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5 あなたに贈る恋レシピ④





「フェリクス! フェーリクス!」


 リーンハルト城の廊下に、幼い王女の元気な声が響く。


「いた! 今日こそ逃がさぬぞ!」


 マリエッタの指差した先には、深い青色の天鵞絨ビロードのマントに豪奢な鎧を身に付けた男――フェリクス・ハンネス・リーンハルトが書類片手に側近の一人と打ち合わせをしていた。


「んだよ、マリー。俺は忙しいんだ。おまえの相手をしている暇はない」


「何が忙しいんじゃ! 昨日も後宮でオタノシミだったらしいではないか! 他の女と遊ぶ暇があるなら、妾とも遊んでくれたっていいじゃろう」


「あー……。おまえ、意味わかってしゃべってる?」


「もちろんわかっておる。

 大老の一人が言っておったぞ。“王は夜になると後宮でイイコトをしておる”とな。

 イイコトとはなんじゃ? 妾にも教えてくれ」


「あいつら、一体何を教えてるんだ。おまえにはまだ早いから。

 ……じゃなくて、ハインツはどうした。あいつと一緒に街にでも行ってこい」


 フェリクスは、書類でマリエッタを追い払うような動作をする。マリエッタは白い頬をぷぅっとふくらませて、フェリクスのマントをつかんだ。


「あやつは今日は休暇じゃ。昨日の菓子大会で疲れたじゃろうから、休みをやった。

 昨日の大会はすごかったんじゃぞ! なぁ、話を聞いてくれ」


「あとでな。近衛騎士は誰かいないのか。おい」


「お呼びでしょうか」


 フェリクスの声に応えたのは、近衛騎士のライナーだ。ライナーは猫っ毛をふわりと揺らして、フェリクスの前に跪いた。


「おまえか。ふむ、そうだな……」


 一番年少の彼だけでは不安に感じたのか、フェリクスは他にも何人かついていくように言い、マリエッタを城下町に放り出した。




「なんでいつもいつもこうなるのじゃ! フェリクスの馬鹿! 阿呆あほう! き遅れ!」


 どすどすどす。

 マリエッタは眉を釣り上げて、大股で歩く。


「姫さま、最後のは違うと思うよ」


 ライナーが、肩を震わせてぷぷっと笑った。確かにフェリクス王は独身だがまだ若く、王が正妃を迎えないのは、慎重に相手を選んでいるからだとも単にまだ身を固める気がないだけだとも言われていた。


