表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バードヘヴン  作者: 木柚 智弥
それぞれの空へ
21/23

千切られた翼

「ようこそブルーパラダイスへ。お久し振りです、寛文会長」

 アンティークセットがそこここを彩るフロアに、顔パスで通された僕たちを、グレーのタキシードに身を包んだ楡坂が直々に待ち受けていた。

 その姿を目の前にして、僕は心臓が焼けつくのを自覚した。

 落ち着け。あとちょっとの辛抱だ。

「君も活躍しているようだの」

 革張りのソファーが並ぶVIP席に納まった寛文が応えると、楡坂は手前の席に座った。

「会長には及びません。玲さんもようこそ。また今日は一段と華やかですね」

「ほほほ。相変わらずお上手ね。あなたは私のようなものには興味おありじゃないのでしょう?」

 さっそく探りの手を繰り出す玲に僕は舌を巻いた。さすがは上流階級、先ほどとは別人になって社交をこなしている。すると楡坂が僕に目を止めた。

「君は――確か前に高橋要の店で会ったね。そう、会長のお孫さんといたんだ」

 僕は全身の力をかき集めて煮えくり返る感情を封じ込めた。今こそ〈鋼鉄の理性〉を発揮せねばならない。

「はい。その節は、従弟が短気を起こしまして失礼しました。彼はその、少々気が強くて」

「ほう――」

 楡坂は少し目を張ると、表情を和らげた。

「君は、とても大人なのだね」

 すると玲が牽制するように身を乗り出した。

「この人は私のなの。手を出したらダメよ」

 そう言って笑いながら上目使いに睨む姿は、年下趣味を持つ有閑マダムそのものだ。

 楡坂はそんな玲に微笑みかけた。

「玲さんのお連れさまでは仕方ありません。諦めるとしましょう」

 楡坂が陽子に顔を向けると寛文が言った。

「これはわしのじゃ。君にはやらんぞ」

「会長のお連れさまをどうこうとは。お二人ともお孫さんとよく似ていらっしゃいますね」

「祐司にか。うむ。これは祐司の母親の甥たちじゃ」

「ああ、なるほど」

 納得した様子の楡坂は、僕と陽子の身元を確認できて気が済んだのか、「では、ごゆっくり」と挨拶を残して席を離れていった。

 僕は大きく息を吐いた。

 楡坂が、僕と拓巳の関係を高橋から聞いているかいないか――そこだけがネックだった。

「高橋オーナーは、楡坂にそこまで親切じゃないと思います」

 雅俊に代わって高橋の動向を探る恍星は二人の間柄をそう分析し、それを聞いて僕は賭けに出たのだった。

「納得されちゃったのう」

 寛文がつぶやくと、陽子が据わった目を楡坂の去った方向に投げた。

「ずいぶん年の離れた兄弟だよ。少しは疑えっつーの」

「ムリないわよ。祐くんといても兄弟に見えるときがあるもの」

 玲の言葉に、僕も会長も頷いた。

 やがて二時間が経った午後十時半、陽子が注意を促し、僕は立ち上がった。

「健闘を祈るわ」

 玲の言葉に僕は頷いて返した。陽子はここに残り、寛文と玲を守りながら僕の不在をできる限り誤魔化すのだ。緊張の面持ちでロビーに向かい、あちらこちらに立つ、楡坂の部下であろう黒いスーツの男の一人に「井ノ上玲さまのお荷物を取りに駐車場へ行きます」と声をかけると、あっさりと通された。そして下調べで見つけた通路から忍び込んでいるはずの、祐司の待つ地下駐車場へと向かった。


「芳兄さん、こっちだ」

「祐司。無事だったかい?」

 地下駐車場の奥にある一角で、僕を見つけた祐司がコンクリートの柱の陰から姿を現した。

「雅俊や拓巳はどうなの? 今どこ?」

「二人のGPSに昨夜から動きがない」

「―――」

 胸の中に嫌な予感が沸き上がる。

 複雑に入り組んだ地下駐車場の奥を、祐司は淀みなく進んでいった。

 内部の構造は、陽子の努力と、大橋健二のツテによって入手した建物の設計図で把握され、祐司が何度も偵察に訪れて外からの進入路を割り出した。今、その情報はパソコンに同期したタブレットに入っている。

