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寄り道ありマス  作者: 九木十郎
その2
7/14

2-2 平穏無事がイチバン

「まぁ出荷検査やっていれば、こういうコトもありますよ」


 特急列車の座席に身を沈めた渡邉さんは、そう言って静かに笑っていた。「あまり気にしないことです」と、真っ白な頭をなで上げて笑う口元には何本もの銀歯が光っていた。


 昨年に六〇歳で定年退職したのだが、大花田はそれ以降を年極契約社員という形で再就職が可能だ。渡邉さんはその制度で事務職に残って居る職員だった。

 だからだろうか。何というか、事務所に居る他の役職の人と比べてピリピリとした感触がなかった。


「一度こういう痛い目を見ると、二度とすまいと思うでしょう?それが大事です」


「スイマセン」


「まぁあの本棚の縦板は左右判別つきづらいですからね。見間違うのもむべなるかな。ボクも以前間違えそうになったコトがあって、いっそ左右同じ部品にしたらどうかと提案したことはあったのですよ」


「それって、ダメだったんですか?」


「あの本棚は数が出ない上に、左右同形状にすると逆に工数が一つ増えてしまいます。それで却下されてしまいました。選別工程が無くなる方がメリット多いと思ったのですが、管理職としては加工時間短縮と余剰工程排除を重視しますから」


 立場が変わればモノの見方も変わるし優先順位も変わる、白髪の御仁はそう言って肩を竦めた。


 今回は四、五百ほどの開梱と再梱包でケリが付くだろうと渡邊さんは言う。そして千単位の製品を全数調査したときには骨が折れた、今回は楽な方ですよなどと笑っている。

 だが僕は五百という数を聞いた時点で、かなり陰鬱な気分になっていた。重たい溜息が足元によどみ、まるで鉛のようだ。


「直々に出向いて修正する必要、あるんでしょうか」


 いちいち全ての梱包解くまでしなくても、客からクレームが来た時点で直ぐさま対処すれば済むのではないか。本棚ひとつにこれ程の手間と出費を重ねるのは、会社の損失ではないのか。


 そんな疑問を口にしたのだが、「とんでもない」と大仰おおぎょうな顔をされた。顔はおどけていたのだが目は笑っていなかった。


「商品や設備が壊れても、交換したり直したりすれば良いだけの話です。しかし人の気持ちはそうはいきません。信用を失うのですよ。それがどういうコトなのか判っていますか」


 口調は丁寧だが、小さくない感情の圧を感じた。


「あなたの考え方は仕事の質を落とします。あなた自身をおとしめますよ」


「・・・・」


「お客様あっての商品であり、そして会社です。どんなに優れた製品でも、不実な会社が作った商品をあなたは欲しいと思いますか。フォローされたとしても、次に同じ会社から買いたいと思いますか」


 僕は言葉に詰まった。迂闊うかつな物言いだったと知ったからだ。


「国内での家具や製材、木工製品は、中国や特に東南アジア方面からの輸入品や委託生産品に押され、もはや青息吐息です。先行き暗いですね。

 品質向上やアフターサービスは限界があり、遠からず大花田は更なる工場縮小を余儀なくされるでしょう。本社工場の閉鎖がよい先例です」


 そうだ、その余波で僕はこの会社で行き先を見失ってしまったのだ。


「今は建築ラッシュで建材と内装品が悪くない売り上げですが、何時まで持つことやら。小口のお客様を大事にしてこそ活路があるのです。些細なことでも疎かにしてはいけないのです」


 たいそう耳が痛かった。胃の腑の辺りをジワリと握り締められているような感覚があった。


「それに今回、山口課長があなたにこの出張を言い渡したのも、あなたに期待しているからですよ」


「は?」


 思わぬ言葉に随分と素っ頓狂な声が出た。あの課長が?普段の物言いや態度からではとてもそうは思えない。ハッキリ言って返答に困った。


「やっぱり気付いていませんでしたか。手空きの人間は他にも居るのに、完成品検査員のあなたをわざわざ現場から引き抜いて出張させるだなんて、おかしいと思いませんか。

 あなたの出張中、現場はかなりタイトな作業を強いられます。手慣れた人員が一人居なくなるのですから、当然ですよね」


 言われてみれば確かにその通り。その通りなんだけれど、なんか、こう、釈然としない。懲罰とか周囲への見せしめとか、ポカの後始末だとか、そういった意味合いでの出張だと思って居たからだ。


