36.闇の精霊
授業が再開してから数日が経ち、浮き足立った学園の雰囲気も落ち着いてきた頃。
「マジで迷惑かけました。本当に申し訳ない」
みんなに謝りつつ、コンラート・エルデが教室に帰ってきた。
キアラは意識が回復したことも、軍で保護という名の監視をしていたことも知っている。
だが、それを知らないクラスメイトは、学園に戻ってこないエルデを心配していたのだ。
「いやいや、誰も迷惑かけられてないって! 身体は大丈夫か? 魔族に操られるなんて大変だっただろ、どういう感じなんだ?」
独り歩きする噂を聞いて、もしもみんながエルデのことを魔族の傀儡だと思ったらどうしよう、と密かにキアラは心配していたのだが、杞憂だったようだ。
それどころか、勇者伝説の当事者がついに帰ってきた、ということであちこちから引っ張りだこだ。
「操られていた間のことは、何も覚えていないんだ。だが、魔族に操られるようでは駄目だ。
魔族の術を跳ね除けられるくらい、魔法の腕を磨くんだ!」
周りの雰囲気にのまれてか、やけに熱く語るエルデにも、この数日軍で色々あったのだろう。
あんまり良い扱いを受けられなかっただろうことは、なんとなく想像がつく。
(……エルデ君もルーレスト先輩も、無事で良かったなぁ)
何はともあれ、ようやく戻ってきた平穏な日々を、キアラは噛み締めるのだった。
だが、一方でカリナはとても不安そうだ。
「皆は勇者のことを伝説の人みたいに言うけれど、本当に大丈夫なのかな……」
そういえば、魔王出現の予言があった時にも、カリナはとても怖がっていた。
「……大丈夫だと、思うよ。どうしたの?」
「私の実家がある街は、魔境にかなり近い所なの。だから、魔王が出現して、勇者と戦うなんて、街に何かが起こるんじゃないかって、みんな怖がっているわ。
20年前の魔王討伐の時にも、街は大丈夫だったけれど、もう少し魔境の方に近づいた村は被害を受けたのよ」
(……なるほど)
キアラは魔境によく任務で行くが、転移陣を使って一瞬で行き来するので、そこで生きる人々が居ることまでは気づかなかった。
「やっぱり、街が被害を受けるかもしれないのが怖くて……。お父さんとお母さん、大丈夫かな。
私、やっぱり街へ帰ろうかな。帰りたいな……」
カリナはとても不安なようで、しきりに帰りたいと言う。
でも、キアラには帰りたいと思える家はもうないから、その気持ちが今ひとつ分からない。
だから、どう言葉をかけていいのか見当もつかなくて、黙って隣に居ることくらいしか出来ない。
そこへ、ソフィアが来てくれた。
「カリナちゃん、不安よね。私も不安だもの。
私も、故郷を守りたい気持ちは同じよ。
でも、街へ帰っても、結局出来ることはあまりないでしょう? だから、学園で勉強して、魔法の腕を磨こうと思っているの。
それが、ふるさとを守る一番の方法だと思わない?」
「そうよね、そうよね! ソフィアちゃん、本当にありがとう。
魔王が完全復活したら、もっと魔族の活動は激しくなるはず。その時に、街を守れるくらい、私は強くなるわ!」
ソフィアの言葉で、カリナはまだ不安そうながらも元気を取り戻してくれた。
(やっぱり、ソフィアちゃんは凄いな)
人との関わりを避けてきた自分と違って、友だちを助けてあげられるソフィアが羨ましい。
だから、キアラもそうなれるように頑張りたいな、と思うのだった。
週末最後は、精霊学だ。
今日も時間ギリギリに来たルーレストは、ヴィルヘルムのペンダントをしていなかった。
毎週毎週、先生は研究させてくれと言い続けるのだが、ルーレストは断固として拒否しているのだ。
キアラも、ルーレストが精霊を隠したい気持ちはよく分かるので黙っているが、いい加減面倒になって置いてきたのだろう。
すると、先生の研究欲はアシェに向きそうだが、先手を打ってキアラもアシェを部屋に置いてきた。
