壱(修正後)
その少年の闘いは、まるで剣舞を舞っているかの様であった。
ひらりひらりと躍るその姿は蝶のように軽やかで、巫女が神に奉納する舞に通じる美しさを持っている。
少なくとも、男の目にはそう見えた。
実際にたった時間はほんの僅かの事であろう。
男の目は感嘆を持って少年の動きを分析する。素早い動きは、少年の身軽さが可能にしているのだろうが、その軽さ故、太刀筋に重みを乗せづらい筈である。
少年自身も、それは承知の上のようだ。速さを頼みにして、正に瞬殺。
少年が刀を抜いて三人の男達が倒れるまで、あっという間の出来事であった。
倒れ伏す男達を一向に気にすることなく、少年の目が藪に隠れていたはずの男を射抜く。
刀を納めてはいるものの、手は柄からは離れず、藪に潜んでいた男達を訝しげに見据える。
「あんた等はこいつ等の仲間か?」
見つめる目の強さとは対照的に、その声は高く柔らかだ。
男は観念して藪から体を起こした。
続いて、男達が藪から身を起こす。皆一様に黒一色の着物を着込み、大小を履いている。
中でも一番前に立つ男は、どうやってこの低い藪に隠れていたのだろうと首を傾げたくなるような大男だった。
士族である事を表す高い位置で結わえた黒髪は首筋に届く前に切られている。 黒一色の着物に、袖口に白く三本線が走っているのが目立っている。
男は首を振り、笑顔を浮かべた。
「いや、見たところ追い剥ぎか山賊の類の様だが……。そんなものと一緒にされては困るな」
「じゃあ何で隠れてのぞいてたんだ?」
眉根を寄せて首を傾げる少年は、整った顔立ちをしていた。線が細く、華奢と言ってもいいだろう小柄な体格をしている。
士族である事を示す髪型に、脇に指した大小が無ければどこかの御稚児かと思うような顔立ちだ。
「すまなかったな。まさか露見ているとは思わなかった。いや、通りかかったらたまたまそいつらと言い争っているのが見えてな。助太刀が必要かと思ってみていたのだが。いや、見事な手並みだった。途中からは邪魔にならないように隠れて見ていたのだが……」
「ばればれだっつの。まあ、助けに入ろうとしてくれてたんなら、ありがとな」
言って、にこりと笑う少年に、男は苦笑した。
「返って気を散らさせてしまったようだがな。それで、こいつ等はどうするのだ?殺してはいないようだが……」
「村に連れて行く」
「村に? こんな山奥の中に村があるのか?」
このあたりは鬼ノ目山嶺とよばれる、東西に長く横たわる深く険しい山脈の、東の山の中腹だ。このあたりは比較的通りやすい地形だが、少し東西にずれるだけで南北にも小高い山が聳えている。
「山奥でもそれなりに暮らしやすいんだぜ。この辺は俺たちの山だからな、こんな奴らに黙って仕事させておくわけにはいかねえのさ」
言って、手早く男達の武器を取り上げ後ろ手に縛ってしまう。余った縄を口元って縛って猿ぐつわにする様子はこうした荒事に慣れていることを伺わせた。ついでとばかりに少年は男達の頬を無造作に打ち据え、強制的に気絶から目覚めさせた。
「〜〜!」
状況が理解出来ない様子の男達を立たせる少年に、男は感心したように顎をなでていた。
「ははあ。手慣れているな。……だが、このまま一人で行くのは少々骨ではないか? 良ければ手を貸そう」
「いいのか?」
「ああ。代わりに一晩屋根のあるところを貸して貰えれば有り難いのだが」
日は既に中天を過ぎ、西に傾きつつある。
少年は暫く逡巡し、結局は頷いた。
少年の先導で山を登りだして数刻。
黙々と山を登ることに辟易してか、この集団をまとめる立場にあるだろう男が呆れたように口を開いた。
「その村というのは、まさかこの山の頂にあるのか?」
「まさか。村はこの山の向こうだ」
「向こう?だが、この方角には、さらに山が幾つか続くはずだろう?」
「そうだけど?」
「そうだけど、だと……。それでは陸の孤島ではないか。……いや、まさかその村は隠者の里か!?」
「外の人はそう呼ぶらしいな」
隠者の里……、と男たちがざわめく。
「いや驚いた。では、君は里の生まれか?」
「生まれは違うらしいけど、里育ちではある」
「ははあ……それはいい」
妙に嬉しそうな男に、少年は胡乱な目を向ける。
「そういえば、名前を聞いていなかったな。俺は、甚と言う。この集団の指揮をとっている」
「烈だよ」
あっさりと返す少年に、甚と名乗った男が目を見張る。
「それだけか?この集団が気にならないのか?」
「気になると言えば、なるな。変な奴らだったら村に入れた俺が長に殺される」
そう言って肩を竦める少年を、甚は面白そうに見る。
「長というのはそんなに怖いのか?」
「怖いなんてもんじゃねえよ。あんたらが何者でもいいけど、山を降りるまで変なことしねえでくれな」
本心で言っているらしい少年に、甚はますます面白そうな顔つきになる。
「では何故俺たちを村へと連れて行ってくれる事にしたのだ?」
「隠者の里だと知らなかったあんたらは、村に害意を持って山に来た訳じゃなさそうだしな。たとえそうでも、村の奴らにゃ大した問題じゃないはずだ」