 ――チャンスはたった一度、表の店が一番忙しくなる時間帯だけ――それが今だ。

 しくじれば、すぐに拓巳は別の場所に隠されるだろう。だから陽子は拓巳の無事が時間勝負になると承知しながら、それらをすべて調べ出すまで僕を待たせたのだ。

「これだ」

 前に使っていたのだろう、古い家具などが置かれたスペースの脇に、ひっそりとその小さな鉄の扉はあった。知っている者でなければ、別の場所に通じているとはとても思えない。

 僕がタブレットを預かると、祐司はカモフラージュに着てきたタキシードの内ポケットから小さな工具を次々に取り出し、扉の鍵を外す作業を始めた。よく調べておいたとみえ、手つきに淀みがない。

 待つことおよそ一分ほどで、鍵は開いた。

 祐司が道具をしまい、僕が扉に手をかけようとしたその時、突然後ろから野太い男の声がした。

「そこで何をしている!」

 やばいっ!

 僕が扉を開けると同時に 祐司が後ろに走った。振り向くと、黒いスーツの男を祐司が手刀で沈めていた。――早い!

「大丈夫?」

「ああ。でもすぐ気がつくぞ」

「縛ってる暇はない。急ごう」

 扉をくぐり抜けると、中は狭い通路になっていた。前方には少し広そうな廊下が見える。先へ進むとその廊下から話し声が聞こえてきた。

「でも、これ以上ほっといたら……」

「ばか。人のこと気にしてる場合か。僕たちだっていつ同じ目に遭うか」

 少年たちが通路の前に差しかかった時、音もなく祐司が二人に襲いかかり、それぞれの首を腕に抱えて口を塞いだ。

「静かにしろ。おまえらの首をへし折るのは簡単だ」

「――!」

 二人は突然襲った恐怖に顔をひきつらせながら、首を上下に振った。

「質問に答えろ」

 二人がまた頷く。二人とも十四、五歳に見える、華奢できれいな顔立ちの少年だった。荒事には慣れていない様子だ。口を塞ぐ手のひらを外すかわりに首をつかんだ祐司が聞いた。

「今、おまえらが話していたのは雅俊か拓巳、どちらかのことか。どこにいる?」

 二人は顔を見合わせ、大きいほうの少年が答えた。

「雅俊の居場所はわかりません。昨日の夜、楡坂オーナーに連れていかれてから姿を見てません。拓巳って人は知りません。僕たちが話していたのは別の子のことです」

 僕の心臓が跳ねた。

 拓巳を知らない? そんな――。

 しかし手元のタブレットに目をやると、地下のせいで鈍くはあるものの、二人を示す光は点っている。

「どういうこと……?」

「いい。まずは雅俊のGPSの場所に行ってみよう」

 祐司は二人を連れたまま点滅する雅俊の場所へと進んだ。二人は不安な表情ながらも逆らわなかった。

「ここだ」

 祐司が指し示した場所は納戸の扉だった。僕は二人に注意した。

「君たち。ここにはそのうち警察が来るよ。どうするか今のうちに考えて」

 すると少し小柄なほうの少年が聞いてきた。

「警察が来ると、僕らはどうなるの?」

「お金を稼いでいたなら逃げることをお勧めする。少年法に引っかかるから。稼いでないなら、被害者として保護されると思う」

 おそらく稼いでいたのだろう、二人はそれぞれ考え込む顔になりながら、「どうも」と言って立ち去っていった。

 納戸の扉を開けると、目の前にその哀れな姿が飛び込んできた。

「雅俊!」

 納戸の奥に続く細い通路の上、ストックされていたらしいシーツが散乱する中に、大きめのシャツを引っかけただけの雅俊がうつ伏せに倒れていた。シャツから覗く腕や足が、ところどころ青黒く腫れている。かけ寄って抱き起こすと、顔は額と唇から血が滲んでいた。