「ふん、いいんじゃ、あやつのことなど。

 あーあ、つまらんの。何かおもしろいことはないか」


「昨日優勝した“ロンシャン”が早くも大行列だって話だよ」


「なんと、そうか! ではそのギョウレツとやらを見に行こう!」


 ふてくされていたマリエッタは、ライナーの提案にぱっと笑顔になる。ライナーはあまりの変わり身の速さにまた笑いながら、駆けていくマリエッタの後を追った。






 その頃、休暇をもらったハインツもまた、城下町にいた。

 爽やかな風が吹く大通りを楽しそうに会話しながら歩く人々の中、ハインツは小袋を一つ下げて、不機嫌極まりない顔をしている。

 彼が不機嫌――というよりむしろ物騒な表情をして歩いている原因は、昨日のマンフレートの言にあった。


『では姫さま。王の茶会での席次について、一つご相談があります。

 この大会の一番の立役者は言うまでもなくハインツです。彼のがんばりには、私も頭が下がる思いです。

ですから、彼にはぜひ特別な席を設けてやりたいと思います。できれば姫さまのお近くがいいと思うのですが』


 そう言ったマンフレートに、マリエッタはほがらかに答えた。


『おお、そうじゃな。いっそのこと、フェリクスと妾とハインツ、それから近衛騎士そなたらは同じテーブルでよかろう。

 茶会と言っても内輪のものじゃ。テーブルをあまりたくさん用意するのも大変じゃろう』


『そ、それは』


『なんと、姫さま、まことですか。なんたる光栄。ハインツ、よかったですね』


 マンフレートが、町娘を蕩けさせる満面の笑顔をハインツに向ける。ハインツはそんなものは無視して、慌てて断りの文句を口にした。


『私など、礼儀も作法も満足に知りません。王に失礼があっては申し訳ありませんので、せっかくですが末席で……』


『おや、ハインツ。姫さまのご好意を無下にすると? それとも一緒に菓子を食べられないわけでもあるのですか?』


『……っ』


『来週が楽しみですね』


 マンフレートが唇を笑みの形にしたまま言う。

 ハインツはマンフレートの自慢の顔をこの場で切り刻みたい衝動にかられながらも、なんとか理性でそれを押しとどめたのだった。




「くそっ」


 ハインツは、足元の小石を蹴る。

 王と同じ席に座るだと? それでは菓子を食べないわけにはいかない。

 茶会など適当にやり過ごそうと思っていたハインツは、困り果てた。

 マンフレートは、ハインツが菓子を食べられないと知っていて、あえてあの提案をしたに違いない。

 どこでばれたのか――

 菓子大会中は努めて無表情を装い、余計なことはしゃべらないようにしていたにもかかわらず、どこかであの男は嗅ぎつけたのだ。

 甘い菓子は苦手なのだと言ってしまえればよかった。

 けれど菓子の大会を開くほど菓子好きの王女の前で、それを言うわけにはいかなかった。


「くそっ」


 ハインツはもう一度小石を蹴る。ハインツに蹴られた小石は道を転がり、こつんと一軒の菓子店の扉にあたった。

 ”南風菓子アプフェルシュトゥルーデル”

 扉の上には、古ぼけた木の看板が掲げてある。

 ハインツはドアノブに手をかけて扉を開けようとして、扉のガラスに映った自分の顔がとんでもなく険しいことに気づいた。

 暇さえあれば眉の手入れをしているようないけすかない近衛騎士長と違って、ハインツは容姿の美醜に対するこだわりはない。しかしいくらなんでも人を訪ねる顔ではないと思い、両頬を手の平でバチンと叩いてから扉を開けた。


 チリンチリン

 軽快な音を立てて、ドアベルが鳴る。


「いらっしゃいませ! ……あ」


 出迎えたフィーネが驚いたような顔をする。ハインツは店の中に他の客がいないことを確認してするりと店内に入ると、単刀直入に要件を口にした。


「頼みがある」


「はい?」


「昨日優勝した菓子、覚えているか」


「はい。通り向こうの“ロンシャン”の“雪山シフォン~シフォンケーキのホワイトチョコレートがけ~”ですね。あのお店、もう今朝から大行列で、普通の焼き菓子ですら品薄だって聞きました」


「そ、そうか」


 ハインツは、菓子の名前を聞いただけで胸焼けがしそうになる。しかしここはそれをぐっとこらえて、頼みごとの続きを口にした。


「あれと同じ菓子を作って欲しいんだ。……砂糖抜きで」


「えっ」


 フィーネの目が大きく見開かれる。ハインツはよくそんなに開くものだと少し感心しながら、事情を話した。


「まぁ、王さまのお茶会に?

