第9話 二人の従妹 1
詩織がイラスト作成のアルバイトをしてくれることが決まったので、玉緒は、本人の希望を聞いてから、専用のパソコンやタブレット、プリンタなどを会社に準備した。その後、詩織は、暇を見ては寧々子のいる事務所に顔を出すようになり、玉緒よりも会社に出勤するようになっていった。
寧々子は、頻繁に顔を出す詩織と意気投合し、今では寧々子が密かに書いていた絵本の原稿も詩織に見せたりしている。
「詩織ちゃん、これ、私がちょっと書いてみたものなんだけど・・・」
「こ、これは、仲良し姉妹の童話ですね? おー、これ、私の姉妹ものに通じたものを感じます!」
「そうだよね、詩織ちゃん。私も、詩織ちゃんのを初めて読んだとき、同じものを感じました。」
「・・・やっぱり、玉緒先輩は、ゴホン、妹のタマさんは、格好いい役が似合いますね。」
「そうなんだよ! 本当に玉緒ちゃんは、んーんっ、タマちゃんは恰好いいよね!」
たまに玉緒が顔を出すと、寧々子と詩織の二人で何やら仲良さそうに話をしている。
近づいていくと、たまに声が少し小さくなるときがあるのが気になるが、上手くやっているようでなによりだ、と玉緒は思っている。二人でオリジナル作品を作ってみる、という話なので、玉緒はもうそちらはお任せして、自分は不動産売却の仕事をしつつ、たまに事務所に顔を出してお茶を飲んでいる状態だった。
・・・・
そんなふうに平和な日々が続いていた4月のある日、寧々子が事務所に一人でいるときだった。
寧々子のスマホに電話がかかってきた。
「あれ、叔母さんからだ、何だろう?」
ぴっ
「はい、寧々子です。叔母さん、お久しぶりです。はい、今お話しして大丈夫ですよ。・・・はい、・・・え、はい? はい、今は会社にいます、・・・はい、時間は大丈夫ですが。はい、分かりました、お待ちしてます」
カチャ
「なんでしょう? 叔母さんがいきなりお話したいことがあるって・・・」
疑問に思いながら寧々子は来客の準備をした。
・・・
しばらく後、叔母が事務所に到着し、軽く近況報告をしあった後、叔母からの話が始まった。
「実はね、寧々子ちゃんにお願いしたいことがあったんだけど・・・」
「は、はい、なんでしょう・・・」
「ほら、寧々子ちゃんは、もうきちんと高校を出て、大学にも行って、立派な会社に入って、それにあきたらず、今みたいに起業までして会社経営をしているでしょう?」
「は、はい、そうですね・・・」
寧々子が少し気まずそうに返事をする。
寧々子が1年足らずで会社を逃げるように辞めたことの詳細については、両親以外の親戚には伝えられていなかった。玉緒は姉の寧々子をフォローするため、寧々子は一流企業だけでは満足できなかったため、発奮して自ら起業し、現在はバリバリ会社経営をしている、というようなイメージになるよう親戚への情報を操作していた。
「そして、玉緒ちゃんも、きちんと高校に行って、今も一流の大学に通って、ほんとうに、姉さんの子どもたちはこんなに立派なのに!」
叔母は少し怒りにふるえながら話を続けた。
「そ、それに比べて、うちの子どもたちは・・・、まったくもう!」
「あ、あの、叔母さん、叔母さんの子どもたちってことは、春香ちゃんと、亜希奈ちゃんのことですよね、私たちの従妹の双子姉妹の。えっと確か、今年で16歳なので、高校に入学したばかりですよね?」
寧々子の言葉を聞いたとたん、叔母は少し興奮しながら話を続ける。
「そうなのよ、この4月に、うちの春香と亜希奈も、私や姉さん、寧々子ちゃんや玉緒ちゃんのように、エクレア女学院に入学したんだけど。最初の2週間も過ぎたら、まったく学校行かなくなっちゃったの! 話をしても、もう行かないと二人とも言って、部屋に閉じこもっちゃって。何とか説得しているんだけど、言うことを聞いてくれなくて!うちの旦那も、仕事が忙しくて家にあまりいないし、聞けば本人の好きにさせたらいいんじゃないかって言うばかりで、何にもしてくれないし。こんなこと、他の人に聞かせられないし! まったく、もう、このままじゃ恥ずかしっくて、外も歩けなくなりそうだわ!」
「は、はあ・・・」
寧々子が不安そうな顔で相槌を打つ。
「それでね、きちんと高校と大学を出て、今は起業して頑張っている寧々子ちゃんに、この二人を説得して欲しいの! 私や姉さんよりも、うちの娘たちに年が近いし、何とか説得して、学校に行かせてちょうだい! それでなくとも、せめて、世間様に顔向けできるようにしてほしいの!」
