「おはよう」を貴方に。
咲弥と和真のシリーズ第6弾です。
バレンタインのお話。
カレンダーを見ながら、咲弥は思わずため息をついた。
「もう、2月か」
思わず出た声に苦笑いを浮かべる。早いなと思った。
この数日でいろんなことが変わり始めていた。数日前には咲弥が推薦入試を受けた短大の合格発表があり、見事掲示板に自分の番号を見つけたばかりだ。そして、和真もちょうど今日、推薦の合格発表があり、2人でスマホを片手に合格を確認した。
いろんなことが順調に進んでいた。まだ周りの友達は受験の真っ最中だ。きっと先に決まった自分は喜んでいなければ失礼に当たるだろう。もちろん嬉しい。けれどそれと同時に、どうしても切なく思ってしまう。このままではいけない。そう思いながらも咲弥は沈む気持ちを止めることができなかった。
不意に着信音が鳴った。ディスプレイを見ると吉田和真の名前。咲弥は一つ息を吐き、電話に出た。
「もしもし、咲弥」
自分の名を呼ぶ和真の声は明るい。先ほど合格を知ったばかりなのだから当たり前だ。咲弥だって和真の合格は嬉しい。けれど、なんだか自分との温度差に落ち込んでしまう。
「何?」
「…どうかした?」
「え?」
「なんか、変な感じがするけど」
どうして気づいてしまうんだろう。「な」と「に」の一言だけで。泣きそうになりながら見えないのに、首を大きく横に振った。
「なんでもないよ。それより、和真は何?」
「あ、そうだ。今日言い忘れたんだけど、明日さ、先生たちに合格の報告行くから咲弥も行こうぜ」
「うん。いいね。私もちゃんと学校から通知来たから先生のとこ行きたいって思ってたし」
「じゃあ、決まりな」
「うん」
「…なあ、咲弥」
「何?」
「なんかあったらすぐに言えよ。声だけでわかんないこともいっぱいあるんだから」
「わかってるって。本当に大丈夫。じゃあ、明日ね」
「それならいいけどさ。じゃあ、明日な」
耳元で電話の切れる音がした。咲弥はゆっくりと息を吐き出す。
和真の言葉は理解できた。4月からは同じ学校に通えない。住む場所だって離れてしまう。しかも、3月からは和真は大阪で部屋探しを始めると言っていた。咲弥自身も3月に入ってすぐに自動車学校に通うつもりだ。もう今までのようには会えなくなる。だから、言葉で伝えていかなければならない。
進路の選択をしてからずっと、離れることが不安だった。けれど離れていても好きという気持ちは変わらない自信があった。受験勉強で長い間、メールでのやりとりだけの時もあった。それでも心は繋がっていた。だから大丈夫だろうと心のどこかで想っていた。けれど、大学が決まり、部屋探しをすることが決まり、いろんなことが現実味を帯びてくると前以上に不安になった。大丈夫だろうと思う心は次第に薄れていった。まだ離れていない今からこんな気持ちではやっていけない。進路が決まって嬉しいのに、どうしても未来を想像して苦しくなってしまう。
「バカみたい」
思わず出た独り言に咲弥は泣きたくなった。
寒さはピークを迎えていた。咲弥は和真にもらった赤い手袋をつけ、外に出る。風が吹き、髪が乱れた。手袋の上から息を吹きかけ、速足で学校に向かう。
学校はいつものように動いていた。下級生たちは教室の自席に座り、教師の話を聞いている。そんな中で学校に入るのが不思議な感じがした。
階段を上り3階へ行く。自由登校の3年の教室はやけに静かだった。受験を控えた同級生たちがクラスに別れ、数学、英語、世界史など様々な授業を受けている。けれど生徒の数は少なかった。咲弥も少し前までそこにいたが、咲弥がいた時より確実に数は減っている。
咲弥は一足先に学校に着いていた。けれど、教室に入ることはできない。なんとなく姿を見せるのも悪い気がした。だから、咲弥は隠れるように廊下に立って和真が来るのを待っていた。
「…高木さん?」
不意に声をかけられた。顔を上げ、目に入った人物に驚く。
「…北川さん」