 すてきじゃないですか。しかも同じテーブルに座れるなんて、さすがですね」


「何がすてきなものか。そんなものに出るくらいなら千の敵に立ち向かったほうがマシだ!」


 ばん! とハインツがショーケースを叩くと、フィーネはびくっと肩を震わせて後ずさった。


「……っ、すまない」


「い、いえ、私こそすみません。何か失礼なことを言ったようで」


 怯えながらも謝罪を口にするフィーネに、ハインツは首を降って言った。


「……だ」


「え?」


「甘いものが食えないんだっ。あんたはそれを知っててあの菓子を俺にくれたんじゃないのか?」


 ハインツは、むぅっと口を尖らせる。これまで騎士として完璧であろうと訓練を続けてきた自分の、唯一の弱点。それを自ら告白するのには勇気がいった。


「あのお菓子? 塩ケーキ(ケーク・サレ)のことですか?」


「ケーク・サレというのか。

 あれは美味うまかった。あの菓子なら俺も食える」


 ハインツが言うと、フィーネは一瞬動きを止め、ぼそっとつぶやいた。


「……ハインツさんは、あのお菓子のことを美味しいと言ってくださってたのですね。そっか……」


「もちろん、かかった材料費は払うし、あとで礼もする。引き受けてくれないか」


「えっと」


「マリエッタ様だけでなく王もいる茶会で、俺だけ出された菓子を食べないわけにはいかない。しかし食べれば絶対にその場で吐く。そんなことをしたら絞首刑ものだ」


 だから頼む、とハインツはフィーネに頭を下げる。

 戦場で死ぬなら本望だが、菓子のせいで死ぬなど恥さらしもいいものだった。


「あああ、あの、ハインツさん。頭を上げてください。

 お話はよくわかりました。でも、あの、私、“雪山シフォン”は名前を知ってるだけで、見たことも食べたこともないんです。昨日は自分の場所から動けませんでしたし、今日は今日で、さっきも言ったとおりすごい人気で」


「それは問題ない」


 ハインツはそう言って、持っているだけでも忌々しかった小袋をショーケースの上に置いた。


「やる」


「ええっ

 も、もしかしてこの中に“雪山シフォン”がっ」


「あぁ」


 フィーネは、胸の前で両手を組み、後ろで結わえた栗毛を揺らして目を輝かせる。ハインツにとっては嫌悪の対象でしかない菓子だが、フィーネにとっては違うようだ。


「フーゴおじさんにさんざん自慢されたお菓子がここにっ

 わぁ、夢のようです!」


 フィーネはいそいそと袋を開け、出てきた菓子をまじまじと眺める。

“雪山シフォン”は、シフォンケーキをホワイトチョコレートでくるみ、さらに削ったホワイトチョコをたっぷりとかけ雪山を表した菓子だ。雪山の頂上には朝日に見立てたスライスオレンジの糖蜜漬けが乗り、丸ごとアーモンドと酸味のある真っ赤なスグリも添えてあった。


「どうやって手に入れたんですか? 朝から並んだんですか?」


「開店前に声をかけて譲ってもらった」


「あ、そっか。ハインツさんですものねぇ。そういうのもアリなんですね。いいなぁ」


 菓子屋に融通が利くようになっても、全くうれしくない。

 渋い顔をするハインツをよそに、フィーネはうれしそうに“雪山シフォン”を上下左右から眺めていた。


「た、食べてもいいですか?」


「あんたにやったものだから好きにしてくれ」


「ふああっ」


 フィーネがおかしな声を上げる。

 ハインツはフィーネが“雪山シフォン”を食べている間、壁に寄りかかって待つことにした。

 フィーネは皿とフォークを持ってきて、“雪山シフォン”をそっと盛り付ける。そして、なだらかな曲線を描くホワイトチョコレートの稜線にフォークを押し当てた。

 ぱりんっ

 ごく薄くかけられていたホワイトチョコレートが割れる。


「なんて濃い黄色! それにしっとりしてるのにふっわふわ!」


 フィーネは、一口食べるたびに「美味しいっ」とか「このキメの細かさがっ」とか騒ぐ。ハインツは半ば呆れながらそれを眺め、


「で、作れそうか?」


と聞いた。


「え、あ、そうでした」


 半分ほど食べたフィーネが、きょとんとした顔をして言う。


「忘れていたな」


「そ、そんなことないです。えっと、これをお砂糖を使わずに作るんですよね。というか、甘くないように」


「あぁ」


 ハインツは、腕組みをしてうなる。


「うーん、似たようなものを作ることはできると思いますが、果たしてそれが美味しいかどうか……。それに、王さまや姫さまを騙すことになりませんか?」


「食うのは俺だけだ。誰に迷惑をかけることでもないだろう」


 味も、特別美味しい必要はない。見た目がごまかせて、そこそこ食えるものを作って欲しい。

 それがハインツの頼みだった。


「……わかりました。作りましょう。せめてもの恩返しです」


「恩返し?」


 なんのことだと聞き返したハインツに、フィーネはにっこりと笑う。


「お菓子の大会、楽しかったです。いい思い出になりました」


「あ、あぁ。結果は……残念だったな」


「いいんです。自分を見直すいいきっかけになりました。参加してよかったです」


「そうか」


 実行役として菓子大会を仕切っていたハインツは知っていた。フィーネの店に入った票はわずか二票。優勝にはほど遠い結果だった。それでも、フィーネがそう言うのならいいかと思った。


