美少年の訪問
「アメピンちょうだい」
「はい」
「次、ネジピン」
「はい」
「ネジピン」
「はい」
「その次」
「はい……えっ?」
その次ってナニ?
戸惑う僕に容赦なく声がかかる。
「オニピンよ。いい加減、私の癖を覚えなさいね」
「はい! 申しわけありませんっ」
――理不尽だ!
叫びたい心を胸の奥深く掘った穴に埋め、僕は今日もオーナーに頭を下げた。
「綺麗よユリコちゃん。また来てね」
「ありがとう、アツシセンセ。次のパーティーは再来週だから、またヨロシクね」
じゃ、と手を振るきらびやかな奥さまを誘導し、後ろ姿がガラスドアの向こうの階段を下りるまで頭を下げ続ける。完全に見えなくなったところで片付けに入ると、マネージャーの武井慎一がオーナーの黒部敦に歩み寄ってきた。
「お見事でした社長」
「慎ちゃん。このあとの予定は?」
「お客様はおられません。四時からYホテルでH化粧品の展示会にゲスト参加したあと、懇親会に少し顔を出してください。そのあとはフリーです」
「ホント? じゃ、今夜はクラブ行ける?」
「大丈夫です」
淀みなく告げる武井マネージャーの、一部の隙もなさそうなリーマンスタイルを横目に見ながらセット道具を片付けていると、黒部がくるりとこちらを向いた。
「よっちゃんも、行かない?」
――きた!
本店に戻って二ヶ月弱。数々の悩みをもたらす存在に対し、僕は背筋を伸ばして微笑みかけると、さも残念そうな口調で言った。
「お誘い、ありがとうございます。このあと僕にカットのお客様が入っていなければぜひご一緒したいところでした」
「ああん、よっちゃんは新人のクセにもうご指名がいるんだもの。つまんないわぁ」
しょーがないわねぇ、とため息をつきながら黒いワンピースの裾を払い、ワインレッドに染め上げた前髪をかき上げる男に、僕は頭を軽く下げた。
黒部敦はヘアスタイリスト〈アツシ〉の名で一世を風靡した、この〈サロン・ド・ルノアール〉のオーナーだ。
確か今年四十二歳になるはずだが、本人は「ナイショ」と言い、また外見からは見当もつかない。彼は自他ともに認める、いわゆる〈お姉マン〉として自らを磨くことを怠らないので、一見、三十代女性に見えなくもない。けれども体操選手のような小柄で筋肉質な体型と、野太い低音の声が彼の努力の足を引っ張っている気がする。
自ら美少年趣味であることを公言し、スキあらば美男子のひしめくホストクラブへと通い詰める困った人だが、ひとたび仕事道具を持つと別人になる。カットスタイルも定評があるが、今やったようなアップスタイルのセットは特に秀逸で、奇跡のようなブラシさばきとピンワークは未だ他の追随を許さない。
普段は撮影スタジオや雑誌社などへ出張しての仕事が多いが、今日のように、山手あたりのセレブを本店の彼専用セットスペースで仕上げることもあり、そんな時には普通の店ではあり得ない現象が起こる。すなわち、助手にはインターン生でもアシスタントでもなく、技術者がつくのだ。さすがに多くの指名客を持つベテランにはそんなヒマはないので、大抵は新人や若手の技術者がつく。
本店で働き始めたインターン時代にそれを知った時は、技術者が助手につくだなんてもったいないと思ったりしたが、当の先輩方は殆どが彼に憧れており、競争を勝ち抜いてこの店に入ったため、少しでもそのテクニックを間近に見たいと争うようにして助手をしたがる。
僕はといえば、そもそも入店の経緯からしてみんなとは違うし、ようやく叶った技術者の仕事に夢中で、できれば助手はもう結構、な気分でいた。
なのに、ナゼそんな僕が若手技術者の先輩方を差し置いて黒部オーナーの助手などをやるハメに陥っているかといえば……。
「ところでよっちゃん。ヨーコは元気だった?」
探るように質問され、僕は片付ける手を止めて向き直った。
「はい。叔母は相変わらず元気過ぎて、未だ柔道で発散しています」
「そう……旦那サマが単身で北海道じゃ、ヨーコも寂しいわよね……?」
イエ。今、元気って言ったじゃないですか。
とは言わずに僕は合わせた。
「或いはそのために柔道で発散しているのかもしれません」
「……そう。つれないのよね。こんなに待ち続けているのに、写し身のようなよっちゃんを預けたきり、ちっとも訪ねてきてくれないんだもの。私にはヨーコ以上のオトコなんていないのに」
気持ちはよくわかりますが、叔母は一応、女です……。
内心で突っ込みつつ、僕は別のセリフを口にした。
