3 あなたに贈る恋レシピ②
店を以前のように活気ある状態にするにはどうしたらいいか。
悩んだフィーネは、いちかばちかでマリエッタ主催の菓子大会に出ることにした。優勝できるなどとは露ほどにも思わない。けれど何もしないよりはいい気がした。
「あの、姫さまのお菓子大会の申し込みに来たのですが、ハインツ様は……」
リーンハルト城の正門を訪れたフィーネは、圧倒的な城の存在感に気圧されつつも、勇気を出して門番に話しかける。
「奴なら……あぁ、ちょうど帰ってきた」
門番が顎でしゃくった先を見ると、フィーネが今歩いてきた道をたくさんの荷物を抱えて歩いてくるハインツがいた。
「こんにちは。あの、お菓子の大会の申し込みに来ました」
「あぁ。こちらへどうぞ」
ハインツに案内され、フィーネは城門横にある兵士の詰所に入る。ハインツは詰所の中央にあるテーブルの上に無造作に荷物を置き、フィーネに腰掛けて待つように言った。
「書類を持ってきます。少し記入していただきたいところがあるので」
「はい」
ハインツが席を外したあと、フィーネは何気なく彼が置いた荷物を見た。するとそれは、リーンハルト国内の名だたる菓子店の名が記された、袋や菓子の箱だった。
「お待たせしました。こちらに店の名前と代表者の氏名を……どうしました?」
「ハインツさん。このお菓子ってもしかして」
「今回の菓子大会に参加する菓子店のものです。マリエッタ王女が、すべての菓子店の菓子を食べてみたいとおっしゃったので、買ってきました」
「やっぱり……」
こんなに名店ばかり参加するのでは、自分など到底かなうわけがない。恥をかくどころか、会場に一歩足を踏み入れただけで笑いものになりそうだ。いや、笑われるならまだいい。あまりの場違いさに空気のように無視をされたらどうしよう。
「すみません。私、参加やめます」
「急にどうしました」
「分不相応な考えを自覚しました。お手数をおかけしたのにすみませんでした」
「待ちなさい。分不相応とは?」
ガタッと椅子から立ち上がり、帰ろうとしたところをハインツに引き止められる。出口をさっとふさがれて、フィーネは泣きそうになった。
「あわよくば、なんて夢を見ました。姫さまに誘っていただいたんだから、お店の宣伝になるかもしれないからなんて言い訳をして、結局は目立ちたかっただけなんです。まともにお客さんも呼べないくせに、大会に出ようなんて間違ってました」
「やる前からあきらめてどうする」
「え」
「せっかく来たんだから、書いていけ。
俺は、あんたの菓子はうまかった。他の菓子は食えないが、あんたの菓子は食えた。そういう奴もいる」
ハインツに肩を押されて、無理矢理元の椅子に座らせられる。申込み用紙を目の前に置かれてペンまで持たされて、フィーネは冷や汗をかいた。
(な、名前を書くまで帰れないかも……!)
詰所の出入口には、ハインツが仁王立ちをしている。フィーネは震える手で店名と自分の名前を書き、逃げるように城をあとにした。
(あーぁ。とうとう参加することになっちゃった。どうしよう……)
店に戻ったフィーネは、ショーケースに頬杖をついて考え込む。
(あんな、有名なお店ばっかり参加するなんて、知らなかった……。
あぁ、でも姫さま主催の大会だものね。レベル高くて当たり前か。そんなのにのこのこ申し込みに行くなんて、私の馬鹿馬鹿馬鹿っ)
フィーネは自分の頭をぽかぽかと叩く。
マリエッタは王女らしからぬ身軽さで街を歩くため、フィーネもつい気軽に声をかけていた。だからといって、一国の王女が主催する菓子大会が気軽なものであるはずがない。
(それを、自分のお店の宣伝に使おうなんて思ったのが浅はかだったんだわ)
だから、やめようと思ったのに。
ハインツのせいでやめられなかった。
(通せんぼするんだもの。なんなの、あの人……!)
