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鑑定士は触れずにいられない 〜追放された宮廷錬金術師は、触れるだけで大地の異変を暴いてしまう〜  作者: 景都 (けいと)
枯れた大地の声

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第01話 鑑定士の終わり

 石の床は、冷たかった。


 触れただけで分かった。王に献上された鉱石は偽物だった。それを口にした瞬間、全てが終わった。


 膝をついたまま、リーゼは目の前の紋章を見つめていた。ヴェストリア王国の双翼獅子が、大広間の正面に金色に輝いている。何百回と見上げてきた紋章だ。


 ただし、こんな角度から見るのは初めてだった。


「罪状を読み上げる」


 審問官の声が天井の高い広間に響く。傍聴席には宮廷の官吏たちが並び、その視線がリーゼの背中に突き刺さっている。


「宮廷鑑定士リーゼ・ヴェーバー。鑑定結果の捏造により、王国の名誉ある貴族の信用を毀損した罪。これを問う」


 捏造。


 ヴァルター伯爵が国王に献上した精霊銀鉱(せいれいぎんこう)。あれは偽造品だった。組成が違う。産地が違う。加工痕が天然結晶と一致しない。全て、触れた瞬間に分かった。


「被告人。申し開きはあるか」


 リーゼは顔を上げた。審問官の隣に、宰相が座っている。白髪交じりの髪を丁寧に撫でつけた壮年の男。表情は穏やかだが、目だけが笑っていない。


「私の鑑定は正確です」


 声が震えなかったことに、自分で少し驚いた。


「精霊銀鉱の結晶構造は、シュヴァルツ山脈北部の鉱脈に特有の六方晶系を示すはずです。しかし献上品の結晶構造は単斜晶系でした。これは自然に生成された鉱石ではあり得ません」


「つまり、ヴァルター伯爵が陛下に偽物を献上したと?」


 審問官の声に、微かな嘲りが混じった。傍聴席のざわめきが大きくなる。


「事実を申し上げています。あの鉱石は偽物です」


「根拠は何だ。客観的な根拠を示せ」


 形式的な質問だ。答えがどうあれ結論は変わらない。そんな空気が、広間全体に漂っていた。


「直接触れて鑑定しました。組成比、結晶格子の配列、経年変化の痕跡。全てが偽造を示しています」


「触れた、と」


 宰相が眉を上げた。わずかに口元が歪む。


「触れただけで結晶構造が分かると? 随分と便利な能力だな、第5等級(だいどうし)殿」


 傍聴席から、低い笑い声が漏れた。


 リーゼの手が膝の上で握りしめられた。触媒を用いない鑑定。それは確かに標準的な手法ではない。だが、読めるものは読める。事実は事実だ。


「鑑定手法の問題ではありません。あの鉱石が偽物であるという事実は変わりません。もう一度触れさせていただければ、この場で証明できます」


「それには及ばない」


 宰相が片手を上げて遮った。穏やかな声。だが、その穏やかさが逆に圧として迫る。


「再鑑定の結果を聞いたかね」


 再鑑定。


 リーゼの視線が、広間の左手に向かった。


 そこに、エルヴィラが立っていた。


 エルヴィラ・フォン・ブリュッケ。第4等級(どうし)の称号を持つ、現在の宮廷主席鑑定士。かつてはリーゼの同僚であり、互いの鑑定結果を突き合わせては夜通し議論を交わした相手だ。


 その彼女が、リーゼの鑑定を覆す再鑑定を行った。


 目が合った。一瞬だけ。


 エルヴィラが視線を逸らした。その横顔に感情は読めない。ただ、逸らした、という事実だけが残った。


「主席鑑定士。報告を」


 宰相に促され、エルヴィラが一歩前に出た。


「再鑑定の結果、精霊銀鉱は本物と確認されました」


 エルヴィラの声は平坦だった。書類を読み上げるように、淀みなく。


「結晶構造、組成比、産出地の特徴、いずれもシュヴァルツ山脈北部の天然鉱石と一致しています。リーゼ・ヴェーバーの鑑定結果は、事実と異なるものと判断いたします」


 嘘だ。


 エルヴィラの腕なら分かるはずだ。あの鉱石に直接触れれば、組成の違和感に気づかないはずがない。第4等級の鑑定士が、あの程度の偽造を見抜けないはずがない。


「エルヴィラさん」


 リーゼは声を絞り出した。


「あの鉱石に、直接触れましたか」


 沈黙が広間を満たした。エルヴィラの指先が、一瞬だけ揺れた。


「標準的な鑑定手順に則り、触媒を用いた分析を——」


「直接触れましたか」


 リーゼの声が反響した。自分でも驚くほど、鋭い声だった。


 エルヴィラが唇を引き結ぶ。何か言いかけて、やめた。その沈黙が、何よりも雄弁だった。


「……鑑定手順は、全て規定通りです」


 絞り出すような声だった。リーゼの問いには答えていない。触れたのか、触れなかったのか。その一言を避けている。


 分かっている。分かっていて、言えないのだ。


「もう充分だ」


 宰相の一言が、全てを断ち切った。穏やかな声のまま。だからこそ、誰も逆らえない。


「判決を言い渡す」


 審問官が立ち上がった。


「宮廷鑑定士リーゼ・ヴェーバー。鑑定士としての資格を停止し、辺境グリュンタールへの追放を命ずる。即日執行とする」


 資格停止。


 リーゼは、その言葉の響きを反芻した。剥奪ではない。停止。なぜだろう。捏造という大罪を犯したなら、資格は剥奪されるのが通例だ。なのに停止。まるで、いつか戻す余地を残しているかのように。


 考える暇はなかった。衛兵が両脇に立ち、リーゼの腕を取る。立ち上がる。石の床に長く膝をついていたせいで、足の感覚がほとんどない。一瞬よろめいた。


「立てるか」


 衛兵の一人が、小声で訊いた。敵意のない声だった。


「……はい。大丈夫です」


 第5等級の徽章は、外されなかった。銀と青の菱形紋。大導師の証。資格が停止されただけで、等級そのものは残っている。胸元のその重みが、今は嘲りのように感じられた。


 広間の出口に向かって歩く。背後から視線を感じる。好奇、軽蔑、あるいは同情。どれも同じだ。誰も、真実には興味がない。


 振り返った。


 なぜ振り返ったのか、自分でも分からない。ただ、何かが引っかかった。鑑定士としての、どうしようもない性分が。


 宰相が席を立っていた。傍らに、ヴァルター伯爵がいる。二人が低い声で言葉を交わしている。伯爵の手元に、あの鉱石。


 距離がある。十数メートル。直接触れてもいない。


 それなのに、リーゼの鑑定眼が反応した。


 指先が痺れる。目の奥が熱くなる。物質の声が、距離を超えて流れ込んでくる。こんなことは今までなかった。触れずに、これほど明瞭に読めたことなど。


 組成が、違う。


 産地が、違う。


 加工痕が、天然結晶と一致しない。


 間違いない。やはり、偽物だ。


「お嬢さん、立ち止まるな」


 衛兵に促されて、リーゼは広間を出た。重い扉が背後で閉じる。


 薄暗い回廊を歩く。衛兵の靴音が石の壁に反響していた。


「辺境か」


 先ほどの衛兵が、独り言のように呟いた。


「グリュンタールは遠いぞ。王都からは馬車で五日はかかる」


「……そうですか」


「知り合いはいるのか」


「いいえ」


 衛兵はそれ以上何も言わなかった。


 一つだけ確かなことを噛みしめた。


 私の鑑定は、間違っていない。


 それが救いになるのか、呪いになるのか。今の自分には、まだ分からなかった。


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