2-5 黙々と夕飯を頬張り続けた
「此処には良く来るのですか」
「いえ、初めてですよ」
僕は彼女と差し向かいでテーブル席に座っていた。お冷やを一口飲んでから返事をする。何故にこの顔の無い女性と相席で注文を待っているのか。
理由は簡単。入り口で半ば彼女に押し込まれるように店に入り、そのままなし崩しに席に腰掛け、店を出る切っ掛けを無くしていたからだ。
「ここのどんぶり物は結構いけますよ」
彼女はそう言って微笑みながら、テーブルの上にあった衝立型のお品書きを押し付けてくる。僕はただ引きつった顔のまま受け取るだけだった。
いまこの瞬間立ち上がって逃げ出したら、あの恰幅のよい給仕係が追っかけて来るのだろうか。その時に手に持つのはお盆じゃなくて包丁なのだろうか。
いや仮に何も持たなくてもあの大きな手から飛び出す爪はきっと鋭くて、ナイフと変わらない切れ味があるに違いない。
デカい刃物で切り刻まれるのは痛いだろうな。それも一本じゃなくて複数だ。
考えたくもない光景が脳裏に浮かんで、思わずブルリと身震いした。
まぁあくまで、給仕係やこの店の客がホンモノの等身大の猫だったら、の話ではあるが。そんな筈あるわけないと信じたい。
だがその一方で、それをリアルに確認する勇気はちょっと無かった。
注文に悩むふりをしながら顔半分を隠して、そっと差し向かいの彼女を盗み見た。特に見るでもなくボンヤリと厨房の辺りを眺めているように見えた。
もっとも目が見当たらないので、顔の向いている方向から想像するしかないのだけれども。
あの夜は暗がりのなかということもあって、特殊メイクか何かだろうと無理矢理思い込んで考えないようにしていた。
だがこうやって間近で観察してみても、つるりとした滑らかな地肌が顔の上半分を覆っているだけある。口以外の造形物は気配すら見当たらなかった。
昔話なんかに出てくるのっぺらぼうもこんな感じなんだろうか。
失礼な感想だというのは百も承知。だが気になって気になって仕方がなかった。正直、これはこういうメイクだと信じた方が当たり障りも無いだろうし、精神衛生的にも良いコトなのかもしれない。
でも生憎と僕はソコまで無頓着にはなれなかった。「人それぞれ」と割り切れるほど豪胆でもなかった。一度気になったことは納得出来るまで、ずっと気にするタイプなのである。
シツコイとか粘着気質とか言われようともコレは持って生まれた性分で、自分でもどうしようもなかった。
「わたしの顔に何か付いていますか?」
「あ、いや、その・・・・」
「そうですね、大事なものが付いていないから気になるのですよね」
片頬で微笑まれて、慌てて「すみません」と謝った。
盗み見ていたことはバレバレだったようだ。まったく僕は何をやっているのだろう。
あまり待たせても悪いですよ、と促されて親子丼を頼むことにした。
彼女は給仕の猫的なヒトを呼んで天丼定食を頼み、「何か飲みます?」と尋ねられて首を振った。アルコールは正直得意じゃない。それに喉が渇いていたとしてもこの店ではそんな気分になれそうにもなかった。
「では、わたしだけ頂きます」
そう言って瓶ビールを一本頼んだ。ビールが来ると、手酌で金色の液体から湧き出る泡をコップのギリギリまで注ぎ、「お先に失礼」と言って最初の一杯を一息で干した。
唇に着けたコップを高々と掲げ、天井を見上げた白い喉がやけに細くて綺麗だった。
「二度も会うなんて、あなたとは縁があるのですね」
空になったコップに二杯目を注ぎながら彼女は呟いた。僕に語るというよりも、自分自身に言い聞かせる独白のようにも聞えた。
「わたしはキリエと申します。あなたのお名前をお伺いしても?」
「あ、光島といいます。光島啓介」
「良いお名前ですね。啓介さんとお呼びしてもよいですか」
「はい、それは構いません。ですが、なにキリエさんでしょう。名字は?」
いや、それともコレが名字なのか。ちらりと思ったが返答はすぐだった。
「キリエです。ただのキリエ。呼びにくいのでしたらのっぺらぼうとか顔無しでもよろしいですよ」
「いえ流石にソレは・・・・」
慌ててテーブルの上で両手を小さくひらひらさせた。
いくら朴念仁の僕でも礼儀くらいは弁えて居る。そして先程の思惑は見透かされていたのでは、と少し焦った。
何なのだろうこの状況は。
薄くて固い椅子のクッションは今ひとつ座り心地が悪くて、どうにも落ち着かなかった。
いや、それはきっと椅子のせいじゃない。僕は小刻みにお冷やを口にしながら何度も身じろぎをした。
「今日はどうされましたか」
「え、その、どうと言われても」
「日々の生活の中で様々なものがわだかまっているのでは、と。そうお見受けしましたので」
「わだかまり・・・・悩み事ってコトですか?」
「割り切れない気持ちとか、どうしたモノだろうと迷う気持ちとか、色々です」
そんな事を言われても返答に困る。
「誰だって在るでしょう」
「そうですね。大抵はご飯をお腹いっぱい食べたり、一晩グッスリ眠ったら流れて消えてゆくものです。ただそのコトに気付いていらっしゃらない方も大勢いらっしゃいます」
「・・・・」
「消えないと思い込んでいるから残るのです。思い込みというモノは、良い部分も在れば悪い部分も在りますからね」
そう言って彼女はまたコップを干し、再び手酌で杯を満たした。シュワシュワと盛り上がった白い泡がグラスの縁で踏ん張っていた。
「今日は今日、明日は明日と割り切った方が建設的です」
「確かにそうかもでしょうけど、そんなに簡単なモノじゃあないと思います」
いまの気分でそんな正論を言われても、素直に気持ちへ入ってくれなかった。
「気分を害されましたか」
「いえ」
「この前も申し上げましたが、迷う気持ちは様々なモノを迷わせますので」
そう言って彼女はまた一口飲み、口の端に付いた泡をペロリと舐めた。
「それともわたしが食べて差し上げましょうか?」
「あの、何を?」
顔の無い顔がじっとコチラを見つめている。けど、幾ら待っても僕の問いに返事はなくて、しばしの沈黙の後に「酔っ払いの戯れ言です」と笑むだけだった。
そしてまた、くいっとコップを傾けた。
彼女がビールを空ける頃に僕の親子丼が運ばれてきて、それからもうしばらくしてから天丼定食が来た。彼女は頂きます、と両手を合わせて味噌汁を一口すすり「食べないのですか」と聞いてきた。
「折角の熱々が冷めてしまいます」
「あ、い、いただきます」
慌てておてもとから竹の割り箸を取り出し、どんぶりの蓋を取ると、ふあっと湯気が立ち上って卵と出汁の香りが鼻先をくすぐった。
何処をどう見ても普通の親子丼にしか見えない。
覚悟を決めてパクリと食べると、蕩けた卵と柔らかな鶏肉の味がした。
怪しい某かが盛られて来るのではないかと密かな不安があったけど、ジワリとしたうま味に直ぐさまバカバカしくなってしまった。
そして自分でも思って居た以上に腹が空いていたのだと気が付いた。
そのまま僕は彼女と二人で黙々と夕飯を頬張り続けた。




