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水中高速潜水艦の出現と海戦の変貌 ~ 石炭化学が拓いた新時代

作者: もろこし
掲載日:2026/11/05

石油が存在しない世界での技術と潜水艦の発達史をお楽しみください。

挿絵(By みてみん)

【世界の軍艦 1955年8月 太平洋戦争終結10周年 記念特集号】

水中高速潜水艦の出現と海戦の変貌 ~ 石炭化学が拓いた新時代(The Rise of the Submarine : From Steam Power to Air-Independent Propulsion)



■はじめに


 我が国の呂号潜水艦は、先の太平洋戦争においてアメリカ艦隊を撃退した立役者であり、現在でも海軍の主要な防衛戦力の一角を占めている。


 本稿では、黎明期から1955年現在までの潜水艦の技術史を単に解説するだけでなく、石炭化学の発達が潜水艦の性能と第一次・第二次世界大戦の海戦にどのように影響を与えてきたかを紐解いていきたい。



■蒸気機関の発達


 周知のように、この世界で機械や産業に用いられる主要な燃料は、1955年の現在でも石炭がその大部分を占めている。


 石炭は我が国の国土を含め世界中に満遍なく存在しており、低質炭まで含めればその埋蔵量は無尽蔵といえる。石炭は重く嵩張ることが唯一の欠点ではあるが、その入手性の高さから古代より現代に至るまで幅広く活用されてきた。


 そして潜水艦もまた、その機関に石炭を由来とするエネルギーを用いている。しかし潜水艦は水中で活動するというその特殊な条件から、その発展過程で様々な工夫と技術開発が行われてきた。


 つまり潜水艦の歴史を語る上で、その燃料や機関の開発史を語ることは避けて通れない重要な要素となる。このため本稿では、まずは石炭のエネルギーとしての利用の変遷から紐解いていきたいと思う。


 石炭が燃料として活用されはじめたのは紀元前1600年前の青銅器時代と言われている。石炭はまずは暖房や調理、そして青銅器製造の燃料として活用が始まった。しかしそれはあくまでも木の代用品であり、その用途も使用量も非常に限定されたものだった。


 この石炭の利用はそれから3千年以上もほとんど変わらなかったが、この状況を大きく変えたのが18世紀にイギリスで起こった産業革命だった。その原動力となった蒸気機関の燃料として石炭があらためて注目されたのである。そしてここから石炭は人類のエネルギー源の不動の一位に躍り出ることになる。


 蒸気機関は、その登場当初は非常に効率の悪いものだった。しかしニューコメン機関からワット機関を経て、蒸気機関はおよそ1世紀で実用的な蒸気レシプロ機関へと発達する。


 そしてすぐに、その用途は鉱山や工場などの固定用途から蒸気機関車にまで広がった。そして日本に開国を迫ったペリー提督の率いる黒船のように、船舶への搭載も進められていくことになる。


 1853年のクリミア戦争におけるロシアの『ウラジーミル号』とオスマントルコの『ペルヴァズ・バフリ号』の戦いを皮切りに、海戦は蒸気船同士の戦いが一般化していく。それから半世紀後の日清・日露戦争の頃には蒸気レシプロ機関を搭載した水上艦が当たり前となっていた。

 

 この後、水上艦の蒸気機関はより高い熱効率と高出力を求めて蒸気タービン機関へと進化していく。


 しかし潜水艦は、その水中で活動するという特殊な特性から、水上艦と同じ様な進化をできなかった。



■黎明期の潜水艦


 世界最初の現代的な潜水艦といえるのは、1864年にスペインで建造された『イクティネオII』といえるだろう。これは武装をもたない潜水艇だったが、流線形の船体、耐圧殻とバラストタンクからなる二重船殻構造、水上航行用の蒸気機関と水中航行用の非大気依存機関という、時代を考えると異常ともいえる先進性を有していた。


挿絵(By みてみん)