目の前にいたのは、北川愛莉だった。以前和真と付き合っていると噂のあった美人である。その容姿は目を見張るものがあり、また和真との噂もあったため、咲弥は彼女のことをよく見ていた。友達との話題にも出たこともある。けれど思い返してみれば、話した回数は数え切れるほどだ。「友達」と言える仲ではなかった。けれど目の前にいる愛莉はにこやかに笑う。
「高木さん志望校受かったんだよね。この前誰かに聞いたよ。おめでとう!」
「あ、ありがとう」
「今日は、どうしたの?」
「先生に報告しに来たんだ。えっと…北川さんは?」
「私はもうすぐ試験だから、最後の大詰めって感じかな。先生に質問に来たの」
「あ、そうなんだ。えっと…どこ大?」
咲弥の質問に愛莉は少しだけ躊躇いながら大学の名前を口にした。それは、和真と同じ大学だった。
「…別に追いかけていくつもりはないよ。でも…嫌だよね。ごめんね。って、まだ受かるかどうかもわかんないんだけどね」
自嘲的に笑う愛莉に咲弥は何と言えばわからず下を向いた。
咲弥は愛莉が和真を好きだったことを知っている。今も好きかどうかわからないが、それでも女子とあまり仲の良くない和真が自分以外に唯一親しげに話すのが愛莉だった。おまけに容姿、成績ともによい。そして目の前で申し訳なさそうに謝る愛莉に優しさを感じた。性格までいい愛莉が自分いない場所で和真と一緒にいる。それを想像するだけで苦しかった。どうして信じているのに、不安に思ってしまうんだろう。
「そ、そんなことないよ。北川さんなら大丈夫だと思う」
「ありがとう」
「応援してるね」
「うん。頑張るね」
何と言っていいかわからず、お互い口を閉ざした。沈黙が痛い。
「…あのね」
先に口を開いたのは、愛莉だった。
「何?」
「…私これからも、和真くんと友達でいてもいい?」
「え?」
「こんなこと言われても困るんだってわかってるんだけど。…でも、この一年間、必至で忘れようと思って、でも、忘れられなくて、大学も同じところを目指しているって知って…。高木さんに言うことじゃないってわかってるけど、でも、私…和真くんが好きなの。友達としてでも傍にいたい」
まっすぐ見つめられる視線に咲弥は目を逸らすことはできなかった。真剣なその表情は綺麗で、強い人だと思った。宣戦布告、という雰囲気はない。ただ、事実を伝え、その気持ちを持つことを許してほしい。そんな風だった。だから、咲弥は頷いた。
「わかった」
「…いいの?」
咲弥の言葉に愛莉はそう聞いた。
「え?」
「あ、ごめんなさい。自分から言ったのにそんなこと言って。…でも、嫌だって言われるのを想像してたから」
「…」
「自信があるんだね。和真くんが離れないって」
「そういう訳じゃ…」
「なんか嫌味な言い方になっちゃったね。ごめんなさい」
頭を下げた愛莉に咲弥は首を振る。
「違うの。…本当は、嫌だよ。北川さん可愛いし、優しいし。だから、正直友達としてでも和真と北川さんが仲良くしているの見たくないよ」
「…」
「でも私ね、自分がされて嫌なことは和真にしたくないの。和真が…好きだから。絶対に離したくないから。だから、北川さんが私から和真を盗るって言うなら、やめてって言うけど、友達でいていいかって聞くならそれに私は何にも言えないよ。私が逆の立場なら何にも言ってほしくないから。だから、自信があるわけじゃなくて、和真にずっと好きでいてほしいから、嫌われるようなことしたくないだけ」
「…そっか」
「なんか、私、嫌な人だね。でも、どんなにずるくても和真の隣にいたいの」
自嘲的に笑う咲弥に愛莉は首を横に振った。
「素直なんだね、高木さんって」
「え?」
「普通そんなこと言わないよ?しかも私みたいな人に」
「そうかな?」
「自分の彼氏を好きだって人とこんな風に話もしないと思う」
「でも、それは北川さんも一緒でしょ?」
「え?」
「私が北川さんの立場なら、きっと話しかけれないよ。だから、北川さんはすごく強い人だと思う。私も見習いたいなって思うよ」
その言葉に愛莉はくすりと笑った。
「え?なんかおかしいこと言った?」
「ううん。ただ、和真くんの気持ちが少しだけわかったかなって」
