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寄り道ありマス  作者: 九木十郎
その4
20/35

4-3 工場へ案内することになった

 ふと目が覚めると窓の外は真っ暗だった。


 目覚ましを見れば深夜零時を少し過ぎたところだった。

 なんてコトだ、昼過ぎどころか丸々一日寝こけていたらしい。折角の半日休暇を無駄にしたと思う一方で、それだけ疲れていたのだろうなとも思った。


「ま、いいか」


 思う存分寝たお陰で身体は随分と楽になっていた。こんなに熟睡出来たのはどれ位ぶりだろう。少なくとも昨今では記憶に無かった。ここ一年来でも数える程しかないのではなかろうか。


 休日ですらピリピリと神経が張り詰めていて仕事の夢を見た挙げ句、夜中に目覚めることも珍しくはなかった。我に返ってほっとすると同時に、夢くらい楽しくても良かろうにと一人苦笑したものだ。


 腹が減ったな、と思った。


 しかし生憎こんな深夜に開いている店などはない。冷蔵庫の中の食材は貧相で、どうあっても、あの地の果てに建つコンビニに出向くしかなさそうだ。

 自転車を漕いで片道二〇分は決して近い距離じゃない。ヤレヤレと思わず溜息が出た。大きな街ならこの時間でも開いてるラーメン屋くらいあるのに。


 あるいは深夜食堂でもいい。


 ふと猫食堂が思い浮かんだ。

 そして直ぐさま、いやいや待て待てと頭を振った。あの得体の知れない路地は望んで出向くような場所じゃない。出来れば何かの勘違いか、妄想幻想の類いだと信じたいくらいなのに。


 まぁ、今更という気はするのだけれども。


 別にイヤな相手という訳じゃない。話が通じる相手なのだから、無闇に怖がる必要はないと思う。

 しかしあのぎろりと輝く大きな目と、口元に見え隠れする大きな尖った歯を目の当たりにすれば、誰だって後退りたくもなるんじゃなかろうか。理屈ではない、生存本能のささやきというヤツだ。

 何かの拍子にご機嫌を損ねたらどんな惨劇さんげきが待っていることか。


 それにあまり度々訪れては、いつしか戻れなくなってしまうのではないのか。そんな仄かな不安もあった。


 その一方で、またアソコに踏み込めば彼女に、キリエさんに会えるかも知れないと、そんな期待をしている自分が居る。

 彼女の横に居ると安心した。学生時代、気の合う連中と一緒に居るときとも似ているけれど、それとも少し違っていた。

 何というか、冬の寒い日に熱い湯船に浸り、じんわりと痺れるような心地よさに似ているのだ。


 部屋の鍵を閉めて駐輪場に来ると、自分の自転車が無かった。

 どういうことだ、無意識のうちに何時もとは別の所に停めただろうか。それとも誰かが別の場所に移動させた?慌てて辺りを捜した。だがやはり何処どこをどう捜してみてもまるで見当たらない。


「ウソだろ」


 何と言うことだ。信じたくはなかったがどうやら盗られたらしい。施錠をした記憶はあるが所詮しょせんタイヤのロックに過ぎず、その気があるなら壊すことは難しくなかった。

 チェーンロック式にして、駐輪場の支柱とつなぐタイプにしておけば良かったと後悔したが後の祭りだ。


 どうしようかと逡巡しゅんじゅんし、取敢とりあえず警察に連絡することにした。

 事情聴取が面倒だが泣き寝入りというのも腹立たしい。何よりも自分の唯一の移動手段をかすめ盗られた鬱憤うっぷんを、誰かに聞いて欲しかったのである。

 そしてスマホを取り出して小首をかしげた。


「でも、こういう時も一一〇番でいいのかな」


「緊急でないのでしたら、交番に直に出向いた方がかえって手間は省けると思います」


 唐突に真後ろで声がして思わず飛び上がった。一瞬前までは確かに誰も居なかったからだ。振り返ると顔の無い女性が立って居た。


「キ、キリエさん脅かさないで下さいよ。どうしたんですか、こんな所で」


「啓介さんが途方に暮れていたようでしたので。何かあったのですか?」


 自転車が盗られたのだと説明したらしたら「それは一大事ですね」と静かに応えた。


取敢とりあえず届け出ましょう。一緒について行ってもよいですか」


 そう言われてちょっと躊躇ちゅうちょした。彼女のかおはあまり大っぴらにしない方が良いのではなかろうか。


「大丈夫ですよ。普通の方はわたしの顔を見ませんから」


「見ない?」


「はい、見ません。無意識に自分の生活の埒外らちがいとみなして興味も持ちません。なので何の問題もないのです」


 どういう理屈でそう為るのかは判らない。けれど、彼女が大丈夫と言うのなら大丈夫なんだろう。だが僕は交番の場所を知らなかった。三年も暮らして居てお世話になることなどなく、気にも留めなかったからだ。


 そしてマップアプリで検索しようとしたら、またしても画面は灰色のままだった。

 大概たいがいにしろと思った。


「ここ、僕の住んでいるアパートの界隈だっていうのに」


 はっきり言って面白くない。此処ここはあの徘徊はいかいを繰り返した見知らぬ迷子空間ではないのである。自分が住んでいる確かでリアルな町角なのだ。


 振り返ると自分の住んでいる部屋と見慣れた路地は確かにある。ベランダの物干し竿や四つ角にたたずむ少し錆びた道路標識も、見慣れて見覚えのあるいつもの風景だ。

 だがスマホにはまるで反映されていない。まるで端から埒外だとでもうかのように、広域情報から無視されている様が納得いかなかった。


「電波がご機嫌ななめなのではないのですか」


「電波にご機嫌なんてないと思うんですけれど」


 スマホが役立たずなので、またキリエさんに案内してもらうことになった。そしてふと脳裏に浮かんだのは、またしても叔父のビデオコレクションの中にあった古い特撮シリーズだった。


 銀色の巨人が闘うものだったが、ソコに出てきた怪獣の中に電波を操るヤツが居た。ソイツが現われて都市の信号機や通信機能が麻痺してしまう、とかいう内容だ。

 確か三ツ目で宙に浮かぶ怪獣だったような気がする。


 まさかキリエさんがソレって訳じゃないよね?