「叔母は『アツシも気軽に遊びに来てくれればいいのに』と申しておりました」
こう言うと、オーナーは決まって言葉に詰まり、話は打ち切られる。今日も遠い目をしたあと、
「そうね、ぜひ伺いたいわ。あら、片付けの邪魔しちゃったわね。じゃ、よっちゃん、頑張るのよ」
と言って奥の社長室へと去っていった。
一息つくと、武井マネージャーが苦笑しながら声をかけてきた。
「毎度ご苦労さん。かわし方が堂に入ってきたね」
「からかわないでください、マネージャー。冷や汗が出ます」
そんな風には見えないが、と笑いながら後を追うように社長室へと向かったマネージャーを見やりながら、僕は黒部オーナーと叔母との不思議な関係に思いを馳せた。
黒部敦と叔母の陽子は高校の同級生なのだという。
陽子の出身地、僕の郷里でもある長野県のC市には、横浜を本拠地とする私立高校のひとつがあり、昔からあらゆるスポーツに力を入れていることで知られていた。特に柔道とバスケ、そして野球が盛んで、県外からも多くの学生が下宿生となり、全国大会を目指して通っていたが、黒部オーナーはなんと野球で横浜から単身、入学したのだという。
その頃、すでに自らの趣味が美しく装うことに傾いていると自覚していた黒部敦少年は、半年でスパルタ訓練に明け暮れる高校野球に挫折した。小柄で、これといった目標もなくなり、密かにキレイやカワイイに惹かれていく自分を恐れて苦悩していた彼を救ったのが、柔道着姿もりりしい黒帯のイケメン(?)陽子だったらしい。
同じクラスで席が隣になった陽子は黒部少年の苦悩を知ると、
『なーんにもためらう必要なんてないさ。好きなコトやんなよ。私が応援してあげるから!』
と言って、一人では入れなかったファンシーショップや、オシャレな洋服の店に付き合ってくれたのだという。ちなみにその時の陽子の服装は大抵、革ジャンにジーンズだったそうな。
『陽子はねぇ。そりゃあ強くてカッコよくて爽やかなヒトだったの』
と黒部が振り返るが如く、女子としては大柄な陽子は、黒部少年にとって頼もしくも憧れの王子(?)となった。やがて陽子の励ましのもと、黒部少年は自由な装いを手に入れるべく美容師を目指して横浜に戻り、今度は陽子が柔道のために横浜の大学へ進学、二人は親友のような間柄になって青春を送ったという。
『アツシはね。シャイで可愛かったのよ』
と叔母の口から出るように、陽子にとって、黒部敦とはまさしく同性の友人だった。しかし黒部オーナーには違う感情が生まれたようだ。
かくして今も男気に溢れる陽子は『忙しくて面倒』なので店を訪れず、黒部は共通の友人の兄と結婚してしまった陽子の家には遊びに行かれない。
自分の世界においては、かなりのコダワリをもって築き上げたこの〈サロン・ド・ルノアール〉の鉄則――黒部オーナーより十五センチ以上高い、つまり百八十センチ越えのスタッフは採らない――を破り、試験もスルーして僕を採用したのは、むろん陽子の頼みだったからで、助手に僕を指名するのは、僕の姿が高校時代の陽子をちょうど一回り大きくしたかのように似ているからだ。どんな遺伝子の悪戯か、息子である祐司より僕のほうが陽子に似ていた。
周囲の、妙に意識された反応を受け、入社後半年をかけてそれらの事情を把握した僕は、不要のトラブルを避けるため、なるべく身を慎んできた。
平素、黒部オーナーと勉強生との間に接点はないので、今まではそれでうまくいっていた。けれども技術者になると、ミーティングや仕事の助手、コンクールの指導などで顔を合わせる機会が増える。しかも僕は鉄則破りの長身なので彼からよく見える。
こうして本店に戻った僕は今日もまた、先輩方から嫉妬の目線を受けながら、黒部オーナーの指名を受けて助手を務めたというわけだ。
「真嶋さん。ご指名のお客様が見えられました」
「あ、はい。今行きます」
受付カウンターから声がかかり、僕は急いで道具を片付けた。これから来るお客さんは初来店の人らしい。挨拶がてら、誰の紹介で来たのか聞かなければと思っていたのだ。
入り口のガラスドアから入ってきたのは、すらりとした男子学生だった。
あ……この制服。
それは拓巳が通う小中高一貫の私立校、霞ヶ丘学園のものだった。
拓巳はこの春、その学園の男子中等部に進み、つい先日、目の前の学生が身に付けているのと同じ濃紺のブレザーに白いワイシャツ、彼とは色違いになる臙脂色のネクタイと、グレーに見える細かいチェック柄のスラックスの姿を見せてもらったばかりだ。
