7 あなたに贈る恋レシピ⑥
リーンハルトの市場は、城の南に広がる商店街のさらに南、城壁の内側と外側にそれぞれ広がっている。城壁の内側には国王の許可をとった常設の店が連なり、外側は誰でも自由に店を開くことができた。したがって、正規の質の良いものを探すなら城内市場、安くいろいろな物を見たいなら城外市場と言われている。
「なるほど、店から出てきたところに居合わせたのですね」
「そうじゃ。まったく、水臭いのう。そうならそうと言ってくれればよかったのに」
「ライナー殿に何を吹き込まれたのか知りませんが、マリエッタ様がおっしゃるような事実はありません」
「照れるな、照れるな。
お? 噂をすれば、あれはフィーネではないのか? なんじゃ、お主ら、さては待ち合わせておったのじゃな?」
額に手をかざしたマリエッタが、背伸びをして前方を見る。
マリエッタに言われて視線を映したハインツは、大きな紙袋を抱えて店を覗くフィーネを見つけた。
「待ち合わせてなどおりません。これはただの」
偶然です、とハインツが言う前に、マリエッタは駆け出してしまった。
「おぉい、フィーネ!」
「まぁ、姫さま。ハインツさんも。こんにちは」
フィーネが、ほがらかに挨拶をする。店にいるときはエプロン姿のフィーネだったが、今日は買い物とあって、コットと呼ばれる毛織のワンピースの上に袖の広がった外衣を着て、腰に細いベルトを巻いていた。
「妾がいては邪魔かの?」
「? いいえ。お会い出来て嬉しいです。お買い物ですか?」
「そうじゃ。刺繍用の布を買いにの」
「でしたら、三軒先におすすめの布屋さんがありますよ。かわいい布やきれいな布が、たくさん揃ってるんです。よろしければご案内します」
「そうか! では、行ってみよう!」
マリエッタがフィーネの裾を引いて先を促す。
フィーネはハインツに「いいですか?」と言うように視線を送り、ハインツが頷くとマリエッタと共に歩きだした。
店にはすぐに着き、大きな天蓋の下に色とりどりの布が並んでいた。
「では私はこれで」
「なんじゃ、一緒に見ていかんのか? 店が忙しいか?」
「今日は定休日なので忙しくはありませんが……」
帰ろうとするフィーネを、マリエッタが引き止める。
「ならば、しばし付き合ってくれ。一人で選ぶより二人で選んだほうが楽しいじゃろう。
妾はフィーネときゃっきゃうふふと言いながら布を見たいぞ」
「きゃ?」
それはどういう状態だろうと、フィーネは真顔になって考える。
「あれがいいとかこれがいいとか言いながら見たいということじゃ。
ハインツ相手でもできなくはないが、つまらなそうじゃ」
「それは……」
フィーネの視線を受けて、周囲を警戒していたハインツは二人の方を見る。城下町においては、よほどのことがないかぎりマリエッタ王女に危害が及ぶことはないと考えられたが、注意をするに越したことはなかった。
「くす、確かにハインツさんとは無理そうですね」
「そうじゃろう?」
「何の話ですか?」
「なんでもない。そなたはその辺をウロウロしておれ。妾はフィーネとこの店を見ておるからの」
「わかりました」
答えるハインツに、マリエッタとフィーネは顔を見合わせてくすくすと笑う。二人の会話が聞こえていなかったハインツは、笑い合う二人に肩をすくめた。そして周囲の警戒に戻ろうとして、フィーネが手にした荷物を抱え直したことに気づいた。
「持つか?」
重そうな様子に、そう申し出る。フィーネは遠慮するそぶりを見せたが、試しにハインツが持ってみるとそこそこの重量があったため、有無を言わせず引き取った。
「ありがとうございます」
「菓子の材料か?」
「はい。普段は配達してもらうのですが、自分で見て選びたいときは市場に買いに来ているんです。昨日、例のお菓子を作ってみたら、いまいちな出来で……。ちょっといろいろ試してみようと思います」
「悪いな」
「いえ、勉強になります」
「ん? “例のお菓子”とはなんじゃ? なんぞ、珍しい菓子でも作るのか?」
