迷宮書館の司書見習い -2-
「で、特別な用って何なんですか?」
市街地を抜け、丘を登った先にある洋館を目指し歩く最中、師匠の用事とやらを聞いてみた。
何せ目的の場所が分書館(平たく言って半書庫の図書館で、主に本館に入りきらなくなった書籍を格納、一応閲覧も出来る所)だ。
特別な用なら本館で良いと思うし、何より此処は三年前にあった事件の所為でいわくつきになり、現在は閉館。この街の図書館長である師匠が管理の為、月に一度は清掃業者を入れているらしいけど、外観は廃墟一歩手前だし。
「ま、まさか師匠、愛の告白……? そんな。まだ心の準備が」
などと、わざわざしなまで作って言ってみる。
「お前、自分への郵便物は本当にチェックしろ」
辿り着き、鍵を外し分書館の扉を開ける師匠から氷刃のごとき視線が突き刺さる。たまらん。
「それから、少しの間くらいまともな受け答え出来ないのか」
「ふう。……はーい。わかりました。師匠」
開いた扉の向こう側から、古い図書館独特のすえた匂いが手招きする。もう三年は書籍を抱いていないのに、そこにある匂いは紛れもなくインクや紙、様々な叡智の結晶である本が放つものだ。
目の前には大理石の大広間。四階まで巨大な吹き抜けとなっているその天井にはドーム型の硝子窓。
本の事を考え、半透明の硝子を採用している。
硝子窓を通った柔らかな晴天の光りが、大理石の床へ降り注いでいた。
「行くぞ」
利用者の居ない館内に師匠の靴音が響く。
大広間の真っ直ぐ奥には貸し出しカウンター。広間の両端は一段低くなっていて、濃緑のカーペットが敷かれている。
一段低くなった繋ぎ目には三段程度の階段があって、近くに今は埃避けのカバーを被ったソファや長椅子、そこと奥の書架群との間には幾つものテーブルと椅子。今はどの椅子もテーブルの上に上げられ、あるべき読書灯のランプは無い。
薄暗いその空間と広間中央のコントラストは、少し怖い気もするだろうか。
(まぁ私には、寝てる人の隣を起こさず通り過ぎる時の感覚に近いけど)
この図書館は死んでいるのではなく、眠っている。
「何してる。こっちだ」
「はーい」
静謐の中を進み、カウンターの裏にあるドアを開け、廊下の突き当たりへと。
久方ぶりの来客に軋む音を立てながら、館長室のドアが開く。
部屋の中には執務机と大きな窓、壁際に空っぽの棚があるだけ。
「とりあえず、待て」
「本当に何の用なんです?」
「待てばわかる」
「良いですけど……、埃っぽいので窓開けますよ」
換気の為に執務机の背後にある窓を開けると、草木の匂いと微かに近くの湖で冷えた空気が頬を撫でた。
これ、冬はもっと冷えるな。
「ごめん。お待たせ」
「え。ユート兄さん?」
聴こえた声と視界に生えた姿に思わず目を丸くしてしまう。
「相変わらず時間に正確だ」
栗色の柔らかで艶のある髪に菫色の帽子を乗せ、郵便配達員を表す同色の制服に身を包んだ長身の青年、左目の眦にナキボクロがあるその人は、いつものようにニッコリ笑って窓枠を軽々と飛び越え部屋へ侵入した。
「正確だが、窓から入るな」
「ゴメンゴメン。ちょっとギリギリだったから、つい」
「ユート兄さん、どうしてここに?」
色素が薄く明るい黄色みが強い茶の瞳が、茶目っ気たっぷりに片目を瞑る。
「そりゃ、メリーの晴れ舞台だからね。他の奴にこの役目は譲れないよ」
訳がわからないけど、ユート兄さんは小脇に抱えた濃紅の布包みを誇らしげに掲げて見せた。
開かれた白紙の本を守るように交差する二つのペン。そのペン先からはインクが流れ、文字と紋様を絡み合わせながら円を描いている、中央図書館の紋章が金糸で縫いとられた濃紅のビロード袋に自然と目がいく。
「晴れ舞台……?」
「あれ? 反応薄い……もしかして、知らない?」
パチパチと瞳を瞬き、ユート兄さんは師匠へと回答を求めるように視線を投げる。
「こいつ、自分宛ての手紙に目を通してないんだ」
「ああ。書類送付凄かったからね。なるほど」
「さすがユート兄さん。わかってらっしゃる」
「ユート、仕方ないみたいに言うな。忙しくても見るもんなんだからな」