手足が長く、完璧な八頭身をしているので、実際の身長より背が高く見える拓巳の制服姿はますます大人びて見え、ゴカイする人がさらに増えるのではと心配になってしまったものだ。
物思いを振り切り、僕は初めて見るその学生に目を向けた。
これまたすっきりと整った容姿をした少年だった。
なかなかに背が高く、形のよい頭はショートヘアで、少し癖のある前髪をふわりとかき上げたようにしている。大人びて彫りの深い鼻梁や切れ長の涼やかな目元などはルネサンスの彫刻に見られるような若者らしい美しさだ。けれどもやはり心当たりがない。
僕はなんとなくこの少年の雰囲気に特殊な匂いを嗅ぎ取り、直感を信じて対応することにした。
「いらっしゃいませ。ご指名いただきました真嶋です。ご来店は初めてだと伺っていますが、僕をご指名くださったのはどなたかのご紹介があったからでしょうか?」
かしこまって挨拶すると、荻原恍星という名で予約を入れた少年は涼やかな目元を和らげてこう言った。
「はじめまして。今日は友人から話を聞いて伺いました」
思ったとおり、物馴れた大人の口調が普通の学生と一線を画している。
「ご友人が。お名前は?」
荻原恍星はしばらくためらったあと、こう続けた。
「接客業のアルバイトで、ステージでピアノを演奏しています。タキシードにふさわしいスタイルにしてください」
――何か、事情がありそうだ。
それ以上の追求を避け、インターン生にシャンプーを任せると、僕はカットの準備に入った。
「お疲れ様でした」
ブローを終え、カットクロスを取り払うと荻原恍星は大人びた顔つきで微笑んだ。
「俺みたいな学生が言うのも失礼ですけど、本当にお上手ですね。手つきも鮮やかで、とてもスタイリストデビューしたばかりの人とは思えないです」
僕は少し打ち解けた様子の恍星に「ありがとう」と笑いかけながら彼のセリフを心に留めた。
初来店なのに、僕が技術者デビューして間もないことを知っている……。
謎は程なく判明した。
会計を済ませて入り口のガラスドアを開け、階段の踊り場まで下りて見送ると、彼は周囲に素早く目線を投げてから訊ねてきた。
「少しお話ししても構いませんか?」
僕は頷きながらこう振ってみた。
「君は、僕の年下の友人と同じ学校の生徒さんだ」
すると恍星は表情を改め、真剣な眼差しを向けてきた。
「拓巳からあなたのことを少し伺いました。といっても彼はあのとおり無口なので、直接会ったほうが早いと思いまして」
僅かに目を伏せた恍星に僕は質問した。
「ピアノ科の高等部一年だと言いましたね。でも学校の関係だけじゃないでしょう。恍星君は拓巳の性格をよく知っているようだけど、私的な関わりがあると思っていいのかな?」
恍星は弾かれたように顔を上げ、継いで息を吐いた。
「さすが……鋭いですね。人当たりがいいだけじゃないんだ」
「あの学園の芸術系はレベルが高いと評判で、校舎もカリキュラムも他の科とはだいぶ違うと聞きましたよ。それだと英文科の拓巳とは顔を合わせる機会がないでしょう? そもそも彼はついこの前まで隣の敷地の附属小学校にいたわけだし」
「……だから拓巳のことも気がついたのかな」
「君は、拓巳の事情を知ってるのかい?」
「もちろん。そのために今日、真嶋さんを訪ねてきたんです。最近、彼はあなたの自宅にもお邪魔して、休ませていただいているとか」
「ああ――」
僕は先月から自宅アパートに来るようになった拓巳とのやり取りを思い出した。
本店に再配属され、定休日が月曜日と木曜日に決まった僕は、春休み中の拓巳を誘って買い物に出かけ、そのあとで自宅アパートへと案内した。
「さあ、そこに座って」
荷物を下ろし、小さなダイニングセットの椅子に座った拓巳は物珍しそうにして辺りに視線を投げていた。1DKの部屋なんて見たことがないのかもしれない。
「狭くて散らかっててビックリでしょう」
甘くしたカフェオレを差し出しながら言葉をかけると、拓巳は手を伸ばしながら首を横に振った。
「散らかってなんてない。広すぎる家よりいい」
そしてホッとしたようにマグカップに口をつけた。
拓巳は前より言葉が少し増えてきたようだった。僕もだいぶ彼の表情に馴れ、僅かな変化でも感情の動きが読み取れるようになってきた。
「本が、たくさんだな」
拓巳が奥の八畳間の壁一面を占領する本棚を眺めて言った。
「田舎と違ってここは品揃えの豊富な本屋さんがあちこちにあるから、つい、ね」
