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鑑定士は触れずにいられない 〜追放された宮廷錬金術師は、触れるだけで大地の異変を暴いてしまう〜  作者: 景都 (けいと)
枯れた大地の声

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第20話 対峙

「入口を完全に封じたはずだが」


 ディーターの声は穏やかだった。だが目は笑っていない。


「封鎖を浄化しました。変質された岩盤を、元に戻しただけです」


「浄化? あの規模の土属性変質を、水属性で? 第5等級の鑑定士にそんなことが——」


「できました」


 リーゼの声は静かだった。二日がかりの浄化で体力は回復しきっていないが、声に揺れはない。ディーターの目が細くなる。


「なるほど。あなたを遠ざけた判断は正しかったようだ。いや、遠ざけただけでは足りなかったか」


「逃げないのですか」


「逃げる理由がない。むしろ、あなたに見せたいものがある」


 カイが身構えた。だがディーターは攻撃の素振りを見せない。手袋をした両手を広げ、無害を示すような仕草をした。


「見せたいもの?」


「この研究の意味を知ってから、判断しても遅くないでしょう」


 ディーターが工房の奥へ歩いた。ユーリがカイに目配せし、カイが頷いた。罠の可能性はある。だが退く選択肢はない。


 工房の最奥部。前回来たときには暗号文書しかなかった机の向こうに、新しい装置が設置されていた。石の台座の上に、複雑な術式の刻まれた金属球体。球体の表面に、精髄灰の結晶が放射状に配置されている。青白い光が微かに脈動していた。


「これが黄金律計画の核心です」


 ディーターが装置を示した。声に、初めて熱がこもっていた。


「精髄属性の術式で駆動する、土壌浄化の試作装置。これが完成すれば、王国全土の荒廃した農地を再生できる。飢饉を根絶する。それがこの計画の最終目標です」


「土壌浄化」


「そうです。賢者の石の力を応用した、大規模な土壌改良。王国の農地の三割はすでに荒廃しています。このまま何もしなければ、十年以内に大規模な飢饉が来る。数千、数万の人間が飢える。それを防ぐための研究なんです」


 リーゼは装置に手を伸ばした。手袋を外し、金属球体に触れる。


 情報が流れ込んだ。術式の構造。精髄属性の回路。物質変換の理論式。複雑だが、論理的に構築されている。設計者の知性が見えた。そして——


「……確かに、浄化の術式が組まれています」


「でしょう。この装置の目的は破壊ではなく再生です。大地を蘇らせるための道具なんです」


「ですが」


 リーゼの声が硬くなった。


「副産物の制御が全くできていない。この装置を一回稼働させるたびに、精髄灰と変性硫酸銅が大量に発生する。浄化するための装置が、新たな汚染を生んでいる。それもこの街の大地を汚染する形で」


「現段階では副産物の制御が不完全なことは認めます。だからこそ実験を続けている」


「本末転倒です。大地を再生する装置の実験で、大地を殺している」


 ディーターの表情が硬くなった。


「だからこそ、辺境で実験している。都市部ではリスクが大きすぎる。ここなら、影響範囲は限定的だ」


「限定的? この街の畑は枯れ、家畜は病み、修道女が倒れました。井戸水が汚染されています。あなたの言う『限定的な影響範囲』に、五千人の人間が暮らしています」


「少数の犠牲で多数を救う。それが国家の判断です」


 ディーターの声に、初めて確信が乗った。理想の声だった。


「理解してほしいのです、ヴェーバーさん。この研究が成功すれば、王国中の荒廃した農地が蘇る。何万人もの人間が飢えずに済む。そのために、この辺境の一つの街が——」


「犠牲にされた。同意もなく。説明もなく」


 カイが一歩前に出た。


「その判断は誰がした。この街の人間は何も知らされていない。犠牲になるかどうかを選ぶ権利すら与えられていない」


「権利? 国家事業に個人の同意は必要ない。それが統治というものです、調査官殿」


「それは統治じゃない。支配だ」


 カイの灰色の目が、鋭くディーターを射た。ディーターはしばらくカイを見つめていた。それから、小さく息を吐いた。


「……平行線ですね」


「ああ。話は終わりだ。この工房を停止する。ディーター・ヴォルフ、宮廷秘密工作部門所属の錬金術師。あんたを拘束する」


 ディーターの目が変わった。穏やかさが消え、冷たい計算の目になった。


 手が動いた。腰の触媒袋から小瓶を取り出し、術式を展開する。


 だが攻撃ではなかった。地下工房の壁に刻まれた術式が光を放ち始めた。緊急封鎖。工房全体を土属性の術式で封じ込め、脱出不能にする時間稼ぎ。壁と天井に刻まれた紋様が連鎖的に起動し、岩盤が軋む音が響いた。


「ディーター!」


 カイが飛び出した。ディーターの腕を掴み、触媒の小瓶を叩き落とす。二人がもつれ合い、石の床に倒れ込んだ。器具の棚が倒れ、ガラスの瓶が砕ける音が工房に反響した。


 格闘は短かった。カイは元調査官で、身体制圧の訓練を受けている。ディーターは錬金術師であって戦闘の専門家ではない。腕を背中にねじ上げられ、床に押さえつけられた。


「術式を止めろ」


「……もう遅い。緊急封鎖は発動した。出口の岩盤が閉じ始めている。この工房ごと埋まりますよ」


「出口なら心配いりません」


 リーゼの声だった。


 緊急封鎖の術式が光を放つ壁に、手袋を外した手を当てている。体力は限界に近い。二日がかりの浄化で消耗した体に、もう余裕はない。だが壁の術式の構造は読める。土属性の変質。読めるなら、浄化できる。


「この術式も、土属性の変質です。規模は入口の封鎖より遥かに小さい。読めます。浄化もできます」


 ディーターの目が見開かれた。


「入口の封鎖を浄化した上に、さらにこの術式も? そんな体力が残っているはずが——」


「残っていないかもしれません。でも、読めるものは読めます」


 リーゼが壁に手を当てたまま、水属性の浄化術を展開した。増幅器は使えない。素手で、直接。指先から微かな青い光が漏れた。


 緊急封鎖の術式が、端から解けていく。壁に刻まれた紋様が光を失い、岩盤の軋みが止まった。


 体が震えている。視界が白く霞む。だが術式は解除された。出口は確保された。


 ディーターが床の上で呟いた。


「止めても無駄だ」


「止めます」


「計画は宮廷の中枢が動かしている。ここを閉じても、次の実験場が作られるだけだ。『賢者の石』は、王国の未来そのものなのだから」


「その未来のために犠牲にされた人々のことを、あなたは考えたことがありますか」


「……考えましたよ。考えた上で、必要な犠牲だと判断した」


「私は違う判断をします」


 ディーターは答えなかった。


 ユーリと駐在兵がディーターを拘束した。ユーリが工房の奥にある排出管を、持参した工具で切断した。金属管が軋み、切断面から汚染された廃液が最後に一滴零れ落ちた。


 汚染の経路が断たれた。


 リーゼは壁から手を離し、床に座り込んだ。冷たい石の感触が、意識を繋ぎ止めてくれた。


「リーゼ」


 カイの声。


「大丈夫です。少し休めば」


「休め。あとは俺たちがやる」


 リーゼは目を閉じた。


 止めた。止められた。一人ではなく、三人で。

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