4-4 「正にチャーシューという感じがしませんか」
工場には煌々と灯りが点っていた。
荷役場には一〇トンの貨物トラックが荷扉を開けて停車していた。
運転手の姿は見えない。だが工場のシャッターは開けっぱなしで中で忙しく働く作業員が垣間見られた。チラリと見えた横顔は那須山さんだった。深夜残業は二日立て続けに敢行されていたのだろうか。
そしてその脇には見慣れない、しかしとても見覚えのある作業者が居た。こちらからは後ろ姿しか見えずしかも前屈みなので顔が判別出来なかった。
だがその人物は僕が一番良く知っている。何故ならば……
急に胸がザワザワした。落ち着かないなんてものじゃない。僕は確かに此処に居る。だからこうして見るコトなんて出来る訳は無いのだ。だと言うのに、そんな莫迦なと思いつつも否定することが難しい。
荷役場で「彼」はただただ一心不乱に働いている。「僕」から見られているなんて気付きもしない、気付ける筈がない。不意に誰かから声を掛けられたらしく、彼はふと顔を上げた。
そして見えたその横顔に思わず「あっ」と声を上げそうになった。
それは間違いなく僕の顔だったからだ。
「確かにあれは啓介さんですね」
すぐ隣から、一緒にフェンス越しに荷役場を覗き込んでいたキリエさんの呟く声が聞えた。
「ぼ、僕のにせもの?」
「どちらも本物ですよ」
二の句を返すことが出来なかった。スマホで動画を撮られたときに、自分の姿は他人からこんな風に見えるのかと妙な感慨を持ったことがある。その時と全く同じ気分だったからだ。
妙な気分だ。目の前の僕は確かに間違いなく僕なんだろう。
自分で言うのも何だけれど、手慣れた動きで仕事している。でも端から見ているとなんかこう、余裕が無い。
あくせく真面目に仕事をやっているのは間違いないのだけれど、危なっかしくて、張り詰めていて。今にも破綻しそうで。
「……」
他の人達はいつも、今の僕のような気分で僕を見ていたのだろうか。
皆と何が違うのだろう。そう思って見て居る内に、そういうコトかと気が付いた。良く言えば一心不乱。悪く云えば目標物以外見えて居ない。手元の作業が一段落したときくらい、顔を上げて周りを見回すゆとりが在ってもいいんじゃないのか。
一拍おいてから次の仕事に取り掛かっても大して時間は変わらないだろうに。
自分で自分を急かせても何も良いことないだろうに。
駐輪場は何処ですか、とキリエさんから声を掛けられて我に返った。
「あ、駐車場の東よりです」
三人(?)を案内して行ってみれば果たして、何故か僕の自転車がソコにあった。唐突な雨のお陰で結局使わず終いだった雨合羽も、自転車のカゴに突っ込まれたままだった。
傘をさす余裕すらなかったのだ。合羽に着替える暇なんてある筈もない。間違いなくコレはあの日あの朝の状態のままだった。
「ほう、あったかね。なら何よりだな」
魚巡査は成る程といった風情で納得していたが、僕は全然納得がいかなかった。「紛失物は見つかったのだよね」と言われて頷き返事もしたが、やっぱり釈然としなかった。
「コレってどーゆーこと?」
それは素直に「何故」という問いかけだ。
「眠っている間に時間が少し巻き戻ったダケでしょう。よくある事です」
キリエさん、あなたは何をおっしゃっているのですか。こんな奇天烈な事がよくある事で片付けられてたまりませんよ。
「お巡りさん。どうやら啓介さんは時間迷子だったダケのようです」
「そうか。まぁ盗難でなくて良かった。ではわたしは用済みだね」
「はい。ご足労おかけしました」
キリエさんはペコリとお辞儀をし、そして魚巡査は何故か「一件落着」みたいな顔していた。いやいや、ダケって何よ。そもそも時間迷子ってどーゆー意味ですか。
姿形が素っ頓狂なら道理と常識もまた同様だ。どう考えてもオカシイ、ヘンだ、普通じゃない。
いや魚の巡査が居るというこの時点で真っ当とは言えないけれど、それでも当事者本人を置いてきぼりにして、二人勝手に納得するのは止めて欲しい。
