迷宮書館の司書見習い -11-
図書館から外には出られないと言っても、分館でも、伊達に迷宮封じの為に中央が建ててるわけじゃない。それなりに広い館内を探し回り、ようやくお目当ての人物(後頭部)を見つけた。
「セレーヤ」
声を掛ければ、びくりと肩を震わせて、今にも泣き出しそうな顔でセレーヤが振り返る。
「ま、すたー……」
「いやいや、反則だって。館内から出てるじゃん」
出られないと言っていたのに、セレーヤは窓のすぐ下にある植え込みの中に本を抱えて座り込んでいた。
「大丈夫?」
「……はい」
どう見ても聴いても大丈夫じゃない様子なんだけど。
「よし。セレーヤそこ退いて」
「え?」
「ほらほら、お邪魔しますよ、と」
窓枠を乗り越え、セレーヤの隣に腰を下ろす。
「マスター?」
腰を下ろし、改めてセレーヤを見た。
暖かい海の色をした瞳が水面のように揺れている。
「セレーヤ、ゴメンね」
「え」
「ちゃんと指示だしてあげられなくて」
あの時、冷静に判断してセレーヤに指示を出せていれば、こんなに傷つけずに済んだのに。
「違う。マスターは、何も」
「それに、もっと読み込んであげられていたら」
「あ……」
セレーヤの手から、静かに本を取る。
人魚のお姫様。自分で製本したこれは、セレーヤの本体。
人に読まれることで、セレーヤ達に生気が分け与えられる。長い間読まれなければ、弱っていく。
「セレーヤのせいじゃないよ」
セレーヤは俯いて、激しく頭を振った。
しゃらしゃらと涙のような真珠がベールと共に音をたてる。
「セレが弱いから、マスター達」
違うよ、と。言おうとして口を開いたけれど、それは違う形になった。
「君、どこの子?」
ガサッと音がしたと思ったら、まるでウサギみたいに植え込みの下から十にもなっていなそうな子供が顔を出している。
色素が薄いからなのか、肩口まで伸びている髪は白く見える。肌も日焼けとは無縁の白さで血管が透けて見えるんじゃないかとさえ思えた。
大きな黒に近い紫紺の瞳が何も言わず、ただじっと見つめてくる。吸い込まれそうなその瞳は、やがて本へと移った。
(あー……。これは、あれかな)
図書館では子供に読み聞かせの会とかをやるのだが、この雰囲気はそれに参加して待ち焦がれる感じの。
「いや、あのね、普通は親御さん探すのが先……」
なのは分かっているけど、子供の眼力すごい。
「……下手に動き回られるよりマシ、かな」
若干引くぐらいの熱烈な視線にそう呟いて、セレーヤと反対側の地面を叩く。
「はいはーい、お話会始めるよ。聴きたいなら席に着いてね」
席に着くも何もないくらい狭い空きスペースに、セレーヤと白い子に挟まれて座る構図になった。
「じゃ、昔々あるところに」
お決まりのフレーズを口にして、物語る。
王子様を見つけ、恋い焦がれ、そして泡になる人魚のお姫様。
(まぁ、確かに一般的には悲恋で儚い印象かも知れないけどさ)
隣には、人魚のお姫様そのもののような幻想化身。
憂いが影になって落ちる瞳は、どこまでも深く。
「人魚のお姫様は、泡となり海に溶けてゆきました。……カッコいいよね」
「え?」
戸惑うような声がセレーヤから上がる。
「だって、代償を払って陸に上がる事も、泡になって消える事も、全て自分で選んだんだよ?」
王子様を刺して助かる事も出来ただろう。そのままでは泡になって消えるのが、死が目の前にある事もわかっていたのに。
「最期まで自分の意志を持ち続けた彼女を、私は弱いなんて思わない。強くて、カッコいい女だと思う」
いつもこの話を思い返して頭に浮かぶ最後のシーンは、朝陽の照らす甲板と、少しだけ寂しそうに、けれど自分の意志を持った揺るぎなく深い瞳の彼女が微笑む姿。
「人魚のお姫様は弱くなんか無い。自分の意志で前に進める、強い人」
刹那的とも言えるかもしれない。犠牲になる事は逃げだと言う人もいるだろう。
でも、それで良い。
「どんなことであれ、自分の意志で決めて、貫き通すのは覚悟と勇気がいる事だけは変わらない。だから、私は彼女を強い人だと思う。大切な人を最後まで守れた彼女を可哀想な人とは思わない」
「……」
「セレーヤ。あなたはそんな物語だと、私は思ってるよ?」
大きく瞠られた海の瞳。その色はいつでも優しく暖かい。
海のように、全てを包み込む強さを秘めて。
「おーい、メリー。どこー」
「ああ、ユート兄さんが探しに来た。とりあえず、タイムアップかな」
さて迷子も保護しておかなければと、セレーヤと反対側を見るけれど、ある筈の白い姿は無かった。
「セレーヤ、居たよね? 白い子」
「うん。お話しが終わるまでは居たよ。マスター」
「帰ったのかな……?」
それにしてもなんの音も立てなかったし、そもそもここは街外れの丘の上。
あんな小さな子が、一人で遊びに来るには不似合いだ。
「……うん。後で少し探して、居なかったら帰ったと思おう」
とりあえず、ユート兄さんが呼んでいる。
「セレーヤ、戻ろう」
立ち上がって、伸びをして。小さくなっていた身体を解す。
「行こう」
こちらを見上げるセレーヤに片手を差し伸べると、人魚のように白くしなやかな手が、少し遠慮がちに重ねられた。
仄かに暖かいような不思議な温度を、握る。
「はい。マスター」
微笑んで返事を返すその顔に、影はもう無かった。