 イクティネオIIは十分に成功作と言えた。しかし資金問題から後継艦の開発が頓挫し、評価もされぬまま歴史に埋もれてしまう。もしこのイクティネオIIが正当に評価されていれば、この後の潜水艦の歴史は大きく違ったものになっていたかもしれない。


 現代の潜水艦につながる最初の艦といえるのが、およそ20年後の1886年に建造された『ノルデンフェルト II(アブデュルハミト)』である。この潜水艦は水上航行に蒸気機関、水中航行にタンクに溜めた蒸気を用いており、イクティネオII以来はじめて水中航行機関をもった潜水艦だった。


挿絵(By みてみん)


 この艦は世界で初めて水中で魚雷を発射することに成功した艦でもあるが、水中航行を溜めた蒸気に頼る方式であったため、その水中行動能力は非常に限定されたものだった。


 このように潜水艦の発達においては、水中航行時の動力をどうするかが最初の難関だった。この課題は電気技術の進歩によって解決されることになる。


 1888年、スペインの建造した『ペラル』とフランスの建造した『ジムノート』は、ともに電動機と大量の電池を搭載した最初の潜水艦だった。電動モーターの採用によりこの2艦は従来と比較にならない大きな水中行動能力を手に入れたが、逆に水上航行能力が制限されることになり、潜水艦としての実用性は低いものだった。


 水上と水中の両方の行動力を備えた最初の実用潜水艦といえるのが、1897年にアメリカで開発された『ホランドVI』である。


 この艦は水上航行用に蒸気機関、水中航行用に電動機と電池を備えていた。つまりこれまで各国で開発された潜水艦の「良いとこ取り」を狙っていた訳である。電池は水上航行中に充電もされるため、ホランドVIは水上・水中ともに従来と比較にならない行動能力を手に入れることができた。


 このためホランドVIを基にしたいわゆる『ホランド型』は世界中でベストセラーとなり、我が国を含む各国海軍でも採用されていくことになる。また各国の潜水艦もこのホランド型を元に発展していく。


挿絵(By みてみん)


■石炭ガス内燃機関の発達


 このように成功作といえたホランド型だったが、実は大きな欠点を抱えていた。


 水上航行用に蒸気機関を用いているため、潜航時には煙突を格納し、防水処置を施し、ボイラーの火を落とすという作業が必要となる。つまり潜航準備に非常に長い手間と時間を要したのである。またその構造上どうしても潜航深度を深くすることもできなかった。


 これに解決策を与えることになったのが、石炭ガスを用いた内燃機関の発達だった。


 石炭の乾留により得られる石炭ガスは、すでに18世紀末からガス灯などに利用されていた。


 この石炭ガスを燃料とする内燃機関として1860年にジャン・ジョセフ・エティエンヌ・ルノワールが2サイクル石炭ガスエンジンを開発・実用化したのを皮切りに内燃機関の開発が熱を帯び、1876年にニコラウス・アウグスト・オットーが実用的な4サイクル石炭ガスエンジンを開発する。


 しかしこの頃はまだ石炭ガスエンジンは固定設備にその用途が限られ、自動車への搭載はなかなか進まなかった。


 常にガス管で石炭ガスの供給を受けられる固定設備はともかく、自動車には少量の石炭ガスしか搭載できなかったためである。ガスである以上、圧縮してタンクに貯蔵すればよいと思われるかもしれないが、それはできなかった。


 その理由は石炭ガスの成分のほぼ半分が水素だったからである。その水素を圧縮貯蔵するには水素脆化(すいそぜいか)という大きな問題があった。


 この現象は水素がもっとも小さな原子であることに起因している。特に素材が鉄の場合、その結晶格子の隙間に水素原子が入り込み、延性や靭性を大きく低下させてしまう現象である。


 この問題のため初期の圧縮石炭ガスエンジンを搭載した自動車では爆発事故が絶えなかった。結局、石炭ガスエンジンを搭載した自動車は水素脆化問題が克服されるまでは、石炭ガスを低圧または大気圧で搭載するしかなく、ボディと同じくらい大きな風船状の石炭ガスタンクを背負う形で普及していくことになる。


