迷宮書館の司書見習い -16-
セレーヤの姿が消えると、メーラが残念そうに呟いた。
「あーあ、良いなぁ、セレーヤ。主人のお見送り」
「ふふ、でも譲るのね」
「まぁ、俺はお兄ちゃんだし。それに、これが最後じゃないんだし……でもやっぱりちょっと羨ましいから、キャロ姉それ以上言わないで!」
「うふふ。はいはい」
「そろそろ帰るだろ、送る」
横たわる屍から動く屍にジョブチェンジしたウェルが、ソファからのっそり起き上がる。
「いや、今日はセレーヤがいるし」
「あいつは森の入り口までだろ。ユートも帰っちまってるし、送る」
「別に道から逸れなきゃここらの森深くないよ」
「お・く・る」
ウェル、目が据わってるよ。凄い疲れてそうで心苦しいのだが、退かないぽい。
「あー……。はい」
逆らわない方が良い。自分の本能からの警告に従って、ウェルの屍から生者への生還を見届け、戻ってきたセレーヤも連れて図書館を出る。
「おー……。焼き芋食べたくなるね」
「何でだ」
辺り一面が黄昏で金色に染まっていて、所々赤茶が覗く様はまさに蜜たっぷりの焼き芋だと思うんだけど。
空気にも夏にはない静かな冷気が混ざり、腐葉土の甘い匂いがある。
「マスター」
不意にセレーヤが袖を軽く引く。
「ん?」
水面に色が映るように、暖かな海色の瞳が微かに光って見えた。
「焼き芋……って、なに?」
「ああ、えっとね、芋っていうのを焚き火とかで焼くんだけど」
「焚き火……」
「今度やろっか」
コクッと頷き、セレーヤは幸せそうな笑みを浮かべる。
「じゃあ、マスター。おやすみなさい」
「お見送りありがと。またね。セレーヤ」
森に入る一歩手前。図書館の玄関ポーチから視認できるそこで、セレーヤはぴたりと歩みを止める。
「また、明日。マスター」
森の小路を進み、振り返ると、セレーヤはそこで変わらず小さな手を振っていた。
手を振り返しつつ、それでもやがて進めば姿は見えなくなる。
「なあ」
「うん?」
隣を歩くウェルの呼び掛けにそちらを見る。
「あいつら、地下に行かせたくないならそう言ったらどうだ」
呼び掛けたわりに、こちらを見ないウェルが言った一言。
一瞬。本当に一瞬だけ、足を止めそうになった。
「あはは。どったの、ウェル」
「真面目な話だぞ」
「……」
今度は、足が止まった。
あれか。ウェルの頭も屍化して思考が……。
「真・面・目・な、話だって言ったよな?」
「ちょ、ウェルも師匠も最近何か以心伝心過ぎて怖い」
思わず両腕を抱きしめると、ウェルは口を開きかけたが、結局は何も言わずに溜め息をついた。
「…………」
「うっわー。凄い何か可哀想な子みる目」
「………………」
「おう……。段々ウェルの目が険しく」
「そんなに嫌なら、行かせなきゃ良い」
おっとぉ? 強引に話、戻したね。
こちらを見るウェルの目。そこには、茜色に混じって確かに心配の色があった。
思わず、苦い笑みが自分の口許に浮かぶのを感じる。
「違うよ。地下に行かせたくない訳じゃない。むしろ行って師匠の妹さん、見つけて欲しい」
これは、本心。
だけどウェルから見てそう映ったなら、多分原因は……。
「嫌ってより、怖い、かな」
ふと見た木々。焼き芋みたいな甘い秋色に、空から降りる薄紫。紫芋のタルトも良いなと、少しだけ現実逃避気味の考えが浮かぶ。
路から外れなければそんなに深くないとは言え、やはり森である事には違いない。少し早足で再び歩き始めると、そこに関しては同じ意見だからか、ウェルも何も言わずに歩調を合わせた。
変な所で会話が途切れたのは自覚している。そこに関しては本当に意図したわけではないのだけど、若干気まずい。
(多分、このまま何も言わなくても、ウェルは聞いて来ないよね)
気まずいから、というより、ウェルなりの優しさだろう。
何だかんだで、意外と気配り屋さんだよなぁと思う。
(何でかな……)
大概周囲が優しすぎる気がしてならない。
それが少し、むずむずする。
あと変な話、それに甘えるのは何か違うかなとも思うから。
「メーラ達を危険な目に合わせたくないな、って思うんだよね」
