罠
「芳弘さん」
「綾瀬……!」
午後七時。待ち合わせ場所にした綾瀬の滞在するホテルにたどり着くと、すでに綾瀬は玄関口の脇で僕を待っていた。手を揉むようにして立つ彼女の姿を見た僕は、一瞬、涙腺が緩みそうになった。
「まだ、見つからないのね?」
あらかじめ連絡を入れたのが二時間前。事態に進展はない。
「すみません、綾瀬。せっかく忙しいところを空けてもらったのに」
「そんなこと口にしなくていいの。それより電話してみたのでしょう? 高橋さんはなんて?」
綾瀬の質問に僕は目を伏せた。
「予想してはいましたが、知らないの一点張りでした」
午後六時、恍星から聞き出した高橋の携帯にかけてみたものの、『うちを出ていったやつのことなど知らん』と突き放された。
「でも雅俊が調べたところでは、やはり昨夜、閉店後に高橋と話していたそうで、そのあとに拓巳を見た、という人はいませんでした。だから――」
無関係ではない、そう確信した。
「ただ、これでは証拠になりません」
「……では、どうする気なの?」
その質問に、僕は唇を噛んだ。
「明日まで待っても進展がなかったら、虐待の疑いがあるとして高橋を通報するしか手がありません」
「でも、ついこの前、拓巳の証言を書類にし始めたばかりだと言っていたじゃないの。まだ証拠としては成り立たないんでしょう……?」
「………」
それは、そのとおりだ。そして証拠もなしに訴えれば、取り下げられるどころか逆に名誉毀損で訴えられる危険もある。
「中途半端な訴えを起こせば、高橋さんは容赦しないと思うわ。ここはよく考えて行動しましょう」
「………わかりました。明日は捜索願を出してみます……」
その日はひとまずアパートに戻った。もしかしたら帰ってくるかもしれないと期待もしたけれど、拓巳は姿を現さなかった。次の日も進展はなく、僕はそれでもと思い、桑原弁護士に連絡を取って行動記録を渡し、彼から警察に捜索願を出してもらった。僕が頼むよりはずっと話が通ってありがたかったものの、肝心の拓巳の行方はようとして知れなかった。
「なんでもっと早くに報せないの!」
黒部から事情を聞いた陽子が祐司とともに僕のアパートに詰めかけた時には、すでに三日目も夕方に差しかかっていた。
「手がかりは何もないの?」
陽子はつかつかと歩み寄ると、小振りなダイニングセットの椅子にもたれた僕の顔を持ち上げた。
「陽子さん……」
「しっかりしなさい、芳弘! 今日は休みでしょう? 少し遠出して探したっていいわ。ここでじっとしていてもなんにもならないわよ」
私たちも一緒に探すから、と促す陽子に僕が頷きかけたとき、家に電話がかかってきた。
「はい。ああ、雅俊。何かわか……」
そこまで言った僕を、雅俊の慌てた声が受話器の向こうから遮った。
『芳さん! 桑原弁護士が捜索願いを取り下げてる!』
「なんだって?」
『おれ、学校帰りに捜索願い出した警察のところに寄ったんだ。そうしたら』
(ああ、君の友達なの? それなら手違いがあったとかで取り下げられたようだよ。本人もちゃんといたようで。よくあるんだよねえ)
そう言われたというのだ。
「桑原弁護士に確認する」
『おれもすぐ行くから待ってて』
「わかった。取りあえず電話してみるから」
受話器を置き、陽子たちに説明しながらすぐに事務所に電話を入れる。すると。
『ああ、真嶋さんですか。ええ、私が下げました。なにしろ本人が見えられたので』
「ええっ⁉」
つい、大声を上げてしまった。
『連れていらっしゃったのは親御さんじゃありませんでしたが。なんでも親子喧嘩したとかで、親子で親しくしているそのご友人のもとに行ってしまったのだそうで』
説明する桑原の口調には、どこか気の抜けたような響きが含まれていた。
『お父様は先に一人で訪ねて来られたのですが、自分がうまく息子を諭せなかったせいだと大変恐縮なさってましたよ。立派な態度でしたね』
「………」
『あなた方にも誤解されて参っている、とおっしゃってましたな。少しほとぼりが覚めるまで気が済むようにそっとしておくつもりだとおっしゃるので、私も納得して警察に説明しました』
