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 僕が和倉葉朽葉(わくらばくちは)教授と出会ったのはある些細な出来事がきっかけで、今回話すのはそれとはまったく関係ないものの、ただ(少なくとも僕は)、今日まで教授に付き従っている一番の理由となった一件であると思っている。

 全然些細ではないのだけれど。

 それから、僕達の行った場所の詳細は伏せざるをえない事をご了承頂きたい。面倒が多かったし、正直に言うと色々と揉み消された、割と困った事件だったのだ。

 別に正確な場所を忘れたとか、そういうのではない。断じて。


 教授のお守り、もとい助手となってから一年が経過した頃で、僕もそろそろ教授の奇行、じゃなくて行動に慣れて来た時分だった。暑い夏の午前で、冷房が効く前の研究室はお世辞にも快適とは言えなかった。

 しかし、そんな中でも彼女は黒のスーツに身を包み、ズボン吊りを上に向いた矢印みたいな撫で肩に引っかけ、悠然と煙草を吸いながらホットのコーヒーを啜っているのだった。僕は丁重にお断りを入れた上で、冷蔵庫に閉まっておいたアイスティーのパックの中身をストローで掻き回しながら、手帳を開いていた。

「今日は定期試験ですから、試験監督に行かないといけませんよ、教授」

「不正解です。その件は先日お伝えした通り、レポート課題の提出という事になったと記憶しています」

 彼女はいつも通り、微笑みを絶やさずに答えた。しかし、それでどうにかなると思ったら大間違いなのだ。

「それは日本文化論の講義でしょう? 僕が言ってるのは民俗学論と国語史と文学概論の事です。一時間ずつきっちりずらして入れてくれた教務課に感謝しないと」

「不正解です」

 不正解もへったくれも無い。事実なのだから。

 しかし教授は涼しい表情を崩さず、僕の机に折り畳んだ書類を投げて寄越した。

「それらもレポート課題に変更しました。手続きは完了しています」

 開いてみると確かにその通りだった。教授が教務課で手続きをしたのなんていつぶりだろう。少し感動しかけたが、すぐに問題に気づく。

「教授」

「何ですか」

「レポートを四講義分も採点するんですか」

「正解です」

「……誰が」

「貴方と、私です」

 ……ああ、これで僕の夏休みは無くなったな。この時期まで教授の授業に残っている連中はかなり真剣な部類の学生なので、レポートもきっちり書いて来るだろう。胃が痛くなってきたが、冷たい物の飲み過ぎではないはずだ。

 何はともあれ、今日の仕事はほぼ無くなったようだ。現実逃避かも知れないが、事実なので曲げようが無い。さて、どうしようか。

 教授に流し目をくれてみたが、彼女は微笑みを浮かべながら煙草をくゆらせている。多分レポートの事など考えていないのだろう。まったく、自分の発言には責任を持って欲しい。

 久しぶりに苦言を試みようとしたその時、研究室のドアがノックされた。動く気配など微塵も見せない教授の代わりに、僕が席を立ってドアを開ける。

 そこにいたのは中肉中背の、よく日焼けした男の学生だった。彼は僕を見て、ひょいと頭を下げた。

「ええと、和倉葉教授は御在室でしょうか?」

「ああ、はい」

 研究室に招き入れ、一応用意してある来客用の椅子を勧めると、彼は奥に居る教授に向かって一礼し、姿勢よく座った。よく見ると半袖のシャツから見える腕は逞しく、何かスポーツでもやっているのかも知れない。

「どういったご用件でしょうか」

 教授は煙草をくわえたまま、雑然とした研究室を見回している男に話しかけた。

「ああ、失礼しました。僕は田上(たがみ)です。三年生の」

 彼はそう言って挨拶し、僕が出してきたアイスコーヒーのコップを受け取って、また頭を下げた。

「去年、教授の授業を受講していました。国語史と、あと文学論ですけど」

「そうですか。それで、ご用件は」

 教授は曖昧に微笑み、首を傾げた。人の顔を覚えるのがやたらと苦手な教授が、学生一人を覚えていようはずが無い。

 田上と名乗った学生は、少し声のトーンを落として不安そうに尋ねる。

「あの、教授は「和倉葉山(わくらばやま)」をご存知ですか。––県にあって、教授の名字と同じ漢字なんですが」

「正解です」

 教授は微笑み、煙草をもみ消して、次の一本を取り出した。

「和倉葉山は、私の大叔母である山井葉風葉(やまいばふうは)の所持不動産になっています」

 え。

 流石は教授(?)、土地持ちの一族だったのか。

「やっぱり、和倉葉本家の方でしたか」

 田上は何度も頷きながらそう言った。

「僕はあの山の麓にある村の出身なんです。それで、お願いがあって」

「それは時間がかかるものかな」

 僕は全力で横槍を突き出した。レポートの採点やら何やらで、時間なんて取れないのだ。教授は来年研究休暇を取るつもりらしいし、今年はきっちり仕事しておかないと後々に響きかねない。主に負担が来るのは僕なのだ。

