11.縋るような目
翌朝。
今日から授業が始まるので、日課の点滴を終えたあと、時間割とにらめっこしながら必要そうな教科書を山から抜き出す。
それを抱えてなんとか部屋を出たが、寮の玄関で2冊ほど落としてしまった。
「キアラちゃん、おはよ。って、どうしたの? なんで教科書そんなことになっちゃってるの?」
「……ぉお、おはよ、カリナちゃん……」
いくら他人が怖いキアラでも、さすがに優しくしてくれたカリナに返事くらいはできる。
というか今は、縋るような目を向けてしまっていたかもしれない。
「なんで全部手で持ってんの? 鞄は? ほら、ちょっとここに置いて!」
話している間にもペンがカランと音をたてて落ちていった。
カリナに言われるがまま、横の棚の上に置く。
その様子を通る人達が見ているのもかなり恥ずかしい。
「なに、なんでこんなことになってんの?」
カリナの声音は呆れ返っているけれど、怒ってはいない。平民のキアラ相手だから、多少下町の言葉が出てきているのだろう。
「……ぇと……どうしたら……」
「普通、鞄に入れると思うんだけど。もしかして、無いとか言わないよね?」
「……わからない」
やれやれ、とため息をついたカリナだったけれど。
「仕方ない、一旦部屋戻るよ。入学の荷物は、キアラちゃんが準備したんじゃないのよね? 鞄くらい、入れてくれてるでしょ」
カリナに手伝ってもらってなんとか部屋まで帰り、昨日開けた薬箱以外の荷物を開く。
「ほら、あるじゃないの。というか、筆箱もあるのになんで使ってないの?」
カリナは心底分からない、という顔をしてくるが、キアラが学校に通ったアイラ村では、1人に1本のえんぴつと消しゴム1個だけだった。
それをポケットに入れて、ノート一冊を手に持って学校へ行く。
そういう文化しか知らないキアラは、突然増えた教科書に困り果てていたのだ。
「ほらほら、時間無いんだから急いで! もう、勝手にやるよ?」
もたもたするキアラと違って、カリナはささっと手際よく準備してくれる。
「よし、これ背負って! 行くよ!」
カリナが助けてくれたおかげで、なんとか時間通り教室にたどり着けそうだ。
「キアラちゃん、こんなに生活力無いんだねぇ。今までどうやって生きてきたの?」
カリナは心底不思議そうだ。
村の常識はこことは違いすぎるし、軍ではキアラが何かを準備することはあまり無かった。
薬の材料は部下が届けてくれていたし、魔境での討伐の時には、魔法をぶっぱなすだけで後は何もしなくて良かった。
(……私、もしかして、何も出来ないんじゃ? というか、周りの人に全部やってもらってたんだ)
助けて貰っている自覚も全く無く、自分一人で生活出来るような気になっていただけ。
「……ぁああ、ぁりがとぅ」
「どういたしまして」
カリナは笑ってくれているけれど、いつか何かで返さないと。
そして、いつもキアラが知らないうちに準備をしてくれているであろう部下には、何か買って帰るべきかもしれない。
そうして始まったキアラの学生生活は、初っ端からつまづいていた。
(……分からない。授業が、何も分からないっ!)
一限目は詠唱学。
呪文の詠唱を行うことで、魔力に術式を付与して魔法として行使する、らしいのだが。
(魔法機序? 詠唱精度? 術式構成? なにそれ美味しいの?)
全部すっ飛ばして「えいっ」のひと言、もしくは無詠唱でも魔法を行使出来るキアラにとって、全く未知の領域だった。
次の魔法生物学、術式学も全くのちんぷんかんぷんで、クラスメイトとの差に絶望してしまう。
先生は今までのおさらい的な雰囲気で喋っているし、皆にとっては常識っぽい。
でも、キアラにとっては聞いたこともない話な上、そもそも机で勉強すること自体5年以上ぶりなのだ。
(……ぅう、疲れた)
昼休みになるころには、キアラは絶望していた。
「キアラちゃん、ご飯行かない?」
「……ぅう、カリナちゃん……」
わざわざキアラの机の所まで来て誘ってくれたカリナに、本日2度目の縋るような目を向ける。
「どうしたの?」
「……分からない、授業が、なにも、分からない……」
「なんでよ、キアラちゃん学年2位でしょ?」
「……」
そう言われれば返す言葉も無いのだが、学年2位なのは魔法の威力と魔力量の評価であって、座学の成績ではない。
本来の入学試験は魔力量と座学だそうなのでキアラのような子どもはその時点で振い落されているのかもしれないが、特殊な抜け道で入学してしまったのだから仕方ない。
「まぁいいわ、術式学の教科書持って食堂に行きましょ。ご飯は食べないとね」
カリナにそう言われて食堂までついて行ったが、キアラは昼食が食べられない。
点滴直後以外で食事を摂ると、体調が悪くなってしまうのだ。
固く焼きしめて保存魔法の容器に入れた薬草ビスケットをもそもそと食べていると、カリナが食事を取ってきた。
「あれ、キアラちゃんはそれだけ?」
「……ぅん」
理由を訊かれたらどうしよう、と思っていたけれど、サラッと流してくれた。
「それより、術式学よ。何が分からなかったの? 今日なんて、授業らしい授業じゃなかったのに」
「……ぇと……術式、ってなに……? なんでいるの……?」
「えっ、そこから!? そんなの、中等科どころか初等科の最初じゃないの。
魔法系の学校、行ったことないの!?」
こくり。
魔法系の学校なんて、キアラの人生には全く縁が無かった。
「じゃあなんであんなに高威力の魔法を使えるの? 意味わかんないんだけど。
そういえば、詠唱を知らないって言ってたよね。
えっ、じゃあ、どうやって魔法行使してんの!?」
そんなこと、キアラに訊かれたって分かる訳が無い。
興奮して喋りまくるカリナの横で、2枚目のビスケットを食べ始めた。
「ふぅー。キアラちゃん、いや、もうキアラって呼んでもいい?
私のことも、カリナって呼んでいいから」
こくり。
なんとか落ち着いてくれカリナは、キアラに気を使うのをやめたらしいが、その方がキアラも嬉しい。
なんだか、村の友だちを思い出すので。
「キアラ、ちょっと頑張らないとマズいかもよ。実技は凄いけど、座学がかなり厳しそう。
だって、私が初等科から10年近くかかって勉強したことを今からするんでしょ?
……協力するから、一緒に頑張ろ。じゃないと落第しちゃいそう」
「……がんばる。カリナ、お願いします」
授業は絶望的だったけれど、協力してくれる友だちが居て良かった。
なにせ、キアラは極秘任務を遂行するために入学したので、落第している場合ではないのだ。
もし万が一落第なんてことになったら、元帥閣下のアイスブルーの視線に貫かれて死んでしまうのは間違いないのだから。