むう。師匠の言葉は正論だけど執念深いですね。
「お前、今思った事言ってみろ」
「ふふ。君達は本当に仲良しだね」
「あーもう良い。とっとと始めるぞ」
師匠はそう言うと、執務机の前に来るよう指示を出す。
「ユート、読み上げ頼む」
「うん。では……。この度、中央図書館庁は貴殿の適性検査および試験の結果を認め、ここに初級司書官位を授与する。貴殿の今後の活躍を願う。中央図書館庁、長官」
ユート兄さんが読み上げた言葉が頭に浸透する頃には、兄さんから師匠へと布包みが移っていて、師匠は不安たっぷりの顔でそれを差し出す。
「私、リヒター=スピネルはイネス=メリーベルの初級司書官位取得の認可及び中央図書館庁長官に代わり授与を行う。……問題起こすなよ?」
一言恐らく本音かつ本来の台詞には載っていない言葉を付け加えつつ、そう言う。
「えーと、ありがとうございます?」
「何で疑問系なんだ……」
「いやー、びっくりびっくり。いつ試験とか諸々受けましたっけ?」
「お前いい加減にしておけよ? 半年前に中央行ったのも忘れたのか!」
「あー。もしかして、あれがそうですか」
「…………ユート」
「ふふふ。メリーには試験て感じじゃなかったのかな?」
だって試験が製本作業とは思わないでしょう普通。
「三冊本作れってのが中央の一般的試験だとは露知らず」
「違う。いや、試験ではあるが……とにかく、受け取れ」
差し出されたそれを受け取ると、思いの外ずっしりとした重みが両手に伝わった。
「ん? この感触と重さは……本?」
「お前が創った物達だ。試験が終われば返却する」
「へぇ」
と、言うことはあの時の三冊か。そんな思いで何も考えず袋の口を開ける。
「あ! おい、不用意に」
「主人――――!」
「へ? どぅおぅふっ!」
師匠の制止と謎の奇声、そして物凄い勢いで何かに押し倒されるのはほぼ同時だった。
「主人! 主人ー!」
「ちょ、ギブギブ! 苦しっ」
何か凄い勢いで頬すりされてる! このままだと頬が流血の惨事な予感!
「邪魔」
「――っ!」
ガッ! という鋭い音と共にのし掛かっていた何か(恐らく誰か)が壁際までブッ飛んだ。
「マスターが潰れる……。その前に潰す」
透き通る水のような声なのに何か物騒な言葉が聴こえる。
「御主人様、お怪我はありませんか?」
そっと肩を支え抱き起こし、手をとったのは、左から右へ肩の上で綺麗に髪を斜めカットした金髪に鳩血色の瞳を持った、二十代半ばの執事みたいな格好をした青年だった。
「あー。はい。大丈夫です」
「良かった」
ホッとしたらしく息をついたその人が、今度はやれやれとした顔で物騒な音が響く方を見る。
「セレ。それくらいに。御主人様が驚いています」
「メーが、悪い」
「痛たたたたっ!」
ガスッゴスッと容赦なく床に転がった紅と黒の多分人っぽい何かを、花嫁のように花と真珠飾りのベールを被り、淡く溶けるような水色と白いレースの合わさった、床に付きそうなくらい裾の長い衣装。センタースリットから伸びるほっそりとした美脚をやはり衣と同色のニーハイブーツで包んだ人物で、淡々と、しかし的確に容赦なく背骨を踏みしだいていた。
しかもよく見れば中々にブーツのヒールは細い。あれは痛い。
「そんな事をしていると、御主人様へのご挨拶がどんどん遠退きますますが、宜しいのですか?」
「!」
ピタッと動きを止め、容赦の欠片もなく何か(誰か)を踏みつけていたその人は、慌てるようにして戻ってきた。
「あ。すっごい美……」
少年か少女かどっちだ! ってくらい中性的なその人は蒼く輝く銀髪を結い上げていて、目線を合わせる為にしゃがみ込んだ体躯は小柄。濃い青から明るい碧へ変わる瞳は大きく、揺らぐ海の色だ。
「どっちでも綺麗な事には変わりないよねゲヘヘ」
「マスターに褒められて嬉しいです……」
ぽっ、と頬を染める様は物凄く可愛い。が。
「何かさっきから、スルーしてたけど変な言葉が聴こえる」
説明を求めて、傍観に徹する師匠とユート兄へ目を向けた。
「何と言うか……お前らしい【物語化身】達だな」
「元気いっぱいで楽しそうだね」




