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鑑定士は触れずにいられない 〜追放された宮廷錬金術師は、触れるだけで大地の異変を暴いてしまう〜  作者: 景都 (けいと)
山脈が隠す記憶

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第54話 下山

マティアスの「最後の教え」は、工房の作業台の前で行われた。


「千年前の記録と、わしの二十年の研究。両方に共通する結論がある」


 マティアスが作業台の上に古い研究ノートを広げた。ヘルマンの実験日誌の隣に、マティアスが辺境で密かに続けていた研究の記録。


「精髄属性の暴走は、『力の過剰供給』で起きる。術者が精髄を大地に押し込む。大地は受け止めきれず、余剰が精髄灰として漏れ出す。これが汚染の原因じゃ」


「力が多すぎる」


「そうじゃ。では制御の鍵は何か。力を減らすことか。それは不可能じゃ。精髄属性の出力を下げれば、効果も下がる。千年前の錬金術師も、ヘルマンも、そこで行き詰まった」


「でも千年前の記録には、別の方法があった」


「第三の方法じゃ。力を増幅するのでも、減らすのでもない。力の流れを読むことで、大地が受け止められる量を正確に知り、過不足なく供給する」


「つまり鑑定」


「お前さんがグリュンタールでやっていることの延長じゃ。浄化作業で、お前さんは土壌の汚染を一粒ずつ読んで、一粒ずつ処理しておる。あれは第三の方法の原初形態じゃ」


 リーゼは驚いた。自分がやっていた浄化作業が、千年前の錬金術師が目指したものの原形だった。


「ただし、お前さんの浄化は水属性の術式を使っておる。第三の方法は精髄属性を直接制御する。規模も精度も、桁が違う」


「精髄属性を直接制御するには——」


「精髄属性の萌芽を持つ者でなければならん。触れて大地の声を聞き、聞いた声に応えて力を調節する。対話じゃ。一方的な命令ではなく」


 マティアスがリーゼの手を見た。手袋を外した指先。


「お前さんの指は、大地の声を聞ける。世界を読む力がある。だがまだ聞くだけじゃ。応える方法を知らん」


「応える方法は、マティアスさんの研究に?」


「断片的にある。わしは精髄属性の術者ではないから、理論でしか研究できなかった。実証には、お前さんの手が要る」


 マティアスが研究ノートを閉じた。


「もう一つ。重要なことがある」


「何ですか」


「お前さんの鑑定眼は強くなっておる。山で壁面に触れたとき、暴走しかけたのを覚えておるか」


「はい」


「あれは鑑定眼の出力が上がっておるのじゃ。グリュンタールに来た頃は、素手で読める範囲は数メートルだった。今は壁面全体を一度に読もうとした。出力が上がっている」


「成長、ですか」


「成長ではない。覚醒じゃ。精髄属性の萌芽が、徐々に開花しつつある。鑑定眼が精髄属性に近づいておる」


「覚醒したら、どうなるんですか」


「分からん。ヘルマンの場合は暴走した。千年前の術者の場合は、大地の声を聞けるようになった。結果は術者次第じゃ」


「制御できれば」


「世界の理を読み替える力になる。大地を殺さずに蘇らせ、精髄灰を無害化し、荒廃した農地を一瞬で回復させることも理論上は可能じゃ」


「制御できなければ」


「ヘルマンと同じことになる」


 重い言葉だった。リーゼは手袋をはめ直した。


「だから先に制御法を見つけなければならない。覚醒が来る前に」


「そうじゃ。時間はない。宰相が動く前に。お前さんの覚醒が来る前に。二つの時限が迫っておる」


* * *


 その日の夕方、見知らぬ馬車がグリュンタールに入ってきた。


 カイが窓から見つけた。宰相府の紋章はないが、馬車の車輪に王都の鍛冶屋の刻印がある。ユーリが確認した。


「王都の馬車だ。鍛冶の刻印に見覚えがある」


 金のリンデン亭の前に馬車が停まった。中から一人の男が降りた。三十代半ば。清潔な旅装。穏やかな笑顔。手袋をしている。


 男はリーゼを見つけると、丁寧に頭を下げた。


「リーゼ・ヴェーバー殿ですね。宰相閣下の命により、シュヴァルツ山脈の地質調査にご協力をお願いに参りました。技術調査官のフリードリヒ・ランゲと申します」


 穏やかな声。丁寧な物腰。どこかで見た覚えがある。ディーターと同じ空気を纏っている。「物柔らかな敬語」で近づく、宮廷の人間特有のやり方。


「地質調査ですか。具体的にはどのような」


「先史時代の錬金術遺跡の保全調査です。鑑定の専門家に現地の物質分析をお願いしたいと」


 カイがリーゼの後ろに立った。腕を組んでいる。調査官の顔。


「宰相府からの公式依頼書はありますか」


「もちろん」


 フリードリヒが封書を差し出した。宰相府の紋章入り。カイが受け取り、中を確認した。


「正式な書面だ。だが——」


 カイがリーゼに目配せした。リーゼは封書に触れた。手袋越しに。


 紙の繊維。インクの酸化度。そして微量の精髄灰の残留。この封書は宰相府で書かれたが、封をした人間の手に精髄灰が付着していた。


「検討させてください。三日以内に回答します」


「承知しました。宿を取って待ちます」


 フリードリヒが穏やかに去った後、工房に戻った。


「封書に精髄灰の残留がありました。宰相府の中で、まだ精髄属性の実験が行われている」


 カイの目が鋭くなった。


「宰相は止めていない。公式の発表は嘘だ」


「はい。そしてこの調査官を、私に近づけてきた」


 マティアスが窓の外を見た。フリードリヒが宿に向かう後ろ姿。


「三日。三日で準備を整える。わしの全記録をリーゼに渡す。宰相より先に」

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