続々々く
…………さい。
……て下さい。
「起きて下さい」
静かながら威厳のある言葉で跳ね起きると、何だか明るかった。どうやら眠りこけてしまったらしい。まあ、ここに来るまであれだけの時間、延々と車を運転していたのだし、疲れていたのも事実だ。
目をこすりながら横を見ると、教授が火の点いていない煙草をくわえて突っ立っていた。そういえば、火が無いんだった。
「おはようございます」
「おはよう、ございます」
「至急準備をして下さい。出立します」
え。
「一応聞くんですが、今何時ですか」
「午前十一時です」
……寝過ごした。
「すいません、すぐ準備します」
「正解です」
教授は微笑みながら、自分のスーツケースを取り上げた。
「表に車が待っています。荷物は全て持ってきて下さい」
「え?」
帰るのか?
「状況がややこしくなりました。至急調査を終了させ、撤退します」
「ややこしくなった?」
僕はひたすらに混乱し、掛け違えたシャツのボタンを慌てて直す。
だが、彼女が発した次の一言で完全に思考が停止してしまった。
「村長が死体で発見され、大叔母が行方不明になりました」
教授は、ただ微笑んでいた。
先に階下に降りた教授を追うため、ボストンバッグを拾い上げた時だった。ぽとり、と何かが落ちて、僕の足下に転がった。拾い上げてみると、紙の包みだ。
開くと、それは風葉さんからの手紙だった。
『吸いすぎない様に、言っておいて下さいね 山井葉風葉』と流れるような文字で書いてあり、マッチの箱が添えられていた。
少し立ち尽くしていた僕は、教授の声に反応して、それをポケットに入れた。
玄関には、教授と田上が待っていた。顔面蒼白の田上は挨拶もそこそこに、僕達を車に押し込んで発進した。それでもきっちり安全速度なあたり、落ち着いてはいるのだろう。
「すいません、まさか、こんな事に」
声も多少震えている。
「僕もさっき知って、それで大急ぎで来たんです。風葉さんは」
「不明です。少なくとも、旅館内には居ないと考えられます」
「やけに自信があるんですね」
僕がそう言うと、教授は少し呆れたような微笑を投げつけて来る。
「不正解です。貴方が寝ている間に、旅館内を探索した結果です」
……すいません。
車は枯れ木だらけの敷地を抜け、畑の点在する中腹まで降りて来た。畑仕事をしている人はいない。
「皆が『病葉の呪い』が原因だって騒いでるんです」
「何故ですか」
教授が尋ねると、田上は小さく身震いした。
「村長は首を吊って死んでたんです。自宅の鴨居に、縄をかけて。……それで、その足下に」
がたん、と車が揺れる。窓の外を見ると、眼下にあるそこそこ大きな家に、何やら人だかりが出来ているのが見えた。
「枯れ葉がいっぱい、敷き詰めてあったそうです」
田上の呟くような一言は、恐怖を孕んでいた。
田上のミニバンは大きなクラクションを鳴らして村人を押しのけながら、村長宅へ入り込んだ。すぐに若い駐在さんが駆けて来た。
「おい! 何してる!」
「連絡をもらった田上です」
田上が免許証を示すと、駐在さんは渋々それを見やって返し、次に僕と教授をじろじろ見た。
「あんたらは?」
「ご説明した和倉葉教授と、助手の六条寺さんです」
「ああ、あんたらがそうか」
駐在さんは後部座席を開け放ち、そこで微笑んだままの教授を眺めた。黒スーツにソフト帽の教授は、大変言い辛いのだが怪しい事この上ない。
「本当に大学の先生か? こんな」
「不正解です」
教授は涼やかに言い放ち、名刺を彼に渡した。
「そこに連絡して頂ければ、私と彼の身元は証明出来ます」
「ふん」
彼は名刺を一瞥しただけで仕舞い込み、今度は田上を呼びつけた。
「現場には入れないぞ」
「で、でも教授が」
「民間人だろ! まったく、教授だか何だか知らないが、なんで」
そこで彼は、のんびりと車を降りて母屋に向かう教授に気づいた。
「お、おい!」
慌てて追いかけていく彼の後ろ姿を見て、田上が申し訳無さそうにこちらを向いた。
「すいません、彼、新任で気合い入ってて」
いや、どっちかと言えばいい事だろう。
僕と田上も車を降りて教授と駐在さんを追いかける。駐在さんは教授を捕まえ損ねて、土間のところで転んでいた。