店に入りかけていたマリエッタが足を止める。フィーネは慌てて首を振り、ハインツは荷物を抱えて目を逸した。
「なんじゃ、そなたたち、怪しいな」
マリエッタが、じとっとハインツとフィーネを見つめる。
「お、お菓子の大会で成果を上げられなかったので、いろいろ作ってみようと思っただけです。
あ、一昨日は楽しかったですね! 貴重な機会をありがとうございました」
「おう。たくさんの菓子を食べられて、妾も楽しかったぞ。
妾としては、全部の菓子を優勝にしてやりたいくらいじゃったが……」
「それは仕方ありません。一番を決めるからおもしろいんですもの」
「そうか? そう言ってもらえてよかった」
フィーネの答えにマリエッタがほっと息をついていると、布屋のおかみが店の前の話し声に気づいて顔を出した。
「あら、姫さま、いらっしゃいませ! 何かお探しですか?」
「おう。刺繍用の布を買いに来たのじゃ」
「刺繍ですか。王さまにプレゼントするのですか?」
「いや、練習用じゃが……そうか、せっかくじゃから、フェリクスにやるとしよう。
手巾にするならどの布がいいかの」
「そうですねぇ。こちらの布は手触りはいいんですけど、刺繍したとき糸が引っかかりやすいです。こちらの布ならそういうことはないですね。ただ、ちょっと縦伸びするかもしれません。こちらがその中間くらいの織りなので、おすすめします」
「ふむふむ」
「あとはお色ですけど、王さまは青いものをよくお召しになってらっしゃいますから、青い布がいいですかね。それとも、糸を青色にして、布は白っぽいものにするとか」
「なるほど。フィーネはどれがいいと思う?」
「そうですねぇ。王さまがお持ちになるハンカチなんて、想像もつかないんですが……こちらの水色に青い糸で刺繍なさるのはいかがですか。あ、確か縫い付けるだけの装飾材もありましたよね」
「あぁ、あるさ。どれ、今持ってきますよ」
布屋のおかみが、店の奥へと入っていく。その間も、マリエッタとフィーネは微妙に色合いの違う布や糸を並べて、ああでもないこうでもないと話し合っていた。
ハインツは、塊のチーズや大小の瓶が入った袋を持って、店先に立っている。ひと目で騎士とわかる彼が店先にいることで、他の客は入ってこない。茫洋としているようで、行き交う人々にさりげない視線を送っていたハインツは、数軒先の店のあたりから自分を探る気配を感じた。
「……」
そちらには気づかないふりをして、店内のマリエッタの様子を伺う。フィーネとおかみ相手に楽しそうに布を見るマリエッタに変わったところはなく、通りに戻ってみれば不審な気配は消えていた。
今すぐマリエッタをどうこうしようという気はないらしい。
城に帰ったら王に報告しておこう。ハインツはそう考え、しばらく様子を見ることにした。
「やぁ、今日はいい買い物をしたの! フィーネ、遅くまで付き合わせて悪かった」
「いえ、私も楽しかったです。すてきなハンカチができるといいですね」
「う……それが問題じゃ」
「くす。がんばってくださいね」
布屋で買い物を済ませて、城へと帰る。
楽しそうに会話をしながら歩くマリエッタとフィーネだったが、フィーネは自分の店の前まで来ると表情を変えた。
「これは……」
フィーネが、店の間でしゃがみこむ。
「どうした」
「どうしたのじゃ?」
ハインツとマリエッタがフィーネの手元を覗き込む。すると、店の前の花壇の花が全て折られていた。
「なんじゃこれは! 酷いの!」
「このドアはどうした? 昨日はガラスだっただろう」
素早く辺りを見回したハインツが、板の張られたドアに気づく。
「あ……それはどこかの子どもが石を蹴ったみたいで、割れてしまったんです。これもきっと、子どもが転んだか何かしたんですね」
「うぅむ、そうか、子どもか……」
マリエッタが周囲を見回す。相変わらずにぎやかな通りには、通り過ぎる大人たちに混ざって駆け回る子どももおり、フィーネのいうようなことがあってもおかしくはなかった。