「ははは、確かに罰という意味もあるかもしれませんね。でもそれ以上に経験させるという部分のウェイトが大きいと思いますよ」


 渡邊さんの顔は実に楽しげだ。


「失敗したあとのフォローにどんな人達がかかわっているのか。何をどうやっているのか。どれだけの手間や工数を要するのか。一度体験すれば容易く忘れないでしょう。

 あの方は口も悪いし度量も狭く、見限った相手にはトコトン冷たいですが、人を見る目は確かです。あなたに成長して欲しいのですよ」


「あの・・・・何気なにげひどい物言いではありませんか」


「まぁ、いまの課長評はボクとあなたとの秘密です」


 そう言って渡邉さんは小気味よくウィンクをした。


 奮闘すること丸二日。いくつかの客先を巡り二百と少しの製品を開梱して問題の商品を見つけることが出来た。

 安堵するやら脱力するやら。そしてそれぞれの客先にそれぞれ「ご迷惑をおかけしました」と頭を垂れ謝罪して、僕と渡邉さんは何とか帰路に着くことが出来たのである。


「一番大口の客先が小売り店に出荷する前で助かりました。ヘタをすれば全国各地から返品手続きを依頼するところでしたよ」


 そんなことにでもなれば、かかる費用は自分達二人の出張費どころの話ではない。早めに手を打てたのは幸いだったと、白髪の御仁は帰りの列車の中で笑っていた。僕はそれにただ苦笑を返すことしか出来なかった。


 自業自得とはいえ正に疲労困憊。

 身体よりも気持ちの方がすり切れ気味だ。


「疲れました」


「まぁ、良い経験ではないですか。これも人生ですよ」


「もう二度と御免です」


「それはボクも幾度となく思いましたが、もう馴れましたよ。この旅情も仲間の尻拭いをしたご褒美だと思えば腹も立ちません」


 ははは、と笑う横顔は屈託が無い。そんな渡邉さんを少し尊敬し、と同時に気の毒だとも思った。この人は似たようなトラブルがあるその都度に、駆り出されているのだと知ったからだ。

 自分が渡邉さんの立場だったらどうだろう。とてもではないがここまで達観出来そうにもなかった。


 と同時に僕は何をやっているのだろうと思った。つまらない毎日が続くと愚痴こぼす鼻先でのこの体たらく。みっともないにも程がある。


 仕事に慣れて緩んでいたのだと言われたら全力で否定したかった。

 だがきっと間違いなく僕は油断していたんだろう。仕事は相変わらず面白くはないが、いい加減にしてよいという理由にはならない。何時か何処かで聞いた言葉だが、それが身に染みた。


 これからはもう少し自分に厳しくなろうと思った。




 珍しくスマホのアラームが鳴る前に目が覚めた。

 しばらくパイプベッドの上でボンヤリした後に起き出して、昨日買ってきたコンビニのサンドイッチとオレンジジュースで朝ご飯にした。やれやれという気分だった。


「会社に行きたくないな」


 昨日は昼過ぎに戻って来て到着した駅で課長に一報入れたのだけれども、子細報告は明日でいいと言われてそのまま直帰したのだ。

 珍しい、報告はともかく定時まで何某なにがしかの仕事を言いつけられると思って居たのに。たとえ出張帰りでも時間を無駄にすることは許さん、てな感じで。


 電話越しだったが、背後で何やら立て込んでいる気配があった。

 また何か問題が持ち上がっているのだろうか。

 課長やA班のみんな、特に村瀬と顔を合わせるのが億劫だった。

 またぞろ嫌みを言われるのは間違いあるまい。


 チャリ漕いで会社に到着し、タイムカードを押そうとして、脇にある掲示板に見慣れぬ掲示物があることに気が付いた。表題は赤字で大きく書かれてあって、内容は災害速報だった。


 世間様で災害というと、地震とか台風とかそういう天災的なイメージがあるけれど、工場なんかの生産現場なんかじゃチト違う。

 基本的に設備がらみのトラブルとか、怪我とかにまつわる事故人災、労働災害の方だ。事務所で踏み台代わりにキャスター付き椅子の上に立ってひっくり返り、足首捻ったりしても労災となるご時世なのである。