「え?」
「敵わないよ」
そう言った愛莉の顔はどこかすっきりしていた。他の人に言われたら腹の立ちそうな言葉でも咲弥に言われると不思議と暖かい気持ちになる。きっとこんな人だからこそ和真は好きになったのだろう。相手が誰であろうとまっすぐに気持ちを伝えられる咲弥こそ強いのだと思った。
この一年間、ずっと忘れようとしていた。ただの友達でいようと。それでも目は勝手に和真の姿を探し、胸は勝手に苦しくなった。彼女がいるとわかりながら、咲弥と一緒にいる時の幸せそうな表情を見ながらも、ずっと諦められなかった。けれどようやく諦められる気がした。彼女以上に和真を笑顔にできる人などいない。そう思えたから。
「ありがとう」
「え?」
「ううん。なんでもない」
「そっか。…私もありがとう」
「何、それ?」
そう言って愛莉は笑った。胸はまだ痛むけれど、それでも笑えた。愛莉につられて咲弥も微笑む。
「受験が終わったら一緒に遊ばない?」
「うん。いいね」
「私、頑張るから」
「応援してるよ」
「じゃあ、私、先生のところに行くね。…それに、そっちもお迎え来たみたいだし」
「え?」
首を傾げる咲弥に愛莉は咲弥の後ろを指さした。指先を追うように振り返れば、和真の姿があった。
「咲弥、おまたせ。…北川と一緒だったのか?」
どこか複雑な表情を浮かべる和真に愛莉は再び笑みを浮かべた。
「じゃあ、本当に行くね。またね、咲弥」
「え?…うん。またね、愛莉」
振り返してくれた手が嬉しかった。咲弥が彼女でよかったと改めて思った。
和真は背を向けた愛莉と手を振り続けている咲弥を交互に見る。
「そんな仲良かったか?お前ら」
「今仲良くなったの」
「…そっか」
「北川さん…じゃなかった。愛莉っていい子だね。可愛いし、優しい」
「そうだな。でも、俺は咲弥が好きだよ」
その言葉に咲弥は和真の顔を見つめた。
「うん。知ってる」
そう言って笑った。不安が消えたわけではない。けれど、自分はどう足掻いてもこの人が好きで、それはどんなことがあっても揺るがないのだと思えた。自分の気持ちに自信が持てる。今はそれで十分だった。
担任への報告を終え、2人は手を繋ぎながら学校を出た。
「ねぇ、和真」
「ん?」
「あ、あのさ…えっと…」
「なんだよ?」
「あ、明日って暇?」
「え?特にすることはないけど?」
「今日お母さん、お父さんのところに行ってて、明日の夕方帰ってくるの。だから…その…泊まりに来ない?」
咲弥は俯いたまま、耳まで赤く染めた。恥ずかしくなり早口で続ける。
「き、昨日の夜にトリュフチョコも作って冷蔵庫に置いてあるの。…それに、付き合って1年目の記念日だし」
言い訳のように付け加えた咲弥の手を和真はぎゅっと握った。
「俺、チョコと一緒に咲弥ももらえるの?」
その声はあまりにまっすぐで咲弥はさらに顔を赤らめた。けれど、しっかりと頷く。
「うん」
「…無理してないか?前みたいに」
苦しそうな声に七夕の日に自分のおかした愚行を思い出した。自信がなくて、心を繋ぎとめておくために、身体を繋げようとした時のことを。
咲弥は顔を上げる。表情を歪めた和真がそこにいた。そんな表情をさせたいわけじゃないのに。咲弥は精一杯首を横に振る。
「無理してない。私が…和真ともっと近づきたいだけ」
「本当に?」
「本当はもっと前から思ってたけど、なんて言ったらいいかわからなくて。…バレンタインの日って私はいつもより素直になれるみたい」
そう言って笑顔を見せる咲弥を和真は思わず抱きしめていた。
2人で一度和真の家に向かった。咲弥は玄関前で和真が泊まりの支度を整えるのを待つ。顔の赤みを消したいのに、心臓の音は未だに大きく鳴り響いていた。
「おまたせ」
10分もかからず、少し大きめの鞄を持って和真は出てきた。
「は、早いね」
「まあな。…じゃあ、行くか」
和真の言葉に2人は歩き始める。
「悪いな、遠回りになって」
「ううん。私、結構和真と一緒に歩くの好き」
「なんだそれ?」