「え、いや、どうでしょう」

 田上は煮え切らない口調でもごもご言って、それからまた教授に向き直る。

「でも、教授にしかお願い出来ないんです」

「どのような内容でしょうか」

 安請け合いしそうな教授の口ぶりにはらはらしていた僕は、田上が口にした次の一言で、もう諦めた。

「実は、不思議な事があるんです」


「教授は『病葉の呪い』をご存知ですか。病に葉の「わくらば」です」

 田上はそう切り出した。完全に引き込まれている教授は、次の煙草に火を点ける事すら忘れているようだ。

「言葉は知っていますが、呪いについては知識がありません」

「御本家の方ならご存知かと思ったんですが……」

「不正解です。大叔母とは親類付き合いが絶えて久しいですし、私はすでに和倉葉本家最後の人間ですから」

 そうなんだ、と思いながら、完全に脱力した僕はレポートの採点について考えていた。最悪後輩を引っ張り込もうか、あるいは……。

「失礼しました。ええとですね、和倉葉山の旅館なんですが」

「それは知っています。大叔母が経営している旅館ですね」

「はい。行った事は?」

「無いです」

 田上は自分の鞄をごそごそやって、中から一枚の写真を取り出した。

「去年の夏のものです。どうぞ」

 それを教授に差し出すと、彼はバツが悪そうに顔を伏せる。

 教授は写真を一瞥し、それから「興味深いものです」と言って僕に渡してきた。一応田上の方を見てみたが、特に反応は示さないので大丈夫だろう。

 受け取って、見る。それだけで違和感をはっきり覚えた。

 大きな山の写真で、中腹から上が写っているようだ。緑が豊かで、深い色をした木々が実に夏らしい雰囲気を持っている、日本の田舎の山そのものだ。

 ただし、山頂に近い一部分を除いて。

 そこは明らかに異色だった。文字通り異色で、つまり色が違うのだ。深い緑で一杯の画面に、そこだけ黄色や茶色があからさまに存在している。まるで、そこだけ秋のようだ。いや、秋というには生温いかも知れない。

 一面の「夏」の中で、そこだけが死んでいるようだった。

「その不思議な部分に和倉葉旅館、つまり山井葉風葉さんの家があるんです」

 僕が無言でいると、田上はぼそっと言って顔を上げた。

「不思議、でしょう?」

「正解です」

 教授はようやく気づいたようで、くわえただけだった煙草に火を点けた。

「学術調査はなされたのでしょうか」

「いえ、風葉さんがさせなかった、と聞いてます」

「理由は?」

「よく知りませんが、その、どうも彼女が「しても意味は無い」と言ったようで」

「何故でしょう」

「呪いだから、と」

 うわぁ。

 ちらっと教授の顔を盗み見ると、彼女の微笑みはいつも通りに見えた。が、内心躍り上がっているに違いない。田上にはそんな事が分かるわけも無く、まだ苦悩の表情を浮かべている。

「ここからは僕の祖父から聞いた話です。何でも、和倉葉山は元々「病葉山」と呼ばれていたそうで、そこに「病葉」という神が住んでいたそうです。山の水は毒に侵され、木々は枯れ果て畑も痩せて、土砂崩れなんかも多く、それでも水害の方が多かったせいで山肌に畑を作らざるを得なかったので、大層貧しい所だったと言う事です」

「写真ではそうは見えませんでしたね」

 教授が言うと、田上は頷いた。

「今は水も良いですし、斜面の畑も順調です。麓は結局水はけの関係であまり使えないのですが、豊かな所ですよ」

「旅館周辺以外は、ですね」

 薄く笑みながらそう返す教授に、田上は少し不安気な、曖昧な笑い声で答えた。多分普通の反応だ。

「そうです。でも、それが「呪い」と関係あるようなんです」

 呪い、か。

 すでに信じる信じないの次元には無い。あるものはあるし、ないものはない。教授の下で学んだ事だ。

 その昔、と田上は切り出す。

「和倉葉本家から庄屋職を受け継いだのが、風葉さんのご先祖だそうです。そして、その方は山の状態を嘆き、山の神と取引をした、と」

「取引ですか」

 教授は小さく呟き、カップに残っていたコーヒーを飲み下した。

「その内容は「自分の住んでいる所を枯れさせる代わりに、他の所を豊かにして欲しい」という事で、山の神に「和倉葉」の名前を差し出したそうです。そして、山の神はそれを受け入れ、実際に山の状態は良くなり、その代わりに彼の家の周り、つまり今の和倉葉旅館の付近はそのままになって、山は「病葉山」ではなく「和倉葉山」と呼ばれる様になり、彼は和倉葉の名前を捨てて「山井葉」と名乗る様になりました。「病葉」を「やまいば」として神についていた不浄の名前を受け継いだのでしょうね」

