迷宮書館の司書見習い -3-
物語化身、もしくは化身と呼ばれる存在がいる。
彼ら彼女らは表す言葉そのまま、物語の化身。
「主人……ゴメン」
ショボンと目の前で正座しているのは、葡萄酒色の腰まで伸びたストレートヘアで、右側頭部に何故か一つ三つ編みがある、新雪みたいに白くて綺麗な肌をもつ青年だった。
顔立ちは妖艶系で、見つめてくる睫毛と瞳、そして唇も髪と同色。身に付けているのは所々ベルト飾りのある黒い長袖シャツ、どう見ても下着ではなくお洒落用の紅に黒い紐で締めたファッションコルセット、黒いズボンにやはり飾りベルトと銀のチェーン、黒い編み上げブーツ。
叱られた子犬然としているのだが、なまじ色気のある造作だとある意味こちらがプレッシャーを感じるのは気のせいだろうか。
「いや、まあ……いいよ。えーと、『白雪姫』?」
「ありがとう! メーラだよ! 主人!」
「うわっ」
子犬が喜んで思わずといった風に抱き着こうとするのを、『灰かぶり』が後ろ襟を掴んで止める。
「こら。今の今で何してるんですか」
「あう。つい……」
「メー、自粛」
ぷくっと頬を膨らませるのは、先程容赦なくその白雪姫ことメーラを踏みつけていた『人魚のお姫様』で、二人はそれぞれこちらに向き直ると、微笑んだ。ヤバい美人の微笑みとかヨダレが。
「パロマと申します。お会い出来て光栄です、御主人様」
優雅に一礼したのは金髪の灰かぶり。
「マスター。逢えて嬉しいです。……セレーヤといいます」
ベールと衣の裾を両手で軽く摘まんで会釈したのは、人魚のお姫様の物語化身。
「俺達、主人の物語化身だよ」
無邪気な子供のようにメーラが満面の笑顔でそう締めくくった。
「めっちゃ良い目の保養だけど、師匠解説プリーズ」
「プリーズ、じゃないだろう。そのままだ」
仕事が立て込んでいたユート兄さんは既におらず、かくして室内には物語達と師匠、自分という感じになっている。
「化身て、図書館の秘術じゃなかったですか? 率直に言うと、一般人がほいほい簡単に使えるもんなんですか魔法」
しかもそんな大層な魔法使った覚えもなければ、魔女でも魔法少女でもない本気で混じり気なしの一般人。
秘められた力? 無い無い。
「物語化身について、言ってみろ」
「だから、図書館の」
「もっと詳しく。お前の知る限りで」
「……物語化身は、然るべき準備と場を整え、顕現させる物語への深い理解を伴って初めてその姿を現在に留める事が出来る」
「続けろ」
「化身を顕現させる為の場は、あらゆる雑気から切り離された静寂。化身の依り代は物語に見合う素材を用いて術者が創り、化身の自己は、術者自らの生気と物語への理解をもって確立される」
つまり、特別な場所で深く学んだ物語の本を作ると具現化されますよ、って。
「思い当たる事は」
「……半年前の本作りですか」
つーことは、と視線を抱えたままの布袋、その中にある三冊へ向ける。
『白雪姫』
『灰かぶり』
『人魚のお姫様』
この三冊は、中央の試験で作ったもの。そして、今。
その本を本体としている物語化身が目の前にいる。
「なるほど。確かに私がこの三人の術者みたいですね」
何か、この三人は自分の子供ですって認知した気分。
「補足するが、魔女や魔法使いじゃなくてもできる術だ。少なくとも、最初以外は」
「最初?」
「最初にこの術を編み出したのは、そういう奴らだったらしいからな」
魔女や魔法使いがおとぎ話に近く思えるのは、そこらにうようよ居ないから。少しずつ、忘れられる存在だからかも知れない。
術者がそうして忘れられるから、魔法自体も同じ末路を辿る。
「今はその術を解析して同じ事が出来るようにしているから、条件が揃えば誰でも、生者ならこれは行える」
「うわー。その物言い、嫌な予感するんですが」
生者って何。生きてるのが条件とか。
「別に身構えるな。ただ、少し本に生気を吸われるだけだ」
「いやいやいや、過ぎると死にませんかそれ」
「三冊作っても生きてるだろう。生気と言っても、作業に傾ける集中力程度だ。あの試験部屋は、普通と違って生気を霧散させない仕掛けになっているからな」
「生気を霧散?」
「集中力があの部屋だとやけに長続きしなかったか?」
「……しましたねぇ」