他の参加者にもあんなに強引なんだろうか。できるだけたくさんの参加店を集めろとでも言われているのか。
「私のお菓子がおいしいなんて、嘘」
ぽつりと、フィーネはつぶやく。
自分の菓子の味が父の菓子の味に届かないことなど、自分自身が一番よくわかっている。最近は本当に客が来なくて、材料の仕入れにすら困窮するほどだ。
小麦粉や卵はまだいい。問題は砂糖で、数年前の戦争時に砂糖の値段が上がってから、まだまだ高値が続いている。
看板商品のアプフェルシュトゥルーデルは変えられないから、その分、ロクムにまぶす粉砂糖を後付けにしたり、野菜を使ったケーキや塩味のケーキを作ったりしてしのいでいる。枯れ木も山の賑わいというように、ショーケースを埋める役には立っているけれど、代用品であるという思いはぬぐえない。
(賞品、お砂糖一年分、か)
正直、喉から手が出るほど欲しい。砂糖をふんだんに使えれば、自分にももう少しましな菓子が作れる気がする。
(どうしようかなぁ)
ふぅ、とフィーネはため息をつく。
いまさら参加取り消しなんてできないけど、当日、おなかが痛いなどと言って休めばいいんじゃないか。
でも、お砂糖……。お店の宣伝……。ハインツさん……。
ハインツは、マリエッタ王女と一緒にいるときは騎士然としていて、少し怖いけれど頼もしい感じだった。それが、菓子大会の申し込みのために一対一で会ってみたら、力任せの強引な人だった。
(当日、いきなり休んだら怒られるかも……)
かも、じゃない。きっと怒られる。
仕事熱心な感じがしたから、申し込みをしたのに行かなかったら、あとから押しかけてきて怒りそうだ。
それは嫌だ。
困ったなぁ、どうしよう、とフィーネが堂々巡りの思考を繰り返していると、チリンチリンとベルが鳴ってドアが開いた。
「あ、いらっしゃいませ!」
子どもの頃から店を手伝っていた習慣で、客を前にすれば営業用の声が出る。
元気に挨拶をしたフィーネは、しかし相手が客ではないとわかって肩の力を抜いた。
「なんだ。フーゴおじさんか」
「なんだはないだろ、フィーネちゃん。何か要り用のものはないかい?」
やってきたのは、近所の卸問屋の店主だった。ここのところ、フィーネの買い付ける量は申し訳ないほど減っていたが、長年付き合いがあるため少量でも快く売ってくれていた。
「小麦粉と卵と牛乳をいつもの量ください。それからお砂糖は……」
「今よりも減らすのかい?」
「……」
「俺ぁね、フィーネちゃんの菓子、悪くないと思うよ。ただ、今はさ、新しい店がどんどんできてるから、もっとうまく宣伝もしなくちゃならないと思うんだ。
俺も仕入先とかでこの店おすすめするからさ、もうちっと踏ん張ってみないかい」
「でも……」
「グレゴの奴ぁ、フィーネちゃんのことを最期まで心配してたな。天国のあいつのことを安心させてやるためにも、ここはひと花咲かなくっちゃ!」
「お父さんが……。そうですよね。
お客さんが来てくれるのを待ってるだけじゃだめですよね。
お砂糖、いつもの倍ください。私、姫さまのお菓子の大会に出ようと思います!」
「おほっ。そんなのがあるのかい? いいね! 絶対いい宣伝になるよ!」
「あは、まぁ、参加するだけですけど……」
けれど、参加するからにはできる限りの努力がしたい。父の味を踏襲するだけでなく、自分の味を見つけて出品したい。
そのためには試作が必要で、必然的に砂糖もたくさん使うことになる。
「目標があるってのはいいことさ! 安くしとくからねっ がんばれよ!」
気のいい卸問屋の店主は、心からフィーネを応援し、品物を取りに店に帰っていった。再び店内に一人になったフィーネは、腰に手を当てて「ふぅ」と息をつく。
(とうとう言っちゃった。これでもう後戻りはできないわ)
フーゴのことだ。この話をいろいろなところでするだろう。いい宣伝にはなるけれど、腹痛でずる休みをするわけにもいかなくなってしまった。
それでも、ぐだぐだと悩んでいたことがはっきりして、フィーネはすっきりした気分になった。
