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寄り道ありマス  作者: 九木十郎
その4
18/35

4-1 何やら妙な表情をしていた

 日曜日の学校、朝から雨が降っていた。


 そして僕が居るのは小さな部屋だった。


 木管楽器はここで集まって練習した後、午後の総合練習に備えるようにと伝言されたからだ。

 そもそも中学高校の吹奏楽部は練習場所がなさ過ぎる。音楽室だけで全てのパートが練習出来る筈も無く、良さそうな場所を捜し当てても常に誰かから邪魔者扱いされた。

 そして周囲からの苦言は大抵「うるさい」、コレにきた。


 コンクールが間近に迫っていてみなピリピリしていた。少なくとも全体練習までに自分のパートは完全にこなせなければならない。完璧とまではいかなくても合奏でアラを出さず、とちらない程度には、だ。


 そして今日はこの部屋で、低音部も含めた木管楽器奏者たちのパート練習をする予定だった。にも拘わらず、何故なぜ此処ここに居るのは僕だけだった。

 本日一番調子の良さげなリードを用意して準備万端。だというのに誰もやって来やしない。ファゴットやクラやバスクラの連中は何処どこで何をやっているのだ。


 焦れて第一、第二音楽室を覗いてみたのだが、弦楽器と金管楽器奏者しか居なかった。メッセを入れて訊いてみたかったけれど、生憎と木管連中とSNSのアドレスを交換していなかった。

 先程、金管楽器の一人が防音ドアを開けて顔を覗かせ、「此処じゃないな」と独り語ちて居なくなった。みな思い思いの場所に散って練習場所の確保に腐心している。


 普通ならグラウンドの片隅や校舎の裏庭などが使えるのに。雨さえ降っていなければと、誰しもが溜息をついているに違いなかった。


 特にリード付きの木管楽器を使っている者にとって極端な湿気や温度差は大敵で、オーボエなんて我が儘お嬢様と言えるレベルの気まぐれっぷりだ。

 リードのご機嫌がそのまま、奏者その日一日のテンションを決めると言っても過言じゃなかった。


 ただ一人ボンヤリ待っているのも時間が勿体もったいない。なので自分のパートの練習を始めた。


 そうやって半時間ほど経った頃、急にドアが開いて一人の女生徒が入って来た。管楽器リーダー格の先輩だ。そしてこんな所で何をやっている、何故みんなと合流出来ない、自分勝手なことをするなと怒った。


 僕は後輩の子から、この部屋で練習をするからと言伝を受けて此処に居る、そう反論したのだが聞く耳をもってもらえなかった。


「○○ちゃんはキチンと伝えたって言っていたよ。あなたが聞き間違えたんでしょう。後輩の子に責任なすりつけるつもり?男のくせにみっともない!」


 僕はその子に何度か聞き直したのだ。此処はあまり使わない部屋だったからだ。


 だがその子は此処で間違いないと言った。なので勘違いではないと自信を持って言える。しかし先輩の噛み付くような勢いに弁明する気が失せた。反論しても火に油を注ぐ気がしたからだ。


 この先輩は一度言い出したら聞かない性格で、そのためによくほかのリーダー格とよくもめていた。

 少し前にも取っ組み合い寸前にまでなって外野の男子から止められた、なんて事もある。僕一人では荷が重い相手だ。

 なので「分りました」と返事をしてその場は従った。ぷりぷりと怒り続ける先輩の後ろに付いて歩きながら、とても疲れた溜息を吐き出した。


 だけど後から考えたら、その時に無理をしてでも真っ向からケンカした方が良かったのかもしれない。以後、あからさまに僕は管楽器の皆からハブられるようになったからだ。

 少し前にも何度か彼女の逆鱗に触れたことがあったから、それも合わせて完全に愛想をかされたに違いなかった。


 積もり積もって、というやつなのだろう。実に不本意。

 しかし三年生であった先輩はあと半年もすれば卒業する。それまでの辛抱だと、そう思っていた。でも月日が流れ新しい年となり、進級しても皆とは何処かギクシャクしたままだった。


 一度ズレた歯車というものは、なかなか元には戻らないものらしい。


 音に気持ちはこもるとはよく言ったもので、最後の一年は常に皆の音の外側に居た。譜面通りの音は出ても全然一つになっていなかった。取りつくろうように寄り添っていただけだった。


 自分でいうのも何だが、実に薄っぺらで素っ気ない音だった。オケの一体感に同調できなくてもソロパートで体裁を整えればなんとかなる。そんな僕の立ち位置もきっと拍車を掛けていたのだろう。