「雅俊……!」

 すると雅俊はすぐに気がついた。

「あ……芳さん。祐司……」

「一体、なにが」

 肩に手を添えると、雅俊は身を起こして少しだけ顔をしかめた。

「大丈夫だ。昨日、楡坂に逆らったんで、厄介な薬を使われたんだ。どうやら抜けたようだから見た目よりはひどくない」

「ひどくないって……」

 膝の上に抱えた雅俊の胸や首にはみみず腫れのような跡が走り、血が滲み出ているのだ。

「おれよりも拓巳はどうしてる? あいつはボロボロだったのに、おれがやられるのを咄嗟に庇おうとしちまったから、同じ薬を使われてやしないかと――」

「拓巳はちゃんといるんだよね?」

 さっきの少年たちとの会話を伝えると、雅俊は説明した。

「拓巳は特別室にいるんで、名前を知らない従業員も多い。誰が保護しに行ったんだ。警察か?」

「まだだ。おまえの位置のほうが裏口から近かったから」

「まだ⁉」

 祐司の返事に雅俊は立ち上がろうともがいた。

「早くしてやってくれ。昨日で限界だ。あいつはもう、そんなにもたない!」

 僕は雅俊を支えながら立ち上がった。

「GPSは拓巳のところにあるの?」

 雅俊は自分の中指に嵌まる銀灰色の指輪を見た。

「昨日の夜までは。今も指に嵌めているかどうかはわからない。でも薬を使われたなら動けないはずだ」

「そこへの最短通路は?」

「その廊下を進んだ突き当たりを、左に曲がって少し行くと右側に五段くらいの階段がある。上り切った先の扉がそうだ」

 雅俊が支えなしでどうにか立てたとき、僕たちの来た方向からざわめきが聞こえてきた。

 祐司が苦い顔になった。

「もうバレたか」

 雅俊がその背中を押した。

「早く行ってくれ。場所でも移されたら大変だ」

「おまえは」

「大丈夫だ。ここに隠れてる」

 祐司は雅俊の姿を眺めると、「おまえだけでも十分だな」と自分の携帯を取り出した。地下で不安だったが、電波はかろうじてつながった。

「刑事さん、踏み込んでくれ。そう。出入り口は地下駐車場と表の二ヶ所だ。一人は納戸にいるから、あとで保護を頼む」

 祐司が電話を切るのを見届けてから、僕はタブレット閉じて雅俊に渡した。

「頼んだよ、雅俊。警察が来るまで気をつけて」

 雅俊に見送られて納戸を飛び出すと、僕たちが来た通路のほうから、例の黒スーツの男たちが駆けてくるところだった。

「もうすぐ警察が来るぞ!」

 振り返った祐司が声を張り上げると、男たちは一瞬足を止めた。その隙に僕たちは先へと走り出した。

 雅俊から聞いたとおりに進んで左に曲がると、内装が表の店内のようなアンティークになった。

 表側との距離が近いに違いない。

 焦燥にかられて説明にあった階段を探すと、目指すものの先に駆け寄る姿があった。別の黒スーツの男だ。

「やばい、祐司!」

 思わず叫ぶと、隣を走っていた祐司がギアチェンジしたように速度を上げた。

 僕が階段に追いついたとき、祐司は狩に挑む大鷲の如く男に襲いかかっていた。そしてその先には――。

「楡坂! まてっ!」

 僕が叫ぶと、半分ドアを開けていた楡坂はこちらを振り返った。黒スーツと揉み合う祐司の脇からその腕に飛びつく。

「離したまえ!」

 百九十センチを越える楡坂の腕に思いきり振り払われ、僕は壁に背中を打ちつけた。

 一瞬、息が詰まる。けれども腕は離さなかった。その余裕のない様子から、この先に拓巳がいるのは間違いないと確信する。

 これ以上、拓巳には近寄らせない!

 その思いだけで僕は楡坂の腕にしがみついていた。すると、ふいにその腕をもう一本、黒い腕がつかんだ。

「芳兄さん、行ってくれ!」

 黒スーツの男を排除した祐司が僕と楡坂の間に割って入った。すかさず僕は半開きのままの扉を抜けて室内に踏み込んだ。すると。

「―――!」

 目の前に尋常でない光景が映し出された。

 アンティーク調の家具がどっしりと置かれた中、嵐が通り過ぎたかのように調度類が散乱していた。

 華奢な脚の椅子は倒され、テーブルクロスはずり落ち、そこに置かれていたのだろう、置時計やグラスが絨毯の上に転がっている。そしてその奥にある寝台の上には。

「拓巳っ‼」

 駆け寄った僕の目に無惨な姿が飛び込んできた。

 うつ伏せに倒れている拓巳は何も身に付けておらず、明らかに痩せた身体中のあちこちに打ち身や傷を負っていた。その中で特に目を引くのは、すでに何日も経っていると思われる、背中に穿たれた三本の傷痕――。

 なんてことを――っ!