素人仕事とはいえ、一月一冊本が作れる。しかも初心者が。
思えば異常な集中力を発揮出来ていたような気がしなくもない。
「物凄い疲労感もきましたが」
「集中力するというのは、そういうものだ。話を戻すと、あの部屋だからこそ魔女でも魔法使いでもない人間が術を行使できるという事だな」
部屋自体が術の条件らしい。
「そこに、特殊な素材と物語への理解……これも変な話しだが、理解というより解釈か」
「解釈」
「物語化身に、同じ者は一人もいない。同じ物語を化身にしても、人それぞれ異なる」
ちらりと、師匠は三人の物語化身達を見た。
「彼らは、お前だけの物語への解釈だ。お前がその物語へ抱く想いそのものだな」
クスクスとメーラが艶やかに笑み、柔らかな笑顔でパロマが会釈、セレーヤは淡く仄かに微笑んだ。
「そうだよ、主人。俺達は、主人だけの物語」
「うぉ!」
抱きっとメーラが背後からぬいぐるみを抱きしめるみたいにくっついてきて、パロマが泳いだ片手を取って優しく握る。
「これまでも、これからも。私達は貴女と共に」
トドメはセレーヤが子供みたいに前から首に抱き着く。
「マスターの、力になる」
「あー、うん。ありがとう」
これは、あれだ。秋に野原に出るとくっついてくるオナモミ状態。
「お前達、そろそろ仕事の時間だから離れろ。終わったらボロくなるまでくっついてて良いから」
「うわーぉ、さらっと人でなしな事いってますよ師匠」
「まだ説明する事は山積みなんだ。お前はともかく私はこの後、普通に本館に戻って業務があるからな」
「私はともかくって事は、お祝いで私は休日」
「お前は掃除だ。化身達とこの分館の大掃除」
「ちょ、ここ全部ですか」
「月一で業者を入れているんだ。言うほどじゃない。それに、まだ本も入ってないんだから、余裕だろう」
確かに本が入っていない書架はただの空棚。はたきを掛けて、拭けば終わるけれど。
「化身達と手分けすれば夕方の終業時間までに終わる」
「はあ。わかりました……」
「……生きてるか?」
「うぅ、師匠の人でなし」
「元気そうだな」
眩しく直視出来なかった太陽も、茜に滲みながら落ちていく夕方。
力尽きた愛弟子が大広間の床で屍のように横たわっているのを見ても、師匠の顔と言葉に哀れみは無かった。
「これが元気そうに見えるなんて、師匠、その歳で老が」
「誰が老眼だ。調子に乗る元気が余ってるなら、宿直させるぞ」
「いや、無理ですから。今日これ以上働いたら死んじゃいます」
「ならさっさと帰り仕度しろ。ここを閉館する」
「はーい」
のそのそと起き上がり、帰り仕度をしていると、背後から痛いくらいの視線を感じた。
「マスター……」
「セレ、また明日来てくださいますから」
「主人ー、泊まって行かない?」
三者三様ながら、いずれも纏う気配は同じ。
すなわち、帰るの? だ。
「流石に急に泊まりは無理かなぁ……。姉さんに連絡してないし」
大家の従姉に連絡なしの無断外泊は、後々を考えて遠慮したい。
「ん? いや、逆に私が本を持って帰れば」
「やめておけ。今のお前と化身達じゃ下手すると消える」
「消える?」
不穏な師匠の言葉にそちらを見る。
「言っただろう。物語化身を生み出すには特別な部屋が必要で、加えて術者の生気が必要だと。……ある程度の期間を一緒に過ごして生気を蓄えた物語化身ならともかく、成り立てでしかも放っておいたら後一月くらいで消滅する脆弱な赤ん坊には無理だ」
「むー。俺達は赤ん坊じゃない」
「待った待った。後一月くらいで何って言いました?」
メーラがふくれっ面で抗議するが、引っ掛かるのはそこでなく。
「化身達は人間の生気、とりわけ術者の生気を糧にしている。つまり、人間と同じで食べなきゃ消滅するんだ。お前とは半年離れていたし、それに」
「こほん。えぇと、御主人様のお師匠様、少し宜しいでしょうか」
「何だ? 灰かぶり」
「そこについては、触れなくても……。確かに、御主人様に会えず、一月触れられもせず放置されればその可能性もありましたが、今はそこについては大丈夫です。要点は、館の外に出るには蓄え不足なので一緒に外出できない、という事ですね」
「連れて出てみろ。たちまち崩壊するぞ。崩壊しないようにと思えば、大量に術者の生気が必要だ。そうなれば」