挿絵(By みてみん)


■圧縮メタン化石炭ガスの活用


 石炭ガスの圧縮利用を阻んでいた水素脆化の問題は、1897年にフランスの化学者ポール・サバティエによって解決されることになった。


 彼が発見した『サバティエ反応』と呼ばれるこの反応は、水素と一酸化炭素・二酸化炭素からメタンを生成するものである。


 CO2+4H2→CH4+2H2O

 CO+3H2→CH4+H2O


 石炭ガスの成分は元となる石炭の品質により変動はするものの、例えば我が国で算出する石炭を乾留して得られるガスの成分は、45%が水素、23%がメタン、一酸化炭素・二酸化炭素が20%で構成されている。欧州の良質な瀝青炭の場合は水素とメタンの割合がもっと高くなる。


 このうち水素と一酸化炭素・二酸化炭素がメタン化されるため、サバティエ反応により石炭ガスのほとんどをメタン化することが可能になった。


 更にこれと同時期の1895年に発見され、1902年にフランスのジョージ・クロードによって産業化された深冷分離技術の応用によって、メタン化した石炭ガスから純メタンを分離することに成功する。


 メタンであれば圧縮保存が可能となり、またマイナス162度で液化も可能となる。ただし液化メタンは常温での液化や保存が不可能のため、圧縮メタンガス(CMG:Compressed Methane Gas) を活用したエンジンが開発されていく。


 こうしてCMG機関を搭載した乗用車が社会にどんどん普及していった。しかしながら兵器や鉄道・船舶への適用は遅々として進まなかった。


 その理由はCMGが戦場で銃火に晒すには危険過ぎたこと、またその生成にコストがかかることだった。


 このため鉄道は蒸気機関車と電気機関車が主流となり、船舶は相変わらず石炭ボイラーの蒸気機関が主流にとどまった。戦場で物資を運ぶ輜重の後方では鉄道やCMGトラックが使用されたものの、前線での運搬は相変わらず馬匹と人力に頼っていた。


 軍事用途でCMG機関が活用されたのは、当時新兵器として発展が著しかった飛行船と潜水艦だった。



■CMG機関 潜水艦の登場


 ホランド型で一つの完成形を得た潜水艦だったが、前述の通りその水上航行に蒸気機関を用いている点が運用面の課題となっていた。このためCMG機関の発達普及とともに、各国でこれを潜水艦に搭載しようという動きが出るのは自然なことであった。


 蒸気機関の代わりにCMG機関を搭載することで、潜水艦はボイラーが無くなり煙突も小さくなったため速やかに潜航できるようになった。またそれだけでなく艦内で大きな容積を占めていたボイラーが無くなり、また灼熱地獄だった艦内環境も大幅に改善した。


 ただし後続距離は蒸気機関にくらべて大きく低下してしまうことになる。これがこの後の潜水艦の二極化を生み出すことになった。


 一つは水上航行用にCMG機関、水中航行用に電動モーターを搭載した沿岸用の小型潜水艦。もう一つは従来どおり水上航行用に蒸気機関を搭載して艦隊随伴や長駆進出を可能とした大型巡洋潜水艦だった。各国はこの2種を軸に潜水艦戦力を整備していった。


 例えばイギリスはA級からH級のCMG機関を搭載した小型潜水艦と、J級・K級・M級の蒸気機関を搭載した大型巡洋潜水艦を戦前から戦中にかけて整備していく。一方のドイツもMS型で総称される多数の小型潜水艦とU139型・U142型・U151型といった大型巡洋潜水艦を保有した。


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)

 そして潜水艦は1914年に勃発した第一次世界大戦で大きく活躍することになる。



■第一次世界大戦


 欧州で始まった第一次世界大戦において潜水艦の評価は両極端となった。CMG機関の小型潜水艦が沿岸防衛や通商破壊で大いに活躍したのに対し、蒸気機関の大型巡洋潜水艦は全く活躍することができなかったからである。


