1-2 「おまえはアイツみたいになるなよ」
最初のショックは入社式その当日だった。
式は本社の小さな会議室で行なわれ、壇上に上がった社長は何処にでも居そうな初老の男性だった。白と芥子色のストライプ柄のネクタイが少し左に曲がっていた。隣に座って居た自分と同じ新入社員の男が、微妙な顔で目配せをしてきたのが印象的だった。
饒舌とは言い難い物言いで「みなさん入社おめでとう」と言った。そのまま中身のないボンヤリとした祝辞がボンヤリと演説された。
そして祝辞の最後に、本年度より利益の見込めない楽器類制作部門を廃止する、と聞かされた。
「・・・・」
は?
いま何て言った??
目の前のストライプネクタイな社長はサラリと言ってのけたけれど、ソレは決して聞き捨てならなかった。
実に衝撃的かつ、致命的な一言だった。最初は何かの聞き間違いかと思った。次はサプライズ的な祝辞ジョークかなとも思った。
だが残念ながら僕の耳が故障していた訳でもなく、壇上に立つ初老のオジサンの小粋な演出でもなかった。聞いた通りそのままの意味内容で、営業と事務部所を移動したのち本社工場を丸ごと閉鎖するとたたみ掛けられて、仄かな一抹の希望も瞬時に吹き飛んだ。
成る程。世の中には、不条理と呼ばれるモノが大手を振って闊歩しているらしい。想像以上だ。コレでも物心ついた頃からその手のままならない現実には少なからず遭遇し、そして翻弄されてきた。ある程度の耐性は付いているつもりだった。
だがしかしコレはないのではないか?
何故に新たなスタート切ったその当日に、目的であり目標であったものが目の前で、こうもアッサリきれいさっぱり雲散霧消せねばならないのか。開いた口が塞がらないとは正にこのこと。
云うべき事を言い終えて壇上から下りる社長から何とも妙な視線をいただいたが、文字通りあんぐりと口を開けたまま固まっていた僕は、それを気にする余裕すら無かった。
ただ、入社する前に教えてくれよと思った。
そして面接の時に、楽器製作部門の子細を訊ねた途端に向けられた、面接官の微妙な表情と、「何処に配属されるのかは希望通りにならない事が多い。過剰な期待はしないように」という、実に歯切れの悪い台詞を思い出していた。
そして踏み出した刹那、大事なモノがすっぽ抜けた僕の社会人生活は始まったのである。
タイムカードを押した後、真っ暗な駐輪場から自分の自転車を引っ張り出してサドルに腰掛けた。その瞬間、誰かに呼び止められたような気がした。
何だろうと思って周囲を見回したが誰も居ない。がらんとした駐車場を照らす野外灯が閑散とした空気を演出しているだけだ。空耳かと思ってペダルを踏もうとしたら、「シカトするな」とまた声が聞えた。
「気付いたくせに、そのまま行こうとするなよ」
呼びかけのあった暗がりの中に目を凝らしてみたら、デニム地のジャケットを着た男性が眉毛を八の字にして笑いながら歩み寄って来るところだった。
隣班の班長、那須山さんだ。四角い顔の輪郭に太い眉が特徴的で、皆から「下駄さん」などと呼ばれていた。何気に失礼。けれど本人は特に気にしている様子は無かった。この後何か予定があるのかと聞かれて、「無い」と答えたら飯食いに行こうと誘われた。
「いや、その、給料日前で懐具合が」
「若いヤツの財布なんざアテにしてないさ。奢ってやるから安心しろ。それに確かおまえは下戸じゃあなかったよな?」
そんな風に言われたら断りづらい。しかもアルコールもワンセットのようだ。確かにカップ麺やコンビニ弁当にも些か飽きてきたところではあったので、「じゃあお言葉に甘えて」という話になった。
「おまえの他にもう一人居るが、一緒でも構わんよな?」
那須山さんはそう言って背後の暗がりに目配せすると、ソコから出てきたのは村瀬だった。
ソコは行きつけの中華料理店だった。工場から少し離れているが、以前何度か会社の慰労会や歓送迎会をやっているので自分達には馴染みの店だ。
「下駄さん、ゴチっす。いっただきぃ」
最初の一皿が運ばれてきたときに、村瀬は真っ先に箸を伸ばしていた。
「おう、どんどん食え。しかしもう三年か。早いものだな」
「此処で四度目の花見の季節っすよ。そう言えばまた、お寺だか神社だか知りませんが寄付が回ってきましたよね。なんすかアレ、毎年毎年。出さなきゃならんもんなんすか?俺はスルーしてますけど」
そう言えば春になると新入社員の顔ぶれと共に回ってくるな。全然気にも止めてなかったけれど。
「なんだ、誰かから何か言われたか」
「課長からっす。毎年集まりが悪い、今年は出来る限り集めろ、と愚痴られました」
「ほっとけほっとけ。工場長や役職の人間とか、金と責任の有るヤツに任せとけ。地元神社の関係者が春の礼祭用の基金を集めてるんだ。加茂池の脇にある古びた神社なんだが、由緒ある土地神さまだとか何とか。神社の修繕費や、神主呼ぶために地元の爺さんや婆さんが騒いでいるダケだ」
