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鑑定士は触れずにいられない 〜追放された宮廷錬金術師は、触れるだけで大地の異変を暴いてしまう〜  作者: 景都 (けいと)
枯れた大地の声

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第18話 谷底

三人で廃坑に向かった。地下工房への再侵入。


 だが、廃坑の入口は完全に塞がれていた。


 前回の封鎖壁とは比較にならない規模だった。坑道の入口そのものが、土属性の高等錬金術で岩盤に埋め戻されている。自然の山肌と見分けがつかないほど完全な封鎖。以前は板で塞がれていた入口が、今は岩壁しか見えない。


 リーゼが岩壁に手を当てた。手袋を外し、額が触れるほど近づいて、岩の情報を読み取る。


「前回とは違います。坑道入口が丸ごと岩盤に変質されている。封鎖の範囲が広すぎて、前回使った浸透術と楔の手法では対応できません。あのときは壁一枚でしたが、今回は坑道一本分です」


「ディーターの仕業か」


「おそらく。私たちが再侵入することを見越して、完全に封じた。土属性の第4等級以上の術です。この規模の変質を一人でやったとすれば、相当な実力者です」


 ユーリが岩壁を拳で叩いた。鈍い音が山裾に反響した。


「こりゃ無理だ。楔が効く規模じゃない。坑道一本分の岩を動かす必要がある。俺のハンマーでも、一年かかっても掘り抜けない」


 カイが舌打ちした。


「手詰まりか」


 三人は街に戻った。誰も口を開かなかった。


* * *


 リーゼはマティアスに助力を求めた。


 工房の奥、マティアスの居室の前。リーゼは立ったまま、老人に頭を下げた。


「マティアスさん。廃坑の入口が完全に封鎖されました。あなたの力があれば、あの岩盤を——」


 マティアスは首を振った。


「わしは、これには関われん」


「なぜですか。あなたの腕なら、あの規模の変質術も——」


「わしが関われない理由がある。それは、いずれ分かる」


 いつもの飄々とした態度ではなかった。マティアスの目には、深い苦しみの色があった。何かを堪えている。何かを抱えている。助けたいのに助けられない。そんな葛藤が、老人の皺の奥に見えた。


「……分かりました」


 リーゼは引き下がった。問い詰めても答えないことは分かっていた。マティアスには、まだ語れない過去がある。あの器具の術式の痕跡。あの薬草茶の配合。全てが、何かに繋がっている。


 夜。


 工房に一人で座っていた。作業台の上には地下工房から回収した実験記録と、マティアスに借りた書物。ランタンの灯りが揺れている。手が震えている。疲労ではなく、孤立感だ。


 宮廷に見捨てられた。王都から調査中止命令が来た。ディーターに脅された。廃坑は封鎖された。マティアスにも助けてもらえない。


 前回の追放と同じだ。正しいことをして、壁にぶつかって、一人で立ちすくんでいる。何も変わっていないのではないか。


 リーゼは自分の手を見つめた。薬品焼けの痕がある鑑定士の指。この指で全てを読んできた。真実を見つけてきた。だが真実を見つけても、壁に阻まれる。読むことはできても、壊すことはできない。


 鑑定は「読む」力だ。「変える」力ではない。


 本当にそうだろうか。


 扉が静かに開いた。


 マティアスだった。手に薬草茶の杯を持っている。何も言わず、リーゼの隣に座った。杯を差し出す。リーゼが受け取る。


 長い沈黙が続いた。ランタンの芯が燃える音。遠くで犬が吠えている。風が窓を揺らす音。


「わしはかつて、賢者の石の研究に関わった」


 マティアスが、突然語り始めた。リーゼは杯を持ったまま、息を止めた。


「若い頃の話じゃ。王立錬金術院の研究部門にいた。精髄属性の極限行使を探究する——それが使命じゃった。等価交換を超える力。物質の根本を組み替える理論。わしはその研究の中心にいた」


「王立錬金術院の——」


「研究は順調じゃった。理論は完成に近づいていた。あと一歩で、賢者の石の基盤理論が確立されるところまで来ておった。だが——」


 マティアスの声が震えた。一瞬だけ。すぐに元の穏やかな声に戻る。


「実証実験で、大切な弟子を一人失った。精髄属性の暴走。術式の出力が制御を超え、弟子の体を蝕んだ。止められなかった。わしの目の前で、あの子は——」


 マティアスが言葉を切った。


「以来、わしは直接手を出すことを自分に禁じた。研究を捨て、身分を捨て、この辺境に隠れた。第3等級の看板を掲げて、二度と禁忌には手を触れぬと決めた。二度と、同じ過ちは繰り返さぬと」


 リーゼはマティアスの横顔を見た。ランタンの灯りに照らされた、深い皺のある顔。六十八年分の時間が刻んだ皺。その中に、消えない悲しみがあった。


「だがな、リーゼ」


 マティアスがリーゼの方を向いた。


「わしが手を出さぬことと、お前さんの道を阻むことは、別の話じゃ」


「どういう意味ですか」


「前にお前さんに渡した書物を覚えておるか。精髄灰の結晶構造についての」


「はい。第七章の内容は、封鎖壁の突破にも使いました」


「あの書物の第十二章に、浄化術の応用理論が書かれておる。読んだか?」


「まだです。第七章までしか」


「読め。鑑定眼で物質を読むお前さんの力と、水属性の浄化術を組み合わせれば——汚染物質だけを選択的に分離できるはずじゃ」


「選択的に分離?」


「岩盤そのものを壊す必要はない。岩盤に注入された『変質させた部分』——土属性の術で書き換えられた結晶構造——それだけを取り除く。元に戻すんじゃ」


「変質部分だけを浄化する。封鎖された岩盤を壊すのではなく、変質を元に戻す」


「そういうことじゃ。前回は弱点を見つけて崩した。今回は、壁ごと浄化する。規模は大きいが、理屈は同じじゃ。むしろ——」


 マティアスがリーゼの手を見た。


「お前さんの鑑定眼なら、自然な岩と変質された岩の違いを、一粒一粒の結晶レベルで見分けられるじゃろう。それは、わしにはできんことじゃ。お前さんにしかできん」


 リーゼの目に涙が浮かんだ。声を出さず、涙だけが頬を伝った。


「ありがとう、ございます」


「泣くな。泣くと茶が塩辛くなる」


「……すみません」


「それと、もう一つ。大規模な浄化術は体に負荷がかかる。やるなら覚悟を決めろ。中途半端にやれば、お前さんの体が先に壊れる」


「分かっています」


「分かっておらんじゃろうが、まあよい。若い者は、やってみて初めて分かるものじゃ」


 翌朝。リーゼの目に決意が戻っていた。


 書物の第十二章を一晩で読み終えた。理論は理解できた。


 前回は壁の弱点を見つけて崩した。今回は違う。壁ごと浄化する。変質を元に戻す。


 それなら、私にもできる。

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