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鑑定士は触れずにいられない 〜追放された宮廷錬金術師は、触れるだけで大地の異変を暴いてしまう〜  作者: 景都 (けいと)
枯れた大地の声

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第03話 老いた錬金術師

 グリュンタールの街門は、石積みの低いアーチだった。


 護送馬車が止まり、衛兵が書類を街の門番に渡した。門番が書類を読み、それからリーゼの顔を見た。好奇心と警戒が入り混じった視線だった。


「宮廷からの追放者か。珍しいな」


「行き先の指定はない。この街で自由にしていい、と書類にはあるが」


「自由、ね」


 門番が肩をすくめた。衛兵がリーゼに向き直る。


「ここまでだ。達者でな」


「……ありがとうございます」


 馬車が来た道を引き返していくのを、リーゼは立ったまま見送った。王都との最後の繋がりが、土埃とともに遠ざかっていく。


 街を歩いた。石畳の細い通りに、二階建ての木骨組みの家が並んでいる。人口五千人ほどの山間の交易都市。すれ違う人々は余所者を珍しそうに見たが、敵意はなかった。ただ、リーゼの胸元にある銀と青の菱形紋——第5等級(だいどうし)の徽章に目を留めると、微かにざわめいた。


 宮廷から追放された錬金術師が来る。その噂はすでに広まっているらしかった。


 まずは宿を探した。


 中央の広場に面した宿屋「金のリンデン」亭に入ると、恰幅のいい女将が出てきた。リーゼが事情を告げる前に、女将の目が徽章を捉えた。


「あんた、王都から来た——」


「はい。部屋をお借りしたいのですが」


 女将の表情が曇った。


「悪いね。今、満室でさ」


 満室ではない。リーゼが入ったとき、二階の窓がいくつも開け放たれていた。空き部屋のある証拠だ。鑑定士でなくても分かる。


 だが、言っても仕方がない。


「そうですか。他に宿は?」


「この街に宿屋はうちだけだよ」


 女将が目を逸らした。罪悪感はあるのだろう。だが「宮廷の犯罪者」を泊めるリスクは負えない。そういう計算が、その顔に書いてあった。


「分かりました。お手数をおかけしました」


 リーゼは礼を言って店を出た。


 街の中を歩き回った。日が傾き始めていた。荷物は背中の革鞄一つ。中身は鑑定用の触媒がいくつかと、着替えと、錬金術院時代の教科書が二冊。宮廷を追われた人間の全財産がこれだった。


 街外れまで来たとき、古びた石造りの建物が目に入った。壁に苔が生し、屋根の瓦が何枚か欠けている。だが煙突からは細い煙が立ち昇っていた。人が住んでいる。


 入口の脇に、朽ちかけた木の看板。


「錬金術師マティアス」


 リーゼは少し迷ってから、扉を叩いた。


 しばらくして、扉が開いた。


 小柄な老人だった。白髪白髭。深い皺の中に、よく動く小さな目がある。口元に笑みを浮かべているが、目だけが鋭い。指先は無数の実験痕で節くれ立っていた。


「何じゃ。客か?」


「リーゼ・ヴェーバーと申します。元——宮廷鑑定士です」


「ほう」


 マティアスと名乗った老人は、リーゼを頭のてっぺんからつま先まで見た。それから徽章に目を留め、工房の奥へ視線を戻した。


「元、とはまた。追い出されたか」


「資格停止と追放を受けました。鑑定結果の捏造、という罪で」


「鑑定の捏造、のう」


 マティアスが髭を撫でた。


「して、実際はどうだったんじゃ?」


「偽物は偽物です。私の鑑定は間違っていません」


「そうか。なら、それでいい」


 あっさりと——驚くほどあっさりと、マティアスはそう言った。追放の理由も経緯も訊かない。弁明を求めもしない。ただ「それでいい」と。


「泊まる場所がないんじゃろう?」


「……なぜ、分かるのですか」


「その顔を見れば分かるわい。街をひと回りして、どこにも泊めてもらえなかったんじゃろう。宿のおかみは気のいい女だが、世間体を気にする」


「……はい」


「工房の奥に使っておらん部屋がある。狭いが、寝るには困らん」


「なぜ、見ず知らずの追放者にそこまで」


「理由? 暇だからじゃよ」


 マティアスはそう言って、もう背を向けていた。工房の中に戻っていく。リーゼは扉口に立ったまま、老人の背中を見つめた。


 嘘だ。暇だからではない。この老人には、何か別の理由がある。だが今のリーゼには、選り好みをする余裕がなかった。


 工房に足を踏み入れた。


 中は薄暗く、薬草と鉱物の匂いが混じり合っていた。棚には硝子の瓶が並び、壁際に石の作業台がある。るつぼ、蒸留器、精製用の磁器皿。錬金術師の工房として、基本的な設備は整っていた。


