第16話 追放の意味
王都。宮廷鑑定室。
エルヴィラは、机の上に広げられた書類を見つめていた。黄金律計画。その名を知ったのは、つい昨日のことだ。
宰相の側近が「もう知っておくべきだろう」と、計画の概要書を渡してきた。辺境での錬金術実験。精髄属性の極限行使。土壌浄化の名目で行われる禁忌の研究。
そして、その計画の障害になる人物を「排除」した経緯。
リーゼ・ヴェーバーの追放は、精霊銀鉱の鑑定捏造などではなかった。黄金律計画にとって、リーゼの鑑定眼は致命的な脅威だった。だから遠ざけた。その片棒を、自分が担いだ。
「再鑑定の結果、精霊銀鉱は本物と確認されました」
あの日の自分の声が、耳の奥でこだまする。
エルヴィラは概要書を閉じた。手が震えていた。
私は——利用されたのか。
リーゼが正しかった。最初から、全て。
* * *
ディーターの警告が、リーゼの心に刺さっていた。
前回と同じ結末。宮廷で真実を語り、追放された。今また真実を追い、同じことが起きようとしている。追放のさらに先。投獄か、消されるか。
マティアスの工房で、リーゼはぼんやりと作業台を見つめていた。手袋を外した指先が、無意識に作業台の木目をなぞっている。木材の年輪から、この工房が建てられた時期を読み取れる。築四十年ほど。マティアスがこの街に来たのは、いつだったのだろう。
「ディーターに直接警告されました」
カイに報告したのは、その日の夕方だった。駐在所の執務室。いつもの書類の山。
「あの男は、私の追放の経緯を知っています。『前回と同じ結末を望みますか』と」
「つまり、あの男は黄金律計画の内情を知っている。あんたの追放がその一環だったことも」
「ええ。自分から認めたようなものです。『私の仕事ですから』と」
カイが腕を組んだ。灰色の目が鋭くなっている。
「俺も調べた。ディーターについて、王都の元同僚に非公式で照会をかけていた。返事が来た」
「何が分かりましたか」
「ディーター・ヴォルフ。宮廷の秘密工作部門に所属する第4等級の錬金術師。表向きは旅商人として各地の情報収集と素材調達を担当。裏では、宮廷の機密事業の実行部隊として動いている」
「秘密工作部門。公式には存在しないはずの」
「存在しないことになっている。だが内務省の一部の人間は知っている。俺が調査官だった頃、その存在を匂わせる文書を何度か見た。全て機密扱いで、深入りする前に左遷された」
リーゼは手を膝の上で握りしめた。
「それだけじゃない。リーゼ、重要なことがある」
「何ですか」
「あんたの追放と、地下研究は、同じ『黄金律計画』の一部だ」
「……どういうことですか」
「あんたの鑑定能力は、黄金律計画にとって致命的な脅威なんだ。精髄灰を検出できる。変性硫酸銅の人工性を見抜ける。地下工房の汚染を突き止められる。しかも触媒なしで。あんたの鑑定眼は、計画の秘匿性を根底から脅かす」
「つまり、私が追放されたのは——」
「鑑定を間違えたからじゃない。正しい鑑定ができるから、遠ざけられた。精霊銀鉱の偽造は口実にすぎない。本当の理由は、あんたの能力が黄金律計画の邪魔になるからだ」
リーゼの視界が一瞬ぶれた。
あの大広間。石の床。「鑑定の捏造」という罪状。エルヴィラの逸らされた視線。全てが、仕組まれた追放劇だった。リーゼの能力を宮廷から遠ざけるための。
「能力が高すぎるから、捨てられた」
「捨てたんじゃない。遠ざけた。殺さなかったのは、完全に敵に回すリスクを避けたかったか、あるいは——」
「利用価値がまだある、と」
「ああ。資格が『停止』であって『剥奪』でないのも、そのためだろう。いつでも呼び戻せるように。道具として」
沈黙。リーゼは窓の外を見た。グリュンタールの夕暮れ。屋根の上の煙突から白い煙が立ち昇っている。この街の人々は夕食の支度をしている。汚染された水で。
「真実を暴くことは正しい。でも——」
「でも?」
「それで何が変わったのか、分からなくなることがあります。宮廷で真実を語って追放された。ここでまた真実を追って、同じ壁にぶつかっている」
「同じ壁じゃない」
「え?」
「宮廷では一人だった。ここでは三人いる。壁は同じでも、ぶつかる頭の数が違う」
リーゼは思わずカイの顔を見た。カイは真顔だった。皮肉ではなく、事実を述べただけの顔。
「……それは、励ましですか」
「事実だ」
* * *
工房に戻った。
マティアスが薬草茶を淹れてくれた。いつもの配合。母の味と同じ配合。あの問いはまだ宙に浮いたままだが、今は訊けない。
「お前さん、怖いのか?」
マティアスが静かに訊いた。
「……怖いのではありません」
「ではなんじゃ」
「ただ——真実を暴いた先に、何があるのか分からないんです。前回は追放でした。今回はもっとひどいことになるかもしれない」
「それでも暴くのか?」
「やめられません。この土地が汚染されている。人が倒れている。それを知ってしまった以上、知らないふりはできない。触れてしまった以上、読んでしまった以上」
「ではなぜ迷う」
「迷っているのではなく——一人が怖いのかもしれません。前回は一人でした。一人で正しいことを言って、一人で潰された」
マティアスが杯を置いた。
「お前さんは、もう一人ではないじゃろう」
リーゼは顔を上げた。
「面倒な調査官と、朴訥な鍛冶師と、役に立たん老いぼれがおる。一人ではない」
「……はい」
「それにな、リーゼ。真実を暴いた先に何があるかは、わしにも分からん。だがな——真実を暴かなかった先に何があるかは、分かっておる。この街の大地が死ぬ。人が病む。それだけじゃ」
「はい」
「選べるのは、どちらの『分からない』を選ぶかだけじゃ。お前さんは昔から、分からないことに触れる方を選ぶ人間じゃろう」
指先の震えが、収まった。
その指先に、微かな反応があった。作業台の木目から、昨日まではなかった精髄灰の残留を検出する。汚染が、工房の中にまで届き始めている。
時間がない。




