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寄り道ありマス  作者: 九木十郎
その5
27/35

5-4 彼女は、にっと笑った

 いつもの休日となり、いつものように日常消耗品だの一週間分の食材だのを買いあさり、いつものように通い飽きた店で昼食を摂って、いつものように部屋に戻った。

 なんという退屈でつまらないルーチンワーク。


 しかし本日はいつもとはちょっと違う。ちょっとした成り行きでちょっとしたの予定が在るのだ。


 キリエさんと会う約束は、今週末の夕刻という極めてアバウトな取り決めでしかなくて、場所と時間をキチンと取り決めた訳じゃなかった。けれど特に焦りはない。


 いつものように当て所なくブラブラしていればそのうち気が付かぬうちに、きっと不可思議な町に迷い込むに違いないという、そんな全く根拠のない確信があった。


 まぁ、迷子になる自信だなんて全然自慢にならないのだけれども。


 そもそも、町への行き方というものが漠然とし過ぎているのである。普通じゃない町への往来に普通の予定が立てられるはずがない、仕方がないじゃないか。約束が守られたらラッキー程度に考える方が順当だろう。


 無責任だろうか。


 そしてそうこうする内に、町にはまた夕刻が近付いていた。


 小さな池のある公園のほとりをただトボトボと歩いた。時折子供を連れた母親や、散歩している初老の男性とすれ違ったが人通りはまばらだった。もう一日が終わる。明日からはまた仕事三昧の日々が始まるのだ。

 休日なんてあっという間だと思った。


「あら、偶然ねぇ」


 エコバッグを下げた主婦から唐突に声を掛けられて顔を上げると、見知った顔の女性が笑んでいた。


「白石さん。買い物の帰りですか」


「そおよぉ。もう大分気温も高くなってきたし、今夜はサッパリしたものでも食べようかと思ってね」


 手元にれる袋からはネギだのキャベツだのが顔をのぞかせている。何を作るつもりなんだろう。


「光島くんはお散歩?」


「今夜は何にしようかと思案中だったもので」


「ひょっとして外食なのかしら。お高くなぁい?」


「一人分だとかえって作る方が割高になります。お米だけ炊いて惣菜はスーパーで買った方が一番安上がりですね」


「言われてみればそれはそうかもね。ところで、そのお連れの方は彼女さんなのかしら」


 えっ、と白石さんの視線を追って振り返ってみれば、いつの間にかそこにはキリエさんが立っていた。軽く会釈して、にっこりと何とも言えぬ深い笑みを浮かべていた。


「ひょっとしてデートの最中?」


「あ、いや、その、コレはですね」


 待ち合わせは待ち合わせなのですけれども、と言い訳しようとして寸でのところで思いとどまった。そんな事を口にすれば、きっと白石さんに確信を抱かせる羽目になる。

 気配りの出来る人だから言いふらかすような事はしないだろうけれど、誤解のネタは少ない方がイイ。


「いやねぇ、言いふらかしたりしないわよ。綺麗な方なのね。じゃあお邪魔しちゃあ悪いからお先にね」


 言いよどんでいる内に白石さんは一人で納得して、ペコリと頭を下げると「また明日」と言って去って行った。とことこと可愛らしい足取りで家路につく後ろ姿を見送りながら、あれ?綺麗ってどういうコトだろう、と小首を捻った。


 キリエさんの顔が見えているのだろうか。いや、本当に見えていたら、ツルリとのっぺらぼうな彼女を相手にあんな平穏至極な対応はしないだろう。


「ツルリとのっぺらぼうな相手でも、『目鼻の無い人間など居ない』という思い込みのお陰です。難しく考える必要は在りません」


 背後から耳元へそうささやかれて、何とも言えない気分になった。


「もうこれで何度目か忘れましたけれど、僕の考えていることを見透かすのは止めて頂けませんか」


「分かり易いものですから。それにあのご婦人にも、啓介さんの思惑は見え見えだったではありませんか」


「放っといて下さい。それに何ですか、その思い込みのお陰というのは。そんなもので見たはずのものが、見えたり見えなかったりするとでも言うんですか」


「それでは啓介さんは生まれてこの方今現在まで、思い込みなどタダの一度も無かったと、そうおっしゃるのですか」


 念を押すように質問を質問で返されて、思わず口籠もってしまった。


「意地悪な物言いになりました。でも案外見聞きした事実よりも、思い込みで行動したり判断したりすることは多いですよ。そして存外それでなんとかなっています。世の中なんて思っている以上にあやふやなものですよ」


「いやいや、それはどうかな。文字や数字や写真なんてのは、それこそ見たまんまでしょう。普段見知った人がいつもと違う服を着ていたら、『おや』って気付くじゃないですか。仕事でも普段と同じだと何も考えずに作業したら、とんでもない失敗をしでかします。

 思い込みだけで何とかなるというのは、少し乱暴じゃありませんか」


 此処ここは譲れないところだ。あの製品取り違えの失態は、未だ色濃い苦い記憶だ。以来、ノーモア思い込みと己に課している身としては、断じて承服出来ない理屈だった。


「ですから、難しく考える必要は無いのですよ。世の中には必要なものと然程さほど必要ではないものとが在ります。常にピリピリしていたら心が病んでしまいます。要は緩急なのです」