(とりあえず、やってみよう。お店のために。それから、自分のために)
両手を組んで伸びをしたら、やる気が出てきた。自然と笑顔になったところで、チリンチリンとドアベルが鳴ってお客さんが入ってきた。
「いらっしゃいませ!」
フィーネは元気よく挨拶をする。その日は、いつになく客が来て、いい一日となった。
菓子大会当日、ハインツは城の中庭にいた。むせ返るほどの甘い匂いに吐き気をもよおしつつ、なんとか職務に励む。
今回の菓子大会には全部で三十四店の参加があった。ハインツが全ての出品者の受付を済ませ、会場の仕上がり具合の確認を終えたところに、マリエッタ王女が駆けてきた。後ろから近衛騎士たちもついてくる。
「ハインツ! 出品作は出揃ったかの!」
「はい。まもなく城門が一般市民にも開放されます」
「警備体制は万全なのでしょうね? 姫さまに何かあっては、大変なことになりますよ」
ハインツとマリエッタの間にマンフレートが割って入る。
菓子大会の審査には、一般市民も参加できるようになっていた。市民は入城料を払って中庭に入り、自由に各店の菓子を試食して気に入った店に投票する仕組みだ。安全上の問題から城の議会では問題になったらしいが、市民との交流を図りたいというマリエッタの言葉に、最終的にフェリクス王が許可をだした。
「不備はないさ。しかし何事も絶対ということはない。何かのときにはあんたたちがマリエッタ様をしっかりとお守りしてくれると信じている。頼りにしているぞ」
「う……くっ、当たり前だっ」
ハインツがにやりと笑って肩においた手を、マンフレートは振り払う。
菓子大会は城内なのだから自分たちに守らせてくれ、と言ったのはマンフレートたちだった。マリエッタは嫌がったが、ハインツが菓子大会の運営で人手が足りないというと、渋々自分の警護に近衛たちがあたるのを許した。ハインツが喜んで姫さま付きの騎士の座を譲ったのは言うまでもない。
「なんじゃ、おまえたち。ずいぶんと仲がよさそうじゃの」
「えぇ。近衛騎士の方々にはたいへんよくしていただいています。
みなさんがいらっしゃるので、安心して菓子大会に専念できます」
「そうか、そうか。仲良きことは美しきかな、じゃ。」
マリエッタは腰に手を当ててうんうんとうなずく。マリエッタの前で喧嘩をはじめるわけにはいかず、マンフレートはハインツに肩を組まれながらギリギリと歯ぎしりをした。
「で、妾は何をすればいいのじゃ? もう食べてもいいのか?」
「マリエッタ様にはまず開会のご挨拶をいただきたいと思います。そのあと、あちらの中央のテーブルにおかけいただき、菓子を一つ一つ試食していただきます。そして最終的に一番美味しいと思った菓子を私に教えてください」
「なるほど、おぬしが妾のところに持ってきてくれるのじゃな。妾もみんなのように食べ歩きたいが……」
「さすがに、それはおやめください。すでに門の外には長蛇の列ができています。この中庭が市民で埋め尽くされるのは必至です。いかに優秀な近衛騎士のお歴々といえど、人に揉まれながらでは十分に力を発揮することはできません。マリエッタ様のお席は一段高くなっておりまして、中庭が見渡せるようになっています。菓子の審査をしながらでも市民の様子が十分見られるようになっておりますので、どうかそれでお許しください」
「むう。仕方ないの。今回はそれで我慢するか。これだけたくさんのうまそうな菓子が一度に食べられるだけでよしとしよう」
「ありがとうございます」
いかにも“許してやる”というように胸をそらすマリエッタに、ハインツは騎士の礼をする。厚化粧の貴族の女などとは違い、小さな姫はどんなに偉そうな態度をとっても周囲の笑みを誘う。マンフレートをはじめ、近衛騎士たちがマリエッタを囲んで目を細めていると、開門を知らせる銅鑼が鳴った。
「マリエッタ様、こちらへ」
ハインツが、マリエッタを中央テーブル脇に据え付けた演台へと案内する。
所狭しと並んだ各菓子店のテーブルでは、銅鑼の合図を受けて菓子職人たちが気合の入った声を上げた。