「だって、一緒に歩くと同じペースになるでしょう?それがすごく好きなの」
和真が自分を好きでいてくれていることはわかっている。けれど咲弥はやはり和真との差を意識していた。見た目も学力も和真は数倍上にいる。追いつこうと思っても追いつけなくて、だから一緒に歩くのが好きだった。歩幅を合わせてくれる和真をより感じられるから。
和真が咲弥の手を握る。
「たぶん俺は、お前が思っている以上に格好悪いと思う」
「え?」
「俺はしがみついてでもこの手を離せないからな。だから、咲弥がもっとゆっくり歩きたいって思ったとしても、引きずってでも同じペースで歩かせるかもしれない」
「大丈夫。だって私も、手を離せないから」
咲弥は和真の顔を見つめ、ぎゅっと繋いだ手に力を込めた。
「…俺、大丈夫かな?」
「何が?」
「マジで理性、飛びそう」
頭を抱えてそう言う和真に咲弥は声を出して笑った。
家に着き、鍵を閉めた。鍵のかかる音が静かな空間に響き渡る。
「えっと…そうだ!チョコ食べよう!おいしくできたと思うんだよね」
気まずさに咲弥は明るい声を上げた。そんな咲弥の頬を和真が掴む。
「引きずってるけど?顔」
「…しょうがないじゃん」
「だな。つーか、俺も心臓バクバク。ほら」
和真は、咲弥の手を自分の胸に当てた。早いスピードの鼓動を感じる。咲弥は驚いて顔を上げた。目が合うと和真は少しだけ笑う。そして真剣な声で言った。
「…チョコより先に、咲弥をもらっちゃダメ?」
「……いいよ」
顔が赤くなるのがわかった。靴を脱ぎ、家に上がる。咲弥の家であるにもかかわらず、和真が先導して咲弥の手を掴み、速足で2階の部屋に向かった。その後ろ姿からも余裕のなさを感じ取り、咲弥はどこか安心する。自分だけが緊張しているわけではないのだと改めて思った。
愛莉と話せてよかったと思う。愛莉と話せたことで自分の気持ちを再確認できたから。今日のことは少し前から決めていた。和真の合格が確定したらそうしようと。けれど、どこかで半年前と同じように繋いでおきたいという気持ちがあったのかもしれない。でも、今はただ純粋に触れたい、近づきたいと思っている。
4月からは簡単には会えない。会いたいと思っても会いに行けないことの方が多いだろう。けれどきっとそれでも和真の手を離すことなどできないのだ。この先、いろんな思いを抱くのだろうと咲弥は思う。嫉妬をし、苦しくなって一人で泣くかもしれない。会えなくて寂しくなることもあるだろう。和真と喧嘩をすることも数え切れないと思う。けれどきっとこの先もこの人を好きだという気持ちは変わらない。
和真の優しい手が咲弥に触れた。ゆっくりとブラウスのボタンを外していく。少しだけ震えるその手が愛おしくて、咲弥は小さなキスを送った。
「煽るな、バカ」
ぽかりと頭を叩かれる。色気も何もないやりとりが自分たちらしいなと思った。
緊張している。怖いとも思う。けれどそれ以上に、早く触れたかった。
「好きだよ、和真。大好き」
「あ~もう、知らない。煽ったお前が悪いからな。…俺も好きだっつーの!」
怒鳴るように叫び、和真は咲弥の唇に自分のそれを押し当てた。
朝起きると、隣で寝ていた和真の顔が咲弥の視界に一番に入ってきた。どこかあどけない寝顔にくすりと笑う。思わず手を伸ばし、その髪を触った。それに反応するように和真がゆっくりと目を開ける。どこかうつろな、けれどすごく幸せそうな顔で和真が「おはよう」と言った。咲弥もそれに「おはよう」と返す。
世界で一番幸せな「おはよう」を初めて知った。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!!
一応、咲弥と和真のお話は完結です。
第1弾から見てくださっている方。1年間ありがとうございました!!
今後は、書きたくなったら書くかもしれませんが、予定は今のところありません。
あと、今回の話で、書かれていない部分につきましては、ご想像におまかせします(笑)
本当にありがとうございました!!
感想や評価を頂けたら嬉しいです。