「……」
「師匠の妹さんのさ、幻想化身に襲われた時」
何も出来なかった。
「あの時、あの前までは、メーラ達に頼らないで自分で何とか出来ないかなって考えてたんだよね」
馬鹿な話。今考えれば、思い上がりも甚だしい。
「まぁ、現実はすぐ思い知れたけど」
ウェルは、隣を歩いている。
けれど、ちゃんとこちらの話を聞いてくれている。
注意を払わずウェルがただ歩いたら、とっくに森の出口を越えて先に行って、振り返っていたはずだから。
「思い知ったらさ、今度は……」
風が少し冷たい手で頬を撫でていく。
言いたくない心を見透かすみたいに。
「自分のせいでメーラ達が危険にさらされるんじゃないかって、思ったら、怖くなっちゃってね」
「お前のせいってわけじゃないだろ」
「今日の特訓」
「…………」
「ウェル、すっごいやりにくかったでしょ」
黙り込むウェルを見る。苦虫でも噛み潰したような、そんな顔をしていた。
「私の指示が適切ならそんな事ない筈なんだよね」
やりにくいって事は、正解がウェルにはわかっていて、私の指示はそれと違うって事。
「素人にそれをいきなり求める方がおかしいだろ」
うん。やっぱり優しいね。でも。
「出来なきゃ、メーラ達は壊される」
「っ」
「ウェルは本当に危なそうって思ったら、自分でどうしたら良いか判断して、対応できるだろうけど」
「……あいつらだって」
「出来るようになるとは思うよ。経験を積めばね。だけど、今その時間は無い。経験を積む段階の前で壊される」
「何で今ってなる。それならなおのこと、もう少しの間、地下に行かせなきゃ良いだろ」
「…………」
ウェルの言っていることは正しい。普通だったら、そうするだろう。
(私も、そうしたい)
「ねぇ、ウェル」
「何だ?」
「そのあと少しは、本当に待ってくれるかな」
「は?」
白い、闇。
あの地下に広がる迷宮は、薄く白く光っていた。暗闇と言うには明るいけれど、あの場合で独り。そんなの想像するだけで寒気がする。
実際は、きっと寒気なんて生やさしいものじゃないだろうけど。
「あそこに、師匠の妹さん、生きて……もう年単位で待ってる」
「…………なあ、それ本当に生きてると思うか?」
「本当、なんて。きっと誰にも、その時になるまでわからないよ」
足下の枯れ葉が踏み出す度に音をさせる。まるで笑うように。
「でも信じてる。師匠もキャロルも。そして……あの幻想化身も」
「お前は?」
「勿論。信じてるから、ここにいる」
信じて、その希望にすがり続けるしか出来ないから。
「ウェルの言ってる事は正しいって、思うんだけど。流石にここまで待ち続けた人達前に、私が使い物になるまで待って欲しいは言えないかな」
結果として、そうなるかも知れないとしても。
「……はぁ」
「なーに、ウェル。その溜め息」
「いや、とりあえず考えはわかった。けどな。別にそれ、お前が責任感じて背負う必要無いだろ」
「?」
「もう少し……他人を頼れよ」
「わ!」
ウェルの手が、頭をやや雑に撫でてくる。
いや、大したセットなんてしてないけど、一応女の子の髪なんだがね?
「俺がやる」
「うん?」
「あいつらが地下行っても大丈夫だって、お前が思えるように。俺が練習相手になって教えてやる」
見上げたウェルの顔は、何か諦めたような、笑ってるような、不思議な表情を浮かべている。
「要は、危なきゃ逃げるのだけ覚えさせれば良いんだろ」
「まあ、そうかな」
「なら任せろ」
それなら出来るからな。そう言って笑うウェルは、何だか少し、頼もしく見えた。メーラじゃないけど、ウェルのくせに。
いや、助けてもらう側が言う事じゃないんだけど、少し癪だった。なので。
「ウェルってさ、結構男前だよね」
「なっ、に」
うん。ほんと男前だと思うよ? 真っ赤にならなきゃね。
口に出した言葉は本心だけど、その慌てっぷりにいつものウェルだなって思う。
「所でさ、あの図書館に幽霊出るって知ってる?」
「何でいきなりそうなる! しかもこれから、俺はそこに帰るんだぞっ」
「いやいや、予め聞いておけば遭遇しても心構えが」
「できるか!」