「そ、そうですか・・・」
「そういうわけで、寧々子ちゃん、申し訳ないけど、うちの娘たちへの説得、お願いしていいかしら?」
やや強引な叔母の言葉に、押しの弱い寧々子はつい頷いてしまった。
「わ、分かりました。なんとか、頑張ってみます・・・」
・・・
叔母が帰った後、寧々子は一人で考え込んでいた。
「え~、私、ここ3年ほど自分のことで精一杯だったんで、春香ちゃんや亜希奈ちゃんの現状について全然分からないんだけど。でも、4年くらい前に最後に会った時、二人はそんなに変な様子じゃなかったよね?」
思い返すと、従妹二人に最後に会ったのは、従妹が小学校6年生の頃だったと思う。どちらかというと無口な亜希奈に、春香がついて歩いていて、いつも二人はいっしょにいたような気がする。無口でも亜希奈は話をふればきちんと会話していたし、春香もお菓子などをあげれば笑顔で受け取っていた。
寧々子はちらっとスマホで玉緒の電話番号を確認するが、
「いや、いやいや、いつも玉緒ちゃんに助けてもらってばかりでは駄目でしょ。叔母さんから私が直々に頼まれたんだし、今回は自分ひとりで頑張ってみよう!」
寧々子は腕に力を入れて、ちょっと気合を入れてみた。
・・・・・・
その数日後、寧々子は叔母さんの家、従妹二人が住んでいる家に行った。
「まあ、まあ、寧々子さん、よく来てくれたわ! 今ね、春香は出かけていないけど、亜希奈は自分の部屋にいるから、説得よろしくね!」
笑顔の叔母に見送られ、寧々子はさっそく2階にある亜希奈の部屋に行くことになった。
コンコン
「・・・」
特に返事がなかったので、おそるおそる寧々子は亜希奈の部屋のドアを開けた。
「こ、こんにちわー」
亜希奈の部屋は、寧々子から見るとひどく雑然として、なんというか研究室のような雰囲気だった。ベッドの反対側にはいくつかの本棚が並んでおり、分厚い本がぎゅうぎゅうに詰められていた。床には本棚に入りきらなかった大量の本が積まれていたり、機械の部品のようなものが入っている段ボールがいくつかあったり、工具箱や何かの工作機械と思わしきものが置かれていた。窓際には大き目の机の上にパソコンのモニタが3台ほど並べられており、亜希奈と思われる少女が何やら熱心にモニタを見ながら作業していた。
誰かが部屋に入ったことに気づいたのだろう、作業していた少女が寧々子のほうを見た。
髪は短いうえにぼさぼさとなっており、来ている服は女の子の私服というよりは、男性が工場で着る作業着のような野暮ったいものだった。
「・・・誰?」
「あ、あの、寧々子だけど・・・。亜希奈ちゃんだよね?」
「・・・ああ、従妹の、玉緒さんの姉さんか、お久しぶり」
「お、おひさしぶりです」
ぶっきらぼうな亜希奈の口調に、ややひきつった笑顔で寧々子が答える。
「す、少し、お話いいかな?」
「・・・」
時計をちらっとみた亜希奈がやや嫌そうな顔をする。
「ご、ごめん、ほんの少しでいいんだけど・・・」
亜希奈は、はあー、とため息を吐いてから、返事をした。
「まあ、いいけど。・・・イス無いから、そこのベッドにでも座ってよ」
ベッドに座った寧々子が亜希奈に話し始める。
「あ、あの、亜希奈ちゃん、今年高校入学したそうだね、遅ればせながら、おめでとう」
「・・・んー、まあ、あまりおめでたくはないんだが、一応ありがとう、かな?」
「そ、それでね、今、亜希奈ちゃんも春香ちゃんも、学校に行っていないと聞いたんだけど・・・、ちょっと心配になって、どうしたのかなって思って・・・」
「ああ、そのことか・・・」
まったく、しょうがねえな、母さんは、と言いながら、亜希奈は頭をがしがしさせた。
「あ、あの、もしかして、ちょっと友達と喧嘩したとか、いじめとか、何か困ったことがあったんだったら、私、少しでも力になれればいいな、と思ったんだけど・・・」
「あー、そういうことね。母さん、きちんと説明してないだろ」
亜希奈は右手をひらひらさせながら寧々子に告げる。
「いーや、まったく問題ないね。私が学校いかないのは、私の意志で行かないだけで、そこに問題はないよ。まあ、春香が学校に行かない点については、私は関わりないんで、それは春香に聞いてくれ。」
「えっと、亜希奈ちゃんは特に問題ない、ということ?」
「そう、問題ない。そもそも、これは母さんが言い出したんだよ。私はエクレア女学院なんで行きたくなかった、他に行きたいところがあったのに、どうしてもここじゃなきゃダメだ、そうじゃなきゃ学費も払わない、とか言ってさー。そんで、もしエクレア女学院に通って、どうしても嫌だったら、行かなくていい、と言っていたんだ。私は、少し通って、やっぱ嫌だったんで、もう学校には行ってない。」