 大型巡洋潜水艦は潜航準備に時間がかかり水中速度も遅いため艦隊戦では活躍の場がなかった。通商破壊任務においても非発見率が高いために撃沈されやすく、複雑な構造のため事故で失われることが多かった。


 ちなみに地上戦でもイギリスがCMG機関を搭載した戦車を試験投入したが、その脆弱性と鈍重さから戦線に全く影響を与えることができなかった。このため地上戦は果てる事のない塹壕戦が続くことになる。


 空ではCMG機関を搭載した飛行船が大活躍した。炭鉱から豊富に得られるヘリウムガスを用いた飛行船でイギリス・フランス・ドイツ各軍は敵の都市を爆撃し甚大な被害を与えた。


 飛行船への対抗手段として電動モーターやCMG機関を搭載した航空機が試作はされたが、重い蓄電池やCMGタンクを搭載した航空機は出力に対して重量が過大で、速度も積載量も航続距離も足らず、全くものにならなかった。


 結局、飛行船に対抗できたのは高射砲か同じ飛行船だけであった。その結果、戦争中には幾度か飛行船同士の空中戦も発生している。これが後に飛行船の新たな進化を生み出すことになっていく。


 また飛行船は海戦においても、偵察やドイツ潜水艦の封じ込めなど、その大きな価値を示したのだった。



■非大気依存機関の誕生


 メタンを主成分とするCMGが潜水艦の燃料となり近海での有効性は確認されたものの、その水中速力は水上艦より遥かに遅い数ノット程度に過ぎず、潜水艦が脆弱な存在であることに変わりはなかった。


 このため第一次世界大戦後の戦間期に入ると、各国は潜水艦の水中速度の向上に注力していくことになる。


 一番簡単な手段は電動機の出力を上げる方法であったが、これは電池の性能・容量も関わるため思うように向上しなかった。そこで各国は電動機に代わる水中航行機関の開発に取り掛かる。


 この時、注目されたのが水上航行に用いるCMGだった。CMGの主成分はメタンであり、酸素と反応した場合には二酸化炭素と水しか出ない。


 CH4+2O2→CO2+2H2O


 つまりCMC機関を水中で純酸素を用いて運転した場合、排気ガス中の水分は冷却凝縮した上で海中に放出し、二酸化炭素は比較的水に溶けやすいためそのまま放出すれば、排気ガスの泡を比較的少なくすることができる。


 しかも水上航行用と水中航行用の機関を統一でき、理論的には水中でも水上と同程度の出力を発揮できることになる。ただし水中でCMG機関を動かすため、電動モーターに比べて水中騒音がかなり大きくなってしまうという欠点はあった。


 酸素の方については深冷分離技術で液体酸素・高圧酸素が既に産業化されており、CMG、高圧酸素の取り扱いについての技術や経験も蓄積されていた事から、高圧純酸素を潜水艦で運用する上で特に大きな問題は発生しなかった。


 実装面においても純酸素とCMGの両方をこれまでの数倍も搭載する必要はあるものの、それは電池と電動モーターの跡地に搭載することである程度は解決された。もっとも水中騒音低減のため、のちに水中低速静音航行用に小さな電動機と蓄電池もあらためて搭載するようになっていく。


 こうして各国で同時並行的に非大気依存機関として純酸素CMG機関を搭載した潜水艦が開発されていった。


 この純酸素CMG機関を搭載した各国の近海用潜水艦は、航続距離が1000海里程度しかないものの、水中でも20ノット近い速力を発揮できるようになった。


 また水中速度の向上の過程で造波抵抗より水中抵抗の方が小さいことが認識されたことで、より小さな水中抵抗を求めて船体形状も徐々に紡錘形となり、第二次世界大戦の時点では水中速力は20ノットを超えるまでになっていく。



■水上艦の速度制限


 潜水艦の水中高速化が進む一方で、水上艦の速度は第一次世界大戦の頃からほとんど変わらなかった。


 水上艦は航続距離が重視されるため1930年代になっても石炭炊きボイラーと蒸気タービンが主流だった。もちろんその出力と効率は年々上昇してはいたが、速度は20ノットを超えたあたりで頭打ちとなってしまう。その原因は石炭炊きボイラーの大きさと潤滑問題だった。