知りたいことがあるとすぐに図書館や書店へ――学生時代の癖だ。
「好きなのか?」
「うん……まあね」
返事を濁すように自分のコーヒーを一口飲み、僕は今後の話を切り出した。
「拓巳。僕はこれからセットスタイルの勉強に入るんだけど、少し髪を伸ばして練習のモデルをやってくれないかな?」
「セット?」
「カットなしで、髪型のスタイリングをするんだよ」
拓巳は僅かに眉根を寄せた。困った時の顔だ。
「他にも人がいるんじゃ……」
むろん、対策は練ってある。僕はすかさず説明した。
「大丈夫。同じ失敗はしないよ。本店は他の店と違ってカウンセリングスペースがあるんだ」
そこは、お客さん同士が顔を合わせないで済むように、セット台のひとつひとつが衝立とブラインドで仕切られた一角で、主には毛髪相談やメイク指導に使われている。拓巳にはうってつけだ。
「本店では、夜の練習はセットのコンテストに出場する四人の先輩が中心でね。そこのスペースは少し狭くて鏡も大きくないから先輩方は使いたがらないんだよ。新人技術者の僕にはピッタリの場所なんだ」
だから来る時さえ気をつければ大丈夫、と付け足すと、拓巳はマグカップを持ったまま俯いて「ありがとう」とつぶやいた。
「僕も助かるよ。本物の髪で練習できるんだから。それでお礼代わりというのもなんだけど、お父さんに説明して、僕の休みの日はここに泊まりにおいで。少しはしっかり睡眠を取らないと体が心配だ」
夜な夜な外出する環境が成長期の体にいいわけがない。そう判断を下し、僕は彼の父親に話を通すつもりでいた。
モデルを引き受けてもらう代わりに、保護者の役割を肩代わりしよう。
それが、自分にできる範囲で親御さんにも納得してもらえる解決法に思えたのだ。拓巳はためらう素振りを見せながらも最後は頷いたのだった。
「お礼としてはささやかなものだけどね。モデルをしてもらうのは大変なんだ」
僕は恍星に説明しながら苦笑した。
実際、拓巳にはモデルとして容姿とは別のところで得難い資質があった。すなわち何時間でも、それこそ表情も変えずにじっとしていることができるのだ。僕はつい時間を忘れてしまうので、先日など気がつけば拓巳は目を半眼に閉じて座ったまま寝ていた。それでも体は微動だにしなかった。
「だから、少しでも休んでもらえればと思って」
家では休めないようだから――言外にそう投げかけると、案の定、恍星は受け取った。
「俺も心配してたんです。でもお陰で拓巳は最近、顔色が少しよくなりました。俺は……拓巳の父親の店で働いているんです」
「君が、拓巳のお父さんのお店で」
タキシードを身につけた、本格的で知られるピアノ科の生徒が生演奏するレストラン。
やはり、高級そうだ。
「じゃあ、拓巳とはそこで?」
「はい……去年の春、オーナーが彼を店に連れてくるようになってから。それで真嶋さんにお訊きしたいんですが、彼はあなたに、店に出ていることについてどんな風に説明しましたか?」
「店のこと? お父さんに頼まれたんだよね。拓巳がお店に顔を出すとお客さんへの宣伝になるんでしょう?」
「拓巳がそう言ったんですか?」
恍星は少し表情を変えた。僕はその態度に引っかかるものを感じ、もう一度あの時の会話を思い出してみた。
きっかけは塾の事件があって、そのあとに確か……。
「そう、お父さんが『そろそろ役に立てるころだ』と言ったんだ。拓巳が身なりを整えて顔を出すとお客さんが増えるから、って」
「――なるほど」
恍星は少し考えるように俯き、やがて顔を上げるとこう言った。
「真嶋さん。あなたは俺の知る限り、拓巳が心を開いた初めての人です。だからお願いします。今後、何を知っても彼を受け入れてやってくれませんか」
「………」
その言い方にはかなりの含みがあるように思えた。けれども真剣に憂いている恍星の様子を見て、僕は自分の質問より先に返事を返した。
「君が何を心配しているのかまだよくわからないんだけど、僕は一度助けると決めたなら、最後まで手を尽くすのが人の道だと教わって生きてきたよ」
挫折も味わったけど、それでも。
「今も、自分に恥じる生き方は……したくないと思っているよ。拓巳のことに関しては、いずれお父さんにもきちんと話を通したいと思ってるんだ」
恍星は目を見張り、やがてその端整な面に思い切ったような表情を浮かべた。
「それを聞いて安心しました。拓巳からまだすべてを聞いてはいないようなのでひとつだけお伝えします」
「え……」
すべてじゃない?