「御主人様が危険になります。それなら、私は次の日に会えるのを楽しみに待つ方が良いです。ね?」
「う……。主人が危険なら俺も待つ方で良い」
「マスター、大事。何よりも」
師匠が、わかったか? と物語化身とこちらをみる。
「つまり、私が正真正銘の干物になるか、メーラ達が消えるかの二択になるからやめとけって事ですね」
「そういう事だ。お前自身の力がつくか、化身達が十分生気を蓄えれば話は別だが」
「了解です」
今は無理。後々だ。
「さて、帰るぞ」
「主人、明日も来てね」
「気をつけてお帰り下さいね」
「マスター、待ってる」
さっさと出口に向かう師匠と、見送るメーラ達を分館に残し帰路についた。
その夜。
「…………」
満月の光差し込む屋根裏部屋で。
何故か現在、やけに騒ぐ犬の声に窓を開けた瞬間、入ってきた永遠少年ならぬ侵入者に手で口を塞がれ背後から拘束されているという事態にある。マジで。
(てか、この侵入者、人間じゃないっぽいんだが)
手。何か甲側が獣みたいな毛深さと爪だけど人間。多分男。
胴体。服着てる。人間。見えないけどもしかしたら尻尾あるかも。
足。靴履いてない。つーか、多分履けない。毛深いし爪人間のじゃないしでかいし、どっちかっていうと犬とかの足特大版。
(決め手は、絶賛耳元で息遣い垂れ流し中の口だよね)
ハァハァって息遣いより、赤ずきんが喰われるのも無理ないわー、と思える牙がある口。これに優る衝撃は無い。
(人狼だよなぁ、これ)
自分でも驚くくらい冷静にそう分析して、さてどうしようかと考える。
(危機には変わり無いし、ここはやっぱ……)
導き出した答え、それは!
(肘鉄か!)
と思ったのだが。
(……あー。何だかなぁ)
どう考えても、今一番危機的状況なのは、自分。間違いない。
(なのに何で侵入者で私の口塞いでる人狼が、私以上に震え……いや、これ完全に怯えてるよね)
仕方ない。とりあえず肘鉄は保留した方が良さそうだ。
(てなると、どうするかなぁ……あ)
ビクッと人狼が身を硬くする。
「ネス? 大丈夫?」
窓を開けて人狼が入ってきた時、そして口を塞がれた時。それなりに物音がした。外では犬も吠えてるし、多分全部が理由だろうけど、従姉を起こしてしまったようだ。
(うん。面白いくらいの動揺っぷり。だけど……)
これ以上ややこしいのは勘弁して欲しい。明日も早いんだ。当分は六時起きだし。従姉はそれ以上に朝が早い。
コンコンと続くノックに、アワアワと狼狽える人狼。その口を塞ぐ手を、軽くつつく。
そもそもこの人狼、口塞いで後ろから人の事抱えて拘束してる癖に、両腕自由にさせてる辺り間抜けだ。
つついたらビクッと動いたが、目が合った瞬間、大人しくなった。
親指でドアを示し、そのまま人差し指で自分の塞がれた口、それからまたドアを指す。躊躇うような間を置いて、人狼が手を退かす。
「……」
本当に恐る恐る、まだ猜疑心の残る赤い瞳でこちらを見下ろした。
「ネス?」
「あー、ゴメン。そんなに音響いた?」
やっと自由になった口で心配してくれる従姉にそう返す。
「少し。……大丈夫なの?」
「うん。平気。朝早いのに起こしてゴメン」
「良いのよ。それじゃ」
「おやすみ。また朝に」
遠ざかる足音に、人狼の体から力が抜ける。
今なら肘鉄で確実に沈められるけど。
「で。いつまでうら若い乙女を、ぬいぐるみよろしく抱き締めてる気かな?」
「!」
言ったら、ズササッ! と危険物が近くにあるような速さで遠ざかられた。
「何で私の方が怖がられる図式になるのかな。あ、そのまま待機ね」
壁際で固まる人狼は一先ず置いて、寝台の足元にある木製の長箱を開け、毛布を一枚引っ張り出す。
「はい。とりあえず、これ。じゃ、おやすみ」
引っ張り出した毛布は筒状に丸めて縛ってある。それを人狼の足元まで転がした後、寝台に入ってそう言った。
(寝よう。朝早いし)
貞操の危機とかあのビビり様じゃ可能性薄いし、物取りならさらに無さそうだ。それなら、これ以上貴重な睡眠時間取られてたまるか。
何となく壁際の人狼が絶句した気配を感じたけれど、三大欲求に数えられる内の一つには抗えず、目を閉じた。




