夕陽と歩道橋
美しい夕陽に気づけるうちはまだ大丈夫だと安心していた
綺麗だな、と思った。茜色と薄い灰色がかった水色の混ざった空を見ながら家までの道のりを辿る。美しい空を見ると、中学1年生の国語で最初に習った話を思い出す。題名は忘れてしまったが、虹の話だった。家族だか友達だかと喧嘩した主人公が歩道橋に登るのだ。そこで雨上がりの空に虹がかかっていることに気づく。しかし周りの人たちは日々の生活に精一杯でそのことに気づいていない。そんな話だった。それ以来、自然の美しさにふと気づけた時、安心できるようになった。ああ、私はまだこの美しさに気づける余裕があるのだ、と。
この美しさを残しておきたい。そう思って通勤鞄からスマートフォンを取り出し、空に掲げてから後悔した。スマートフォンが悪いのか撮り方が悪いのか、写真ではこの美しさを全く表現できない。さっきまで高揚していたのに、急に損をした気分になる。そういえば、会議があったのでいつもより早く会社に向かった時も、朝日に感動して今日と全く同じことをしたのを思い出した。同じ轍を踏んでしまった。歳なのだろうか。
最近、感性が鈍くなった気がする。昔なら感動していたはずの映画に素直に感情移入できなくなったし、子供の頃大好きだった漫画を久しぶりに読んだら何が良かったのかさっぱりだった。昔主人公をいじめていたライバルキャラが物語の進行とともに成長し、最終的には主人公の相棒ポジに落ち着いていた漫画だ。人気投票で1位を取っていた。納得いかない。元いじめっ子だぞ?なんで許されるんだ?なんで昔の俺は、こんなキャラが好きだったんだ?読み返したら疑問しか残らなかった。あんなキャラより、弱くて臆病なのに子供を守るため必死に戦った落ちこぼれ君の方がよっぽど魅力的だ。人気投票は23位だったが。普段迷惑をかけまくっているがたまに優しいヤンキーよりも毎日地道にコツコツ頑張っている面白みのない優等生に報われてほしい。昔はきっと、もっと寛容で物語に疑問を持たずに読めていたのだろう。今はだめだ。現実的に考えてしまう。主人公は本当に元いじめっ子を許したのか?周りの無言の圧力に合わせただけではないか?たかが漫画に、こんな穿った見方をして娯楽を素直に楽しめないのはいかがなものか。やはり歳はとりたくないものだ。
考え事をしていたらあっという間に家だ。この歩道橋を渡ればようやく家に着く。疲弊した足をムリやり動かしながら階段を登っていると、少ししゃがれた男女の声が聞こえてきた。
「この後はどうしますか?映画も見れたし、そろそろおゆはんの時間ですけれど。」
「言わなかったか?店を予約したよ。ほらあの、前にお前がうなぎを食べてたとこだよ。」
「あら、良いお店じゃないですか。どうしたんです?普段は贅沢するなと言っているくせに。」
「お前忘れたのか?今日は記念日だろう。早く行くぞ。」
「あなたが記念日を覚えていることに驚いたんですよ。昔は照れて全然祝ってくれなかったじゃない。」
「もうそんな歳じゃないだろ、お互いに。」
彼らは俺と反対側の階段を横切って、俺が辿った道を歩いていった。
俺より一回り以上年上な彼らの足取りは、俺よりもずっと軽かった。
参考文献:杉みき子「にじの見える橋」




