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6 あなたに贈る恋レシピ⑤




 ハインツを見送ったフィーネは、どうせ客も来ないだろうと、早速頼まれた菓子を作ってみることにした。


「シフォンケーキの型はあるからいいとして……」


 店の奥の厨房に行き、材料をそろえる。

 ボウルに計量カップに泡立て器。

 小麦粉はふるいにかけて、卵は卵黄と卵白とに分ける。ほぐした卵黄にチーズと塩・胡椒を入れてよく混ぜ、山羊乳とオリーブオイルを加える。

 卵白は塩を少々入れて泡立てる。しっかりとしたメレンゲを作りたいのだけれど、砂糖を入れていないため、なかなかつのが立たない。


「うーん……」


 卵白と格闘して手が痛くなってきたフィーネは、困ったときに必ず開く、父のレシピを手にした。


「お砂糖を入れないでメレンゲを作るなんて、できるのかなぁ」


 バターによる染みやチョコレートと思われる茶色い汚れのついたノートには、細かな字でびっしりとさまざまなレシピが書かれている。

 フィーネがぱらぱらとページをめくっていると、一つの素材が目にとまった。


酒石英クレーム・タータ? これなら……」


 父のレシピにあったのは、上質な葡萄酒からとれるという、魔法の粒。卵白に酒神リーベルの宝石とも呼ばれるそれを細かくくだいて入れると、泡が安定してきめ細かなメレンゲができるという。


「うちにはないなぁ。市場にあるかな。お店が終わったら買いに」


行こう、とフィーネが店に戻ろうとしたとき、ガシャン! と何かが割れる音がした。


「えっ、な、何?」


 ドアベルは小刻みに揺れ、チリリンチリリンと音を立てている。フィーネが慌てて店のドアに駆け寄ると、ドアの下の方にはこぶし大の穴が空き、店内にガラスが飛び散っていた。そして床の隅っこに、小石が落ちていた。

 外で何かあったのかと、フィーネはドアを開けて通りの様子を伺う。午前中の仕事を終えて昼食をとっている職人、買い物をしている女性、元気に走り回る子どもなど、昼下がりの街角にはいつも通りの情景が広がっていた。


「いたずらかなぁ。んもう、やんなっちゃう」


 ガラス一枚の出費だって痛いのに、とフィーネは口を尖らせる。けれど、菓子作りのために厨房にいなければ自分が怪我をしていたかもしれない。フィーネは不幸中の幸いだったと考えることにして、片付けを始めた。するとそこに聞き慣れた声がした。


「あれっ、フィーネちゃん、どうしたんだい」


「フーゴおじさん。

 んん、わからないけど、突然割れたの。子どものいたずらかもしれないわ」


「そりゃ災難だったねぇ。どれ、手伝うよ。指に怪我なんかしたら、菓子が作れないだろ」


 そう言って、フーゴはガラスの破片をすべて片付けてくれた。


「ドアはどうする? とりあえず、板か何かで補強しておくかい?」


「お願いします」


 フィーネはフーゴにドアの修理を頼み、作りかけだったメレンゲをなんとか仕上げて釜に入れた。


「“雪山シフォン”とは程遠い出来になりそうだなぁ……」


 ため息をつくフィーネの耳に、「おぉい、できだぞー」と呼ぶフーゴの声が聞こえた。







 フィーネに菓子の作成を依頼した翌日、身支度を整えてマリエッタのところに行こうとしていたハインツは、コンコンと扉を叩く音に扉を開けた。


「見ぃたぁぞ~」


 扉を開けたハインツが見たのは、にんまりと笑うマリエッタだった。

 騎士としてすでに何年も勤めているハインツだったが、マリエッタ王女のことは遠巻きに見たことしかなかった。

 かわいらしい風貌と独特の口調、人懐っこく明るい性格で国民に人気がある、ということくらいは知っていたが、姫さま付きになり一日中共に過ごすようになって、この王女はずいぶんな変わり者だと思うようになった。