「ずいぶんな取引ですね」

 思わず率直な感想を漏らしてしまったが、田上は僕に向かって頷いてみせた。

「僕もそう思います。祖父は冬に他界してしまいましたし、そもそも相当な年齢だったので話も曖昧でした。そして、この話をちゃんと知っている人はもう村にいないんです。皆高齢で亡くなってしまったり、成人した子供に引き取られて村を離れたりで」

「大叔母には、話を聞いたのですか」

 教授が尋ねると、田上は首を振る。

「話してくれなかったようです。呪いだから、と言って」

 また呪いか。どうも頑固なあたりが教授と被る大叔母上だ。

「ですから、教授にお願いしたいんです。呪いの正体を、風葉さんに聞いて頂けませんか? 血族なら話してくれるかも知れません」

「不正解です」

 教授は微笑みながらそう言い放ち、田上は何とも言えなさそうな皺を額に刻んだ。

「それは」

「不正解です。貴方のしたい事が分かりません」

 田上の言葉を遮って、教授は次の煙草に手を伸ばす。

「呪いの内容を知り、それが何に繋がるのでしょうか」

 そもそも、今の話がちっとも「呪い」っぽくないのが分からない。借金の肩代わりのようなもので、神に感謝こそされるだろうがそれで呪われてしまってはたまらないだろう。一瞬、イケニエという言葉が脳裏をよぎった。

 田上は、また表情を曇らせていた。

「……実は、山を崩して平坦な土地にし、農業をやりやすくしよう、という計画が持ち上がっているんです。村の青年団が推進しているのですが、村長や老人達は反対しています」

 いきなり話が現代臭くなった。が、近代化とはそういう事だろう。

「当然土地の所有者である風葉さんの許可が無いといけませんが、青年団は「現状の打破はこれ以外方法が無い」と毎日彼女に詰め寄ってました。それで、その」

 田上はまた顔を伏せた。

「この間、青年団の団長が亡くなりました。急な事で、何より頑丈な人だったので皆驚きました。……しかも、亡くなり方が、その」

 彼は口ごもったが、僕と教授が黙っていると、意を決した様に勢いよく顔を上げて、教授を見た。

「まるで、一晩で倍は歳を取った様になってしまって、痩せ衰えて死んだんです。死因は心臓マヒでした」

「彼は何歳だったのですか」

 教授が尋ねながら煙草を消し、僕は立ち上がってコーヒーメイカーに向かい、ポットから熱いコーヒーを彼女のカップに注いだ。何となくこういう呼吸が分かってきた頃だったのだ。

「四十歳でした」

 四十の倍だから、八十。もし本当に一晩でそんな事が起きたのなら、それは確かに呪いかも知れない。

「村人はすぐに「呪いだ」と言い始めて、風葉さんを問いつめました。彼女は答えなかったようですが、皆風葉さんが『病葉の呪い』を使ったのだと噂してます」

「つまり、大叔母上が呪いを「分けた」と」

 僕には話の整合性が見えなかったが、教授はきっちり理解していたらしい。その証拠に、田上は大きく頷いた。

「そうです。山井葉の名を持たない者が呪いを分けられたら、そいつは『病葉の呪い』の力に耐えきれず死んでしまうのだ、と」

「拡大解釈だと思うんですが」

 すでに半信半疑から二信八疑くらいの気持ちになっていた僕は教授に向けてそう言ってみたが、彼女は答えず、田上に先を促した。

「それで」

「村人は怯えて彼女に近づかなくなりました。……僕が教授にお願いしたいのは、本当に彼女が「呪い」を分けたのか、もし違うなら、本当に呪いはあるのか、という事です。そして、もし、もしも呪いを風葉さんが使っているのだとしたら、止めて欲しいんです」

 ……なんというか、本当に大学三年生なのか疑いたくなる思考だ。いや、それほどに切羽詰まっているのかも知れないが。

「正解です」

 唐突に教授がそう言ったので、僕も田上も面食らってしまった。僕と彼が顔を見合わせていると、彼女は満足そうに微笑んだ。

「そこで「青年団長が死んだ原因を突き止めて欲しい」と言われたら断っていました。それはいくら「不思議」であっても警察の仕事です」

 ……そういう職業倫理は持っているのか。ちょっと安心した。

 いや、それは問題じゃない。

「全て了解しました。大叔母上に会って、彼女の『病葉の呪い』について調査しましょう」

 もう遅かった。いや、最初から遅かったと言えばそうなのだが。

 満面の微笑(凄く難しい)で田上と予定について話し合う教授を尻目に、僕は思わずため息をついていた。

 枯竹四手です。宜しくお願いします。

 本作は「夏のホラー2013」企画参加作品、連載一話目の投稿となります。


 全ての言い訳は最終話投稿後に行います(笑

 それでは、以降をお楽しみに。

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