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寄り道ありマス  作者: 九木十郎
その1
2/14

1-1 身を以て思い知ることになった

 そこは小さな町の小さな工場だった。


 いや、工場と言うより割りと大きめの木工加工所で、その場内はいま閑散としていた。疲れた溜息を吐き出し、洗いすぎて色褪せた作業着を軽く叩けば、細かいおがくずが宙を舞った。


「光島、上がっていいぞ。もう遅いしダストの回収は週明けでいいからな」


 掃除道具入れに箒とチリトリを押し込んでいると、作業長からそんな風に声を掛けられた。僕は防塵マスクの奥から「はーい」とくぐもった返事をして、やれやれと現場の遙か高い柱の上に貼り付いている時計を見上げた。


 針はいつもの時刻を指していて、定時なんてもうとっくに過ぎていた。上司からはよく残業を減らせと言われている。でもそれなら仕事も減らせと言いたかった。


 集塵サイクロンの電源を切れば、ダストファンがしばらく惰性でゴトゴト音を立て、やがて止まった。耳障りな喧噪から急に静かになるものだから、耳がおかしくなったのかなと思う瞬間である。


 腰を伸ばして仰け反るように背伸びをすると、首の付け根から腰骨までがゴキゴキと音を立てた。


「やっと終わった」


 フィルター付きの防塵マスクを外して洗面所で手を洗いながら鏡をのぞいた。顔の下半分には丁度マスクの形に楕円形の跡が付いているのが見て取れた。


 作業標準には「防塵マスク着用のこと」と記されている。けれど、自分以外で着けている者は居ない。現場のリーダーからして着けないものだから、下で働く者もまた同様右にならえだ。


「あんたは決して間違っちゃいない。真面目なのはイイことだよ」


 そう言って軽く肩を叩き、僕を慰めてくれたパートのおばさんが居た。だがその人もやはりマスクは着けていなかった。


 自分は確かにルール通りなはず。けれど、何故か現場ではポツンと浮いていた。


 正直、何をやってるんだろうと思わなくもない。


 同期で入った村瀬という男が居てよく引き合いにされた。


 村瀬は高卒で大卒の自分よりも四つ年下だが、自分以上に随分と上手くやっていた。誰とでも直ぐに仲良くなり、口が達者で気さくに話し掛けてくる。


 良く言えばコミュニケーション能力に長けた人物。悪く言えばなれなれしくて些か礼儀に欠ける若者といった所だろうか。


 生真面目な年長者からは目上の者への敬意が足りないと苦言をいただいている様だが、大多数からは飾り気のない物言いとその明るい性格が好評だった。

 まるで物怖じしないものだから、この工場の中ではもう親しくない者の方が少ないくらい。


 ベテランから何だかんだと仕事のツボどころを聞き出して、直ぐに実行に移してゆく。失敗してもびびらない。「スイマセン」と軽く笑って再チャレンジする。

 そして数回繰り返しただけであっと言う間にコツをつかむのだ。


 お陰で見る見る内に仕事が出来るようになっていった。勘所かんどころが良いというか、説明されてそれを呑み込み自分のモノにする術に長けているのだ。今では自分以上に様々な仕事を任されるようになっている。


 そして先日、廊下の掲示板に村瀬を僕が属する班のリーダーに任命するとの内示が張り出された。つまりこれからは彼が自分の上位者になると言うわけだ。


 たまたま一緒にその掲示を見ていた蔵本という先輩の作業者から、「差が付いたな」と小声で嫌みを言われた。自身と同じ高卒の者が、大卒である自分を追い越したことが痛快であるようだ。


 確かにこの内示には少なからず驚いた。でも、地団駄踏むほどのコトじゃない。出来る人間は評価される、ただそれだけの話だと思った。


 ジクリと胸の何処かが痛む感触は在ったのだけれども。


 自分が同じ職場の皆と距離感があるのは自覚している。口下手でしかも要領まで悪いと来ている。村瀬のようなコミュ力に富んだ者をうらやましいと思ったことは一度や二度ではない。


 どうやら社会では学力学歴一般知識なんてほとんど何の役にも立たず、むしろ周囲との意思の疎通と積極性が余程に大事、らしい。

 少々規範から逸脱いつだつしていても、実績さえ在ればすべてオッケー。


 要は、当人の行ないが正しいか正しくないかではなくって、仕事の出来るヤツが正しくて、そうじゃない人間は正しくないヤツなのだ。


 そうと気付いたのは入社して一年が過ぎた頃のこと。だが気付いたからといってソレが出来るとは限らなかった。人の性格はそうおいそれと変わらないのだから。


 今まで愚直に過ごしてきた日常は、あからさまな失敗だけではなくて、か細い成功体験も複雑に絡み合っていた。よろしくない部分を捨てると大事な部分まで一緒に消えて無くなる気がした。