 思わず口を押さえ、横向きに臥せられた顔を見やると、そこだけは守られたように美しいままだった。けれども半眼に開かれた瞳はガラス玉のように虚ろで、生きている感じが伝わってこない。

「あ……あ、拓巳……っ!」

 急いで脈を取ると、動いてはいた。しかしホッとしたのも束の間、持ち上げた拓巳の指先は、人差し指から薬指までの三本に、爪の間に針のようなものを差し込まれた跡が幾つも残り、血が滲んでいた。

「―――っ!」

 もはや叫ぶ声が出ない。

 いったい何に魂を売れば、僅か十三、四の少年にこうまで凄まじい暴行を加えられるのか――。

 怒りに震えながら、そばに落ちていた上掛けで体を包み直し、寝台に腰かけて冷えた体を抱き抱えていると、まもなく祐司が駆け込んできた。

「芳兄さん」

「祐司……っ」

 祐司も室内の惨状に目を走らせ、目尻から溢れるものを止められない僕に痛そうな顔を向けた。

「今、警察が着いた。楡坂を逮捕していったぞ」

「――そうか。よかっ……」

 僕が腕の中に顔を伏せると、祐司の掠れた声が響いた。

「……救急車を呼んでくる」


 やがて救急車が到着し、担架が運ばれてきた。私服の刑事や警察官が見守る中、救急隊員が拓巳を担架に移そうと、僕の腕の中から上掛けにくるまれた体をつかんだ。すると突然、その目がカッと見開かれ、つかまれた体が跳ねた。

「ぅわあぁ――っ」

「拓巳!」

 拓巳が隊員の手から逃れようともがいている。

 驚いた隊員が手を引っ込め、僕がふところに抱き直して目を合わせると、薄い色の瞳が僕を映した。

「拓巳、僕だよ。芳弘だよ。もう大丈夫なんだよ……っ」

 溢れるものがこらえきれない。すると、恐怖に見開かれていた拓巳の目がその色を変えた。

「―――」

 僕は必死に呼びかけた。

「お医者さんに行って手当てしてもらったら、アパートに帰ろうね。だからもう、怖くないんだよ」

「………」

 体から力が抜け、再び目が半眼に戻っていく。その姿に、僕は熱いものを頬に伝わせたまま、隊員に向かって申し出た。

「僕が救急車に連れていきますから……」


 搬送された病院でも同じことが繰り返された。

 正気を手放した拓巳は何で見分けているのか、僕以外の、特に男性の手に触れられるのを全身で拒否した。

「わああぁ―――っ」

 医師が診察に来るたびに暴れ、取り抑えられては鎮静剤が打たれる。すると覚めたあとで、ますます虚ろな表情になる気がして、僕は懇願してしまった。

「できる限り付き添いますから、なるべく鎮静剤はやめてください」

 病院の看護師たちは、稀に見る美貌と、その狂気に取りつかれた様子に気圧されながらも、拓巳が傷害事件の被害者だと知ると、僕を兄と思って痛ましそうに言った。

「お兄さんといる時だけは、安心なんですね……」

 僕もそのつもりで受け答え、病院関係者にそれとなく父親の横暴さをアピールした。

「ええ……反りの合わない父親のせいで、あまりに辛い目に遭いましたから。元気になるまではそばについていてやりたいと思います」

 高橋要が親権をかざして僕を拓巳から排除することを警戒し、先手を打ったのだ。むろん高橋もそのつもりでいたようだが、結局、彼は自ら墓穴を掘った。

 拓巳に関する手続きを警察や病院に求められる中、高橋は虐待の疑いを退け、父親としての権利を主張していた。

 桑原弁護士を欺いたことを追求されても、「そんなつもりではなかった。息子を痛めつけられて私もショックだ」などと主張し、『楡坂の趣味を承知した上で、虐待を目的に故意に預けた』と主張する僕と対立した。