 ピリピリしなければならないときにはピリピリする。そうではないときには思い込みとなぁなぁで充分事足りる。それで世の中回っている、そんなコトをのたまうのだ。


「夫婦の間でも奥様の美容室帰りの髪型や、新しく買った服などに気付かない旦那さんは沢山いらっしゃいますよ」


 キリエさんは続けてご高説を披露する。


 毎日通る通勤通学の最中、いつもの道にいつもの道順、そこにどれ程の数の道路標識があるのか、どんな種類があるのか憶えていらっしゃいますか。きっと正確には思い出せないでしょう。そんなものなのです。


「わたしに目鼻が有るとか無いとかは、世界にとってどうでも良いことなのです。なので誰も気にしないのです」


 納得出来そうで納得出来ない。

 いや、納得しちゃあ駄目なんじゃないかなと思うのだが、上手い具合に反論が思いつかなかった。


「大事なのは本人がコレで良いと納得することです。それで世界は全て事もなし、ですよ」


 その台詞も以前に聞いた気がする。そしてまたしてもそれっぽい物言いで言いくるめられ、煙に巻かれているような気がした。


「啓介さんもいま少し、肩の力を抜いた方が楽に生きてゆけると思いますよ。まぁ、わたしとしては、そんな几帳面なところも気に入っているのですが」


 再びにっと笑うと僕の左腕に手を絡めてきた。


「キ、キリエさん?」


「それでは先日の約束通り、夕刻デートと行きましょう。行ってみたいお店や食べてみたいものなどはありますか。思いつきませんでしたか。でしたらわたしのチョイスでよろしいですね?」


 こうして僕は半ば有無を言わさぬ調子で腕を取られ、陽の傾き始めた公園を後にしたのである。




 キリエさんのお薦めのお店はオムライス専門店だった。


 看板には「キッチン卵」などとある。シンプルで実に分かり易い名前だ。そう言えば「大衆食堂」だの「普通のレストラン」だの、キリエさんの選ぶお店はそんな類いの名前が多い。


 専門店とうたっているわりには、メニューにチキンライスもあればチャーハンもあったし、グリンピースの豆ご飯やピラフ、リゾットもあった。


 要はご飯系統のバリエーションをそろえたお店らしい。カレーライスは無いのですねと言ったら、「カレーはまったく別の食べ物ではありませんか」と何処どこか憤慨したような口調でたしなめられてしまった。


 僕はそんな変なコトを言っただろうか。


「今日は何処か心此処に在らずといった感じですね」


 サラダも全部平らげて、食後の珈琲を飲んでいるとそんな風に話し掛けられた。


此処ここのご飯はお口に合いませんでしたか」


「いえ、そんなコトないです。美味しかったですよ」


 彼女が勧めるがままに頼んだカンバンメニュー「平凡オムライス」は、名前どおり特別な料理じゃなかったけれど、また食べたくなるようなクセの無さが良かった。毎日は流石にカンベンだけど、朝食で食べる卵かけご飯みたいな味わいと言えば一番近いんじゃないだろうか。


 ちょっとだけ考えた後、思い切って「この町で行ってみたいところが在るのですが、どうすれば行けますか」と尋ねてみた。


「面白いコトを聞きますね。よろず屋さんから地図はもらったのでしょう?それを見れば迷うことは無いかと思いますが」


 それは普通の町の話である。キリエさんやその知人の住む町は、僕の知っている平凡な日常より一寸だけ、脇にれた辺りに存在して居るではないか。

 僕が望んだときに時に入り込めるとは限らない、不確かであやふやな町だ。何と言うか「こうすれば間違いが無い」という確実なやり方が欲しかった。


 そんな風に付け加えたのだが彼女はにべもない。


「世の中は不確かなモノで満ち満ちています。絶対確実な事柄なんてタダの幻、煙のようにはかなく消え失せる蜃気楼です。

 望めば門は開かれると、以前にも申し上げたではありませんか。心を決めてベストをつくし、そして現状を受け容れる。為すべきコトを為せば、あとは座して天命を待つの心持ちで良いのではありませんか」


 そんなコトをおっしゃるのである。


「い、いえ、そうじゃなくてですね……」


 ただ単に、僕は目的の日時その場所へ確実に着きたいダケなのである。


「ダメですよ、デート中に他の女性のコトを考えては」


「他の女性って……」


 確かに、あのキツネのお面を被った女性からのお誘いに、どうやって訪ねて行こうかと気を揉んでいた。だから反論は難しかったし、彼女が言うとおり褒められた話じゃないだろう。


 いや、単純に失礼だよな。


 反省して素直に「すいません」と謝った。すると急に、目鼻のない彼女はクスクスと笑い始めるのである。


「冗談です。わたしを目の前にしているというのに、気もそぞろだったのでイジワルをしてみたくなったダケですよ」


 何処に行きたいのですか、と訊かれて少し迷った後に、キツネ面の女性から受け取った名刺を差し出した。


「やはりおゴンさんでしたか。この場所は良く知っていますよ。教えるのはやぶさかではありませんが、条件があります」


 そう言って彼女は、にっと笑った。

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