迷宮書館の司書見習い -15-
「キャロル? ユート、何に巻き込んだ!」
「あははは! やだなリヒターの心配性。大丈夫だよ。危ないことは何も頼んでないから。ね?」
ユート兄さんの襟元を掴む師匠と、その幻想化身であるキャロルは実に対照的な表情だ。片や般若で片や美少女。
「ふふ。そうですよ。マイ、マスター。心配なさるような事はありません」
クスクスと笑いながら、キャロルがこちらを向く。
「対処を学んでもらうのは、私達の為。協力は惜しまないわ」
足に枷があるとは思えない優雅な足取りで近寄ってくると、セレーヤを見て微笑んだ。
「私達には、マスターが全て。マスターの望みを叶える事が、何よりも大事なんだもの」
その言葉に、無言でセレーヤも首を縦に振る。
「んー……それは、ありがたいんだけど、ね」
少し、ゾクリと背筋に震えが走った。
(だってさ……本当に、何よりも優先させそうだから)
多分、この勘は外れて無い。
だから、怖い。
「あ。帰ってきたんじゃないか」
ウェルがそう言って間もなく、迷宮に続く階段の扉が開き、メーラ達が姿を現した。
「主人、ただいま!」
「戻りました」
降りていった時と変わらない姿に、思わずほっと息を吐く。
「ん。おかえり。メーラ、パロマ」
「お帰りなさい。じゃあさっそくお勉強しましょうか」
メーラがキャロルの言葉にきょとんと首を横に倒す。
「お勉強?」
「ええ。そろそろ幻想化身同士のやり方を、あなた達のマスターと一緒に覚えてもらうわ」
「主人と……」
「ウェルさんも手伝ってくれるようよ」
「え。ワンコが何に使えるの?」
メーラ、超真顔になってるよ。
「待て。おい」
ウェル……。既に反射の域にツッコミが。
「こら。お前何か憐れんでないかっ?」
「いやぁ……。うん。まぁ」
仕方なかろう。
「さ。行きましょう」
図書館から外へ繋がる扉を開く。止まった時間が動き出すように光が溢れ、目と鼻の先に佇む湖畔の少し冷たくなった空気が、風と一緒に頬を撫でる。
どこか秘密の訓練場でも魔法のように作ったのかと思ったけれど、玄関ポーチに出て少しの所で、キャロルはくるりと振り返った。
「ここから湖までの目視出来る範囲よ」
ザックリした説明そのまま。特にそれ以上言うことも無いようで、キャロルは此方を見て、ただ立っている。
「……」
メーラ達はその様子を見てから、微かに視線を交わす。
「うん。じゃあ、主人……の手を、パロマ」
「え。はい?」
「しっかりエスコートしてね。セレーヤも」
その言葉にパロマとセレーヤが頷き、メーラはポーチの外へと踏み出す。
「えいっ」
見た目の妖艶さに不釣り合いな子供のような掛け声で、草と地面の軽く擦れる音をさせ、図書館の外へ降り立つ。
メーラが踏み出したその瞬間、自分なのかパロマ達か、息を呑んだのだが、完全に杞憂だった。少し歩いてから、メーラが振り返る。
「主人!」
無邪気な笑顔でぶんぶん手を振るその顔に、今度こそ肩の力を全員で抜く。
「……行こっか」
「そうですね」
「はい」
パロマとセレーヤを伴って、ニコニコと笑うメーラの元へ進んだ。
「お疲れ、ウェル」
「死ぬ……」
木々と湖が茜色に染まる頃、図書館の数人掛けソファに力なく突っ伏しているのは屍……一歩手前でギリギリ留まっているウェルだった。
「やっぱりあいつら、化け物だ……」
そんな声に、同じ訓練をしても普段通りのメーラが床を箒で掃きながら、言葉を返してくる。
「うるさいワンコ。そっちこそ、やっぱり役に立たなかったクセに」
クスクスと笑い、キャロルが塵取りで素早くゴミを回収していく。
「あら、そんな事ないわ。十分よ」
カン、と高い音をさせて塵取りで集めたゴミをブリキの屑入れに放り込み、キャロルは踊るような足取りと声でメーラを嗜める。
「ウェルさんが手伝ってくれたから、私も余計な力を使わないで済んだし」
「えー。キャロルとやった方が絶対効率良いのにー。弱すぎて全然訓練にならないよ」
容赦なくウェルを酷評するメーラに、キャロルが苦笑していると、師匠を手伝って夕食の仕度をしていたセレーヤが食堂の方からやって来た。手には水差しとコップが二つ。
「キャロ姉」
「何かしら? セレーヤ」
こちらとウェルに水の入ったコップを渡しつつ、セレーヤはちらりと玄関を見る。
「どこ、まで、平気?」
「そうねえ……図書館から森の入り口くらいかしら」
「そう……」
キャロルの言葉に、セレーヤは嬉しいとも困ったとも取れる曖昧な表情を浮かべた。
そしてこちらをじっと見つめてくる。
「どしたの?」
「あの、ね、マスター。今日、お見送り……したくて」
「あ。なる」
今までは玄関ポーチまでしか出られなかったわけだが、キャロル達が訓練の為に野外でも活動できる場を整えてくれた。
平たく言って、動ける範囲が増えたから範囲ギリギリまで見送りも広がった、と。
「ありがと。セレーヤ」
いや、良い子だわ。そう思って思わず笑みが浮かぶ。
「お見送り、していい?」
「うん。ダメな理由ないし」
ふわっとセレーヤの顔が花咲くように笑顔になる。
「ありがとう。マスター」
「良かったわね。でも、先に食堂でパロマが呼んでるみたいよ。お見送りする事を伝えてらっしゃいな」
「うん……」
キャロルの言葉に頷き、セレーヤはパタパタと食堂の方へ駆けていく。