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鑑定士は触れずにいられない 〜追放された宮廷錬金術師は、触れるだけで大地の異変を暴いてしまう〜  作者: 景都 (けいと)
枯れた大地の声

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第04話 土が語ること

畑から工房に駆け戻ったリーゼは、革鞄から鑑定用の触媒を取り出した。


 小瓶に入った銀色の粉末。精製水銀粉。水属性に親和性の高い触媒で、物質の精密分析に使う。宮廷を追われたとき、辛うじて持ち出せた数少ない仕事道具の一つだった。


「何をしておる?」


 作業台に器具を並べるリーゼの背後から、マティアスの声がした。


「土壌の精密分析です。北の畑の土に、自然界には存在しない物質が含まれていました。触媒を使えば、正確な組成が読めます」


「ほう。朝飯も食わずにか」


「……あとで」


「あとで、あとで。お前さんは昨日もそう言って、結局茶だけで寝たじゃろう」


「食べました。干し肉を少し」


「少し、のう。まあいい。好きにせい」


 マティアスが作業台の端に腰を下ろし、腕を組んだ。見物する気らしい。


 リーゼは作業台の上に土壌のサンプルを広げた。畑から採取してきた三箇所ぶんの土。表土、二十センチの深さ、五十センチの深さ。それぞれを磁器皿に取り分け、精製水銀粉を微量振りかける。


 手袋を外した。


 右手の人差し指と中指を、最初の皿の土壌に当てる。左手で触媒に触れ、鑑定眼を起動させた。


 世界が変わる。


 視界の端が青白く染まり、指先に触れた物質の情報が滝のように流れ込んでくる。通常の鑑定では大まかにしか読めない組成が、触媒を介すことで精密な数値として知覚できた。


 表土サンプル。ケイ酸塩系の一般的な土壌鉱物。鉄、アルミニウム、カルシウム。ここまでは正常。


 指先を深く沈める。情報の奥に、異質な信号が混じっている。


「……変性硫酸銅へんせいりゅうさんどう。含有率〇・三パーセント」


「声に出すのか」


「癖です。分析中は独り言が出ます」


「構わんよ。続けなさい」


 やはり。昨日の素手鑑定で感じた違和感が、数値として確定した。変性硫酸銅は天然の硫酸銅とは結晶構造が異なる。高温高圧下で錬金術的な変換を施さなければ生成されない人工物質だ。