ちょっと待ってくださいくわしい説明を、と言いかけた刹那、魚巡査は「気を付けて帰りたまえ」と言い残すと、ぴょん、と跳んで空中に浮いた。
そしてそのまますいすいと暗い夜空を飛んで泳いですぐに見えなくなってしまった。
何という達者な泳ぎっぷり。普通の魚の泳ぎ方ではなくて平泳ぎだったのも唖然とした。たといクロールでも同様だったろう。ハッキリ言って開いた口が塞がらなかった。
「……なんで空中を泳いで行けるんですか」
「お魚は泳ぐのが得意ですからね。夜は地面も空も水面も、全てが同じような色合いに染まっていて境界があやふやです。なので、その辺りを旨く誤魔化せば然程難しいことではありません」
そんな不合理な説明は断固受け容れられない。「異議あり」である。
その談でいけば夜なら僕ら人間も、水面や空中を歩けるという理屈になるじゃあないか。でもそんな現象は見たこともなければ聞いた事もない。
いやそれより何より問題なのは、今日の僕の目の前に昨日の僕が居るというこの現実だ。と言うより、いまの僕が昨晩に戻ったと言う方が正しいのか。
だとしてもだいたい何だよ時間が巻き戻るって。そもそもそこから理屈に合わないでしょう。
そんな疑問をぶつけたのだが、「些細なことですよ」などとコロコロと楽しげに笑われてしまった。
そして世の中は常識よりも非常識の方が圧倒的多数を占めています、多数決の原理です、非常識だと思っている事の方が実はより一般的な現実ですよ、などと反論された。
屁理屈だと思った。
「体験したことは、在るがままに受け容れた方がストレスないです。
こう考えては如何ですか。眠っていた時間を遡って眠る直前に戻ってきたのです。素直に『睡眠時間が儲かった、ラッキー』と。その程度に考えておいた方がお得だと思いませんか」
しかしそれは目の前の現実に馴染めるかどうかの話であって、何故どうしてという疑問にはまったく答えていないのではありませんか。
「生憎僕はそんなに非現実への順応力高くないんです。きちんと筋が通ってないと安心できないんです」
「では啓介さんの日常は全てにおいて筋が通り、納得づくの日々なのですか?」
そんな具合に問い返されて思わず言葉に詰まった。
「むしろ納得出来るコトも出来ないコトも、全部呑み込んで毎日を送っていませんか」
確かに彼女の言うとおり、世の中は筋の通ることばかりじゃない。
会社への入社当日どころかそれ以前からずっと、たかだかここ一週間の出来事ですら、いろいろな不条理で塗り固められた毎日だった。
だからズルイと思った。詭弁だとも思った。でも言い返すことが出来なかった。
「意地悪な物言いになってしまいましたね。別に困らせるつもりで言ったのではありません。ただ埒外のことが起きたとしても、全てを理解する必要は無いのではありませんかと、そう言いたかったのです。
実害が無いのでしたら『ソレはソレ。コレはコレ』と軽く流しておくのが吉かと」
言っている事は理解出来るけれど、はいそうですかと受け止められる訳じゃあない。
肚の座わらぬ小心者なのである。何か思わぬ出来事に出会す度に、慌てふためき混乱し、自分の不甲斐なさを思い知って溜息をつくのが関の山なのだ。
「そこまで達観出来るほど僕は強くないんです」
「そうでしょうか」
「そうですよ」
「気の持ち方ひとつなのでは?確かに世の中ままなりません。思い通りにならない事の方が圧倒的です。理解出来ないことも沢山あるでしょう。納得出来ないことはもっとかも。
でしたら、面白くない事や受けた不条理の分だけ楽しい事を増やして行けば良いのです」
「そんな簡単なモノじゃあないと思います」
「わりと簡単なモノかもしれませんよ」
「……」
そしてふと思い出したのは以前このヒトが言っていた言葉だった。「求めよ、されば与えられん」だったろうか?いやそれとも望んだから門が開くんだったかな。
どちらにしても何処かで聞いた風な台詞だ。もしもソレが本当ならば、ここ最近の納得できない非日常は僕が求めたその結果という話になる。
