表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鑑定士は触れずにいられない 〜追放された宮廷錬金術師は、触れるだけで大地の異変を暴いてしまう〜  作者: 景都 (けいと)
枯れた大地の声

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/23

第07話 違和感の正体

 ディーターが来るまでの三日間を、リーゼは分析に費やした。


 マティアスの工房の作業台に、新たに採取した土壌のサンプルと、鍛冶屋から借りた器具の破片を並べる。触媒の精製水銀粉を振りかけ、手袋を外し、一つ一つ丁寧に鑑定眼で読み取っていく。


 精髄灰の結晶構造。変性硫酸銅の生成条件。術式の残留パターン。データが蓄積されるほど、一つの傾向がはっきりと浮かび上がってきた。


「随分と熱心じゃのう」


 マティアスが作業台の端に座り、薬草茶を啜りながら見ていた。老人はリーゼの作業を邪魔しない。ただ、時折鋭い問いを投げる。


「精髄灰の結晶構造に、一定のパターンがあるんです」


「パターン?」


「偶発的な汚染なら、結晶構造はばらつくはずです。発生条件が毎回異なるから。でもこのサンプルは違う。全ての結晶の配列が同じ方向を向いています」


「つまり、同じ術を繰り返しているということか」


「はい。しかも回数が尋常ではありません。結晶の堆積層から推測すると、少なくとも数百回。同じ術式を、何度も何度も繰り返した痕跡です」


 マティアスの杯を持つ手が、一瞬だけ止まった。すぐに茶を啜る動作に戻ったが、リーゼはその間を見逃さなかった。


「精髄属性の術は禁忌です。でもこの残留物は、単なる禁忌破りではありません。何か特定の目的を持った実験の副産物に見えます」


「……なぜ、そう思う?」


「結晶の配列に収束の傾向があります」


 リーゼは磁器皿の上のサンプルを指で示した。


「これが半年前の堆積層から採取したもの。結晶の配列は粗く、不揃いです。そしてこちらが最近のもの。配列が精緻になっている。術者が試行錯誤しながら、何かに近づこうとしている」


「何に近づこうとしている?」


「それは、まだ分かりません。ただ、方向性は見えます。精髄属性の出力を、特定の物質変換に集中させようとしている。何かを作ろうとしている。あるいは、何かを変えようとしている」


 マティアスは黙って茶を啜った。長い沈黙だった。工房の窓から差し込む午後の光が、棚のガラス瓶に反射して壁に小さな虹を作っていた。


「仮にそうだとして、お前さんはどうするつもりじゃ?」


「事実を明らかにします。それが私にできることですから」


「事実を明らかにした結果、何が起きるか。考えたことはあるか?」


 リーゼの手が止まった。


 宮廷の大広間。石の床の冷たさ。エルヴィラの逸らされた視線。宰相の穏やかな声。あの日の光景が、不意に蘇った。


 前回、事実を明らかにした結果、自分はここにいる。


「……考えました」


「考えた上で?」


「考えた上で、やります」


 マティアスが目を細めた。


「なぜじゃ。また追い出されるかもしれんぞ。今度はこの街からも」


「分からないことが、怖いからです。目の前に答えがあるのに、触れずにいることができない。触れて、読んで、理解する。それが私のやり方です」


「たとえ、理解した結果がお前さんを傷つけるとしても?」


「傷ついても、分からないままよりはましです」


 マティアスがゆっくりと立ち上がった。あの遠い目をした笑い方をしていた。何かを懐かしむような、あるいは何かを悼むような表情。


「難儀な。本当に、難儀な性分じゃな」


「自覚はあります」


「自覚があって治らんのだから、もう手遅れじゃろうな」


 マティアスが棚に歩み寄り、奥から古い書物を一冊引き出した。革の表紙が色褪せ、背表紙の金箔が剥がれかけている。精髄属性に関する学術文献だった。


「読め。精髄灰の結晶構造について、参考になる記述がある。第三章と第七章じゃ」


「……ありがとうございます。これは錬金術院の蔵書ですか?」


「さて、どこで手に入れたか、もう忘れたわい」


 嘘だ。この書物の状態から見て、長年手元に置いて繰り返し読んでいたことは明らかだ。だがリーゼは追及しなかった。マティアスには、まだ訊けないことが多すぎる。


「礼を言うのは早い。読めば分かるが、碌なことは書いておらん」


* * *


 その夜。


 マティアスの書物を読み終えたリーゼは、作業台に戻って分析の続きをするつもりだった。書物の第七章に記された精髄灰の結晶分類法を使えば、サンプルからさらに詳しい情報が引き出せるはずだ。


 工房の扉を開けた。


 足が止まった。


 作業台の上が、荒らされていた。


 磁器皿がひっくり返されている。精製水銀粉の小瓶が床に転がり、銀色の粉が石の床一面に散乱している。分析途中の土壌標本が踏みにじられ、鍛冶屋から借りた器具の破片が壁際に散らばっていた。三日間の分析結果が、全て台無しになっている。


 リーゼは息を呑んだ。


 窓が一つ、開いている。内側から掛け金が外されていた。出入りに使われた形跡。マティアスは離れの自室で寝ている時間だ。リーゼが書物を読んでいた部屋は工房とは別棟で、ここの物音は聞こえない。


 誰かが侵入した。サンプルを壊し、分析を妨害するために。


 手袋を外し、作業台に触れた。侵入者の痕跡を読もうとする。だが手袋をした人間が触れた場合、残留する情報は極めて少ない。分かったのは、侵入者が工房内を手早く荒らしたこと。迷いのない動き。何がどこにあるかを事前に把握していた可能性があること。


 リーゼの手が震えた。怒りだった。


 宮廷では言葉で潰された。捏造という嘘で追放された。ここでは、物理的に潰そうとしている。手段は違うが、構造は同じだ。真実に近づく者を、排除しようとしている。


 床に散らばった精製水銀粉を見つめた。高価な触媒だ。替えはもうない。


 だがサンプルは壊されても、リーゼの指先は全ての分析結果を覚えている。触れた物質の情報は、指の中に残る。母の湯呑みの釉薬を今でも覚えているように。


 壊しても、無駄だ。


 私は、もう読んでしまった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