 石炭炊きボイラーは、燃料の石炭や水の保管・ボイラーの大きさ・給炭・灰の処理など様々な問題があり、出力と航続距離を大きくすればするほど巨大な艦内スペースを必要とした。これが実質的に速度の上限を生み出し、戦艦クラスでも25ノット程度、駆逐艦でも30ノット超程度が最大速力となった。


 また当時、蒸気機関などの機械の潤滑油やグリースには、牛豚の獣脂などの動物系、ひまし油などの植物系油脂、石炭タール系などが用いられていた。しかしこれらには大きな欠点があった。


 動物系は酸化による劣化が早く、その場合は機械の焼き付きや腐食を引き起こした。また温度変化に弱く、低温時は固化、高温時は粘度低下により潤滑不良を引き起こした。植物系もまた酸化しやすく、その場合は樹脂化して機械の動作を妨げる原因となった。石炭タール系は金属の腐食性が高く、また低温時に固化してしまう欠点があった。


 実はマッコウクジラから取れる油はそういった欠点を持たないが理想的な潤滑油だったが、安定して入手できず量も確保できないため艦艇にはほとんど使用されない。


 石炭を原料とした高性能な合成油の研究は1920年代からフィッシャー・トロプシュ法を元に各国で進められていたが、第二次世界大戦中には合成油を大量安価に製造する技術は確立されなかった。


 つまり第二次世界大戦の時点では、潜水艦の水中速度と水上艦の速度に大きな差はなかった。この速度域ではソナーがほとんど役に立たないため、後で述べるレーダー技術の制約と相まって、水上艦にとって非常に不利な条件となった。



■合成樹脂によるレーダー性能の限界


 ここでCMG機関や潤滑油以外の技術発展についても眺めてみたい。


 蒸気機関やCMG機関とおなじく、19世紀から20世紀にかけて石炭を原料とした合成樹脂が広く開発された。その大きな成功例といえるのが、ブタジエンゴム、ナイロン、ポリ塩化ビニル(PVC)といえる。


 ブタジエンゴムにより、タイヤや密封材などこれまで南方でしか採取できない天然ゴムに頼っていた製品が、石炭から大量に生産できるようになった。ナイロンやPVCもまた、衣類や各種機械製品に広く使われるようになる。


 電子電気技術に限れば、PVCは非常に優秀な絶縁材として電線の被覆などの用途に、天然ゴム由来のベークライトとともにその発展を支えていく。


 しかし真空管やマグネトロンが発明され、電波で物体を検知するレーダーが開発されるようになると大きな壁に突き当たった。高周波の伝達問題である。


 高周波を回路や装置間で伝達する方法としては導波管と同軸ケーブルがあるが、初期のメートル波(VHF:周波数30MHz〜300MHz 、波長 1〜10メートル )であればそれまでの同軸ケーブルでも高周波を扱うことが可能だった。


 しかし、より小さな目標を検知するためセンチ波からマイクロ波(周波数で約3〜30GHz、波長約1〜10センチ)が必要とされるようになると、導波管はともかく従来の同軸ケーブルではその周波数特性に問題が発生した。


 当時入手可能なナイロンやPVCといった素材は誘電率が非常に高いためマイクロ波用の同軸ケーブルの絶縁材にまったく向いていなかったためである。かわりに空気絶縁の同軸ケーブルも研究はされたものの、湿気などで特性が変動するため上手くいきなかった。


 このように高周波用同軸ケーブルの開発遅れがマイクロ波の発振・検出回路製造の壁となり、第二次世界大戦中のレーダーではメートル波しか扱うことができなかった。


 これはつまり、当時のレーダーでは潜水艦の小さな潜望鏡をまったく探知できないことを意味した。こうして第二次世界大戦では、潜水艦をソナーでもレーダーでも探知できないため、水上艦は潜水艦から一方的に攻撃を受けることになったのである。