「祭りとかやってましたっけ?」
「お前の考えて居る祭りじゃないぞ。タダの神事だ。神主が祓串を振ってお祈りするだけの地味な行事だよ。俺も以前参加させられた。実に退屈な一時間だった」
「屋台も無しで?」
「無しだな」
「しょぼ。そんな下らない事に金せびるんすか」
「古い地元民には大事なことなんだろう。爺さん婆さんは暇持て余してるからな。だが拝殿の奥に在るご神体は拝ませてもらったぞ。ちょっと変わった神様だったな」
駆けつけ三杯ではないが、那須山さんはもう三杯目のジョッキを空けるところだった。頼んだ料理はまだ餃子と回鍋肉しか出てないのに、随分なペースだ。
僕はそれほど飲めるわけではないので、まだ一杯目のナマをようやく半分飲んだところだった。
そして隣に座る村瀬は那須山さんと変わらぬペースでジョッキを空けている。この細身の身体の何処に入っていくのかと、見ているコッチが心配になる程だ。
「飲むの早くないか?」
「コレくらいどってことないすよ」
ヤツはそう言って笑っていた。
「村瀬もようやく飲める歳になったからなぁ」
そう言って四角い顔の御仁も赤ら顔で、うははと笑った。
だけど僕の記憶が確かなら、村瀬は入社したその年からビールを飲んでいたような気がする。そしてその時には、周囲に居座る誰もが彼の年齢を尋ねなかったし、窘めもしなかったような・・・・
みんな姑息だなと思った。
「オレはおまえたち二人を応援しているんだ。うちの連中は今ひとつ熱意が足りんというか覇気がない。何かやっちゃろうというチャレンジ精神だよ」
そう言ってジョッキを煽ると、半分ほど残っていた中身は一瞬で消えて無くなった。
「毎日同じコト繰り返しているとイヤになることもあるだろうが、それは間違っとる。同じ事を繰り返しているからこそ、不便だと思うことや、もっと上手くやる方法だのを見つけるコトが出来るんだ。それが仕事を良くするアイデアに結びついてゆくんだよ」
「トヨシマ自動車が世界に広めたカイゼンっすね」
「その通り。だがアレも善し悪しでな」
そして拳を握り締め酔眼を据えて、滔々《とうとう》と語り始めるのだ。デカい企業は窮屈で敵わん云々。大花田は小さいが沢山チャンスをくれるかんぬん。働きがいが在るのは小さい会社だどうこう。どんどんテンションが上がってゆく。
そういやこの人は元トヨシマの社員だったんだっけ。
那須山さんはよく喋った。それに合わせて村瀬も良く話し、そして笑っていた。二人はもう完全に意気投合してしまっていた。
飲み物はビールからチューハイになり、そして日本酒になったが飲むペースが変わらない。胃袋に消えて行く食物とアルコールの量が増えてゆくにつれ、次第に声量も大きくなっていった。
けれど本人たちはそれに気付いているんだか、いないんだか。話すごとに周囲の席からチラホラと視線が刺さってくるのが居心地悪い。
「光島ぁ、飲んでるか」
村瀬がトイレに立った隙に大きな声が僕を圧倒した。真正面から些か怪しい光りを放つ酔眼が、にかっと笑ってねめつけている。片頬で苦笑を返すことしか出来なかった。
「此処だけの話だが、オレは村瀬よりもお前を買っている。今はヤツに追い抜かれちまったが、コツコツと地道に足元を固める仕事っぷりには感心しているんだ。外野なんて気にするな。お前のペースでいけ。応援して居るぞ。
だが、もうちょっと欲張りになってもイイと思うがな」
そう言って肩をばんと叩かれた。那須山さんは、がははと笑っている。そろそろ別の飲み物はどうだ、此処のチューハイはけっこうイケるぞ、食い物も殆ど減ってないじゃないかと色々とせっついて来た。確かに僕は此処に来てからというもの、殆ど飲んでいなかったし食べても居なかった。
叩かれた肩が地味に痛かった。そして胃袋の辺りも急に痛くなった。少し口を着けていたジョッキをそのままテーブルに置いた。中身は殆ど減っていなかったが、飲む気はすっかり失せていた。
そして「今夜はもうこの辺で」と席を立った。
もう耐えられなかったからだ。
「おいおい、まだ大して飲んでないだろ。明日は休みだし、まだ宵の口だ。遠慮する必要ないんだぞ」
そう言われても、もう小一時間は経っている。
「いえ。あんまり強くないんで。今日は誘って下さってありがとうございます。ごちそうさまでした」
そう言ってペコリと頭を下げた。物言いたそうな顔だったが「そうか」という返事と、タクシーを呼ぼうかという申し出があったものの、「歩いて帰りますから」と固辞して店を出た。
店の敷居を跨ぐ際にトイレから村瀬が戻って来て、那須山さんがヤツに掛けた大声がちらりと聞えた。「おまえはアイツみたいになるなよ」とか何とか。随分と憤慨した口調だ。
ヤレヤレという気持ちでやれやれと溜息をついた。




