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10 あなたに贈る恋レシピ⑨




 店を閉めることは、少し前から考えていたことだった。

 生活が苦しくなってきていたのもあるし、遠のく客足にこのまま店を開けていると父の名までけがしてしまう気がしていたからだ。

 そこに舞い込んできた、菓子大会の話。

 結果次第で、今後のことを考えようと思っていた。優勝まではできなくても、それなりに宣伝になるならば……。

 けれど、結局客足に変化はなく、代わりにフィーネの身に降りかかったのは卑劣な嫌がらせの数々だった。

 自分のせいで、父が大事にしていた店が壊されていく。

 そのことに耐えられなくなったフィーネは、ハインツへの菓子を最後に、店を閉めることを決意した。


「あのお菓子、どうだったかな」


 川で洗濯をしながら、フィーネはぽつりとつぶやく。

 店の処分はフーゴに頼んだ。父方の伯父の元に身を寄せたフィーネにとって、一つだけ心残りだったのは、あの菓子の感想を聞けなかったことだ。

 ハインツに頼まれた菓子を作るのは、とても楽しかった。

彼の好みを考え、様々な材料を工夫し、菓子を作る。

口に合うかどうか考えると不安もあったけれど、相手が定まっている分、やりがいのあることだった。

 そういえば、父も誕生日や記念日用の特注の菓子を作っているときが一番楽しそうだった。あれは、相手のことをはっきり想像イメージして作っていたからだったのだろう。

 菓子を作っている間は、食べてくれる人のことを常に考える。その人が「美味しい」と言って食べてくれたなら、それ以上の喜びはない。だからフィーネもハインツに感想を聞きたかったのだけれど、親戚の迎えの都合があって手紙を託すのが精一杯だった。ただ、もしかしたら返事をくれるかもしれないという淡い期待を抱き、手紙の最後に連絡先を書いておいた。


(でも、あんまりマメそうには見えなかったから、お返事はないかな……)


 ぎゅっとシーツを絞る。川の水は冷たく、手がかじかむ。

リーンハルト王国の北部に位置する山あいの村は、城下町よりもずっと寒い。

洗濯を終え、木と木の間に張った紐にシーツを干していると、人影が落ちた。


「フィーネ」


 さくりと草を踏んで顔を出したのは、伯父の息子でフィーネの従兄弟にあたる、チャドという男だった。

 歳は一つ上だが、背丈はフィーネとあまり変わらない。ずんぐりとした体つきをしていて、そばかすだらけの顔にいつも薄らわらいを浮かべている。

 フィーネが伯父の家に世話になるようになって数日。チャドは、何かと言うとフィーネに絡んできた。はじめのうちは、突然やってきたフィーネのことが気に入らないのかと思った。けれど日が経つうちに、チャドの絡み方が違う意味合いを持つものに思えてきた。


「へへ。洗濯、終わったのか」


「え、ええ」


 ずい、と近寄ってきたチャドに、フィーネは後ずさる。


「小さいころ、この川で遊んだのを覚えてるか?」


「……」


「なんだ、覚えてないのか。おまえ、きれいになったよな。やっぱり都会の女は違うな」


「そんなことないわ」


 チャドがフィーネに手を伸ばす。髪に触れられそうになったのを、洗濯かごを抱えなおすふりをしてさりげなく避けた。


「なんだよ。おまえ、ずっとうちに住むんだろ? 仲良くしようぜ」


「ずっとっていうか……」


 城下町にはもういられないと思い、生前、父に何かあったら連絡するように言われていた伯父を頼った。逃げるように引っ越してしまったので、先のことはあまり考えていなかった。 


「親父が言ってたんだ。おまえを俺の嫁にするって。

 おまえ、行くところないんだろ。しょうがねぇからもらってやるよ。だからさ」


 ぐっと、チャドがフィーネの腕をつかんだ。チャドの言葉に驚いていたフィーネは逃げそこね、抱き寄せられた拍子に洗濯かごを落とした。


「へっへ。なんだ、見た目より胸あるじゃねぇか。ちょっとそのへんでさ、な、いいだろ」


「何を……。やめて!」


 フィーネは腕をつっぱり、少しでもチャドとの間に隙間を作ろうとする。けれど男の力にかなうわけもなく、ずるずると木陰に引き込まれた。


「やめて! 離して!」


「いずれ夫婦になるんだ、いいじゃねぇか。なぁ」


「そんな話、聞いてないっ

 離してってば!」


「うっ」


 フィーネが思いっきり振り払った手が、チャドの顔面に当たる。爪が引っかかったのか、チャドの鼻先に赤い筋ができた。


「痛ってぇ……。くそっ、お高く止まりやがって! 俺に逆らったらどうなるかわかってんのか!」


「きゃあ!」


 チャドが、フィーネの腕をつかんで草の上に引き倒す。フィーネのスカートがめくれ、白い足がむき出しになった。


「へっ、へへ。

 そう邪険にするなって。おまえ、親父さんの店つぶしちまったんだろ。もう町にはいられねぇよな。

女ひとりで生きてくのは大変だ。仕事ったって、このへんの村にはろくなもんはねぇ。よくて野良仕事の手伝い、悪けりゃ花街行きだ。金で男に買われたいか? 嫌だろ? なら俺のもんになれよ。二人でいい思いしようぜ」