■飛行船の発達


 こうして近海に限定されるが水上艦に対してほぼ無敵となった潜水艦だが、空中の敵に対しては無力だった。そして潜水艦の天敵ともいえる存在が飛行船だった。


 飛行船の浮力ガスとしては、当初は水素が用いられていたが、事故が相次いだため第一次世界大戦後には安全なヘリウムが用いられる様になった。


 ヘリウムは花崗岩などに含まれる放射性元素が崩壊する際に生成される。そして炭鉱の地層が不透過層に覆われている場合、そこに石炭から出るメタンガスとともにヘリウムも滞留する。


 すべての炭鉱でガスが発生する訳ではないが、一般的に炭鉱ガスには0.3%から1%のヘリウムが含まれている。炭鉱は世界中に豊富に存在しているため、ほとんどの国で石炭と同時にヘリウムも自給することができた。


 深冷分離法により炭鉱ガスからヘリウムを分離する技術が確率され浮力ガスに安全なヘリウムが潤沢に使用できるようになると、飛行船は広く活用されるようになった。さらにCMG機関の発達により飛行船の性能も飛躍的に伸びていく。


 飛行船は、その長大な滞空時間を活かして、第一次世界大戦と同様に索敵や爆撃に用いられた。飛行船は陸上だけでなく艦隊に随伴することも求められ、大型艦隊飛行船が開発されるとともに飛行船を搭載する飛行船母艦も同時に開発配備されていく。


 こうして艦隊には必ず飛行船が随伴するようになり、特に潜航に時間のかかる大型巡洋潜水艦にとって飛行船は天敵ともいえる存在となった。


 また、戦間期には敵飛行船を迎撃するための攻撃型飛行船が誕生した。これは従来の飛行船と異なり速度・運動性・武装を求めて特異な形状に進化する。


 重飛行船あるいはハイブリッド飛行船とも呼ばれるこの飛行船の特徴は、浮力にヘリウムガスだけでなく、翼と胴体から生み出す揚力も用いている点だった。このためその船体は揚力を発生させるため従来の円筒形状ではなく薄く幅広い形状となっており側面に翼ももっている。


 強力なCMG機関の搭載により攻撃型飛行船は従来の飛行船よりはるかに高速で運動性も高く、そして強力な武装を備える事が可能となった。


 ただし比重が空気よりわずかに重いため離着陸に滑走路を必要とし、強力なCMG機関の代償で通常の飛行船に比べて対空時間が短く近海でしか運用できないという制約もあったが、敵飛行船に対する大きな防御兵器となった。


挿絵(By みてみん)



■日本海軍の潜水艦開発


 日本の潜水艦の歴史は、1904年のホランド型潜水艦の輸入と国産化から始まった。その後、我が国は英仏から各種潜水艦を輸入国産化し技術と経験を蓄積していく。だがこれらはすべてホランド型と同じ蒸気機関を搭載した小型の潜水艦だった。


 日本がCMG機関を搭載した潜水艦を手にするのは、フランスから導入した波九型潜水艦が最初となる。第一次世界大戦の勃発により入手が遅れたものの、1916年に日本はようやく最新の潜水艦を入手することができた。


 大きな転機となったのは第一次世界大戦だった。戦後にドイツからの戦利艦として得た8隻のUボートは、その後の日本海軍潜水艦の基礎となった。8隻のうち7隻はMS型と呼ばれる戦時急増で小型のCMG機関潜水艦だったが、最後の1隻が艦隊型である蒸気機関を搭載した大型のU139型だった。


 このMS型がそのまま後の近海用の呂号潜水艦に、U139 型が海大型とよばれる伊号潜水艦の基礎となったのである。


 第一次世界大戦で蒸気機関を搭載した大型潜水艦が役に立たなかったことは当時の日本海軍も把握していたが、仮想敵国である米国と太平洋を隔てて対峙している関係上、日本海軍は航続距離の大きい大型潜水艦はどうしても必要だと考えていた。