「ま、待ってください。本当に拓巳本人がそこに行ったのですか? 間違いなく?」
役所で懲りた僕は、桑原弁護士には本人の代わりに写真を提供し、事情を説明していた。
『ちゃんと確認しました。さすがにあのようなお顔立ちの息子さんは、見違えようがありませんな』
「どんな方が連れて来たんです?」
『たいそう姿の立派な紳士でしたよ。拓巳くんのことをずいぶんと大切にしている風でしたな。彼もおとなしく従っていましたし。あなたもまあ、少し様子を見てあげたらいいと思いますよ』
宥めるように言われて僕が言葉に詰まったとき、横合いから伸びた手が受話器を取った。
「桑原先生、雅俊です。ちょっと聞かせてください」
急くように話し始めたのは、走ってきたのだろう、額に汗を滲ませた制服姿の雅俊だった。
「ええ――そうです。詳しくお願いします。身長がお父さんより高くなかったですか?」
雅俊はさらに二、三の質問すると、まもなく受話器を置いた。その顔がみるみるうちに色を変えていく。
「やられた……っ!」
「どうしたんだ、雅俊」
隣に来た祐司を雅俊は見上げた。
「男爵だ」
「──!」
そこにいる全員が息を飲んだ。
「男爵って、この前祐司がやり込めた楡坂征一郎とかいうやつのこと?」
陽子が聞くと雅俊は頷いた。
「間違いない。百九十を越える姿のいい紳士なんて、そうざらにはいない」
「だが拓巳の父親は確か、あの男の手が拓巳に及ぶのを嫌っていなかったか?」
祐司が問いかけると、雅俊は床に目線を落とした。
「つまり高橋オーナーは承諾したんだ。あの楡坂という男は少年嗜虐趣味で有名だ。あいつの手にかかれば悲惨な目に遭うことは間違いない。だから……」
「悲惨な目って……?」
つい口を挟むと雅俊の顔が歪んだ。
「あいつの趣味は、おれが味わったあの監禁の日々に勝る、と恍星から聞いている」
「……っ!」
「拓巳は精神的にオーナーから自立しつつあった。だからそれを壊すために、おそらくは期限をつけて貸し出したんだ」
僕は食い下がった。
「でもそれじゃ、拓巳が楡坂と一緒に桑原弁護士のところに行くなんてあり得ないじゃないか。ましておとなしく従ってるなんて」
すると雅俊は僕に向き直り、真剣な顔つきでこう言った。
「芳さん。何を聞いても落ち着いていてくれるか」
「何を……知ってるんだ」
「楡坂には黒い噂がいくつかあるんだが、そのひとつに〈薬物に精通している〉というのがあるんだ」
「薬物……?」
「本人が製薬会社の大株主で、それを隠れみのにして麻薬ルートに関わったり、様々な違法薬物を輸入して巨額の富を築いている、と言われている」
「まさか……」
「そうだ。拓巳には何らかの薬が使われたんだと思う。この計画の成功を確信していたから、高橋オーナーは最後の日に俺たち従業員には何も説明しなかったんだ」
「どういうこと……?」
「楡坂の手にかかれば、拓巳には逆らう気力も残らないだろう。そのあとで店に戻せばプラチナシステムを続行できると踏んだんだ」
「………!」
「まず拓巳を隠しておれたちに騒がせておいてから、薬でおとなしくなった姿を楡坂が桑原先生に見せる。――これは芳さんが直接警察に届け出ていたなら、警察署に行くつもりだったんだろうな。高橋オーナーへの疑いは一気に減り、芳さんの信用が落ちる。一石二鳥だ。楡坂だって一時でも拓巳が手に入るなら喜んで協力するだろう」
「高橋要が、そこまで」
「現にさっき、芳さんは桑原先生に誤解されたぜ」
「………っ」
絶句する僕の隣で祐司が聞いた。
「薬で、そんなことが自在にできるのか」
「楡坂ならできる、という話だ。あいつの店の従業員も、色々な薬物を使われて何人も病院送りになっているらしい。でも、多額の寄付金が楡坂から院長や幹部の医師に流れてるんで誰も口を割らないんだそうだ。そのあたりは詳しい人に聞きたいところだな」
「詳しい人……?」
僕は、次に来る答えの予感に震えだった。
「誰か知ってるのか」
祐司が鋭い声で問うと、雅俊ははっきりと答えた。
「この前、うちの店で同席しただろう? 楡坂が唯一連れ歩く〈女〉として有名なデザイナー、アヤセだ」
………!