 けれども、大橋健二の元部下、塚田(つかだ)(しょう)警部に伴われ、回診中の個室に高橋が姿を現したことで、すべてが明るみに出た。

「―――っ!」

 父親の姿を目にした拓巳は、それまでとはまったく違う反応をした。

 そばのパイプ椅子に腰かけていた僕が立ち上がる間に、手近にあった枕をおもむろにつかむと、怒りを(あらわ)にして高橋に投げつけたのだ。

「拓巳!」

「拓巳君!」

 そして高橋が腕をかざしてよけている隙に床に降り立つと、その衰弱した体のどこに残っていたのかと思うような力でパイプ椅子をつかみ、高橋に向かって振り上げた。

「だめだっ!」

 僕が後ろから抱きすくめ、塚田警部が椅子を取り上げても、拓巳は怒りがおさまらずに腕の中で暴れた。

「ああ―――っ!」

 やつれてもなお健在な美貌に憎しみをたぎらせ、目に涙を滲ませて高橋を睨みつける姿に、その場にいた誰もが、どちらの主張が正しいのかを正確に汲み取った。

「早く、早くその男をここから連れ出してくださいっ!」

 僕が叫ぶと高橋は反論した。

「失礼な。君は何の権利があって――」

 抗議する高橋の前に塚田警部が立ちはだかった。

「失礼、高橋さん。あなたには、息子さんに対する虐待の疑いがかかっていますよね」

 彼の指摘に高橋は黙った。

「ですが、そこから〈疑い〉の二文字が消えるのも、そう遠くない気がしてきました。――出ていただきましょうか。あなたの主張は警察署でお伺いすることもできますよ」

 その場にいた担当医も彼の言葉に頷き、「患者の心の負担になっているのは間違いない様子ですので」と、高橋要の面会を禁止した。

 拓巳発見の知らせを受け、武井マネージャーと関口店長を伴って見舞いに駆けつけてくれた黒部オーナーは、一連の光景を目の当たりにし、つけ睫毛の目をしばたたかせながらこう言った。

「お店のほうは構わないから、どうか拓巳くんを守ってあげて……」

 僕はありがたく甘えさせてもらい、拓巳を高橋から保護することに全力を傾けた。

 事件を担当する塚田警部は、あらかじめ大橋健二警視長から経緯を知らされていたこともあって、高橋の親権停止を訴える僕に積極的に協力し、こうコメントをくれた。

「なかなかしぶとそうな男だけど、敏腕で知られる桑原弁護士を騙したのは失敗だったね。楡坂と示し合わさなければあんなことはできまいし、桑原先生は利用されて黙ってるような人じゃない。時間の問題だよ」

 塚田警部の言うとおり、後日、桑原弁護士が病室を訪れた。

「真嶋さんには申し訳なかった。この上は主張が叶うように全力を尽くします」

 彼は僕に頭を下げると、その後は精力的に働き、間もなく高橋は家庭裁判所から親権の停止命令を受けた。僕はようやく仮の後見人として、拓巳の身柄を預かる権利を得たのだった。


 一方、僕の手しか受け付けなかった拓巳は徐々にその許容範囲を広げていった。

「おれを拒否したら殴ってやろうと思った」

 さすがに雅俊は最初から何の問題もなかった。彼の場合、拓巳と同じく薬物を使われての暴行を受けたので、楡坂逮捕と〈ブルーパラダイス〉営業停止のために、かかりつけの病院で事情聴取を受け、拓巳のもとに来られたのが、かなりあとだったのだ。

 祐司や陽子も比較的早かった。

 入院三日目になると、まず陽子の手が受け入れられた。

「よかったわ。そのままじゃ芳弘が参っちゃうものねえ」

 付き添いを交代した陽子は、背中の怪我の影響で横にしか臥せられない拓巳の痩せた顔を、何度も繰り返しなでていた。

 祐司は最初、薄手の黒いジャンパーを着ていた。が、自分を拒絶する拓巳の様子をよく観察し、黒い服を着た男の姿が恐怖を煽っていることに気がつくと、翌日から上着をカラーシャツに変えてきた。すると拓巳は拒絶をやめ、以後は祐司が触れても問題はなくなった。

 見舞いに訪れる本店の面々にも、動揺はするものの、僕や陽子がいれば暴れることはなくなった。

 その反面、夜はまったく進展がなかった。

「ああ……」

 午後九時頃になると拓巳は徐々に震えだし、呻き声をあげた。

「大丈夫、大丈夫だよ……」

 声をかけながら肩をさすっても、虚ろな目のまますがりついてくる指の力は、爪の先を痛めているにもかかわらず腕に食い込まんばかりだった。睡眠導入剤を飲ませたいと思っても、白い粉や錠剤を目にすると拓巳は怯えて振り払うのだ。それだけで、監禁された約二週間の日々、いつ、何をされていたのかが想像できて切なかった。

 僕は陽子にアパートから拓巳の湯のみ茶碗を持ってきてもらい、麦茶にそっと薬を混ぜてから渡すようにした。

「お茶だよ。体が温まるよ」

 すると拓巳はちゃんと飲んでくれた。そうしてベッドに腰かけてふところに抱え、幼子のように怯える肩をなで続けると、ようやく深い眠りが彼を悪夢から解き放つのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