3-1 見知らぬ町を歩くドキドキ感
僕は本日、予備の単三電池とスマホ用の予備のバッテリーを買いに出掛けていた。
転ばぬ先の杖、というかポカをしでかしたそのフォローの為だ。
それは昨日の朝のこと。何だか今朝はノンビリ目覚めたなと起き出してスマホを見れば、充電し忘れてウンともスンとも言わなくなっていた。しまったな、と思いつつ枕元の目覚ましを見ればまだ六時前だった。
おや、何故こんな朝早く目が覚めたんだろう。
ちょっと不思議に思いながらも顔を洗い、トーストを焼きながらベーコンエッグを作って何時ものようにテレビを点けた。
そうすれば何というコトか。実はとうに出勤時間を越え、始業寸前の時間だったと知った時のショック。コレはどう言い表したら良いのだろう。
そもそも、スマホの充電切れやアラーム設定忘れ対策に目覚ましを用意しているというのに、一緒にご就寝あそばされるというのはどういうコトなのか。別にこんな時にまで仲良くなくてもイイんだよ。
大慌てで着替えて、出来たてのトーストにバターも塗らず口に咥え込み、ベーコンエッグは皿ごとラップに包んで冷蔵庫に放り込んだ。全速力で自転車を漕いで会社に向ったが、遅刻なのは部屋を出る前からすでに決定していた。
お陰で朝からネチネチとしたお小言と、「お前は最近たるみきっているな」と嫌みを言われるはめになった。いまは全社をあげて、指を切り飛ばした重傷災害の再発防止に取り組んでいる真っ最中。
管理職は普段以上にピリピリしていたし虫の居所も悪かった。ただただ「すいません」と頭を下げた。
サイクロンのダスト回収を忘れて村瀬とやりたくもない口論をするわ、梱包ミスの失態を取り繕う出張に出掛けるわ、目覚ましとスマホの電池切れで遅刻するわ。
まったくもって散々だ。ほぼ自分のうっかりや、やる気の無さが招いた結果とは云えもう充分。お腹いっぱいだ。この辺りで最近の良くない流れを断ち切りたかった。
この程度の買い物なら近場の量販店で充分だろう。そう思ったのだが何と言うことか。目的のディスカウント店は本日休業だった。そう言えば店内の商品入れ替えで、一週間ほど閉店するという告知を見たような気がする。
仕方がないので隣の総合スーパーに向った。だが結果は虚しかった。
「申し訳ございません。当店では、お客様がお求めになられた品物はご用意しておりません」
ご希望とあればお取り寄せになりますが、とマニュアルどおりに対応する店員に「結構です」と落胆込みの返事をし、乾電池だけを買って店を後にした。二軒、立て続けの駄目出しであった。
なんてこった。スマホのバッテリーなんてコンビニですら手に入るご時世だというのに、これは一体どういうことか。予備のバッテリーどころかスマホ対応の乾電池ケースすら置いてないだなんて。
市場のリサーチ不足、危機感が足りない。業務怠慢もいいところだ。この情報化社会の現代において携帯端末の電源は、もはや災害対策用品でしょ。
ソレともアレか?「注文する」というカタルシスと「待つ」という焦らしが、目的のモノを手した時の喜びを何倍も大きくさせる、などと、そんなけったいな信念でも持って居るのか。
そんなマニアックなサービスは御免被る。どこか余所でやってくれ。
やるせない溜息が洩れた。
そもそもこの界隈で少し気の利いたものが欲しい時には、自分のクルマで郊外に出て、幹線道路沿いにある専門店に向うはず。
半時間も走れば目的のものは手に入るだろうから、わざわざこんなしょぼくれた店を訪れる必要も無かった。
些細な日常必需品ですら、この一帯はまずクルマ在りきの生活環境なのである。それを改めて思い知らされた。
「だいたい自転車を二〇分漕いでも、コンビニが見当たらないという時点で詰んでいるよな」
つぶさに捜せば一軒くらいは見つかるかも知れない。だが、そんな問題じゃないだろう。
歩く度にポケットに入れた単三電池が揺れていて、何だかもの凄く侘しい気分になった。都会に住みたいという願望がある訳ではないが、それでももう少し拓けた町に住みたかった。