固まって動けない僕の隣で陽子が質問した。
「敦なら、その女を知ってるのね?」
「ああ、かなり親しいとの噂だ。芳さん、アツシさんに聞いてみてくれるか」
「え――?」
「アツシさんは彼女と付き合いがあるんだろう? 何か聞き出せるかも知れない」
僕は、〈バードヘヴン〉で偶然会った夜、綾瀬が僕に対して他人行儀を装ったことを思い出した。
――そうか。雅俊は、弟さんとは懇意でも姉である綾瀬とは面識がないんだ。
楡坂の横にいたデザイナーのアヤセが弟さんの姉、そして僕の〈先生〉であるとは知らないのだ。
「わかった……」
複雑な思いを押し隠して応えると、陽子が地を這うような声を出した。
「……舐めた真似をしてくれるじゃないの、高橋要。仮にも私が手をかけて治した子を」
祐司がそれに頷いた。
「俺の大事な弟分でもある」
「そうよ。しかも芳弘をまんまと陥れたわね……」
陽子は唸るような声で漏らすと、おもむろに受話器を取り上げボタンを押し始めた。まもなく会話がはじまる。
「ああ、ごめんね、仕事中。ちょっと一大事で。あなたの友達の健ちゃん、確かこっちに戻ってきたって言ってたわよね。今どこの部署? ああ、そりゃいいわ。あのね――」
どうやら叔父に電話しているようだ。陽子はそこから早口で一連の様子を語り、何事かを聞き取ると受話器を置いて振り向いた。
「芳弘。幸司さんの友達が警視庁の配属になっているわ。話を通してもらうから今後は彼に相談して。あと、弁護士は私の友人がいるから問題ない」
そして雅俊と祐司に指示を出した。
「まずは拓巳の居場所を突き止める。雅俊、あなたは可能な限り高橋の動向を探って。楡坂征一郎と何か連絡を取るかもしれない。祐司は楡坂の持つ建物やクラブの洗い出しよ。必要な情報をつかんだら現地に飛ぶのよ」
そして僕にはこう告げた。
「少なくとも拓巳の姿は確認できたわ。さっきまでの、なんの手がかりもなかった時よりはましでしょ?」
その薄茶色の目が光った。
「――せいぜい後悔させてやるから安心おし」
「芳弘さん――」
振り返ったその顔を見た瞬間、わかってしまった。
「………!」
スイートのリビングに立ち尽くした僕は思わず顔を覆った。雅俊の言葉はただの推測で、拓巳を桑原弁護士のところに連れていったのは別の、普通の人で――そんな幻想は一瞬で崩れ落ちた。そのまま絨毯の上に膝をついた僕を、綾瀬が背中から抱きしめてきた。けれども僕は顔を覆う手を動かせなかった。
「ごめんなさい、芳弘さん」
声を震わせる綾瀬に僕は訊ねた。
「いつ、わかったんです。一昨日会ったときは、そんな顔はしなかった」
「昨夜、バロンに連絡したら、様子がいつもと違って――」
(しばらくは会えないよ、綾瀬。私は今、念願がかなって夢中なんだ)
楡坂は上機嫌でそう言ったという。
「最初は気がつかなくて。まさか高橋さんが拓巳を渡すとは思わなかったから。でも話が進む内に……」
綾瀬は語尾を震わせた。
「『とても気高い色の鳥だから手強いんだ』と言われて。だから、気高いとなると限られるわね、と振ってみたら、『金に勝るからね』と」
僕は目をつぶった。金より上にくる貴金属は白金だ。
「それ以上は、『楽しみにしておいで』の一点張りで」
連絡しなければと思いながらも、決心がつかずにずるずると時を費やしてしまった、と綾瀬はつぶやいた。
「綾瀬」
僕は膝をついたまま振り向くと、綾瀬の胴に腕を回した。綾瀬もまた、僕の頭を腕で包んだ。
「楡坂は、薬物を使って相手を支配するのだと聞きました」
「―――」
ビクリと揺れた体が、それが事実であること語っていた。
「たとえそれがあなたを困らせるのだとしても、僕は頼むしかない。拓巳がどこでどうしているのか、可能な限り早く調べてもらえますか?」
僕が顔を上げると、綾瀬は夜色の瞳を揺らがせた。
「……私は今まで、彼の隠れ家や趣味のお店にはあまり顔を出さないできたの。だから、すぐにというのは不自然で難しいかも知れない。でも、出来る限りのことはしたいわ。ただ……」