「おい! あんた!」
教授は制止に全く構わず、靴を脱いで母屋の中へ入っていく。なんというか、すいませんとしか言いようが無い。
憤慨する駐在さんをなだめるのは田上に任せ、僕も靴を脱いで教授を追った。が、彼女はすぐ近くの部屋の前で立ち止まっていた。
「教授」
声をかけたが、反応は無い。
僕は彼女の後ろに立って、彼女が見ているものを見上げた。
昨日見た村長氏に間違いなかった。と思う。僕もあまり人の顔を覚えるのが得意ではないのだ。
彼はまだ鴨居にぶら下がっていた。舌を出し、白目をむいて、汚物が股間から垂れ流しになり、足を伝って床に落ちている。
そして、床には大量の落ち葉が敷き詰められていた。彼の足下を覆うかのように、こんもりと。
「貴様ら!」
駐在さんが追いついてきた。田上も一緒だ。
「公務執行妨害で」
彼は怒声も荒く手錠を取り出しかけて、それで止まった。田上も呆然としている。
何があったのだろうか、と彼らの視線の先を見て、僕は特に何も思わなかった。いつも通りだったからだ。
教授は、微笑んでいた。そして、完全に怖じ気づいた駐在さんの方に流し目をくれる。
「な、なんだ」
「自殺、とお考えでしょうか」
「え」
「村長は、自殺なさったとお考えでしょうか」
「あ、え、ああ」
彼はがくがくと頷く。完全にペースを持っていかれている。
「か、鴨居で首を吊るなら、それは、自殺だろう」
「不正解です」
教授は静かに言って、死体の足下を指差した。
「首を吊るには、台が必要です。ところが、枯れ葉では台になりません。つまり」
怖じ気づいたらしい駐在さんは、枯れ葉の山を呆然と見ている。教授は、まるで独り言の様にぽつりと言った。
「これは「不思議」ですね」
教授に対してどうしようもないほどの苦手意識を持ってしまったらしい駐在さんは、彼女を遠ざけておいて、土間の所で僕と田上から風葉さんが居なくなった話を聞くと色めき立った。
「ふむ、するとあれだな、彼女が村長を殺して、逃げたに違いない」
「でも、落ち葉は?」
「おいおい、君は迷信を信じているのかね?」
駐在さんは少しペースを取り戻し、鼻を鳴らした。
「まあ、村人には通じるフェイクなんだろうが、私には通じないよ」
そして彼はぱん、と膝を叩いて立ち上がった。
「よし! 山狩りだ!」
「現場は?」
僕が尋ねると、彼は露骨に嫌そうな顔をした。どちらかと言うと、現場に居る教授が嫌なのに違いない。
「お、応援を要請しておいたから。ただどうやら麓の方でも何か大きな事件が起きているらしくて、来れるのは夕方以降だそうだ」
僕は自分の腕時計を見てみた。なんだかんだでもう昼だ。まあ、僕が寝過ごしたのがそもそもの失敗なのだが。
「それまではどうするんですか」
「立ち入り禁止に決まってるだろ」
「教授は?」
う、と駐在さんは唸り、遠くを見る仕草をした。
「現場に触らなければ、うん。ああ、田上君」
「はい」
「申し訳無いが、青年団を代表してここを見張っていてくれないか。何、女一人くらい、山狩りですぐ見つかるさ」
駐在さんはちらっと教授がいる方を見て、そして何も言わずに出て行った。
僕と田上は、顔を見合わせる。
「ど、どうしましょう」
僕に言われても困る。
しょうがないので、教授を捜す事にした。
「教授?」
しかし、死体のある部屋にはいない。
そこを横切って、次の間に続くふすまを開けると、そこはどうやら村長の書斎らしかった。びくびくと僕に着いてきた田上も、出来るだけ死体の方を見ない様にしてこちらを覗き込む。
教授はそこに居た。そして、凄い勢いで何かのノートを読んでいた。
「教授」
僕が呼びかけると、彼女は目も上げずに答える。
「何でしょう」
「何をしてるんですか」
「村長の残した記録を読んでいます」
え。
「い、いいんですか?」
「不正解です。事件の謎を解く鍵は、ここにあります」
じゃあ、と田上が色めき立つ。
「やっぱり「呪い」なんですか?」
「解答不能です」
教授はそう言うなり次のノートに手を伸ばし、それきり呼びかけにも反応しなくなった。
