「お勘定」と屋台の親父に声を掛けた
仰ぐ遠くの空は、夜だというのにどんよりと濃い鉛色の風情で曇っていた。
低くて厚い雲量が遠くの街、地上の明かりを受けて見えているのだ。
「雨になりそうだな」
見上げていた屋台の親父さんが心配そうに呟き、「天気予報が必ずしも当たるとは限りませんから」とどんぶりを抱えてスープを飲んでいた女性がお椀を置きながらそう応えた。
「見送ったダケで良かったの?」
彼女の隣に座って居るのはキツネの面を着けていた女性で、お面を外すこともなく器用にネギラーメンをすすりながら問いかけていた。
「わたしが決める事ではありません。あなたは未練タラタラのようですけれど」
「自分の事を棚に上げてよく言うわ」
「ニケがまた彼から煮干しをもらっていました。自慢げに咥えてやって来てましたよ。相変わらず律儀です。道案内のお礼なんでしょう」
「彼は憶えてなんかないわよ。ただ何となく、それだけじゃない」
「お裾分けが欲しいのですか」
「要らない!わたしを何だと思って居るの」
「親父さん、彼はどんな様子でしたか」
「元気だったよ。何か前よりも生き生きしてたな。気になるならあなたも会ってくるといい」
「元気なら良いのです。それにルールですから」
「カタッ苦しい、今どき遠くから見守るなんて流行らないわよ」
「古い女ですので」
「規範なんて世相を映したものでしょう。時代と共に変わるわ」
「そうですね。でも自分の願望で反故にするのは違うでしょう。その一方で自分をがんじがらめにするのも違うと思って居ます。必要ですけど絶対という訳ではありません」
「だったら目を瞑る選択肢もアリでしょうに。ストイックに過ぎてもつまらないわよ」
「急いても良い結果が待っているとは限りませんよ」
「善は急げとも言うわ」
「ではわたしは悪い子かも知れません」
「呑気なのはわたしが保証するけどね」
しばらくラーメンをすする音だけが続き、どんぶりが空になった方の彼女は、屋台の親父におかかの入ったおにぎりを頼んだ。
「彼と一緒に食べ歩きたかったのでしょう?今からでも遅くないと思うけど」
「選ぶのは彼なのです。そしてもう自分の道を見つけたのです。惑う必要が無くなったのです。わたしが無理強いすることは出来ません」
「無理しちゃって」
「分かれ道や迷い道、そして様々なしがらみの前で悩んで出した答えなら、どのような結果であろうと糧になります」
おにぎりを受け取ると一口頬張り、むぐむぐと静かに咀嚼した。
「行き先が思って居た通りじゃなかったりする事も在るでしょう。ですが目的地はあくまで目的地。道すがら路地に入り込む気まぐれも悪く在りません。折れそうになったとき、或いはまた迷うことになったとき。
行き先は逃げないのです。のんびり歩けば良いのです」
「それは彼の事かしら」
「さあ」
「それとも、あなたの寄り道なの?」
「どう感じてどう受け止めるのかはお任せします。大事なのは、いまこの瞬間を無為にしないことだと思って居ますので」
そう言うと彼女はおにぎりの最後の一口を呑み込み、にっと笑うと「お勘定」と屋台の親父に声を掛けた。