「お菓子、とりあえず試作してみます。来週あたり、お時間のあるときに試食をしに来てくださいませんか?」


「試食は必要ない」


 苦手な菓子を食べるのは本番の一回で十分だ。それに来週はもう茶会だと言うと、フィーネはとたんに焦りだした。


「えっ、来週なんですか? そんな、じゃぁ、急いで作らないと。

 んん、せめて一度は試食していただきたいのですが、絶対にだめですか?

 あと、できたお菓子の受け渡し方法はどうしましょう」


「前日に取りに来る。試食が必要ならそのときにする」


「はい、お願いします。

 でもハインツさんの頼みごとって、お菓子のことだったんですね」


「?」


 くすくすと、口元に手を当ててフィーネが笑う。


「だって、ハインツさんたらほっぺたに手形をつけて入ってくるんですもの。何事かと思っちゃいました」


「!」


 フィーネに笑われて、ハインツは思い出す。あまりに無愛想だった自分の頬を、この店に入る前に思い切り叩いたことを。


「女性関係のトラブルでもあったのかと……それで逃げ込んでこられたのかと思いました」


「そんなもの、あるわけない」


 つるりと、ハインツは自分の頬を撫でる。ショーケースに映った顔からは、すでに赤みは消えていた。


「菓子のこと、頼んだ」


「はい」


 おかしなところを見られた気恥かしさから、ハインツは真面目な顔をしてフィーネの店を後にする。

 チリンチリンという軽快なドアベルの音にまざって、フィーネの笑いを含んだ返事が聞こえた。






「いやぁ、ギョウレツというものはおもしろいな!

 苦労して手に入れた分、きっと味も格別じゃろうて!」


「わざわざ並ばなくても、姫さまならすぐ入れてもらえるのに」


「いいんじゃ! 妾も皆と共に並びたかったのじゃ!」


 午前中のほとんどを“ロンシャン”に並ぶことに費やしたマリエッタは、ようやく買えた菓子を片手にご機嫌だ。


「では城に帰るぞ。これはおやつにフェリクスと食べるのじゃ」


「はいはい。おやつの時間くらい姫さまのために空けてくれるように、僕からも王さまに頼んでみるよ」


「おお、ライナー、頼んだ。感謝するぞ!」


「王さまもねぇ、もうちょっと姫さまのことかまってくれてもいいと思うんだけど……ん?」


 チリンチリンと、軽快な音がライナーの耳に入る。

 視線を転じた先には、古ぼけた看板の菓子店があった。そこから出てきた、見覚えのある男。


「お、ハインツではないか。ハイーンツ!……もがっ」


 自分付きの騎士を見つけたマリエッタは、大きく手を振って彼を呼ぼうとする。ライナーはすばやく身をかがめると、マリエッタの口を塞いで通り沿いの木陰に引っ張りこんだ。


「もがっもががっ」

(なんじゃ、これは。新手の遊びか?)


「せっかくの休暇を邪魔しちゃ悪いでしょ。あれはなんの店かな」


「もががっ、もがっ」

(フィーネの店じゃ。フェリクスの好きな菓子がある)


「菓子店かな。彼は菓子が苦手だったんじゃ…… ”南風菓子アプフェルシュトゥルーデル”。

 ふぅん、なるほどね……」


「もがががががががが!」

(何を一人でぶつぶつ言っておる! この手を離せ!)


「ちょっとマンフレートに報告しておこうかな。じゃ、姫さま、帰りましょう」


「もがーっ」

(先にこの手を離せというにっ)


 暴れるマリエッタを抱えて、ライナーは城へと戻る。

 城下町の商店街には、相変わらずにぎやかに人々が行き交っていた。





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