というか、先週キアラがアシェを連れて来なかったのを見て、今週は置いてきたのだろう。
キアラとしては、アシェを研究すること自体は大丈夫だと思うけれど、アシェの成り立ちについて知られると、キアラの膨大な魔力量が知られる危険があるので、先生からなるべく遠ざけておきたいのだ。
授業開始と共に教室へ入ってきた先生は、ルーレストの胸元を見て少し残念そうだったが、それには何も言わずに授業を始めた。
「今日は、闇の魔法と精霊についての話をしようかのぅ。
ではまずルーレスト殿下、闇の魔法とはどのようなものか、知っておるか?」
「はい、人の思考や精神に関与する魔法で、現在王国では禁忌とされています」
「そうじゃのぅ。過去には犯罪に使われることもあったが、今では使える者はほとんどおらぬ魔法じゃ。
しかし、人間には規制がかけられるが、魔族や精霊には不可能。
武闘大会で使われたのも、魔族による闇魔法ではないかと考えられるな」
なるほど、だから先週聞かされた予定とは違う話が始まったのか、とキアラは納得する。
「そして、闇属性の精霊も、数は少ないが存在する。精霊は存在そのものが属性に左右されるので、闇の精霊は人間との相性が非常に悪い。
かつて存在した強大な闇の精霊は、人々の心を惑わせた。
人間を操って騙し合わせ、互いを疑心暗鬼にさせて弱った精神を喰らう。
そうして益々強くなる精霊は、人間では対抗できぬ存在へと成長してしまったのじゃ。
だが、封印術に特化した偉大な魔女が現れ、見事闇の精霊を封じることに成功した。
精霊の名を奪い、魔力を分割することで、討伐とまでは行かずとも、人々に危害を加えることは無くなった」
あれ、どこかで聞いたような話だな、と思ったキアラに、先生が話を続ける。
「童話《レリーアヌ姫と闇の精霊》という話で広まっておるのじゃが、ふたりは聞いた事があるかな」
「もちろん」
「……知って、います」
「ふぉっふぉっふぉっ、ルーレスト殿下は母君の家がレリーアヌ姫の直系の家柄じゃから当然知っておるとしても、キアラ嬢も知っておるか」
「……昔、おばあちゃんが、聞かせてくれました」
キアラにとってはとても懐かしい、大切な思い出だ。
「あれはただのおとぎ話ではなく、ある種魔法を強化するための術のパーツでもあるのじゃ。
闇の精霊は人の心に作用する。
そういう特殊なものだからこそ、人の心に『闇の精霊は邪悪なもの』と刷り込むことで、操られづらくなるからのぅ」
闇の精霊に関する先生の話を聞きながら、キアラはあれ?っと思った。
(ルーレスト先輩が連れている、ヴィルヘルムって、もしかして……?)
「闇の精霊はその名をもって封印されたゆえ、もう誰も名を知らぬ。
ルーレスト殿下の母君のご実家直系の者の間でのみ、封印術式と共に受け継がれておる。
じゃが、姿かたちは童話のとおり、黒猫であったそうじゃ。そして、他の精霊とは違い、人間の姿を取らないという特徴もある。
で、あるからして、ルーレスト殿下の精霊は闇の精霊ではないと考えられおろう。
じゃから、ぜひ!! わしに精霊様の研究をさせておくれ??」
何度頼んでも断られ続けているからか、先生は今度は違う作戦に出てきた。
上目遣いのきゅるるんお願い攻撃をし始めたのだ。
正直に言って、いい歳こいたジジイが、青年に向かって上目遣いおねだりをするのは、絵面が非常に厳しい。
横で見ているキアラは失礼ながら思わず笑ってしまったが、当のルーレストは微笑みを浮かべるだけ。
(先生は、ヴィルヘルムは闇の精霊じゃないって言うけれど、本当の所はどうなんだろう……?)
ルーレストは、本当のことを知っているのだろうか。だからこそ、何も言わずに微笑むのかもしれない。
あの顔の裏側に、どれだけの秘密を抱えているのか。
きっと、キアラの極秘任務なんて比べ物にならないようなものがあるのだろうと思った。