つまり、この住人からいる武装集団を物ともしない猛者ぞろいだということか。
先程の剣の腕を見ても、烈が相当の使い手である事がわかる。隠者の里に住む男たちも、烈が恐れるという村長も、相当の使い手なのだろう。
そこで、ふと烈の年齢が気になった。見た目は随分と幼く見えるが、口の悪さはさておき、言動はしっかりしているようだ。
髪型から、成人しているとは分かるが、十五から成人できるこの国の制度では、成人しているからといって大人であるとは限らない。
「君は幾つだ?」
「十八だよ。甚は?」
いきなり呼び捨てにされた甚は、それ以上の驚愕に目を見開いた。
「十五、六かと……」
「よく言われる。で? 幾つだよ」
明らかに言われなれてうんざりしている、という表情を浮かべる烈に、甚は素直に答える。
「二十九だ」
すると、烈も少し驚いたように目を見張る。
「そっちだって人のこと言えねえじゃん。三十半ばかと思ったよ」
「よく言われるよ……」 肩を落として苦笑する男に、烈はほんの僅かばつの悪そうな顔をして、素直に詫びた。
隠者の里。
それは、知る人ぞ知る隠れ里の様に言われる、前王統葉の残した負の遺産だ。
死刑制度を無くした前王統葉は、重罪人をすべて国内のある山に閉じこめた。耕地に乏しく、実りにも限りある痩せた土地は、大勢で住むことに適していない。
まして、皆何らかの罪を犯した気性の荒いならず者である。
僅かな土地を巡り殺し合いを始めだすのに、さして時間はかからなかった。
それこそが、前王統葉の狙いであった。
大国に挟まれた秋津島。その島国の王であった統葉は、大国に囲まれた小国の王だという劣等感に苛まれていた。
何とかして、大国に一目置かれる存在になりたい、その一心で、当時新たに生まれ、国際間を席巻していた宗派を取り入れ、国が他者の命を奪うという罪を排した。
この当時、多くの宗派が生まれては流行していった。
幾つもある国には、幾つもの宗教があるが、この曜海に面した国々は、皆一柱の絶対神を奉じていた。
海の神、真帝である。
西の大国、令国ではシャンティ、東の大国、周国ではツァンタイ、と読ばれるこの神は、海を統べる主であり、生きとし生けるもの全ての王である。
このとき新たに生まれた宗派は、命は全て真帝のものであり、いかなる場合があっても他者が奪ってはならない、という単に殺人を禁ずるものであった。
勿論殺人を禁ずるといっても自衛を制限する物ではなく、身を守るためのやむにやまれぬ殺人ならば許されたその教えは、道徳的に優れているともてはやされた。
だが、広まるにつれて次第に解釈の幅は広げられていく。
例え国といえど、罪人の命を奪うことは、それこそが罪である、と。
この教えは戦を仕事とする士族からは反発を、相反する貴族からは絶大な支持を得た。
士族より貴族を重用し、野蛮な死刑制度を廃せば、国が洗練される。
そう信じた前王は、重罪人を一所に納め、意図的に殺し合いをさせることを思いつく。
罪人が互いに間引き合えば、国として殺人をしなくてすむ。
山には猪や狼も出る。 殺し合いに勝ち抜いた人間も、そんなに長くは生き延びれまい、と。
しかし、この王の目論見は失敗に終わった。
殺し合いをはじめた罪人を、一人の男が纏め上げ一つの村を作ってしまったのだ。
僅かな平地を切り開き、棚田を作り、狩りをして……そうして、陸の孤島と呼ばれた島流しの場に、忽然と村が生まれたのである。
この知らせは、王を激怒させた。
激怒させたが、しかしそれだけだった。
下手に手出しができないのである。
国として、罪人を殺すことはできない。
故に、兵を差し向ける訳にもいかず、できることといったら村から少し離れた処にある田畑を壊すなどの嫌がらせじみた妨害工作だけであった。
しかし、これには罪人も黙っては居なかった。必死の思いで育てた物を壊された恨みは激しく、田畑を壊した兵は生きて山を降りることなく無残な死を遂げた。
これを受けて、国は村の周辺の、人が通れそうな場所には兵を配置し村からの出入りを一切禁じた。
村から一歩も出ることが叶わなければ、それ以上国に害は無いだろうと考えたのだ。
意外なほど、これはうまく行き、無理やり山を降りようとする人間はいなかった。こちらが村に触らなければ、向こうも大人しく暮らすということだろうか、と一人の兵が様子見に村へと山を上がる。
そして、その兵は驚愕した。
かつてあった村はどこにもなく、罪人たちは皆どこかへ消えていたのだ。
罪人たちは皆逃げ出したに違いないと、秘密裏にあちらこちらで捜索が行われたが、ただの一人も見つかることはなかった。
しばらくして、噂が流れるようになる。
どこともしれない山奥に、忽然と村ができた、と。 村の人間は皆風体の恐ろしい男ばかりで、滅多に山を降りてはこない、と。
王は勿論この噂を知ると、村を探させたが、一向に見つかることはなかった。
いつしかその村は、隠者の里と呼ばれるようになり、重罪人で構成された、どこにあるかわからない山村だと言われるようになった。
知る人ぞ知る、という類の噂話である。