僕と田上は書斎を出て、土間まで戻る。すると、数人の村人達が駆け込んで来た。先頭の男が田上を認めると彼に詰め寄る。
「翔ちゃん、どうなってるんだい?」
「分からないですよ、僕にも」
どうやら翔という名前だったらしい田上は困惑気に肩をすくめると、僕を示した。
「大学の人。六条寺さん」
僕はぺこりと頭を下げる。先頭に居る、手ぬぐいを被った男が応答して頭を下げた。
「和田です。あんたが教授さんかい」
「いえ、僕は助手です」
「じゃあ、教授さんは?」
凄く説明し辛そうな田上の代わりに、僕が口を開く。
「調べものをしています」
「それは『病葉の呪い』のか」
彼が呟くと、後ろに居た数人の村人達の中からうめき声が上がる。
「じゃあ、やっぱり」
「呪いだったか」
「ああ、どうなるんじゃろ」
動揺した村人達を田上がなだめる。一人冷静な和田は、僕の隣に腰かけた。
「なあ、あんた、山井葉様んとこに泊まったんだろ」
「ええ、まあ」
「そんで、あの、な……。何か、見なさんなかったか」
……いや、枯れ木しか無かった、と思う。
首を振ると、彼は神妙な顔で僕を見つめ、それから耳元に口を寄せた。
「ほんに、何も見なかったか」
強いて言うなら、風葉さんは見た。が、それが何なのだろう。
……いや、そうか。彼女の容姿の事を言っているのかも知れない。彼女に酷似した教授についてかな、と思い、口を開きかけた。
しかし、冷静に考えてみれば、彼はまだ教授を見ていないはずだ。よって、教授の事ではない。
もう一度首を振る。彼は諦めたようで、すまんな、と一言言って立ち上がった。
「さ、皆の衆。山狩りが終わるまで待機じゃ。ここは田上の倅と教授さん達に任せよう」
彼がぱんぱん、と手を叩くと、村人達は多少落ち着いた様子で、ぞろぞろと出て行った。
僕と田上はまた取り残され、土間の叩きに腰かけた。
「……六条寺さん、どうしましょう」
だから、僕に聞かれても困る。
その時、奥から物音が聞こえて、教授が戻ってきた。
「村人達は撤収しましたか」
「ええ、まあ」
彼女は少し残念そうな顔をした。
「火を貸して欲しかったのですが」
それで思い出し、ポケットに入れておいたマッチ箱を取り出して彼女に渡した。教授は少しだけ微笑みを大きくすると、煙草入れを取り出し、一本抜き出して火を点けた。
美味そうに煙を吸い込む教授に、田上が縋るような目つきを向ける。
「あの、それで、呪いは」
「不正解です」
教授は紫煙と共に言葉を吐き出し、長い足を組むと、帽子をぐい、と目線まで下げた。
「調査は終了しました。結果報告は後ほど行います」
え。
「ど、どういう事ですか」
「呪いの事ですよね?」
僕と田上は同時に言葉を発したが、教授は意に介さない。
「後ほど行います、と言いました。少し寝かせて頂けませんか」
「でも、風葉さんは? 今駐在さん達が山狩りに」
「不正解です。山狩りの効果は一切認められません」
「じゃあ、彼女は今どこに?」
教授は答えず、煙草を靴の裏で揉み消すと目を閉じた。そして、田上が何か言う前に、小さな寝息が聞こえてきた。彼女、やたらと寝付きがいいのだ。
完全に動揺しておろおろし始めた田上を連れて、一旦家を出る。こうなってしまえば、最早彼女が起きるまで待つしかない。
「そう言えば、検死の人とかいないのかな」
僕が尋ねると、少し落ち着いた田上が首を振った。
「村の医者は学会か何かで山を下りてるんです。明日になれば戻って来るみたいなんですが、多分警察の人が応援に来た時、検死医も連れて来るでしょう」
なら、気の毒な村長はあのままにしておくしかないか。
ふと、妙な違和感を感じた。周囲の家々がうるさいのだ。
僕は村長宅の後方にそびえ立つ和倉葉山を見上げた。そして、戦慄した。
山が燃えている。
山頂部が、燃えているのだ。というか、はっきりしている。
和倉葉旅館が、燃えている。
まるでそこだけ死んでいた山に、炎の揺らめきと黒煙がはっきりと生きていた。
恐ろしい音を立てながら、小型の消防車が山を上っていくのが見えた。
それを見ながら呆然としていたら、横に教授が来ているのに気づいた。
彼女は、やはり微笑んでいる。白い歯すら見えていた。
ひどく怖くなって、僕は目を閉じた。




