第17話 同じ道の先
翌日。駐在所の執務室。
リーゼとカイの間に、緊張が走っていた。
「報告書はもう書き終えた。黄金律計画の証拠、資金の流れ、汚染の分析結果。全てを添えて王都に送る」
「送って、どうなるんですか」
「宮廷が対応せざるを得なくなる。少なくとも、事実を記録に残すことはできる」
「カイさん」
リーゼは椅子から身を乗り出した。
「調査中止命令を出したのは王都の内務省です。黄金律計画に宮廷が関与しているなら、報告書は握りつぶされます」
「かもしれない。だが——」
「かもしれない、じゃありません。確実に握りつぶされる。あなたが追っていた資金の流れも、握りつぶされたんでしょう。今回も同じことが起きる。そしてあなたの立場はさらに悪くなる」
「だからどうしろと」
「宮廷に報告する以外の方法を考えるべきです。この街の人々に全てを公開する。汚染の事実、地下工房の存在、黄金律計画。宮廷が握りつぶせないように、事実を広める」
「それは——」
「危険なのは分かっています。でも宮廷に報告して握りつぶされるよりは」
「あんたの安全の話をしているんだ!」
カイが声を荒げた。椅子の脚が石の床を鳴らした。リーゼは目を見開いた。カイが声を荒げるのを、初めて聞いた。
「独断で動けば、ディーターの連中が黙っていない。あの男は警告じゃなく予告をしたんだ。次は追放じゃ済まないかもしれない。あんたが——」
カイが言葉を切った。「あんたが」の先を、飲み込んだ。
「それは、あなた自身のことでしょう」
リーゼの声は静かだった。
「左遷では済まない。追放では済まない。あなたが気にしているのは、私の身の安全ではなく、自分がまた潰されることでは?」
沈黙が落ちた。カイの灰色の目に、痛みが走った。図星だった。
王都で資金の流れを追い、核心に迫り、調査中止命令に逆らい、左遷された。あの経験が、カイの中に残っている。正しいことをして潰された記憶。また同じことが起きる恐怖。それは、リーゼ自身が抱えているものと同じだった。
「言い過ぎました」
「いや。あんたの言ったことは正しい」
カイが目を伏せた。
「俺は怖がっていたんだ。また潰されることを。前回は一人で潰された。今回も同じになるんじゃないかと」
「私もです。前回は一人で正しいことを言って、一人で追放されました。同じことの繰り返しになるのが、怖い」
「だが——」
「だが、今回は一人じゃない」
二人の目が合った。
ドアが開いた。
ユーリだった。二人の間の空気を読み取ったのか、一瞬立ち止まった。リーゼの赤い目と、カイの険しい顔を交互に見た。だがすぐに、いつもの淡々とした声で言った。
「俺には難しいことは分からん」
「ユーリ——」
「だが、この街の畑が枯れて、家畜が死んで、人が倒れている。修道女さんは森の土に触れただけで痙攣を起こした。次は誰だ。子供か。老人か」
ユーリがリーゼとカイを交互に見た。太い腕を組み、鍛冶師の目で二人を見据えている。
「それを止められるのは、あんたたちだけだ。王都がどうとか、命令がどうとか、俺には分からん。だが、この街の人間を守るのは、この街の人間の仕事だろう」
単純な言葉だった。政治も陰謀も知らない、鍛冶師の素朴な正論。だがその素朴さが、リーゼとカイの視界を引き戻した。
宮廷の陰謀。権力の構造。黄金律計画。それらは大きな問題だ。だがその前に、目の前に人がいる。畑が枯れ、家畜が病み、修道女が倒れた。次の犠牲者が出る前に、止めなければならない。
カイが息を吐いた。長い息だった。
「……すまなかった。頭に血が上った」
「私こそ、言い過ぎました」
「言い過ぎてない。正論だ。俺は怖がっていた。それを認める」
「私も怖がっています。でも——」
「一人じゃない。分かってる」
二人の目が合った。少しだけ長く。
ユーリが腕を組んだまま、ぼそりと言った。
「お前ら、仲がいいのか悪いのか分からんな」
二人とも、同時に黙った。
カイが立ち上がった。
「報告書は送る。それと並行して、汚染を止める。地下工房の錬金術式を停止させる。宮廷の反応を待つ余裕はない」
「はい。それから、全てを公開します。この街の人々に」
「覚悟はいいんだな」
「覚悟の問題ではありません。事実の問題です」
カイが苦笑した。今度は、痛みのない笑い方だった。
「まったく、面倒な女だ」
「よく言われます」
ユーリが二人を見て、短く言った。
「よし。で、俺は何をすればいい」
「工具の準備を」
「了解」
窓の外で、山脈の方向から風が吹いていた。リーゼの鑑定眼が、風に混じる微量の精髄灰に反応した。昨日より濃い。地下の実験は、まだ続いている。