 どうせ大した事ではあるまいと思ったのだが、内容は思ったよりも深刻だった。大花田の別工場で怪我人が出たらしい。速報なので概要しか書かれておらず、詳しい内容は追って連絡とあった。

 だがどうやら作業者が切断機で指を落としたらしい。


 そして昨日、課長が電話越しに慌ただしかったのはコレが原因かと思い至った。 


 朝のミーティングは件の別工場の災害にまつわる内容と、安全作業の徹底という訓示に終始した。

 いつもならば五分程度の業務連絡だけで終わるのにたっぷり二〇分もかかり、「同じ台詞を何度も繰り返すなよな」と愚痴る年配作業員にまじって会議室を後にすることになった。


「怖いねぇ。痛そうだねぇ。恐ろしいねぇ。回転ノコで指を落とすだなんて聞いただけでもゾッとするよ」


 一〇時の休憩になると、自販機の横でカップの珈琲を飲んでいた僕にパートの白石さんが話し掛けて来た。このおばさんはこの職場に来て長くて、おっとりとした話し方に似合わず仕事はそつなく早く正確で、信頼できる作業者の一人だった。

 経験があって気楽に話せる人物なので、色々と助けられている。このひとが居るから僕は安心して仕事が出来ると言っていい。

 正直、村瀬よりも信頼していた。


「詳細はまだ出ていないですけれど、課長の話じゃあどうやら回っているノコを止めずに、素手で切りくずを取ろうとして巻き込まれたらしいですよ」


「ええ、なんでそんなことやっちゃうの。止めてからすればいいじゃない」


「ですよねぇ。課長もゲンナリした様子で話してましたよ」


 僕なら怖くて絶対にしない。やるなら完全に停止させるし、せめてハケとかホウキとか使うだろう。それだって巻き込まれたら、折れた柄が飛んでくる事だって在り得る。

 素手なんてもっての外だ。何の為の非常停止ボタンなんだ、と思う。


 朝から課長は職場を逐一ちくいち見て回り、各部署の責任者に作業手順のリスニングと注意喚起を行なっていた。

 現場管理職には社長直々に、全ての作業者と工場内の作業状況を確認して危険箇所や危険な作業の洗い出しをしろとのお達しがあって、工場長共々現場に入り浸りの状態らしい。


「事故や災害が起きる度に同じことをやっているねぇ」


「そうなんですか」


「そうだよぉ。こういうのって立て続けに起きたり、定期的に起きたりするからピリピリするのも分るけれどもね。お役所さんに目を着けられる訳にもいかないし。まぁ誰しも起こそうと思ってやっている訳じゃないんだけどさ」


「そりゃそうですよね」


 白石さんは一息つくとカップの緑茶をずずっとすすった。


「慣れてくると『これくらい大丈夫』とか、『いつもやっているから平気』とか思うようになっちゃうから、ケガしない程度に小さな失敗をして、『しまった』とかビックリする方が事故は少ないかも知れないね。

 あ、いけない、いけない。こんなこと言っちゃダメだよね。課長さん聞いていないよね」


 慌ててキョロキョロする姿はコミカルだったが、今の僕には何気なにげに痛い台詞だった。


 その言葉通りなら昨日までの苦行は、大きな失敗に至る前の警告だったのだろうか?

 確かにアレは身に染みたから同じミスは起こすまいと、以前よりも子細に注意を払うようになった。渡邉さんも言っていたが、自分の知らない苦労を体験することはきっと大事なんだろう。


 でもトラブルが起きないのならそれに越したことはない。誰だって望んで、辛かったり苦しかったり痛かったり、冷や汗かいたり血の気が引く思いなんてしたくはないはずだ。


 遠い昔には「我に七難八苦与えたまえ」なんて、頭おかしいコトのたまう人物も居たようだけれど、そんなのは余程のひねくれ者か生粋のマゾヒストに違いない。

 やっぱり平穏無事がイチバンだと思うのだ。


 数日ぶりに戻って来た仕事場はいつもよりも慌ただしくて、何とも言えないピリついた空気であったのだけれども、いつもと変わらぬ忙しさのままで一日を終えた。

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