 じり、と足元からチャドがにじり寄ってくる。

 フィーネは慌ててスカートの裾を直し、ずるずると後ろに下がった。


「なぁに、いてぇのは最初だけだ。すぐヨくなる。俺にまかせとけばいいからよ」


 チャドがフィーネの足首をつかむ。汗ばんだ手のおぞましい感触に、フィーネは総毛立った。


「やめて! 伯父さんに言うわよ!」


「言えばいいだろ。婚礼の日が近づくだけだぜ」


「誰があなたなんかと! 誰か! 助けて!」


 フィーネは足をばたつかせ、ちぎった草をチャドに投げつける。チャドはそれを難なく押さえつけ、襟のボタンに手をかけた。


「いやあぁぁぁ!」


「うるせぇ! 黙れ、この……ぎゃぁっ」


 突然、フィーネの上にのしかかっていたチャドが吹き飛んだ。何が起こったのかわからないフィーネは、転がり、木の根に頭をぶつけて気を失うチャドを、あっけにとられて見つめていた。

 そこに、この場にいるはずのない人の声が降ってきた。


「大丈夫か」


「……ハインツさん?」


 フィーネは、信じられない思いで声のした方を振り仰ぐ。


「どうして、ここに」


「あんたに頼みごとがあって来た。

 家に行ったら外にいると言われて、声のする方に来たんだが……合意の上ではないよな?」


「当たり前です! あんな……あんな男……!」


 きっ、とフィーネは伸びているチャドを睨みつける。鼻の奥がつんと痛み、視界がかすんだ。


「立てるか?」


「はい……」


 ハインツに手を取られ、フィーネは立ち上がる。気遣うように握られた手の温かさに、涙がこぼれた。


「う……うぅ……」


「……」


 涙を流すフィーネに、ハインツは黙って寄り添っている。

 何か用事があって来たらしいハインツを待たせてはいけないと、フィーネは涙を止めようとする。けれど店を閉める決意をしてからずっと我慢していたものが一気に溢れ出て、透明な雫が次から次へと頬を流れた。


「あ……ふっ、うっ、うぅ……」


 ぎゅっとハインツの手を握る。悔しさと情けなさと自分の不甲斐なさに、心が千にもちぎれそうだった。


「……」


「うぅ、す、すみません……すぐ落ち着きますから……」


「気にするな」


「ごめ……なさ……」


 乱暴に破かれた胸元をかき合せ、ハインツを見上げる。いつもと変わらない、少し不機嫌そうな彼の瞳を見てフィーネの心がほっと緩んだそのとき。


「ぬおおおおお! まどろっこしい! なぜそこで抱きしめぬのじゃ!

 これ、ハインツ! 男ならぎゅっとしてぶちゅっと行け!」


「………………姫さま?」


 フィーネがぎこちなく首を巡らせると、リーンハルト国の紋章入りの豪奢な馬車の前で、足を大股に開き腰に手を当てて声を張り上げるマリエッタがいた。


「ぬっ、しまった! つい我慢できなくて飛び出してしまったぞ」


「姫さま!」


 ぱっと笑顔になったフィーネは、マリエッタのもとに駆け寄る。そして小さな姫に抱きつくと、その体をきつく抱いてわんわんと泣いた。


「よしよし。嫌な思いをさせたな。妾が来たからにはもう大丈夫じゃ。フラチな行いをする者は許さぬぞ」


「姫さま……。あぁ……!」


 背中をぽんぽんと叩かれて、辛い涙が安堵の涙に変わる。

 マリエッタの馬車の周りには数名の騎士がついており、ハインツはフィーネの安全が確保されたことを確かめて、無様に転がる男に手をかけた。


「おい」


 胸ぐらをつかんで、がくがくと揺する。とっくに目覚めていたらしい男は、目を開けて卑屈な笑みを浮かべた。


「へ、へへ、旦那ぁ。誤解ですよ。あいつと俺は近いうちに一緒になる予定なんです。場所が気に入らねぇってんで駄々こねてただけで、うちに帰ればすぐに機嫌直しますから」


「一緒に? そんな風には見えなかったな」


「いえいえ、女なんてのはね、ヤッちまえばころっと態度が変わるもんですよ。あのフィーネってのは都会でスレた生活してた女なんでさぁ。問題起こして田舎に逃げ帰ってきたアバズレで、どうせあっちでもいろんな男を食って……ぐっ」


 ハインツの拳がチャドの顎をかすめる。さほど鋭い一撃に見えなかったそれは、急所を的確に打ち、再びチャドを黙らせた。

 ハインツはチャドを引きずって自分が乗ってきた馬まで行き、荷物のように無造作に鞍に乗せた。馬車の前では、ようやく落ち着いたらしいフィーネが、マリエッタに礼を言っていた。


「すみません、とんだ醜態を……」


「よいよい。

 お、ハインツ。なんじゃ、そやつはまだ気絶しておるのか」


「そのようです」


「情けない男よの。フィーネ、帰るぞ」


「帰ると言われましても……」


 店には戻れない。チャドのいる親戚の家以外に行く場所がないのだというフィーネに、ハインツが言った。


「俺のところに来い」


「え?」


「王があんたに菓子を作って欲しいと言っている。城仕えの一人として雇ってくれるよう、話をしよう」


「そうじゃ、それがいい。なんなら妾の侍女でもよいぞ。此度こたびの件、妾にも責任の一端がある。なんなりと望みを言うがよい」


「あ、そういうこと……。

 いえ、そんなお城で働くなんて、私にはとてもできません」


 ハインツとマリエッタが揃って言ったことに、フィーネは動揺する。

 そして改めて、マリエッタたちがなぜここにいるのか、疑問に思った。


「ふむ。では詳しくは城に戻りながら話そうではないか。店の修理も手配済みじゃ。フィーネが店を再開するのであれば、妾も全力で応援する。

 一人で悩むことはないぞ。みんなで相談して決めようではないか」


「姫さま……」


 フィーネの瞳がまた潤む。

 マリエッタはそんなフィーネを見て腰に手を当てうんうんとうなずき、二人を見守る騎士たちは、幼い王女と可憐な少女のほほえましい情景に頬を緩ませるのだった。

 





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