苦悩の表情が浮かぶ。
「それを知ったら、あなたはどうするの?」
「もちろん、拓巳を助けるためにあらゆる手を尽くします」
「警察には……?」
僕が黙り込むと綾瀬の顔色が変わった。
「私と母は……バロンには大きな借りがある。裏切ることはできないわ」
「綾瀬」
僕は彼女を抱いたまま、ゆっくりと立ち上がった。
「愛してます、綾瀬。彼から離れて、僕のところに来てください」
「芳弘さんっ!」
綾瀬が悲鳴のような声を上げ、胸に顔を伏せた。
「許して。母や弟を見捨てることはできないのよっ!」
「―――」
僕は頭上を仰いだ。天井を通り抜け、夜空を貫き、さらに高いところにいるだろう春樹に呼びかけた。
――頼む、春樹。僕に力を貸してくれ――!
すると返事が帰ってきた。
(芳弘はいつも真っ直ぐだよね。たまには曲げておかないと、ポキッと折れちゃうよ)
――だって、どうやって?
(押してだめなら引いてみろって言うじゃない。玄関が開かない時は、裏に回るんだよ。ひとつくらい、鍵の開いてる窓があるかもよ――)
「芳弘さん……?」
不安げな声が耳に届き、ゆっくりと僕は目線を戻した。
「……大丈夫。あなたは裏切るんじゃない」
綾瀬の眉根が寄った。
「ただ、いつもよりちょっと積極的にパトロンのところに行って――」
僕はどうにか笑いかけた。
「そのどこかで、迷子の雉が紛れているのを見かけるだけです」
綾瀬は目を見張った。そして再び顔を伏せてから、やがて小さく頷いた――。
◇◇◇
「まああ。なんて陽さんに生き写しなのかしら。まるであの頃に戻った気がするわ」
ピンク色の唇が感嘆の声を上げた。
「あんたは今もたいして変わってないけどね」
頭ん中が、と陽子はいたってソッケない。
「相変わらずつれないわねえ……」
ロングカールの髪が揺れる。
「甘やかすと際限を知らないからね、玲は」
「ははは。だから陽くんにいてもらわないと困るんじゃ」
「義父さん。四十過ぎの娘をまだ甘やかしますか」
陽子が目を光らせると、義父さん、と呼びかけられた恰幅のいい老紳士――井ノ上寛文が嬉しそうに笑った。
あれから十日が過ぎた。僕にとっては地獄のような十日間だった。
黒部に事情を話し、彼が頼んだということにして、綾瀬が拓巳の居場所探に協力してくれることになった、と陽子に伝えると、
「わかったわ。どの場所で見つかっても乗り込めるように備える」
と言って、まるで司令塔のようにあちこちに連絡を取っていた。その間、綾瀬が電話やメールで様子を探り、楡坂の上機嫌が続いている――つまり拓巳がそこにいる――と確認できることだけが唯一の慰めだった。が、それも四日前までのことだった。
その夜、ようやく楡坂に呼ばれたという綾瀬は、ホテルの彼女の部屋で報告を待つ僕のもとに戻るなり倒れ込んだ。
「綾瀬! どうし……っ」
抱き上げた綾瀬の顔は蒼白で、ひと目で拓巳のことなのだと知れた。
「いたんですね! どこです? 拓巳はどんな……」
「あ……あれでは――」
その絶句した様子に、僕は雅俊の言葉を思い出した。
(あいつの趣味は、おれが味わったあの監禁の日々に勝る、と聞いている――)
「何を見たんです、綾瀬。教えてください」
「……とても口には……」
「あなたの見たものを、いつか僕は知るでしょう。教えてください」
綾瀬の体を腕の中に抱くと、彼女は肩を震わせながら身を寄せた。
「……石川町のクラブにある地下室の、大きな寝台に片手をつながれていたわ。手首は擦り切れて……血が滲んでいた」
「―――」
「バロンが鍵を外して、数人の仲間のいる別の薄暗い部屋に連れていかれて、そこで」
綾瀬の声音が揺れる。
「バロンが選んだ男たちに貪られていった……」
僕は目をつぶり、綾瀬を抱く腕に力を込めた。
「どんな無体を身に刻まれても、拓巳は顔を背けて耐えていたわ……」
たまらず、その肩に顔を伏せた。
拓巳―――!