 同様な理由で米国と、植民地が多いイギリスも小型潜水艦とともに蒸気機関の大型潜水艦を整備していった。こうして日米英の3カ国だけが第二次世界大戦の開戦時に蒸気機関を搭載した大型潜水艦を保有することになった。


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)



■第二次世界大戦


 1939年、豊富な鉄と石炭資源で生み出された武力を背景にして、ドイツは傀儡状態であった資源小国のイタリアを併合し、ソ連とともにポーランドへ侵攻する。こうして第二次世界大戦がはじまった。


 しかしその様相は第一次世界大戦とあまり大きな違いはなかった。


 最初の戦場となったポーランドこそ独ソ両国にあっという間に席捲されたものの、フランスへ侵攻したドイツ軍はマジノ線でその動きが停滞してしまう。これを迂回しようしてドイツ軍はベルギーへも侵攻するが、その動きは遅くアルデンヌの塹壕線で阻止されてしまう。


 双方ともにCMG機関や電動モーターで駆動する戦車も運用してはみたが、機動力も防御力も不足していたため戦局を決定的に変えるには至らなかった。ドイツはフランス西部やイギリス本土に対して飛行船による爆撃も敢行したが、これも攻撃型飛行船により阻止され思うような戦果をあげられなかった。


 海ではドイツ海軍の規模が小さいため大きな艦隊戦は発生しなかったものの、近海用の水中高速潜水艦は第一次世界大戦と同様に猛威をふるった。一方で大型巡洋潜水艦は相変わらずなんら戦果を挙げることができなかった。


 こうしてドイツと英仏の戦いは膠着状態となった。



■太平洋戦争


 第二次世界大戦の勃発時、日本はドイツと防共協定を締結してはいたが同盟関係はなかった。このため日本はこの欧州の大戦に関係ないはずであったが、アメリカが日本を戦争に巻き込むことになる。


 アメリカは戦前から日本に対して中国からの撤退と市場の解放を強く求めていた。そして再三の要求に応じない日本に対して屑鉄・瀝青炭・ヘリウムなどの輸出停止を通告した。しかし日本は自らの勢力圏内の資源である程度の自活が可能であったため、この輸出規制は死活問題とはならなかった。


 そこでアメリカは1941年、欧州が自分たちの戦争で干渉できないことを良いことに、日本に対して宣戦布告を行った。開戦理由は日本の中国侵略とハワイ近海でアメリカの貨物船が日本の潜水艦に撃沈されたことだった。


 もちろん日本はそのような攻撃を行っていないと抗議するが、アメリカはこれを無視し、事前にハワイに終結させていた大艦隊を日本に向かわせる。戦争のための物資援助を受けていたイギリスやフランスはこのアメリカの行動を非難したが戦争のためにそれ以上の抗議はできなかった。


 宣戦布告を受け、日本は事前に計画されていた漸減作戦に基づき対応した。その第一段階として大型の伊号潜水艦による攻撃を企図したが、アメリカ艦隊に随伴する艦隊飛行船に発見され、なんの戦果をあげることなく、ほとんどが撃沈されてしまう。


 その後、マリアナ沖で日米の艦隊による大海戦が発生し、日本は強力な新型戦艦と駆逐艦の活躍で相応の損害をアメリカ艦隊に与えたものの、もともとの戦力差から全滅に等しい損害を受けてしまう。


 こうして日本の艦隊を排除したアメリカ艦隊は日本の沿岸部に近づくが、そこで日本は水中高速潜水艦である大量の呂号潜水艦と、地上から発進する多数の攻撃型飛行船で反撃を開始した。


 アメリカも自国と同様に日本にも水中高速潜水艦と攻撃型飛行船があることを把握はしていたが、アジア人蔑視でその性能を過小評価していた。不用意に沿岸部に近づいたアメリカ艦隊は一方的な攻撃を受け壊滅した。


