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迷宮書館の司書見習い -17-

6.幕間ノ章 狼かく語りき




 何か一つ新しいもの。

 成人の儀で踏み出した歩みは、何故か随分離れた地に訪れる事になった。

「しつけぇな……」

 何か一つ新しいものを持ち帰ること。それが代々村で受け継がれてきた成人の儀。

 新しければその種類も形も問わない。

 大体はそれまで個人的に行ったこと無い狩り場の獲物だったりする。場所自体を発見したりする事もあるのだが、昨今では遠くに行かなければ難しく、その労力を割こうと思う者の方が珍しい。

(うぁあ、しつけーなホントに!)

 現在、街の犬という犬に追われて屋根に逃げ延びたこの少年も、無論近場で済ませようとした今時の若者である。

(何でこんなことになるんだ?)

 近場で済ませようとしたのである。当初は。

 しかし、残念というか何と言うか。今年は、同輩が多かった。

 具体的に言うなら五倍くらい。

 いつもはせいぜい十人程度の成人が、五十人余りになった。

 結果、どこ行っても他人と被る、遭遇する。

 中には諦めていつもの狩り場で自己新記録の量を叩き出して、新しいものとする輩も出る始末。ちなみにそれは多分、捕りすぎだと怒られた上でやり直しさせられるだろう。

 一度は諦めて怒られるの覚悟で、そうしようかとも考えたのだが。

(何でっ俺の時だけ!)

 熊、大蛇、山神かと思う猪。どう考えても手に余るのと遭遇。

(場所を変えたら変えたで!)

 土砂崩れ、落雷、河川の氾濫。

 何か呪われてんじゃなかろうかという感じに災難に見舞われ、気付けば見知らぬ街。トドメはそこの犬総出で追い回されるとか。

「勘弁してくれ……」

 俺が何したって言うんだよ……! と心の底から問いたい状況になるのも止むを得ない。

「はぁ……」

 少年は自分の手足を見て、更に深い溜め息をついた。

 わさっと。まるで獣のように銀色の毛に覆われた手足。鋭い爪は人間のものとは形も強度も段違いだ。

「靴脱げた……」

 無我夢中で逃げていたが、今の姿を人に見られたら犬に追い掛けられるより宜しくない事態になるだろう事は、想像に難くない。

 手足だけでなく、今の少年は顔も人のそれではなく、形で言えば狼のものに近い。人狼と呼ばれるものの姿だったのだから。

 茜色の瞳が暗がりに一対見えるというのも、バリバリ恐怖を煽ってくれるだろう。

 何度目かの深い溜め息をついた後、少年は追い立てる犬の声に腰をあげる。

「早く出るしかない……」

 この街をさっさと出て、村の近くまで戻らなければ。

 そう思い、街の出口方向へ一歩踏み出した……までは良かったのだが。

「う、わあぁぁ!」

 ずるっと。夜露に濡れた屋根は嘲笑うかのように少年の足をとった。

 ゴロゴロと毛玉のように転がる少年。

 遥か東の昔話には、小麦に似たコメというものを炊いて作る握り飯という料理が転がって、ネズミの穴に落ち、そこからほのぼのとした展開になるものがあるらしい。

 しかし、少年の先に待っているのは屋根の終わりであり、地面に待つのは吠え集う猛犬地獄である。同じ転がって落ちるにしても、やはり料理と狼では雲泥の差があるようだ。

(ふざ、けんなぁ!)

 身体が宙に投げ出される刹那。少年は身を捩り、両手で屋根の縁にしがみつき、猛犬地獄への落下を防ぐ。

 心なし、激しく吠えたてる猛犬達の声が盛大なブーイングに聞こえる。

 とはいえ、何とか屋根の縁にしがみついてる状態であり、そう長くはもたない事は少年自身わかっていた。

(くそっ……!)

 指はじわじわと縁から滑るし、爪を立てても逆に掴んだ縁がミシミシ音を立てる。そうこうしている内に、猛犬の吠える声に人が起きて明かりのつく気配がした。

(あそこに飛び移って……)

 一か八か。細い通りを挟んだ向かいにある今掴まっている建物より低い二階建ての家、その屋根に出窓が見える。恐らく屋根裏部屋の窓だろう。

 このままでは下に落ちて猛犬の餌食か、人に見つかって大騒ぎになるかの二択しかない。

 少年は何とか体を支え、両足で壁を思いっきり蹴りつけ跳躍した。

 跳躍の反動を利用して一回転し、目当ての出窓の屋根に手を掛けた瞬間、内側にその出窓が開いたのは、勿論予想外。

(は?)