この爆発する怒りを、煮えたぎる感情を、今は抑えなければならない。
体中を駆け巡る嵐をかろうじてやり過ごすと、僕は綾瀬に告げた。
「……ありがとう」
「芳弘さん……っ」
「僕とかかわったために、あなたに辛い役を負わせた。許してください」
「………」
綾瀬の指が僕の目尻をぬぐった。その手を取って唇を落とすと、僕は部屋をあとにした。
拓巳が楡坂の持つクラブの地下にいたことを陽子に報告すると、「辛いだろうけど、あと少しだけ待って」と言われ、ようやく三日後の今日、店に連絡が来た。
「待たせたわね。準備が整ったわ。敦には話を通してあるから、すぐにここへ来なさい」
それを受けて井ノ上家に駆けつけると、陽子はこう告げた。
「鎌倉へ行く。芳弘、あなたもよ。支度しなさい」
そして驚く僕には構わず祐司に指示を出した。
「祐司。あんたはバイクで別行動。あとから目的地に合流するのよ」
「わかった」
祐司は返事を返すとタブレットを開き、陽子と確認しあってから「またあとで」と言って僕たちを送り出した。
「陽子さん、そろそろ教えてください。何をしたんですか」
道すがら尋ねる僕に、ハンドルを握る陽子は作戦を明かした。
「雅俊が先に潜入しているのは知っているわね?」
僕は頷いた。
雅俊は拓巳の居場所を聞くや否や「先に潜る」と言ってきかず、心配する僕たちを振り切って三日前に自分で楡坂に連絡を取り、「おれが心配なら、一日も早く迎えに来てくれ」と言い残して楡坂の店へ行った。それきり音沙汰がない。
「拓巳の行方を探しているのはバレてると思うから追い返されるかもしれない、と言っていたけど、どうやら楡坂はかなりの自信家らしいわね。雅俊はちゃんと彼の店にいるようよ」
「連絡が来たんですか?」
「携帯は取り上げられてしまうだろうから、雅俊には祐司が用意した指輪型のGPS(位置把握システム)を持たせてあるわ。祐司のパソコンのナビと連動してるの」
祐司の得意技のひとつだ。
「拓巳の居場所がわかったら、二つ持たせたうちの一つをそこに――できれば拓巳に持たせるように指示してあるの。一昨日まで二つのGPSは別々に動いていたわ」
つまり、雅俊は拓巳に渡すことに成功したのだ。
「それをもとに、今夜はこれからあいつの店に行って拓巳と雅俊を取り戻すわよ」
「でもあの店は、かなりガードの堅い会員制では……」
綾瀬から聞いた話では、石川町のその店は、表向きは上流階級向けの高級クラブで、給仕が全員少年である以外、さして怪しいところもないのだという。十九世紀のアンティークで統一された内装は優雅で、女性客も多いのだそうだ。広いフロアの各所では、軽食や質の高い酒類をたしなむ客同士の間で、億単位の商談が成立していく――そんな、都会のあちこちにあるクラブのひとつとして認識されている。そしてごく一部の趣味人たちのみが、その建物の地下にある別の入り口をくぐるのだという。
「そのために今、私たちはこーんなカッコして鎌倉に向かってるんでしょうが」
僕と陽子は礼装――黒のタキシードに着替えていた。二人とも髪をオールバックにかき上げているのだが、正直、僕より陽子のほうがさまになっている気がする。
「じゃあ、鎌倉に行くっていうのは……」
「もちろん、VIP待遇でクラブに入れる義父さん――寛文会長と娘の玲を迎えに行くのよ」
そして今、僕たちは楡坂の店、石川町の高級クラブ〈ブルーパラダイス〉を目指している。
「しかしあの店の奥に、そんな少年趣味の輩が集っていたとはのう」
お盛んじゃな、と陽子の隣を選んで助手席に着いた寛文は嗤った。