 こうして日米両海軍は互いに侵攻戦力を喪失し、太平洋戦争は膠着状態となる。



■戦争終結


 欧州では1941年にソ連がドイツとの条約を破り背後から突然襲い掛かった。当初こそドイツは混乱したが、ソ連の裏切りをある程度予期していたドイツが事前に築いていた塹壕線に阻まれ、ソ連の攻撃はポーランド国境で停止してしまう。逆にオスマントルコがドイツとの協定に基づき参戦し、南方からソ連を脅かしはじめ、独ソ戦も膠着状態に陥いった


 この頃ドイツでは塹壕戦を突破するために、あらためて戦車を地上戦力として見直す動きがあった。戦車が低性能に留まっている理由は出力密度の低いCMG機関、ひいてはその燃料であるメタンガスにあった。そこでよりエネルギー密度が高く安全な燃料をもとめて、CMGの普及で見捨てられていた石炭液化の技術開発を再開する。


 フランツ・フィッシャーとハンス・トロプシュによって確立されたフィッシャー・トロプシュ法によって製造された液体燃料を用いた新型機関は、CMG機関とは比べ物にならない高出力と出力密度が見込まれた。しかし液体燃料の製造プラントの建設に手間取ったため、これを搭載した戦車が戦争中に登場することはなかった。


 またドイツは戦争終盤に石炭から製造される過酸化水素を用いたロケット兵器も投入したが、これも当時の技術では命中精度が低かったため、戦局を動かすまでには至らなかった。


 一方、太平洋戦争では、アメリカが状況打開のためアインシュタインやオッペンハイマーが提唱した原子爆弾の開発に巨費を投じていた。しかしウラン濃縮プロセスの遠心分離機に耐える素材を当時の石炭化学では量産することができず計画は遅延する。ガス拡散方式も検討されたが効率の面から実現しなかった。


 仕方なくアメリカはウラン方式を諦めプルトニウム方式に研究を移行したが、戦争中に原子爆弾を実現することはできなかった。


 こうして欧州、太平洋ともに決定打を欠いた戦争の膠着状態が続くことになる。


 長引く戦争で都市部を含めた人的・物的被害が積み重なり、海洋では潜水艦による艦艇や通商被害も大きかった。何年も戦局が動かない状況に各国も戦争に倦みはじめた。


 1944年になると戦争は自然停戦の状態になり、国際連盟の場で停戦協議ははじまった。そして1945年に太平洋戦争もふくめて各国が停戦合意に至り、すべての戦いは終結することになる。


 停戦合意では、ポーランドは独ソで分割されたままとなったが、それ以外の国境線は戦争前にもどすこととなった。フランス東部・ベルギーも返還され、各国で相互に賠償請求は行わないことも取り決められた。


 こうして1939年から始まった第二次世界大戦・太平洋戦争は、ほとんど得るもののないまま終わることになった。



■現代


 1955年の現在では、化学技術の向上でより高性能な合成油や合成樹脂が開発され、戦車や航空機もふくめ各種兵器の性能は大きく向上した。また原子爆弾も我が国を含め列強各国で開発が進められている。


 CMGよりエネルギー密度の高い液化石炭や液化メタンガスを燃料とした内燃機関の研究も続けられているが、コスト面の問題から普及に至らず、いまだにCMG機関が内燃機関の主流を占めている。


 そして第一次世界大戦と第二次世界大戦で活躍した水中高速潜水艦と攻撃型飛行船は、戦後10年を経た現在でも防衛戦力の主力であり、今後もその地位は変わることは無いだろう。


【世界の軍艦 1955年8月号】


挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
お久しぶりです、今回の話もとても面白い話でした。 石炭科学主体の世界で潜水艦と飛行船なのが面白い発想でした。ほんとなんでこんな面白いことを考えられるのか、本当に素晴らしいです。 さてやはりこうしてみ…
まずイラストの諸星大二郎ならぬもろこし大二郎にとりあえず噴き 攻撃型飛行船に現行AIの想像力の限界を見ました。参考になる画像が存在しない新アイデアのビジュアル化にはまだ妄想力が足りないようですね
攻撃型飛行船にロマンがw
感想一覧
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