「通りで駆け回るのは危ないの。もっと広いところで遊べばいいんじゃ」
「仕方ありません。城下町は住宅や店ばかりで、子どもが遊べるような広いところはありませんもの」
「ならば自宅の庭で遊べばよい」
「城の中庭のような庭がある家はそうそうありません。
私も子どもの頃はこのあたりで走り回っていたのですから、お互い様です」
フィーネは荒れた土を直して、折れてしまった花は切り取って花瓶に差すと言った。
「お互い様と言ってもなぁ。
のびのび遊べる場所がないというのは、子らもかわいそうではないか。なんとかできないか、フェリクスに聞いてみる」
マリエッタは手を腰にあてて真剣な表情でいい、ハインツもまた無残な花壇を見て眉をしかめて言った。
「間違えて折ってしまったにしても、謝りに来るのが筋だろう。気をつけるよう貼り紙をするくらいはしてもいいんじゃないか?」
「そうですね。
姫さま、ハインツさん、ありがとうございます。今日はお店は定休日ですから、ゆっくり片付けをしたいと思います」
「うむ。今日はつきあってくれて有難かったぞ。また何かのときには頼む」
「私でよろしければ、いつでもよろこんでお付き合いいたします」
にこりと微笑んで挨拶をするフィーネに、マリエッタがうなずく。ハインツは預かっていた荷物をフィーネに渡し、マリエッタを促して城に戻ることにした。
城に帰る道すがら、マリエッタの小さな背中を追っていたハインツの靴先に、こつんと何かが当たった。小石だ。
「どうした?」
急に立ち止まったハインツを、マリエッタが振り仰ぐ。
「いえ、小石があったものですから」
そういえば、自分も昨日フィーネの店に行く途中、小石を蹴っていた。気をつけて見てみれば、石畳の大通りにはたくさんの石のかけらが落ちていた。
「石畳がレッカして割れておるのじゃな。早急に通りの整備が必要じゃ」
「そうですね」
しゃがみこんだマリエッタが、ひびの入った石畳をなぞって言う。ハインツは、相槌を打ちながらもこの王女の着眼点のするどさに舌を巻いた。
先ほどの子どもの遊び場の件も、この石畳の件も、すぐに王の耳に入るだろう。為政者にはなかなか目の届かないこういったところを取り上げることで、フェリクスの評判はますますあがり、民の信頼を得ていく。
襲われたりさらわれたりする危険をはらんだ王女の外出を王が許しているのは、もしかしたらこうした情報を得ることが目的なのかもしれなかった。
もう少し、この王女に仕えてみたい――
嫌々ながらに姫さま付きの任務に当たっていたハインツだったが、初めてこの任務にやりがいを感じた。
マリエッタ王女のそばで、マリエッタ王女を守り、マリエッタ王女の成長を見守る。それはすなわち、この国の行く末を見ていくことになりそうな気がした。
「ふむ、では急いで戻ろう。早くしないと、何を話すか忘れてしまう」
「用件を唱えながらお歩きになってみたらいかがでしょう」
「なるほど、いいことを言うな!
よし、行くぞ。いし、こども、いし、こども、いし、こども」
マリエッタは、握りこぶしを振って元気に歩いていく。
「いし、こども、いし、こども、よし、こども、よし、こぞも、よし、いくぞ、よし、行くぞ、よし、行くぞ、ん? 妾は何を唱えておったのじゃ?」
マリエッタは、ぽかんと口を開けて立ち止まる。その後ろで、ハインツが腹を抱えて震えていた。
「何をしておる」
「……いえ、なんでもありません」
びしっと騎士の礼をとったハインツは、緩みそうになる頬を引き締めている。
「そうか。えぇと、そうじゃ、石と子どもじゃったな。
いし、こども、いし、こども、いし、こども……」
マリエッタは拳を振って城門をくぐっていく。
王女を出迎えた門番は、マリエッタがぶつぶつと何か言っているのを不思議に思い、ハインツに尋ねた。
「おい、なんで姫さまは今お帰りになったのに“よし、行くぞ”とおっしゃっているんだ?」
「さぁ、なぜだろうな」
ハインツが、くくっと笑う。
門番はわけがわからず、顎に手を当てて首をひねった。