迷宮書館の司書見習い -14-
多分、独りで足を踏み入れたら気が狂う。
昼も夜もわからず、ひたすらの静寂。雑音が無いからこその、不安感。
『パロマ、隠れて』
メーラの声に意識を引き戻すと、先程の影が近付いているのか大きくなっていた。
通路の両端にある柱の影にメーラとパロマがそれぞれ身を隠す。
しかし……この端末だけ通路の中央に浮いていたらさぞかし目立つんじゃないか、という思いは、幸い杞憂に終わった。
(おー。動いた)
メーラの少し後ろに自動で端末が移動する。
「一体どうしたんだ?」
『ワンコ、黙って』
常では無い緊張を孕んだメーラの声に思わず画面のこちら側でも息を潜めてしまう。
ゆっくりゆっくりと、何かの影で暗くなった画面の奥で白いものが動く。
静寂しかなかったそこに、重いものを引き摺るような音が響いた。
(いやいやいや。何のホラー。マジ勘弁なんだけど……ってのも言ってられないかな)
流石にここでボケられる勇気はない。
(でも、ヤバい。それだけは確か)
何かを探して、さ迷う足取り。あの白いものは手だ。
それが、通路の先で揺れながら少しずつ姿を見せ始めている。
誰一人として、口を開かない。
何か音を発すれば、あれがすぐさま聞きつけると、思っているかのように。
『ぁ……ァ…………』
その声に瞬間、ぞわりと肌が粟立つ。
意識する前に、口が勝手に動いた。
「撤退」
『了解だよ。主人』
メーラがパロマに目配せして、一斉に身を翻す。
どうして、だとか、何で、なんて考える余裕も無かった。
(あれが、紙魚に取り憑かれた物語の姿……)
ただ撤退の間際、一瞬だけ画面に映った悪夢の姿が、頭の中にこびりついて離れない。
「いやー。無理っスね!」
「おい」
だってアレ無理。そんな心を惜し気もなく笑顔で伝えてみたのだが、師匠からは唸るような声が返ってきた。
「あのなぁ……」
「だってアレどう見てもヤバいですよ師匠。完全にいっちゃってますもん」
「んー。アレは確かにメリーの判断で正解かも」
「ユート、シスコンもいい加減にしろよ」
「兄の欲目は兎も角。意識があるならまだ何とかなりそうだけど、アレは何て言うか……生ける屍?」
ニッコリ笑顔で首を傾げつつ、その視線が苦い顔のウェルに向かう。
「ウェル君はどう思う?」
「……初見で逃げられるなら逃げる」
ゲージがどうのとか言った時も大概気味悪そうだったが、その比じゃないくらい嫌そうな顔で、ウェルが首を振った。
「アレは生き物じゃない」
相当嫌だったのか、自分の首筋を何度もウェルはさする。
よく見ると鳥肌が立ってた。
ウェルの言葉と様子に頷きつつ、ユート兄さんは少し考えるように言葉を紡ぐ。
「野生の獣の方が手強い時もあるからね。とは言え、このままじゃどうしようもないし、メリー」
「はいな。ユート兄さん」
「とりあえず、さんどば……間違えた。ウェル君も居ることだし、訓練しよっか」
「今、俺の事を……」
「特訓てユート兄さん、流石にウェル倒すのはメーラ達楽勝過ぎて、特訓にならないよ」
「おい。誰が楽勝だ」
何か聞こえた気もしたけど、費用対効果って重要。
「その特訓、どこでする気だ。まさか館内でやるんじゃないだろうな?」
黙って聴いていた師匠が眉間にシワを寄せつつ、ユート兄さんに言う。
「やだなー。メリーが一生懸命掃除した、大事な場所でそんな事しないよ」
ニッコリという音がしそうな完璧な笑顔で、ユート兄さんは図書館の入口を指差した。
「遊ぶなら外でやらないと」
入口の扉が開き、女版ユート兄さんのような雰囲気でキャロルが姿を現す。
「準備、整いました」
やっぱ完璧な美少女笑顔だった。