 結局そのままズルズルと月日だけが流れて、結局なにも修復出来ないまま卒業した。


 果たして僕はキチンとオーボエを吹けていたのだろうか。




 目が覚めると既に朝で、毛布に包まったまま鳴り続けるスマホのアラームを止めた。


 久しぶりの夢だった。高校を卒業して既に七年、いつまで引っ張っているのだろう。女々しいと言えばよいのか、それとも未練がましいと言えばよいのか。

 仮に今この瞬間、あの時に戻してやろうと言われたらどうする?快諾するだろうか。


 いや間違いなく拒絶する。


 今の自分なら、もっとより良いやり方で決着を着けられるかも知れない。いさかいも何も無く丸く収められるかも知れない。

 でもそうやって歩んだ自分は今の自分じゃない。良い事も悪い事も全部ひっくるめての今現在。失敗や苦い思い出も既に僕の一部だからだ。


 事あるごと、思い出す度にそうやって強がって、自分自身に虚勢を張った。仕方が無いじゃないかと苦い記憶を慰めた。

 でも後悔や口惜しさが消えて無くなる訳じゃあない。ああすれば良かったこうすれば良かったと、悶々とした気持ちを繰り返すだけだった。


 僕は本当にあきらめが悪い。


 顔を洗って洗いざらしのタオルで顔を拭き、冷蔵庫の中に残って居たベーコンを焼いてベーコンエッグを作った。

 薄っぺらい食パンで一枚だけトーストを作り、軽くバターを塗ってベーコンエッグと一緒にパサついたスーパーの野菜サラダを掻き込み、ミルクで流し込んだ。


 何だか全然味がしなかった。


 時間に急かされながら毎朝毎朝同じコトの繰り返し。変化の無さにイヤになってくる。

 月曜の朝は特に憂鬱ゆううつだ。あんな夢見の後だから尚更なおさらだった。せめて休日明けの朝くらいゆっくりのんびりと食事したい。それで仕事のモチベーションが上がるわけでも無いのだけれども。


 慌ただしくインスタントのコーヒーを飲んで、歯を磨いて着替え終わると玄関に立った。

 一瞬だけ、下駄箱の脇にある姿見に高校生だった頃の制服姿を幻視した。

 やれやれ、あの頃の制服なんてもうとうに捨てて跡形も無いというのに。


 いったい何時まで引きずっているのだろう。




 ドアを開けると空はどんよりと曇っていた。


 雨になりそうな雲行きだ。下駄箱の中から折りたたみ傘を取り出すと、それをバッグに入れてから玄関の鍵を掛けた。


 自転車で通勤している身の上なのだから、雨合羽を常備しておくのが筋と言われるかも知れない。

 だが合羽はキライだ。暑いし蒸れるし顔や手先足先は濡れるし、少し自転車で使えば股のところの縫製が破れて水が漏ってくるしで、思いの外に濡れる箇所は多い。


 確かに傘よりは随分マシだが、脱ぎ着する煩わしさや濡れた合羽の干し場にも腐心しなければならない。その事を考えると、やはり雨傘に頼りたくなるのである。大雨ならいざ知らず小雨程度なら相応だ。


 そして雨天の時ばかりは、クルマ通勤の人達がやけに羨ましくなるのだ。


 会社に着くまでは大丈夫だろうと高を括っていたのだが、残念ならあと少しというところで降り出してきた。しかも普通の降りじゃない、文字通りの土砂降りである。なぜあと五分我慢してくれないのかと雨空に歯噛みした。


 べたべたに濡れて更衣室に入ったら作業長が居て、ずぶ濡れの僕を見て苦笑した。「タイミングが悪かったな」と言われた。


 吉原作業長はいつも一時間早出してくる。本日の業務内容を確認して前準備をする為だ。

 会社の無言の意向というヤツで、サービス残業と相成っている。この人が課長に文句を言ってくれれば下の者も何かと言い易いのだが、ソコまで気を回してくれる訳でもなかった。


「吉原さん、珍しいですね。こんなに遅くに来るなんて」


「何言ってるんだ、おまえが早過ぎるだけだ。週末、なにかやり残した事でもあったのか」


「え?」


 スマホを取り出して時間を見てみた。作業長の言うとおり間違いない、何時もより一時間は早かった。


「あ、あれ?」


 おかしい。アラームはいつもと同じはずだったのに。

 そもそも部屋の目覚ましはいつも起きる時間だった……いや、今朝はスマホ以外で時間を確かめたかな?


「何か勘違いしたのか?だったらついでだ。着替えたら事務所に来い。書類の整理手伝ってくれ。もちろん、タイムカードはちゃんと押すんだぞ」


「いいんですか?」


「当たり前だ。早出残業なんだからな」


 自分のロッカーを開け濡れたシャツとジーンズを脱ぐと、入れっぱなしなっている少し臭うタオルで顔と手足を拭き取った。

 そして同じく置きっぱなし為っている洗濯済の作業着に着替えると、ちょっとだけほっとした。


 作業長の隣のデスクで手伝いをしている内に始業時間が近付いてきて、村瀬が事務所に入ってきた。

 机に座る僕を見つけて何やら妙な表情をしていた。

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