「そ、そうなんだ」
「そう、これは、母さんとの約束どおりのこと。それに、例え高校に行かなくったって、私は15歳までの義務教育課程はちゃんと終えているし、20歳過ぎたらちゃんと働くつもりだ。だから問題は何一つない。おーけー? 話がそれだけなら、もういいかな? 私、自分の勉強で忙しいで。」
そう言って亜希奈は机のほうを向いて、自分の作業に入っていった。
そのまま何も言えないまま、寧々子は亜希奈の部屋から出ることになった。
・・・
「お、叔母さん、一応、亜希奈ちゃんとは話してみたんだけど・・・」
「まあまあ、どうだったかしら?」
「あ、あの、エクレア女学院に入学したけど、嫌だったら行かなくてもいいと叔母さんに言われていた、って言うんですけど・・・」
「あーそれね、でもね、寧々子ちゃん。親が学費を払っている高校だったら、嫌だから行かないなんて、常識的に考えておかしいわよね? しかも、あの、エクレア女学院よ? どうして行かないなんてことになるのかしら!」
「そ、そうですね・・・」
その後も、叔母からは何とか説得してほしいと言われて寧々子は困ってしまった。
寧々子と叔母が話をしていると、夕方になったからか、春香が外から帰ってきた。
「ただいまー!」
「あ、お、お帰りなさい、春香ちゃん、お久しぶり、寧々子です。」
「んー? あ、寧々子さんだ! お久しぶりー!」
髪をポニーテールにて、何か運動していたのだろうか、ジャージ姿だった春香は、笑顔で寧々子に答えた。
「あ、あの、春香ちゃん、今ちょっとお話いいかな?」
「うん? いーよー。じゃ、僕の部屋に行こっか」
春香は、2階にある自分の部屋(亜希奈と隣の部屋)まで寧々子を案内してくれる。
春香の部屋は、ベッドと小さな机があり、壁際には様々な装備が置いてあった。ジャージやスポーツシューズ、あとは登山用の服や迷彩服、地味な帽子や手袋、ゴーグル、頑丈そうな靴、登山用のザックなどが並べられてある。
「イスないからね、ベッドに座ってー」
春香の柔らかい対応に少しほっとした寧々子は、ベッドに座った後、話し始めた。
「あのー、春香ちゃん、今年高校入学したそうだね、遅ればせながら、おめでとう」
「うん、そうだねー、ありがとう、かな?」
「それでね、春香ちゃんが、学校に行かなくなったって聞いたんだけど・・・、ちょっと心配になって、どうしたのかなって思って・・・」
「あー、それ、お母さんに聞いたの? うーんと、」
春香は少し困った顔になった。
「あ、あのね、学校になじめなかったとか、何か困ったことがあったんだったら、少しでも力になれれば、と思ったんだけど・・・」
「うーんとね、ごめんね寧々子さん、私のこと心配して来てくれたんだよね。私ね、高校に行くのって、特に今のエクレア女学院に行くの、私には向いてないってずっと反対していたんだ。でも、お母さん、ここじゃないと駄目だって言って、それで、もしエクレア女学院に通ってどうしても向いてなかったらしょうがないって言ってたんだよ。それで、通ったら、やっぱり自分に向いてないって思っちゃって。それに、亜希奈も行ってないし、じゃあ、自分も行かなくていいかなーって・・・」
春香は少し申し訳なさそうな顔で返事をした。
「そ、そうなのね・・・」
「うん、寧々子さんには、うちの事情に巻き込んでごめんね。でもね、お父さんにも、こっそりだけど、自分のやりたいようにやっていい、って言われているんだあ。あ、これは内緒ね、寧々子さん」
「そ、そう、分かったわ・・・。と、とりあえず、今日はこれで帰るね。今日は時間もらってありがとう」
うん、また今度ねー、と、一応なごやかに話は終わった。
寧々子は部屋を出て叔母のところに行き、春香もうまく説得できなかったと伝えるが、叔母からは何とか説得を続けてほしいと言われてしまった。
何とか口を濁して逃げようとする寧々子だが、押しが強い叔母に負け、できる範囲で頑張ってみますと回答せざるをえなかった。
ど、どうしよう、何も解決できる気がしない・・・
とぼとぼ意気消沈して叔母宅から帰路についた寧々子は、手にもっていたスマホをじっと見つめてから、思わず玉緒に電話をしてしまった。
「た、助けて、玉緒ちゃーん!」
寧々子の第一声を聞いた玉緒は、私、「○○えもん」じゃないんですけど、と思ったとか、思わなかったとか。