「茶を飲むか」


「え?」


「まあ座りなさい。長旅の後じゃろう。飯は後で出す」


 マティアスが薬草茶の入った杯をリーゼに差し出した。受け取る手が、少しだけ震えた。長い旅の疲れと、この街で初めて向けられた敵意のない言葉のせいだった。


「ありがとう、ございます」


「いちいち丁寧じゃのう」


「癖です」


「悪い癖ではない」


 茶を啜りながら、リーゼの手が、無意識に動いた。


 手袋を外す。作業台の端に置かれた古いるつぼに、指先を触れた。


 この陶材、普通ではない。


 焼成温度が異常に高い。通常の工房用るつぼは千度前後で焼くが、これは千五百度を超えている。内壁に残留する術式の痕跡は、水属性の高度な浄化術。少なくとも第4等級、いや、それ以上の術の残滓だ。


「この器具……」


 リーゼは声を絞り出した。


第3等級(しょくにん)の錬金術師が使うものではありません。もっと高度な術の痕跡がある」


 マティアスが振り返った。


 老人は微笑んでいた。穏やかに。何も否定せず、何も説明せず。


「追い出されて一日目で、もう余所の道具を調べておるのか」


「……すみません。癖で」


「さっきも聞いたぞ、その言い訳」


 マティアスが薬草茶を自分の杯にも注いだ。


「まあよい。鑑定士とはそういうものなんじゃろう。触れずにはおれんのだな」


「はい。触れると、分かってしまうんです。分かってしまうと、黙っていられない」


「それで追い出されたわけか」


「……はい」


「難儀な性分じゃのう」


 マティアスが笑った。嘲りではなかった。どこか懐かしそうな、遠い目をした笑い方だった。


 リーゼはるつぼから手を離した。問い詰めたい衝動を飲み込む。ここに住まわせてもらう身で、初日から詰問するわけにもいかない。


 だが指先は覚えている。あのるつぼの、異常な術式の痕跡を。


* * *


 翌朝。


 夜明けとともに目が覚めた。窓から差し込む光で、ここが宮廷の寝室ではなく辺境の錬金術師の物置であることを思い出す。


 工房を出て、街の北側に向かった。昨日、馬車の中から見えたあの畑。気になって仕方がなかった。


 畑の縁に立った。朝露に濡れた土が、灰色の光を帯びている。周囲の草地は深い緑なのに、この区画だけが色を失っている。


 手袋を外した。


 膝をつき、土に指を沈めた。冷たい土壌が爪の間に入り込む。


 その瞬間、リーゼの顔から血の気が引いた。


 指先に流れ込んでくる情報が、あまりにも異常だった。


 この土壌に含まれている物質。自然界には存在しない組成。人工的に合成されたとしか考えられない化合物の残滓が、土の粒子一つ一つにまで浸透している。


 誰かが高度な錬金術を行い、その副産物がこの土地を蝕んでいる。天候のせいではない。害虫でもない。人の手が、この大地を汚している。


「それは、おかしい」


 声が出ていた。無意識に。


 リーゼは土を掴んだまま、北の山並みを見上げた。シュヴァルツ山脈の稜線が、朝日に黒く浮かんでいる。


 この汚染は、どこから来ている?


* * *


 同じ頃。王都ケーニヒスブルク。


 宮廷鑑定室で、エルヴィラ・フォン・ブリュッケは机の上の鉱石を見つめていた。


 南方の商会から持ち込まれた珊瑚石の鑑定依頼。通常なら半日で終わる仕事だ。しかしエルヴィラの手は、三日経っても報告書を完成させられずにいた。


 触媒を使った鑑定では、産地の特定に曖昧さが残る。結晶構造の微細な差異を読み分けるには、もう一段階の精度が必要だ。


 あの女なら、触れただけで答えを出しただろう。


「……リーゼ」


 呟いた名前を、すぐに飲み込んだ。あの鑑定士はもういない。自分の手で追い出した。いや、自分が追い出したのではない。追い出す片棒を担がされたのだ。


 再鑑定の結果、精霊銀鉱は本物と確認されました。


 あの言葉を口にしたとき、自分の声がどれほど空虚だったか。リーゼは気づいていただろう。「直接触れましたか」という問いに、答えられなかった自分を。


 珊瑚石に触媒を当てる。数値がぶれる。精度が足りない。


 リーゼがいた頃は、こんな依頼で詰まることはなかった。


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