せめて歩いて行ける距離にコンビニが欲しい。それは決して非常識な願いじゃないと思う。
百年くらい前の人たちにそんな愚痴をこぼしたら、大仰に呆れられるか鼻で笑われたりするのかもしれない。いや、僕の父親の世代でも同じような反応だろうか?或いは、本気で自動車免許を取ることを考えた方が良いのかも。
クルマに乗れば何処にでも行ける、そんなコトを会社の誰かが話していたことを思い出した。確かドアが二枚しか付いていない、ぺったんこのクルマに乗る先輩だったような気がする。でも定かではなかった。
見慣れた四つ角をひょいと曲がった。そしてクルマ一台がやっと通れる程度のガードを潜り、しまったと思った。またしても見慣れぬ路地に入り込んだと知ったからだ。
「いったい僕はナニをどう間違ってしまったのかなぁ」
誰も居ない路上で独り独白し、また溜息をついた。
二度あることは三度あるというけれど、それでもこんなに引っきりなしっていうのはどうなんだろう。ホントに勘弁して欲しかった。
本来この四つ角を曲がった先にあるのは、片沿いを真新しいフェンスで仕切られた新興の工場とその従業員が停める駐車場、そしてその差し向かいに拡がる田んぼの筈だった。
だがいま目の前に拡がる風景はまるで違う。
年期の入った古い日本家屋が軒を連ねてズラリと道の奥まで続いていた。木製の電信柱が黒い地肌で青空に伸び、太い電線が見上げる狭い空に張り巡らされていた。
人気はまるで無いけれど、立ち並ぶ家の玄関脇には鉢植えの花だの信楽焼の狸だのが鎮座して、呆然と立ち尽くす僕が通るのを待ちわびていた。
三年という時間は決して長年と言えるほどではないけれど、それでも相応にこの町に住んでいるという自負はある。雨の日だろうと風の日だろうと、日用品や食事を求めて数え切れないほど行き来した通り道だ。この通い慣れた道で道順を間違えるなんて在り得ない。
しかし目の前の現実はコレなのだ。
流石に三度目となれば取り乱したりはしないけれど、でもなんかこう釈然としなかった。これも超常現象というのか。
あなたの知らない世界とか、ミステリーゾーンとかそういった類いの迷惑千万な出来事なのだろうか。
いったい何度、自分の見知った町の中で迷子になればいいんだろう。呆然とするのを通り越して、引きつった苦笑いすら込み上げてくるのだ。
乾いた笑い声を漏らしたところで、何かが変わる訳でも無いのだけれども。
大きく溜息を吐き出して、再び辺りを見回した。やはり風景は変わらない。何度前や後ろを振り返ってみても、同じような日本家屋の立ち並ぶ路地が続いているだけだ。
ものは試しとダメ元で、来た道を一〇数メートルほど歩いて戻ってみた。だけどやっぱり同じだった。ほんのついさっき、くぐり抜けた筈のガードなど影も形も無かった。
「どうしたものかな」
ポケットからスマホを取り出してじっと見つめた。
先日、キリエと名乗るあの顔の無い女性から受け取ったメモは、取敢えず電話帳に登録してある。
怪しくて仕方がないけれど、少なくとも彼女は親切でこの電話番号を手渡してくれたのだ。あの人が何かを企んでいるとは思えなかったし、ハメるならチャンスはいくらでもあった。
そもそも僕なんかを相手になんのメリットがあると言うのか。信用して良いと思う。
だが、踏み出すにはやはり勇気が必要だった。
少し辺りを調べてみてからにしよう。
電話を掛けるのは、散策が全て空振りだったその後でも遅くはないと思った。ひょっとすると何かの拍子に元の道に戻れるかも知れない。
彼女が教えてくれた帰り道は、いつも散々徘徊した道筋のすぐ近くだったじゃないか。三度目の正直という言葉だって有るのだし。
そう決めると、僕は来た道を戻るように路地を進み始めた。何だか更なる深みに入って行くような気分だったが、きっと大丈夫だと自分に言い聞かせた。今回は彼女から教えてもらった保険もある。
でもそれと同時に見知らぬ町を歩くドキドキ感があった。旅行なんてもう何年もしていなかったからだ。