 吸い込まれるように出窓から室内に転がり込む。

「っ!」

 途中、衝突しそうになった住人の頭というか、身体を反射的に抱え込んで、床に転がる。

(やば! 怪我っ)

 抱え込んだから頭は打っていない筈だが、どこか怪我をさせていないかと、少年は慌て身を起こして腕の中に抱えた住人を見た。

 まず目を引いたのは、濃い蜂蜜のような、黄昏に透かした樹液のような赤みのかかった腰までありそうな金髪。月明かりに浮かび上がる白い肌と、きょとんとした針葉樹の深緑を宿した瞳。

 思わずその姿を見つめた少年だったが、状況を思い出して我に返る。

(って、待て待て待て!)

 今の状況は宜しくない。何が宜しくないって、普通窓から入ってくるのはそれだけで不審者で、しかもこんな夜中。加えて、今現在の状態はその不審者がうら若き少女を抱き込んでいる。もうこの時点で色々アウトだが、床に映し出される少年の影は人間のそれではない。

 まだ、人狼のまま。

(人間だってまずいのに最悪だっ)

 少年と、抱えた少女の目が合う。

 そして、少女がその唇を開き掛けた。

 慌てるとろくなことにならない。それはわかっているし身にしみてもいるのだが、慌てるぐらいの事態だから慌てるわけで。

(あ、あぁぁ!)

 咄嗟だった。考える暇もなかった。

 少女の口を片手でふさいで、ぬいぐるみのように後ろから抱きしめるこの状態。どう見ても考えても不審者通り越して……。

(俺の馬鹿ぁあ!)

 脳天から顔にかけて冷たい汗が一気に吹き出る。

 さらに追い討ちを掛けるかのように、屋根裏部屋の戸をノックする音が。

 終わった。色々な意味で。

 手を離せば悲鳴。悲鳴が上がれば住人に囲まれる。

 逃げても多分犬に追われ、それを追った街の住人に狩られる。

 もう囲まれても逃げても狩られる未来しか見えない。

(死ぬ……)

 火炙りか吊るし首か、斬首か。

 じわりと涙が滲むし、身体が震える。

 ほんの一瞬、少女を拐って逃げて、街を出るときに解放するという事も浮かんだが。

(いや、なら今いっそ手を離して、逃げる)

 普通に考えて、今の抱えられている少女の方が怖い筈だ。

 この上、拐われるなんて怖すぎる。

 流石にこれ以上巻き込んではいけない。少女には何も非はない。

 ごくっと息をのみ、少年は決意した。矢先。

「……」

 トントン、と。少女の口を塞いだ手を、少女が指で叩いた。

 心臓が止まりそうなほど驚いた少年だったが、少女と瞳があった瞬間、言いたい事を理解して別の意味で硬直する事になる。

(え……)

 手、離して。

 緑の瞳に恐れはなく。どころか若干呆れたようにさえ見える。

 早く。そう言うように、更に指が手をつつく。

 何か、悲鳴じゃなく溜め息をつきそうな表情にさえ見えた。

 片や悲愴と絶望しかない感じで泣きそうな人狼と、片やその人狼に口塞がれてるのに呆れ顔の少女。完全に立場が逆である。

 しかし、更なる予想外の事態はそこからも続いた。

「じゃ、おやすみ」

 手を離した後、少女はまったく騒がずどころか安否を確かめに声を掛けた他の住人に何でもないと答え、先の言葉と共に筒状に丸めて縛った毛布を壁際で固まる少年の所に寄越し、何事も無かったかのように熟睡。

 これには度肝を抜かれる以外術がなかった。

(嘘だろ……)

 顎が落ちそうな衝撃を受けた為か否か。ほどなくして人間の姿に戻り、ミノムシのように毛布に包まって夜が明けそうな頃合いを見計らった。

 少女が起き出す前にと、ひとまず毛布を畳み、来たときと同じように窓から出て屋根を渡る。

 脱げた靴を探し、ボロボロのそれを広場の井戸水で洗う。

 靴といってもほぼサンダルのような物で、紐等の部分をよく絞ればごく短時間で乾く。

(犬も居ないし……)

 街を出るなら今だろう。

 けれど。

(飯は貰ってないが……)

 一宿の恩があの少女に出来た。

 それはろくに眠れてなくても、たかだか数時間であろうと恩は恩だ。

(それに、怖い思いさせたし)

 全然怖がって見えなかったが、それが虚勢でないとは言い切れない……筈。

「とりあえず、もう一度」

 会いに行こう。少年はそう決めて、屋根伝いに歩いた街を今度こそ普通に歩き出す。

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