 いささ不埒ふらちな疑念であったので、僕は慌てて頭を振った。


 案内された交番では、小柄な巡査が出入り口の所に立っていた。深夜の路地にぼんやりと明かりを投げかける様子は、何やら場違いなまぶしさがあった。

「こんばんわ」と声を掛ければ振り返ったのは魚の顔だった。


 いや正確に言えば、人と同じ背丈の魚が警察官の制服を着て立って居たのである。


「……」


「どうしたのかね」


 目の前で巨大な魚の警官が口をパクつかせて尋ねている。


 正直、またかという気分だった。


「ん?何か問題があったのかな」


 何とも歯切れの悪い発音だったが間違い無く日本語で、そして人としての所作と雰囲気とがあった。なので呆気にとられたのは一瞬で、気を取り直した後に「実は」と切り出すことが出来た。


 これも慣れというヤツだろうか。

 みっともなく取り乱すよりはいいけれど、それはそれで問題があるような気もした。


「ほう、自転車を盗られた。施錠はしてあったのだね。成る程けしからん。不心得者がいるな。では被害届を作成するから住所氏名電話番号、そして君の身分を証明するものを持っているかね」


 マイナか健康保険証、あるいは運転免許証でもよいと言われたが生憎どれも持ち合わせがない。取ってきます、と言ったら魚の巡査は僕の部屋まで付いてくると言った。


「現場の確認もあるからついでだ」


 成る程(おっしゃ)ることはごもっとも。でもこんな人為らざる巡査を自分の家に案内するのは何だかなぁ。


 しかし成り行き上仕方がない。諦めて、三人(?)でテクテクと元来た道を歩いて戻ることになった。


「しかし彼氏連れとはいえ、若いご婦人が深夜に出歩くというのはあまり感心出来ないね」


「いえ、彼女という訳ではありません。顔見知りではありますが」


 キリエさんは軽くいなして微笑んでいた。「おや失敬」と魚な巡査もまた軽く返答した。


 うん。確かに彼女じゃあない。それは間違い無いのだ。でも、なんか、その……


「とはいえ不用心なのは変わりがない。彼氏くん、事が済めば彼女を部屋まで送るというのも男の甲斐性だと思うよ。それともわたしが送った方が良いかな」


「いえ、ですから、僕は彼氏とかではないですよ」


 何だかモヤモヤする会話を交わしながら部屋に辿たどり着いた。

 そして小物入れの奥に押し込んだ保険証を探し出して玄関先に戻ると、魚巡査はバインダーと用紙を取り出してその場で盗難届を作成し始めるのである。


 そこで僕は急に不安になった。


 この普通じゃない巡査に書いてもらう書類は、果たして真っ当に処理してもらえるものなのだろうか?

 ひょっとしてコレはタダのマボロシで、キチンと夜が明けた後に真っ当なヒトの警官に盗難届を出し直した方が無難なんじゃなかろうか。


 だってコレ、どう考えたって普通じゃないし。


 どう見たってヒトじゃない警察のヒトだし。


 そんな僕の失敬な思惑はさておいて、手に見えるヒレで器用にボールペンを握って文字を書くさまは、何だかCGアニメか映画の一場面のような感じだった。


「○○年○月、おっと、日付は変わっているから○○日だな」


 そんな独り言を言う。ん、と思った。零時を回っているなら、それは昨日の日付ではないのか?その日その時間にまだ僕は、会社で非常識な残業をやっている真っ最中だ。


「はっはっは。勘違いしているようだな。ほら、見たまえ。本日は○○日だよ」


 差し出された魚巡査のスマホには確かに言われた通りの日付があった。そんな莫迦なと自分のスマホを取り出した。しかし何も変わらなかった。巡査のスマホと同じ日付がソコにある。


「え、何故?」


 僕と魚巡査の電波時計が同じタイミングで狂っているのだろうか。


「この日付と時刻なら僕は会社で仕事をしているはず」


 試しにニュースのコンテンツを開いてざっと目を通すのだが、何故かどういう訳だか前日日付のニュースばかりで、本日と思しき記事が一つも無かった。

 天気予報の日付も更新データも同様で、いまスマホに表示されている時間以降の情報がまるで無かった。


「あ、あれ?おかしいな。大元の回線がフリーズしてるのかな」


「……啓介さん。本日、というかこの日付この時間は確かに仕事をしていたのですか」


 妙な質問だなと思ったが間違いないと応えた。そうしたら「確かめてみましょう」と言われた。


「もしかすると自転車は盗難などされてないのかもしれません」


 え、ええと、キリエさんは何を言っているのだろう。停めたはずの駐輪場に自転車が無いのは明白だ。


「でも僕は確かに会社から帰って此処ここに……」


「それは夜明けごろの話で今では無いでしょう」


 キリエさんが何を言っているのか良く分らない。

 でもこの人がいい加減な発言をするとも思えなかった。


「ちょっと思い当たることが在るのです。少し任せてもらえませんか」


 そんな事を言い出されてはイヤだとは言い難かった。そして啓介さんの会社は何処どこですかと訊かれた。まぁ、歩いてもしたる距離じゃない。

 そのまま僕は二人を伴って、自分の務める工場へ案内することになったのである。

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