「彼は、高橋オーナーから頼まれて店に来ているのではありません。強要されているんです」
「強要?」
それはどういう意味? と聞こうとしたその時。
「まあっ! シルバーじゃないの!」
特徴のある野太い声――黒部敦の低音が階段に響き渡った。
振り仰ぐ間もなく彼は階段を駆け降りて僕と恍星の間に割り込むと、ガシッと彼の両手を取って胸の前で握り締めた。瞬間、恍星の表情が瞬時に別モノへと切り替わった。
「アツシさん。今日はここにいらしたのですか? 知っていたら声をかけるのだった」
眼差しが一気に色気を帯び、妙に甘い声になっている。
き、きみ、ダレ……?
すると黒部が身を捩りながら顔をほころばせた。
「まああ、ウチの店に来てくれたなんて。今日はワタシ、夜がフリーなの。ちょうどあなたを訪ねてお店に行こうと思っていたのよ」
僕は耳を疑った。
美少年愛好家、黒部オーナーが夜に行くお店と言えばその道の男性ご用達の――!
「本当ですか? 開店時間の七時でよろしければお迎えに上がれますが、ご都合はいかがでしょう」
「ええぇ⁉ シルバーが迎えに来てくれるの? 他の方たちは大丈夫なの?」
「はい。真嶋さんのオーナーでいらっしゃるアツシさんは、私にとっても大事な方ですので」
えっ? と思う間もなく黒部がこちらをガバッと振り向いた。
「よっちゃん! いつの間にシルバーに手を出してたの⁉ 悪い子ねっ!」
胸ぐらをつかみそうな勢いの黒部を恍星が苦笑ししながら遮った。
「違います。真嶋さんは私の友人の恩人なのです。今日はお礼がてら髪を整えていただきました。さすがアツシさんの門下生、素晴らしい腕前ですね」
もちろんアツシさんは別格ですが、と言い添え、恍星は握られた手をさりげなく外してから黒部を軽く抱擁し、一歩後ろに離れた。場を読み取ったか、すぐ後ろについていたマネージャーの武井が腕時計を見つつ黒部を促した。
「社長、時間です。遅れますとお楽しみにも響きますよ」
「わかったわ。じゃあシルバー、ホントに来てくれる?」
「はい。場所はご自宅でよろしいですか?」
「そうね。一回、身綺麗にしなくちゃ。待ってるわよ」
「かしこまりました。ではのちほど」
恍星は一礼すると、僕に向かって(また連絡します)と言いたげな目配せをし、スッと踵を返して階段を降りていった。
あまりの展開に呆然と突っ立ったままでいると、胸元で地を這うような声がした。
「よっちゃん、今日は時間がないから別の日に話を聞くわよ。首を洗って待ってなさいね」
じゃ、行ってくるわ、と階段を降りようとする背中に僕は慌てて問いかけた。
「オーナー! ……今の、こう……荻原様のお店って、もしかして……!」
「あら」
振り返った黒部オーナーは少し表情を和らげた。
「なんだ。本当に知らなかったの。バックレてるのかと思っちゃったわ」
こんなところで親密そうに立ち話してるんだもの、とぼやいたあとで、それでも彼は教えてくれた。
「荻原恍星クンはねぇ。横浜でも一、二を争う美少年ホストクラブ〈バードヘヴン〉のNO.2、シルバーフェニックスよ」