 心機一転、思い切って全てを振り払うには相当の勇気が必要だった。


 世の中には自己啓発本に始まり、「新しい世界に踏み出そう」的な威勢の良い物言いはよく見聞きする。

 けれど、そんなコトは成功したからこそ言えるんじゃないのか。世の中にはそうじゃない人間の方が余程に多いのではなかろうか。


 失敗した後のフォローなんて何も考えないからこそ無責任なコトを言える。


 そして鏡の中の顔を眺めて、この無駄に融通の利かない自分に溜息をつくのである。


 光島啓介二五歳。あと四ヶ月で二六歳。三流大学出身で取り柄はなし。彼女も居ない。

 何処にでも居る在り来たりな若いオスだが、この顔この名前この年齢このスペックの日本人男性は、間違いなくこの世で僕一人だけだろう。


 だからといって特別なコトは何も無いのだけれども。群衆の中に紛れてしまえばもう見分けなんて付かなくて、きっとウォー○ーを捜せよりもはるかに困難な作業に違いない。


「もう入社して三年になるのか」


 遂に三年と言えば良いのか、それともまだ三年と云えば良いのか。モヤる気持ちのままザバザバと乱暴に顔を洗うと、襟元に押し込んでいたタオルを引っ張り出して顔をぬぐった。


 タオルに染みこんだ自分の汗が、えた臭いを放っている。

 そもそも僕は既に、この会社を選んだ意味が失せているのだ。




 株式会社「大花田木工所」


 朴訥ぼくとつとした名前だが大学で就職活動の際、求人案内募集要項の束をかき分けていたときにふと目に留まった会社だった。

 業務内容は各種木工製品の製造。だが説明の一文に、木材加工の経験を生かした楽器の製造と販売とあった。


 楽器?


 製材だの家具だのにはまったく引っ掛からなかった。けれど、その一点は実に興味を惹かれた。

 中学から高校までずっと吹奏楽部に所属していたし、大学に入ってからも個人の小さな楽団に入るくらいに演奏にのめり込んでいたからだ。


 楽団といっても大したものじゃない。会社勤めをしている演奏の好きな一般の社会人達が声を掛け合い集まって、皆が持ち寄った募金で場を借り、年に何度か定期演奏をする程度のささやかな集まりだった。


 演目は特にこだわらなかった。クラシックも演じればフォークソングやジャズもやるし、ポップスやアニメソングもやった。要は学生達が演奏する吹奏楽部の社会人バージョンといった所だ。

 演者は皆年上で年齢も職業も完全にバラバラ。だが楽器を持てば皆同じ奏者で、一緒に演奏していれば只それだけで楽しかった。


 自分は管楽器、オーボエの奏者だ。都合一〇年近く練習し演奏し続けている。なので並み以上には吹けるという自負はあった。


 だがあくまで並みよりちょっとマシという程度。プロの楽団やオーケストラに入れるほどの実力も無ければ、本職の奏者を目指すほどの気概もない。

 あくまで部活の延長でしかなくて、今はそれが高じて趣味に変じただけの話だ。


 平たく言えば、他に打ち込めるモノが見つけられなかったダケのこと。それ以上でもそれ以下でもなかった。自分の実力は自分が一番良く判っている。


 だが音楽が好きかと問われれば、迷いなくそうだと即答できた。だからせめて仕事も音楽に連なる仕事に就きたい、そんなささやかな願望があった。


 大花田木工所の業務内容とその子細にはピアノ、オルガンの製造とあった。

 惹かれると同時に悩んだ。弦楽器は自分の専門外だ。しかもピアノは楽器の王様とも呼ばれている。吹奏楽部で伴奏ならば一時期やっていたがあくまで間に合わせ。それ以上じゃなかった。


 しかし、最高峰の楽器を作るという仕事にはそそられるものがあった。


 僕の通う大学に、音楽専門の会社からの社員募集なんてほとんどなかった。それにちょっと敷居が高すぎる。自分は所詮素人に毛が生えた程度の奏者でしかない。

 そんな会社を選ぶのは、もっと自信と実力にあふれた人だと思い込んで居た。


 それ以外を色々と物色してみても問屋や楽器店だったり、額面とは裏腹にほぼ関係していなかったりで、琴線に触れる求人が無かった。


 就職課の教職員にも、音楽に拘らず別の道を模索してはどうか、仕事と趣味とを混同しない方が良いとアドバイスもされた。だが、普通の会社員になるという自分がてんで想像出来なかった。


 世間で言われる「社会人」なるものが、学生の自分には完全に未知の世界。ならばほんのちょっと、ほんの毛先程度でも自分の見知った世界に近いのなら、それだけ馴染みやすいのではないか。そう考えたのだ。


 散々に悩み悩んだ挙げ句、「大花田木工所」に決めて入社した。


 そして働き始めてようやく、学生の思い描いた未来図など視野が狭く底の浅い幻影であったのだなと、身をもって思い知ることになった。

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