でもこんなけったいな日常なんて望んではいない。
そう、望んでいないのだ。だから与えられる筈はないのだ。だというのにコレはいったいどういうコトなのだろう。こんな理屈に合わない不条理現象は願い下げ。異議申し立てクーリングオフを要求する。
「そんなに難しく考えなくても大丈夫ですよ。クーリングオフなんて無用です。基本、害にはなりません」
「あの、何度も言いますけれど、僕の頭の中を勝手に読むのは止めてください」
「分かり易いものですから。それよりもお腹が空いていませんか。深夜に食べるラーメンというのも悪くはないですよ」
「何だかこのところキリエさんと会う度に何か食べてますよね」
「ラーメンはお嫌いですか」
「……いえ、いただきます」
実は先程から密かに腹の虫が鳴いていた。仕方がないじゃないか。何しろ半日前におにぎりを二個食べたきりなのである。
そしてこれもまた、僕が求めたからこそ与えられたものなのだろうか。そう思った。
キリエさんに案内されて訪れたのは、随分と年期の入った屋台だった。
「屋台ラーメン」と赤地に黒い文字が書かれたのぼりが微かな風にはためいていて、ごま油の香しい匂いが周囲に漂っていた。腹の虫がまたぐうと鳴る。つくづく夜の屋台というのは反則だよな、と思った。
屋台に立つのもまたヒト為らざる某なのかなと身構えていたが、何のコトはない。「いらっしゃい」と営業スマイルで出迎えたのは普通の中年のおじさんだった。
ほっとしたような肩すかしを食ったような。
それと同時にはっとして、キリエさんの姿に驚いたり騒いだりするのではと身構えたのだが、「久しぶりだね」と彼女に満面の笑みを返している。成る程、此処は彼女行きつけの屋台らしい。
何事も無くてホッとしたものの、「何故」と思いもした。
どういう経緯で顔見知りなのか、なぜ平然と出来るのか。余程に訊いて見たかった。だが流石に初対面の相手には不躾で、ましてやキリエさんが横に居るのにソレを口にするのは憚られる。
なので、ぐっと我慢した。
「別に我慢せずとも宜しいですよ」
囁き声で彼女からそんな耳打ちされたのだが、敢えて聞こえなかったふりをした。
屋台の前に並べられた丸椅子に座りながら、何が美味しいですかと訊いたら、うちのメニューで不味いものはないと言い切られてしまった。
なので穏当に味噌スープのもやしラーメンを頼んだ。定番と言えばこれだろう。
「違います、定番ならチャーシューの醤油スープでしょう」
珍しくキリエさんが力説する。
「あ、その、僕の定番ですのでお気になさらず」
「いえ、啓介さんは知らなければなりません。屋台の定番を、夜鳴きそばならぬ夜鳴きラーメンの真髄というものを」
大将、と彼女が屋台の親父さんに声を掛けたら、コクリと頷き返してラッパを口にした。
ちゃらりーらり、ちゃらりらりらー
愛嬌がありながらも、何処か哀愁漂う耳に馴染んだこのメロディ。
しかしコレはチャルメラであってラーメンとは微妙に違うんじゃないかな。
基本、中華そばのことなんだろうし。
「それは違います、啓介さん。チャルメラというのはこのラッパ状の楽器のことであって、音色や、屋台で扱う特定の食品を指している訳ではないのです」
「そうだったんですか。っていうか、相変わらず僕の考えてるコトは丸わかりなんですね」
「分かり易いものですから。それは兎も角、チャルメラの音階の最初のチャーはチャーシューのチャーなのです。
本当かどうか?それは問題ではありません。わたしの魂にそう語りかけてくるのです。だからそうなのです。なのでこの音階を耳にしたらチャーシュー麺を食べたくなるのが世の常、人の常というものなのです」
そう言い切るとキリエさんは親父さんからラッパ、いやチャルメラか。それを受け取って高らかにソレを鳴らした。夜気の中に先刻の音階が響いて溶けていった。そして「どうですか」と僕に問うのだ。
「正にチャーシューという感じがしませんか」
「あ、まぁ、そうかもしれませんね」