「見たとは、なんのことでしょう」


 扉の取っ手に手をかけたまま、ハインツが言う。小さな王女は背伸びをするようにしてハインツを見上げ、得意顔で言った。


「そなた、フィーネとツキアッテおるのじゃな! いつからじゃ? ほれ、妾に詳しく話してみぃ!」


「大変申し訳ありませんが、そういった事実はありません。御用はそれだけでしたら、私はこれで失礼します」


 ハインツは、びしぃっと自分を指差しているマリエッタを無視して、扉を閉めようとする。するとマリエッタは、慌てて足を扉の間に滑り込ませた。


「このような技をどちらで会得なさったのですか?」


「アナンドが読んでおった“ツレナイ彼女の部屋に無理矢理シンニュウする方法”という本に書いてあったのじゃ! 難しい字が多くて全ては読めなんだが、図解もあったからの。なかなかに役に立つ本じゃ!」


「……」


 マリエッタの話を聞いて、ハインツは頭を抱える。

 アナンドとはこの国の建国にも関わった昔からの重臣で、今は大老と呼ばれる立場にある、ハインツからすれば伝説のような人物だ。全部で四人いる大老たちはすでに引退をしており、普段はリーンハルト城の塔の一画でのんびりと余生を過ごしているらしい。

 大陸一の大国、ロクサーヌの王女であったマリエッタは、0歳のときにフェリクス王に引き取られた。ロクサーヌが戦で敗れ両親が死んだためで、フェリクス王が彼女を引き取ったのは、温情というより傀儡とするためであったとの噂がなされた。けれど実際には、フェリクス王はマリエッタを養女として迎え、手厚い教育を施して育てた。

 しかし、全ての世話をフェリクス王が担えるわけがない。忙しいフェリクス王に代わり、日頃の世話は一癖も二癖もある大老たちに任されていた。その結果、このように風変わりな王女となったとのことだった。


「マリエッタさまは、淑女であらせられるのですから、無理矢理侵入されないための方法を学ばれたほうがよいかと思います」


「なら、そなたが実践してみぃ。ほれ、妾をどうやって追い払う?」


 マリエッタは、じりじりと半身を室内に押し込んでくる。ハインツとしては、別に王女に部屋に入られてもかまわない。しかし扉の前で押し問答をして近衛騎士の誰かに難癖をつけられても面倒なので、とっととマリエッタを取り払うことにした。


「失礼します」


 しゃがんで、マリエッタの脇に手を入れる。ひょいと持ち上げて廊下の真ん中に降ろし、扉を閉めればそれで終わりだった。


「な……ななな……! ずるいぞ、ハインツ!」


「ずるくありません。御用はなんですか?」


「じゃから、フィーネとのことをじゃな」


「何もありません。なぜ聞かれるのかもわかりません。他に御用がなければ、今日はお裁縫の先生であらせられるダニエラ夫人のもとへお連れするように言われております」


「う……ぐ……。彼女は苦手じゃ。

 な、何もないとは言わせんぞ。昨日、フィーネの店から出てきたじゃろう。ただ菓子を買いに行ったとは思えんと、ライナーが言っておった。きっとそなたたちが“イイ仲”なのであろうともな。妾がどういうことじゃと聞いたら、もう少し詳しく調べて後で教えると抜かしおった。

そんなの待っておれぬから、そなたに直接聞きに来た」


「ほう、ライナー殿が……」


 マリエッタの話を聞いたハインツは、目をすがめる。フィーネに偽菓子作りを頼んだことを嗅ぎつけられたのか。それで姫さま付きの騎士の職を降りられるとすれば幸いだが、近衛騎士たちにやり込められるのはなんとなく嫌だった。


「マリエッタさま。もう少しお話をお聞かせください。

 ダニエラ夫人のところへお出かけするのがお嫌ならば、商店街の先の市場に行きませんか? 食材のみならずいろいろな反物も売っていますので、次回のお勉強のときに使う布を探しに行くといえば、王もお許しになるかもしれません」


「おお、それはよいな! 市場か! よし、ハインツ、行こう!」


 マリエッタがハインツの手を引っ張る。ハインツは、静まり返ったままの近衛騎士の控え室の扉をちらりと見てから、ぴょんぴょん飛び跳ねていくマリエッタの後を追った。






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