「私も何度か行ったことあるけど、全然気がつかなかったわ」
「中に、お入りになったことがあるのですか」
後部座席で、玲の隣で意外に思って訊ねると、彼女はよく手入れされた瑞々しい頬を赤らめて頷いた。
「だってあの店のアンティーク、評判いいんですもの。でも、や~ん。真っ正面からソンな真剣な表情で見つめられたら、ワタシ心臓が踊っちゃうわ……」
「………」
どうリアクションしていいのか悩んでいると、陽子が運転席から釘を刺した。
「妄想するのはいいけど、権力をカサに芳弘を手込めにしたら、縁切るからね……」
「い、いやぁね。私がそんなことするわけがないじゃない」
慌てて姿勢を正す姿を見た僕は(やってるんだな、普段)と悟った。なんとなく、ノリが黒部オーナーと重なるのは気のせいではあるまい。
「玲や。さっきの挨拶を聞いたじゃろ。今日の目的が達成されれば、この芳弘くんはおまえの要望に何でも応えてくれるんじゃ。しばし気を引き締めなさい」
「そうね。そうだったわ。しっかりしなくちゃ」
――イヤ。僕、挨拶の時『ご協力に心から感謝します』って、言っただけですから。
「芳弘。鼓膜が脳ミソの回路につながってないだけだから気にしちゃダメよ」
「はい」
即答すると、寛文会長が悲しそうにつぶやいた。
「顔は陽くんより優しげなのに、よっちゃんは意外と堅物じゃのう。サービス精神を豊かにすることも人生には大事じゃぞ」
「あんた方にそれやったら、際限なく搾取されるでしょうが」
祐司はもう何回も痛い目を見てますよっ、と陽子が噛みつくのに、二人はそれぞれ首をすくめた。――どうやら祐司がひとりで井ノ上家を訪れるたび、自分のコダワリ以外のことには無頓着な彼の性格をいいことに、好き放題に連れ回していたらしい。今回、井ノ上家に行くと告げられて、祐司が捕まりはしないかと不安を隠せずにいると、「大丈夫。何度もサービスして利息が貯まっているから」と、あっさり払拭してもらえた。
「とにかく、店についたら拓巳くんとやらが見つかるまで、粘ればいいんじゃな」
「ええ。玲と二人で頑張ってください。証拠がないと、健ちゃんの部下も迂闊に踏み込めないんです」
健ちゃん――陽子が紹介してくれた幸司叔父の親友、大橋健二警視長は、なんと少し前まで麻薬担当の部署にいたという、横浜出身のエリートだった。
「〈男爵〉楡坂征一郎! あいつ、裏でソンなことまでしてたんかい! クッソー!」
どうやら麻薬課時代に何度も煮え湯を飲まされたらしい大橋健二は、プライベートでの相談のつもりで訪ねた僕を迎えると、柔道体型にふさわしく、熱血な様子で僕の手をガシッと握りしめてこう言った。
「幸ちゃんから頼まれたからには、悪いようにはしないからね。あの〈ブルーパラダイス〉は前から気にくわなかったんだけど、ガードがスゴくて潜入捜査すらできなかったんだ。僕、今は違う部署だけど大丈夫。少年課と麻薬課に子飼いの部下がいるから、ナシつけとく」
そして今夜、拓巳が確認され次第〈未成年買春及び傷害致傷の現行犯〉で店に踏み込む手筈になっているのだ。
「ついでに違法薬物の件も一気にやっつけたいね」
と大橋は息巻いた。
そのこともあり、僕は前もって綾瀬にお願いをしておいた。
「あなたは僕に雉を見たと伝えただけだ。あとのことには一切関係ありません。拓巳を見つけたのはあくまでも雅俊、薬物に気がつくのも彼です。だから、しばらく僕たちに近づかないでくださいね」
綾瀬は無言でいたけれど、最後には頷いてくれたのだった――。




