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鑑定士は触れずにいられない 〜追放された宮廷錬金術師は、触れるだけで大地の異変を暴いてしまう〜  作者: 景都 (けいと)
枯れた大地の声

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第05話 もう一人の追放者

「土壌の汚染について報告があります。辺境駐在所の管轄でよろしいですか」


「……中に入れ」


 男はリーゼを駐在所の中に通した。


 狭い執務室だった。書類の山が三つ、机の上と床と椅子の横に積まれている。壁には管轄区域の地図が画鋲で留められ、窓際の机の上にインク壺と、使い込まれたペンが一本。調査官の部屋というより、放置された書庫に近い。


「座れ。その椅子の書類はどけていい」


「失礼します」


 リーゼは書類の束を机の端に移し、木の椅子に腰を下ろした。男は向かいの椅子に深く腰掛け、くたびれた外套の襟元を緩めた。


「カイ・ローレンツ。辺境駐在所の調査官だ。名前は」


「リーゼ・ヴェーバー。元宮廷鑑定士です」


「ああ、噂の。鑑定を捏造して追放された」


「捏造はしていません」


「そうか」


 素っ気ない返事だった。信じたわけでも疑ったわけでもない。単に、関心の対象ではないという声。


 カイは椅子の背もたれに体を預けた。灰色の目がリーゼを値踏みしている。疲労の滲む瞳だが、観察の精度は高い。目の動きが早く、リーゼの手元、徽章、靴の汚れ具合まで見ている。人の外見から情報を読み取ることに慣れた人間の目だった。


「で、汚染というのは」


 リーゼは分析結果を手短に説明した。北側の畑から検出された変性硫酸銅と精髄灰のこと。汚染が北東を中心に放射状に広がっていること。地下水脈に達しており、街の井戸水にも微量ながら混入していること。放置すれば数ヶ月で飲料水が閾値を超える可能性があること。


 カイは腕を組んだまま、最後まで黙って聞いた。途中で口を挟まなかったのは、話の全体像を先に掴もうとする習慣だろう。調査官の聞き方だ、とリーゼは思った。


「面白い話だが、論理に飛躍がある」


「飛躍?」


「あんたの言う物質が土壌に含まれていること。それ自体は信じよう。だが、『誰かが禁忌の錬金術を行っている』は飛躍だ。その物質が鉱脈から自然に滲出した可能性は?」


「変性硫酸銅は自然界には存在しません。錬金術的な変換を経なければ生成されない人工物質です」


「それはあんたの鑑定の結論だろう。その鑑定の信頼性を、この街の誰が保証する?」


 リーゼは口をつぐんだ。


 正しい指摘だった。鑑定結果がどれほど正確でも、それを裏付ける第三者がいなければ、ただの主張にすぎない。宮廷で起きたことと同じだ。正しいことを言っても、信じる人間がいなければ意味がない。


「……あなたは、信じないのですか」


「信じる信じないの話じゃない。証拠の話をしている」


 カイが立ち上がった。窓際に歩み寄り、夕暮れの街を見下ろす。窓の向こうに、広場の井戸と、水を汲む人々の姿が見えた。


「俺は元々、王都の不正調査機関にいた」


「王都の?」


「ある貴族の資金の流れを追っていた。辺境に流れる不自然な額の金。用途不明の支出が何件も。上司に報告したら、調査中止命令が来た」


「中止命令に従ったのですか」


「従わなかった。自分で証拠を集めようとした。結果がこの辺境への左遷だ」


 カイが振り返った。自嘲の色が浮かんでいる。


「俺が追っていた資金は、結局どこに消えたか分からないままだ。握りつぶされた。証拠は消え、関係者は異動になり、調査ファイルは封印された」


 リーゼは目を見開いた。


「あなたも、都合の悪い真実を追った人ですか」


「追いかけて、逃げられた、の方が正確だ」


 カイが窓から離れ、リーゼに向き直った。灰色の瞳の奥に、冷めた怒りがあった。宮廷に潰された人間特有の、やり場のない憤り。自分と同じ目だ。


「あんたと俺は似た立場にいる。だが、方法が違う」


「方法?」


「あんたは物質を読む。土壌に何が含まれているか、器具にどんな術式が残っているか。『何が起きているか』を突き止めるのは得意だろう。だが、それだけじゃ足りない」


「足りない、とは」


「物質が証拠になるのは、それを『誰が』使ったかが分かったときだ。物質は嘘をつかないかもしれないが、物質だけでは犯人を指させない。人を追え」


「では、あなたは人を読める?」


「金の流れ、行動パターン、嘘の辻褄。人間を読むのが俺の仕事だった」


 リーゼはカイの目を真っ直ぐ見た。


「物質を読む鑑定士と、人間を読む調査官。協力すれば、『何が起きていて、誰がやっているか』の両方を追えます」


「……で?」


「協力できませんか」


 カイはしばらくリーゼを見つめていた。品定めをするような目。だが敵意はない。値踏みしているのだ。この女が信用に足る人間かどうかを。


 やがて、机の引き出しから一枚の紙を取り出した。


「実は、あんたが来る前から気になっていたことがある」


 紙には数字の羅列。日付と品名と数量。納品記録の写しだった。


「この街に、半年前から定期的に大量の触媒素材を買い付けている商人がいる。グリュンタールの鍛冶屋の納品記録に残っていた。高圧蒸留器の部品、耐熱合金、精製用の磁器管。普通の旅商人が買うものじゃない」


「触媒素材? この辺境で、そんな大量に?」


「おかしいだろう。グリュンタールに錬金術師はマティアスの爺さんしかいない。あの爺さんがこんな量を使うとは思えん」


「その鍛冶屋に、話を聞けますか」


「明日、案内する」


 カイが納品記録をリーゼに差し出した。受け取ろうとしたとき、指先がカイの指に触れかけた。リーゼは反射的に手を引いた。


「……そんなに触れたくないか」


「触れると読んでしまうんです。癖で」


「俺を鑑定したらどうなる」


 リーゼは一瞬、言葉に詰まった。人の肌に触れて読めるのは、ごく限られた情報だ。だが「読めない」とは言いたくなかった。なぜかは分からない。


「……紙をください」


 手袋をしたまま納品記録を受け取り、胸ポケットに入れた。


「一つだけ言っておく。俺はまだ、あんたの鑑定を全面的に信じたわけじゃない」


「構いません。事実が証明しますから」


「ただ——今日の土壌分析を見ていて思ったことがある。あれだけの精度で物質を読める人間の鑑定を『捏造』扱いするのは、無理がある。あの審問は最初から結論が決まっていた」


 リーゼの手が止まった。追放以来、初めて他人からそう言われた。


「面倒な女だな」


「よく言われます」


 カイの口角が、微かに上がった。笑ったのか。分からない。だが、少なくとも追い返されはしなかった。


 リーゼは納品記録を持って駐在所を出た。


 夕闇の街を工房に向かって歩く。広場の井戸の傍を通り過ぎるとき、水を汲み終えた老婆が重い桶を抱えて歩いていた。その水に、微量の変性硫酸銅が含まれていることを、リーゼは知っている。


 胸の内で、小さな火が灯っていた。


 宮廷では一人だった。正しいことを言っても、誰も横に立ってはくれなかった。


 この街には、少なくとも一人——面倒そうな顔をしながら、紙を差し出してくれる人間がいる。


 一人ではなくなった。


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