしろ私の責任かも。ゴメン」
自分の物語化身がやった事は責任を、と思って頭を下げる。
と。
「主人! 違うよ。俺が悪かったんだよ! ごめんなさい!」
それまで拗ねてむくれた子供然だったメーラが慌てて抱き着いてくる。
「メーラ、わかったでしょう。私達が何かやれば御主人様の責任になるのです。軽卒な行動は御主人様の恥じになるんですよ」
「いや、あのね、謝るならウェルに」
「……ごめんなさい」
しょんぼりしつつも、メーラはウェルに頭を下げた。
「良いけど……。あんた達どういう関係なんだ?」
「そこ話すと長いから後で」
黙ってなり行きを見守っていた師匠がそこで口を開く。
「ウェル。住み込みで働く気はないか?」
「は?」
「給与は日払いでも良い。住み込みでも勤務時間外で働く必要は無い。勤務は閉館後から次の開館まで、ここで警備……寝起きしてくれるだけで十分」
「いや、ちょっと待てよ。何でいきなり」
「人手が欲しいんだ。特に宿直はあまり本に興味が強くない人物が欲しい」
「図書館って本好きの集まるもんじゃないのか?」
「本好き以外も必要なんだ」
きっぱりと言い切る師匠に圧されてウェルもとうとう黙る。
「条件に一致するし、君にとって悪い話では無いだろう? 勿論、君以外もなるべく早く雇うから、外泊も可能にする」
「……寝起きするだけで良いんだな? その、俺は、……読み書きは簡単なのしか出来ないぞ?」
「ここで寝起きしてくれるだけで良い」
いや師匠、出来過ぎた話って胡散臭いことこの上ないんですが。そんな声は届かないのか敢えて無視しているのか、あっという間にウェルは師匠に丸め込まれ。
「あーあ」
「あーあ言うな。何だその私がウェルを丸め込んだみたいな目は」
「わぁお。師匠、良くおわかりで」
「人聞きの悪い事を言うんじゃない。普通に利害が一致して契約しただけだ。ウェルも、不安そうな顔するな。大丈夫だ」
不安顔のウェルにそう言って、こちらを見ると師匠は少しだけ躊躇うような表情を浮かべた。
「師匠?」
どうしました? と声を掛けるとハッとしたように目を開いて首を横に振る。
「何でもない。とりあえず一人宿直要員が確保出来たな」
「そうですね」
「……次の業務について説明と、渡すものがある。ウェルの泊まる部屋を整えたら昼食にして、その後で」
「いや、私の昼食は消えたので今でも」
「差し入れがある」
「え」
「薬局の親父さんから」
「殺す気ですか」
「冗談だ。妹さんからだよ」
「師匠が冗談とか。何の前触れ」
そんな軽口を叩き、ウェルの部屋を整える為、館の奥へ歩き出す。