 さらに奥。指先が別の信号を捉えた。


精髄灰(せいずいばい)。含有率〇・〇八パーセント」


 リーゼの手が止まった。マティアスの目が、微かに細くなった。


「精髄灰、と言ったか」


「はい。精髄属性の錬金術を行使した際に発生する残留物質です。つまりこの土地の近くで、誰かが禁忌に近い術を行使している」


「……そうか」


 マティアスの声が、ほんの一瞬だけ硬くなった。それはあまりにも短い変化で、注意していなければ聞き逃しただろう。だがリーゼは聞き逃さなかった。


 三つのサンプルを順に分析した。結果は同じだった。深度が増すほど変性硫酸銅と精髄灰の含有率が上がる。汚染が地中深くから表面に向かって浸透していることを示している。


「汚染源は地下です。地上から撒かれたものではありません」


「放置すれば、どうなる?」


 マティアスの問いは淡々としていた。答えを知っている人間の訊き方だと、リーゼは思った。


「作物は枯れ、家畜は病み、やがて人にも影響が出ます。グリュンタールの人たちに伝えなければ」


「伝えて、どうなる?」


「どう、とは」


「お前さんは宮廷を追われた鑑定士じゃ。この街の人間にとっては、昨日来たばかりの余所者で、しかも犯罪者として追放された女じゃ。その言葉を、誰が聞く?」


 正論だった。だが。


「それでも、事実は事実です」


 リーゼは立ち上がった。マティアスが溜息をついた。


「やれやれ。行ってこい」


* * *


 北側の畑に戻った。


 畑の持ち主は、ハンスという五十がらみの農夫だった。痩せた顔に深い日焼けと、土に生きる人間特有のごつい手。


「あんた、さっきもうちの畑にいたな。何の用だ」


「お話ししたいことがあります。この畑の土壌について」


「土壌?」


「この土には、変性硫酸銅という人工物質が含まれています。これが作物の生育を阻害しています。天候のせいではありません」


 ハンスの目が細くなった。


「天候のせいだ。去年の夏は雨が少なかった。今年の春も冷え込んだ。おかげでどこの畑も不作だ」


「しかし、周囲の畑と比べてこの区画だけが異常に——」


「よそもんの錬金術師に、畑の何が分かる」


「分析の結果をお見せできます。この土を少しお借りして——」


「触るな」


 ハンスが一歩前に出た。怒っているのではない。怯えている。自分の畑に得体の知れない問題があると認めたくない。その気持ちは理解できた。


「追放された犯罪者が、来て早々に何を偉そうに。あんたの鑑定とやらが正しいかどうかも分からん。なにせ宮廷で鑑定を捏造したって話じゃないか」


 その言葉は、正確にリーゼの急所を突いた。


 鑑定を捏造した女。それが今の自分だ。いくら正しいことを言っても、信用してもらえない。宮廷で起きたことが、辺境でも同じように繰り返される。


「……失礼しました」


 リーゼは頭を下げて、畑を離れた。


* * *


 しかし、引き下がったわけではなかった。


 その日のうちに、リーゼは街の周辺を歩き回った。手袋を外し、地面に触れる。道端の土、水路の底の泥、街の東側の牧草地。触れるたびに、鑑定眼が情報を読み取っていく。


 結果は予想より悪かった。


 北側の畑を中心に、汚染は放射状に広がっていた。北東が最も濃く、南西に向かうにつれて薄くなる。範囲は直径およそ一キロ。地表に現れていない箇所でも、土中の深い層には変性硫酸銅の痕跡があった。


 作物の枯れ。家畜の体調不良。街の東を流れる小川の水が、先月から微かに濁っているという話を、道すがら住民から聞いた。全て、同じ原因だ。


 夕方、工房に戻ったリーゼは分析結果をメモに書き起こしながら、ふと手を止めた。


 もう一つ、確認しなければならないことがある。


 街の中央広場に井戸がある。グリュンタールの主要な飲料水源だ。もし汚染が地下水脈に達しているなら。


 リーゼは工房を飛び出した。


 広場の井戸はまだ使われていた。夕刻の水汲みを終えた女たちが、桶を抱えて帰っていくところだった。リーゼは井戸の縁に手を当てた。石壁を伝って、地下水の情報を読み取る。


 触媒がなくても、この程度なら。


 指先が、凍りついた。


 変性硫酸銅。含有率は畑の百分の一以下。だが、確かにある。


 汚染は畑だけではなかった。地下水脈に達している。地下の汚染源から、水脈を通じて、街全体の飲料水に微量の汚染物質が流れ込んでいる。


 今はまだ、人体に影響が出るほどの濃度ではない。だがこの状態が続けば、数ヶ月で閾値を超える可能性がある。


 リーゼは井戸の縁に両手をついたまま、動けなかった。


 夕暮れの広場を、買い物帰りの親子が横切っていく。母親が幼い娘の手を引いて笑っている。その手には、この井戸の水で満たされた水瓶があった。


 信じてもらえなくても、伝えなければならない。方法を変えるだけだ。追放された犯罪者の言葉を信じない人々に、事実を突きつける方法を見つけなければならない。


 広場の隅に、辺境駐在所の灰色の建物が見えた。窓に明かりが灯っている。


 公的な機関に報告する。それが最も正当な手段だ。


* * *


 同じ頃。王都。宮廷鑑定室。


 エルヴィラの机に、鑑定依頼が三件積まれていた。リーゼが担当していた案件の引き継ぎ。だが引き継げる人間がいない。触媒なしで結晶構造を読める鑑定士は、追放された一人しかいなかった。


「リーゼがいた頃は、こんなに溜まらなかったのに」


 同僚の鑑定士が呟いた。エルヴィラは答えなかった。


* * *


 駐在所の扉に手をかけたとき、中から背の高い男が出てきた。暗い茶髪に灰色の目。くたびれた外套を羽織り、片手に書類の束を抱えている。リーゼと目が合った。


 男が書類の束越しにリーゼを見下ろした。


「……何か用か?」


 面倒そうな声だった。

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